第五話 「大丈夫? ルーキーたちぃ」
二人は登ってきた谷を降りて、宿場町への出口へ向かった。開拓済み地域・宿場町の周囲数キロほどは、すでに安全地帯——一般人でも対処が可能な魔物しかいない状態——となっている。今回二人が向かうのは、宿場町の北西へずっと向かった未開拓地の中だ。
『Bランクモンスター・ミズピパピパが作る世界一結合マナの濃度が高い水を十キロ確保して指定の住所に送る』というのが依頼主からの仕事内容だった。十キロと言われたから、二人は大荷物に備えて携帯用タンクを買い、そのついでに最新の地図と最新の魔物図鑑も買った。これらのお金は必要経費として、報酬に金額を上乗せされて返ってくるのだ。
「がめつい」
「払ってくれるって依頼主が言ってるんだから、いいだろ」
赤い岩の街を出ると、北西には起伏の激しい山岳が広がっている。さっそく開いた魔物図鑑によると、目当ての魔物は水辺の近くに巣を作るらしく、二人は地図の中の水場に印をつけて順に見て回ることにした。ところが、なかなかそれらしい魔物は見つからない。見つかるのは虫か魚ばかりである。
「……なんだ、猫か」
小さな泉を調べているとき、感知魔法の範囲になにか入ってきたのに振り返って、リアスは茂みから出てくる猫を見つけた。獣らしくないかわいい見た目をした、イエネコらしき猫である。リアスは思わず緊張を緩めてその猫に近寄った。首輪はないが、やはり人に慣れているようで、そのブチ猫はリアスが伸ばした手に頭を摺り寄せてくる。
「街から迷ってきたのか? 耳もボロボロだ……」
ピンク色の薄い耳がそこかしこ欠けているのに、彼はそこを撫でてやりながら呟いた。連れて帰ってやりたいけれど、もう宿場町に戻るには遠いし、この子を連れながら魔物と戦えるほどリアスたちは強くないだろう。それならせめて、帰るときにここへ寄ってもう一度見つけられたら連れて帰ってやろうと思って、リアスは餌付けのためにバックパックを下ろした。
「リアス、なにかあったかー?」
「ああごめん、バーン、迷い猫がいるんだ」
遠くで別の場所を調べているバーンの声に返事しながら、リアスは小さなリンゴを見つけてカバンから取り出した。猫に差し出してみるとかぷっと噛みついたので、体魔法で腕力を強化して「ふんっ」と割ってやる。
「迷い猫? こんなところにか?」
水際をぐるりと見回るバーンは、悪い予感がしてリアスを振り返った。
「まさかケット・シーじゃないよな?」
「えっ——」
不意に後ろ足で立ち上がったブチ猫がリアスの荷物を奪うのに、二人は「「あーっ‼」」とお手本のような悲鳴を上げた。少年が手に二十分も下げていられないような重さをひょいっと丸い片手に引っかけながら、ブチのケット・シーは森の奥に向かって走り出す。慌てて追いかけようとしたリアスに、茂みに隠れていたケット・シーの群れが襲いかかった。
「うわ! くっ」
「リアス!」
小さな姿からは想像もできないような怪力に地面に突き飛ばされ、リアスが思わず倒れ込むとそのまま胴上げされる。精いっぱい抵抗するも丸い手から服を引き剥がせず、ケット・シーたちが軽快に泉のほうへ走り出すのを覚悟して見つめた。
「くそ、バーン! ボクはいいから荷物を追え! ボクらの全財産があぁあ」
と言いながら、リアスはドボーンと派手な水柱を上げて泉に落下した。バーンはそれを心配しつつ、全速力でバックパックを持ったケット・シーを追いかける。
ケット・シーは、二足歩行の猫のような姿で高い知能を持った魔物だ。〝キング〟と呼ばれるリーダーが群れを統率しており、支配下の個体の耳に傷を入れて印をつけるという習性がある。
バーンが唯一リアスよりも詳しい魔物である。なぜなら、山暮らしで何度も食料を奪われたし二分の一は取り返せなかった因縁の魔物だから!
「今日こそ勝つ! 食べ物の恨みーーー‼」
慌てて飛びかかってくる仲間のケット・シーを弾き飛ばしながら、バーンは勝利を確信しながらその小さい猫の体に両手を伸ばした。
「……! ミャンッ」
焦ったケット・シーがとっさにバックパックを振りかぶって、バーンの鼻面をぶん殴る。ごすっ、という重い音が他人事のように彼の耳に届いた。油断してまともに食らったバーンは意識が遠のいて、ぐったりと膝をつくとその途端にケット・シーの群れが彼から荷物を奪って軽やかに体を持ち上げる。
「かふっ」鼻血が喉に流れ込んでくるのに顔を背けようとして、バーンは髪を握られているのに気づいた。「し、下向かせて……鼻血が……」
くりんっ、とケット・シーたちが自分の体をうつぶせにひっくり返してくれるから、彼は感動して目を輝かせる。喉に流れた血を口から垂れ流しながら「すっげぇ賢い! いい子だ!」と思わず叫んだ。
「言ってる場合かー‼」
やっと岸に立ったところだったリアスは、激突してきたバーンと一緒に泉に叩き込まれながら怒りの咆哮を上げた。
ごぼごぼと泉に沈み込み切ったあと、リアスは急いで相方の腕を掴みながら水面に向かった。バーンはカナヅチなのだ。
「ぷはっ、はぁ」
水面に顔を出して息継ぎすると、今度はバーンの体の下に潜り込んで水面まで押し上げる。相方が息を吸うのをなんとなく感じ取ると、そのまま彼の頭を抱えるようなポーズで岸までのろのろと泳いだ。
「大丈夫? ルーキーたちぃ」
不意に目の前に氷の層と手のひらが現れるのに、リアスとバーンはあっけにとられながら手の主を見上げた。レザージャケットにレザーパンツを着込んだ、赤髪の女性が早くというように差し出した手を揺らす。
「泳ぐなんて、魔法が使えないの? それ正直帰ったほうがいいわよ?」
「ボ、ボクたち……」
リアスは彼女のように氷魔法で足場を作ろうかと思ったけれど、善意に甘えてバーンに彼女の手を取らせた。赤髪の冒険者がピンヒールを氷に刺して引っかけながら、彼を引き上げる。リアスはその隣で、自ら氷の足場を生み出して水から上がった。
「げほ、かはっ!」
「はぁ、は、っう」
「魔法は使えるのね。対処法を知らないだけ?」
ぐったりしながら息を整える二人を見下ろしながら、彼女は賭けていたサングラスを髪の上に上げた。強い風が——彼女の魔法だろう風が二人の衣類に潜り込み、素早く服を乾かす。バーンが鼻をつままれて回復魔法を受けているのを見つつ、リアスは眼鏡をかけ直しながら女性に礼を言った。
「ありがとうございます……あなたはいったい?」
「アタシ? アタシはクレーアネラウ。君たちと同じ冒険者よ」
「クレー……!」
二人は慌てて姿勢を立て直して、名乗り返した。クレーは単独とは思えないスピードと強さで各地の開拓を進める、実力派で呼び声高い上級冒険者だ。ある場所ではSランクモンスターを単独討伐し、その巣だった丘には彼女の名前がつけられたらしい。
「やだ、アタシったら人気者」
そんな名声に対して、彼女はとくに興味なさそうにそう言った。
「ここ、まだ未開拓地よ? 君たちみたいなルーキーが来ちゃダメじゃなーい。アタシが送ったげるから、無事なうちに帰りなさい?」
「……オレたち、依頼があってここまで来たんだ」
だけれど、荷物を全て奪われては冒険は続行できない。それどころか、冒険者を続けるのも難しいだろう。二人は氷の上にへたり込みながら俯いた。
「ふうん? 依頼って?」
クレーが言うので、二人は依頼書の内容を伝えた。そうすると彼女の顔が苦虫を噛み潰したように歪み、「依頼主の名前は?」と続ける。
「ええと……確か、『オードリーカブー』」
「……はぁ」
彼女がため息をつくのに、リアスとバーンは顔を見合わせて首を傾げた。
「……ううん、なんでもないわ。でももうそいつから依頼を受けるのはやめときなさい。そいつ、相場がわかってない初心者に危険な任務を安く受けさせる有名な詐欺野郎なのよ」
彼女はもう一度ため息をつくと、ふと表情を引き締めて胸の前で腕を組んだ。
「アタシ、ちょうど今日の開拓は終わりにしようと思ってたの。こーんな危険地帯にルーキーを来させたその依頼主がむかつくから、お姉さん手伝ってあげる。まだマナは充分残ってる?」
「はい!」
「おう!」




