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地の底にて


ヴァルデマールが納屋の地下室で屍者を甦らせていた折、騎士たちは荒々しく扉を破り壊して乱入した。


彼が相手を騎士だと悟ったのは、頭上から響く甲冑の足音、そして結界による警戒がまるで作動しなかったことによる。これは魔術師が少なくとも一名は同行している証左であり、在地の民兵では到底叶わぬ組織力を窺わせる。


闇の領主たちは、決して民兵に魔術師を抱えさせはしない。それはヴァルデマールに対しても同様で、彼らは彼の魔術研究を黙認する気など微塵もなかった。


とはいえ、法の追っ手をかわすことには慣れているヴァルデマールだが、今回は退路を断たれてしまっていた。儀式は既に始まっており、今さら引き返すわけにはいかない。


彼はこの企み――祖父の遺志を継いだ大いなる研究――にあまりにも多くを注ぎ込んでいた。祖父が遺した日誌を解読するために無駄に費やした歳月、禁書を入手するために犯罪者たちと手を組み、呪文の欠片を埋めるためにデルロの機巧技術を学び……。きっと、ただ静かに研究さえできれば成功するはず――それなのに、世の理不尽は彼に安住の地を与えなかった。


暗き地下室に不吉な緋色の輝きが立ちこめ、若き魔術師の血で描かれた儀式陣が死霊の力を帯び始める。その中心には、牛ほどの大きさを持つ角錐型の機械が鎮座していた。ヴァルデマール自身が組み上げた機巧で、金属板と配管で組まれた台座が三角形のガラス容器を支えている。その内部には、黒い表紙の古びた祖父の日誌が据えられ、亡き持ち主の魂の残滓を呼び戻すための焦点となっていた。


――そのはずだった。だが、魔術はなお貪欲に力を求めている。さらなる生命力を、さらなる血を。


すでに拇指の先を切り流した血で陣を描いていたヴァルデマールは、黒衣の下から儀式用のアサメ(アタメ)を抜き、左の手のひらを鋭く斬りつけた。蒼白い肌を濡らし流れる血を儀式陣に注ぐと、魔方陣は飢えたようにその生き血を吸収し、機械の配管からは緋色の蒸気が立ち昇る。騎士たちの足音が頭上へと迫り、木の板が悲鳴を上げながら地下への扉へ近づいていく。


「その邪悪なる魔術をやめろ!」

上から騎士の一人が叫ぶ。しかしヴァルデマールは耳を貸さない。


ガラス容器の中、日誌の上空に淡く透き通った緑がかったエクトプラズムが形を取り始めた。霊質の塊は幾度も形を変えながら強さを増し、その艶やかな表面にヴァルデマール自身の痩せこけた姿が映る。彼の短く乱れた白髪は魔力の奔流に逆立ち、その灰色がかった眼は血の如き赤へと染まっていた。


「やはり、間違いはなかった!」

ヴァルデマールは笑みを漏らす。エクトプラズムが髑髏の形へ凝縮していく様子に歓喜を滲ませながら。「儀式は成功する!」


違法な魔術師たちからは「不可能だ」と散々に言われてきた試み。しかしヴァルデマールは己が手でその常識を覆そうとしていた。魔術の限界を越え、新たな境地を切り拓きつつあるのだ。


だが、背後で地下への扉が砕け散り、灯りが漏れ始めた気配を感じ取ったヴァルデマールは振り返る。一人の全身甲冑に身を包む戦士が、円錐形の兜に多数の黄金の鎖を首から下げた姿で階段を降り始める。左手の青いランタンがあたりを照らし、右手には剣を握り締めていた。その姿は鎖の騎士――チェインの騎士である証だった。


「ヴァルデマール・ヴェルニー」

騎士はその低く響く声で名を呼ぶ。「ただちに呪文をやめろ!」


「階段には近づくな!」

ヴァルデマールは警告する。騎士を嫌う彼ではあるが、いたずらに死なせたいわけではなかった。「邪魔されないように、罠を仕掛けてある! もし起動してしまえば、俺にも――」


だが、その熱血漢は聞く耳をもたず、隠しておいた召喚陣を踏み抜いてしまう。


木製の階段下から紫電の閃光が弾け、緑の触手が突如として伸び上がった。それらは騎士の脚を瞬時に捕らえ、壁際へと叩きつける。剣を構える間もなく、ランタンは床に落ちて砕け散り、その幽玄の火も呆気なく掻き消えた。


「愚か者め!」

ヴァルデマールは憤激を露わにする。「召喚してしまったら、もう俺にも制御できないというのに!」


階下に姿を現した怪物は、家畜をも上回る巨体を持ち、触手の塊から忌まわしき単眼が不気味にこちらを睨んでいた。ランプrey(lamprey、ヤツメウナギ)のように歯が並んだ口が幾つも開き、鎧の隙間を貪ろうと蠢いている。


「グナー(Gnawer)だ! 召喚士め!」

捕われた騎士は絶叫する。怪物の触手が剣を握る腕をねじ曲げ、さらに兜を激しく打ち据える。グナーは異界Qlippothの最下級に属する愚かで醜悪な存在にすぎないが、常人をはるかに凌駕する凶暴さを秘めていた。


不幸にも、これら怪物は物質界に顕現するとただ飢えを満たすことしか考えず、ヴァルデマールは自分だけが襲われぬように術式を仕込むことが精一杯だった。


「離せ!」

ヴァルデマールは形ばかり命じるが、触手の怪物はまるで応じない。「やれやれ、言ってみただけだ」――彼はすぐさま儀式へと意識を戻す。


儀式を中断して怪物を異界へ送り返すこともできるが、それをすれば騎士たちの拘束を免れないうえ、せっかく組み上げた機械を破壊されるのは明白。ヴァルデマールは騎士の負傷や死をこれ以上望まなかったが、それ以上に研究の成果を諦めるわけにはいかなかった。


――どうせ投獄されるなら、罪が一つ増えようが変わるものか。

やがて成し遂げた暁には、すべての不義も報われよう……。


触手に苦しむ騎士を尻目に、ガラス容器の中にある髑髏状のエクトプラズムは皮膚や髪を生やすように形作られ、年老いた祖父の姿を徐々に取り戻し始めた。


「おじいちゃん……俺だ、ヴァルだ」

ヴァルデマールは密やかに囁きかける。「戻ってきてくれ……」


そのとき、助けに駆けつけようと、さらに二人の騎士が地下室へ飛び込んできた。一人は同じチェインの騎士、もう一人は尖った紫色の帽子と外套を纏う“トームの騎士”――甲冑の上から魔術師の装束を身につけた女性だ。手には武器も灯火もないが、彼女にはそれらが必要なかった。


「退け、異形の魔物!」

高く澄んだ声でトームの騎士が叫び、その両掌からは緋色の光がきらめく。それを浴びたグナーは苦痛に呻き、触手の締め付けを緩めた。その隙に、チェインの騎士二人が剣で触手を断ち切る。「退け!」


しかしその光が、ヴァルデマールの儀式にも干渉を始めてしまった。彼の祖父の姿をとりかけていたエクトプラズムが明滅を起こし、機械の配管が激しく脈動するように振動する。


「やめろ!」

ヴァルデマールはトームの騎士へと怒鳴るが、ガラスの中の祖父の顔は再び髑髏の形へと退行していく。「その呪文が俺の儀式を乱しているんだ!」


血の注がれた魔法陣を維持しつつ、ヴァルデマールは空いた手と儀式刃を掲げ、トームの騎士に狙いを定めた。彼女の魔術防御が瞬く間に強化されるのを感じ取るが、今は彼女も自らの呪文に集中している最中だ。


「ヴェルニー、お前は血の魔術に長けるようだが――」

騎士の言葉が終わるよりも早く、ヴァルデマールの念動力が彼女を壁へ叩きつけた。だが遅かった。グナーは既に剣で目玉を貫かれ、悶絶の末に異界の煙へと溶け消えた。触手から逃れたチェインの騎士たちは、即座にヴァルデマールへ突撃する。


次の攻撃呪文を放つ間もなく、彼は機械へ押し付けられ、血を滴らせる手を魔法陣から引き離された。ヴァルデマールの肩は金属の配管に衝突し、血を失った陣は急速に縮んでいく。


「くそっ……俺のエクトキャッチャーが!」

彼の呻き声とともに、騎士の一人が儀式用ナイフを弾き落とし、別の一人が彼の顔を容赦なく機械へと叩きつける。「やめろッ!」


しかし既に手遅れだった。ガラス容器はひび割れ、内部のエクトプラズムの髑髏が甲高い悲鳴をあげながら霧散していく。


数秒後には、血の陣もエクトプラズムもすべて消え失せていた。


ヴァルデマールは、胸中に荒れ狂う絶望と怒りを吐き出すかのように咆哮したが、チェインの騎士は構わず牙つきの拘束具を彼の手首にはめる。棘のような歯が肌に食い込み、残った血を啜る。既に大きく消耗していたヴァルデマールは、さらに力が抜け落ち、念動力も行使できなくなった。


「この邪教崇拝者め」

チェインの騎士はそう罵り、彼を機械から引き剝がす。「いつ貴様らは目を覚ますんだ?」


「俺は邪教徒などじゃない……! 何も分かっていないくせに!」

必死に反論するヴァルデマールに、騎士は彼の黒衣や落ちた血濡れの儀式刃を指し示すのみ。「祖父を取り戻せそうだったんだ! お前たちのせいで台無しだ!」


そこに、先ほど壁に叩きつけられたトームの騎士が姿勢を整え、ヘルメット越しにヴァルデマールを睥睨する。

「ヴァルデマール・ヴェルニー、貴様を以下の罪状で逮捕する。デルロの禁制技術の密輸、無許可の死霊術、Qlippothの召喚、墓荒らし、異界の神々(Strangers)崇拝、禁書所持、騎士団員への傷害、逮捕への抵抗、そして文書偽造。何と弁明する?」


「異界の神なんぞ拝んでいない! それに墓など荒らしていない!」

ヴァルデマールは憤然と反論する。召喚の鉄則は「自分より強大な存在は呼ぶな」である。「俺はただ、ハーミテージ家の先祖を汚れ仕事に使っただけで――」


「お前は“無許可”でハーミテージ家の始祖をアンデッド化させたのだろう?」

とトームの騎士は冷淡に言い放つ。


――そこから足がついたのか。

「ハーミテージ家と契約していたんだ。彼らの先祖をアンデッド化して、キノコ農園で労働させ続けることに合意を得ていた!」

死霊術師の多くは、成果の一部を召喚者の報酬として得るのが通例だが、ヴァルデマールは人里離れた場所を実験場として借りられれば十分だったのだ。


「正規の死霊術免許を偽造していたくせに、よくも言う。お陰で貴様はスペルベイン行きだ」

そう告げるトームの騎士に、チェインの一人がヴァルデマールの祖父の日誌を目にとめる。「これはおそらく禁断の魔書だろう。焼き払った方がいい」


その一言に、ヴァルデマールの目は今にも飛び出さんばかりに見開かれた。

「それは祖父の日誌だ!」

恐慌に駆られる声を荒げる。「魔術書なんかじゃない! その中の知識は――」


騎士の一人がヴァルデマールを殴りつけ、その言葉を遮る。頬や顎に鈍い痛みが走り、視界が一瞬白む。心臓の鼓動が遠く聞こえる中で、トームの騎士は割れたガラス容器を砕き、日誌を掴み取った。


「これはパラプレクスに送って解析する。お前の装置も、巣窟から出る怪しい書物もすべてだ」


「貴様ら、何も分かっていない……!」

ヴァルデマールは反論しようとしたが、トームの騎士の手のひらが上がると、不思議な力で彼の口は封じられた。「ん、んんっ!」


こうして騎士たちは彼を穀物の袋のように担ぎ上げ、外へと引きずり出す。目の焦点は霞み、薄れゆく意識の中で農場の光景がぼんやりと映る。青い傘状の巨大キノコが広がるハーミテージ家の敷地。緑の苔むす地面。そして静寂に支配された納屋。


黒い番犬たちは、魔術で制御されたかのように無表情にこちらを見つめる。屍から起こされ、白目を剥いたまま Roger Hermitage が紫色のキノコを黙々と刈り取っていた。生前と変わらぬ勤勉さを、死してなお示し続けているのだ。


ヴァルデマールは、地底の広大な洞窟を仰ぎ見る。頭上300メートルの岩肌に淡く光る苔がちらばり、弱々しい蛍光がそこかしこを彩る。これこそがアズラント帝国の“空”であり、領域の果てであった。


――この先にあるのは、凍結した不毛の世界と果てしなき闇のみ。

人類は永久の夜に閉ざされている。


せめて太陽を、この目で拝みたかった。

ヴァルデマールの心は陰鬱な嘆きに沈む。


---


その後、彼は曖昧な意識のまま日々を過ごした。


――いや、どれほどの時が流れたのか見当もつかない。暗く閉ざされた牢で、彼は車輪のような拷問器具に裸身を固定され、眠ることすら許されなかった。鉄の仮面が顎を覆い、一切の言葉を封じられる。血管に接続した金属管が常に血を抜き取り、代わりに生存に必要な薬液を流し込む。眠気覚ましと体力の枯渇とが入り交じり、ただ思考することしかできない地獄。


賢明な騎士たちは、もしヴァルデマールが睡眠を操る魔術――夢魔術ワンイロマンシーの使い手であったならば、まどろみの中で危険な術を振るうやもしれないと警戒していたのだろう。


だが、こうした苛烈な拘束と沈黙の時間は彼の理性を確実に蝕んでいた。思索にふけろうとすればするほど薬物の混濁が心を散らし、身体は寒さに震える。加えて静寂があまりに重い。


時折、牢の小窓の向こうから波の打ち寄せる音が微かに聞こえてくる。ここスペルベインは、アローギ領内の巨大な湖のただ中に築かれた監獄なのだ。


かつて、七柱の闇の領主が帝国を分割し、それぞれ自らの「領域ドメイン」を築き上げた。ここアローギを治める闇の女帝オフィエルは、その狂気じみた気性から幾度も城砦を建て替え、「完璧なる宮殿」を追い求めるも決して満足しない。スペルベインはそんな彼女の数ある廃棄物の一つにすぎず、今は魔術師の処分場として再利用されているのだ。


やがて騎士たちはヴァルデマールから知りうるすべてを引き出し、不要と判断すれば処刑か鉱山送り。死してもなお遺体を再利用されるのが帝国の常。どのみち、彼には絶望しか残されていない。


そんなある時、闇の中に一筋の光が差した。金属質の足音が廊下に近づき、松明の淡い灯が牢の扉を照らす。


ようやく……。

あるいは尋問か、あるいは処刑だとしても、この閉ざされた暗黒よりはましかもしれない。


扉が開き、まず入ってきたのはチェインの騎士。彼が持つ松明が暗い独房をかすかに照らし出す。その後ろにはトームの騎士、そして最後に一人の細身の女性が姿を見せた。


彼女は騎士の装いではなく、濃紅色の革のロングコートに黒のシャツ、ズボン、そしてブーツという落ち着いた装いをしている。顔立ちはどこまでも端正で青みを帯びた瞳をもつが、その表情は仮面さながらに無機質だ。腰には細身の剣――レイピアと、見慣れぬ金属の銃を携えている。


その女性の顔には、ヴァルデマールにも見覚えがあったが、名までは思い出せなかった。


「これはあまりに残酷ね」

女性は、冷えた眼差しを僅かに和らげて言った。声は透き通るように澄み切っている。「これでは彼を殺すも同然ではありませんか」


「殺したいところですがね、お嬢様」

看守長のような立場にあるチェインの騎士が、慇懃ながらも嘲るように応じる。「こいつ、尋常ではない生命力をもっているんですよ。通常の三倍の薬量を投入してやっと大人しくさせている。まるで自己改造でもした化け物ですな」


「おそらくは自ら身体を弄った生体魔術師でしょう」

後ろに控えたトームの騎士が補足する。「私と戦ったとき、攻撃こそ荒削りでしたが、同時に儀式を維持していた点は天賦の才と見るべき。警戒して当然かと」


女性はじっとヴァルデマールを見据える。その瞳は冷静にして探究的だ。「独学で魔術を習得したと?」


「はい、お嬢様」

チェインの騎士はうなずく。「元々、ヴェルニー家本家は邪教の疑いで一族郎党粛清され、残党には魔術の行使を禁じられていました。こいつは分家の私生児で、法網をすり抜け独りで魔術を覚えたんでしょう。まったく出来の悪い末裔です」


帝国の“正道”から排除され、教会の僧侶かシャラウド(死者の騎士)入りの道しか残されていなかったヴァルデマール。いずれも祖父の悲願とは程遠い。かくして彼は違法な道を進むしかなかったのだ。


「それで、なぜこれほど生かされているのかしら?」

と女性が問いかける。


「邪教徒の残党を徹底的に洗い出すためですよ。あとはマインドの騎士に頭を開いてもらい、全部吐かせることも……」

看守長の声には拷問への嗜虐が混じっていた。


女性はそれを聞いて唇を僅かに歪める。「私の目の前でそんな蛮行はさせないわ。……仮面を外しなさい」


命を受けたトームの騎士が、車輪装置に仕掛けた鍵を回し、ヴァルデマールの口を塞いでいた鉄仮面を外す。久方ぶりに空気を口から吸い込める開放感に、ヴァルデマールは荒い息をつく。


「初めまして。私はマリアンヌ・レナールと申します」

女性は静かな口調で名乗った。「パラプレクスの闇の領主、オーク閣下の代理人です」


――オーク卿。帝国最古参の魔術師にして、第三位の権勢を誇る大魔公、トームの騎士たちの最上位司令官でもある。その者の名を聞くだけで、ヴァルデマールの胸中に暗い予感が広がる。


「どうやって……」

ヴァルデマールはか細い声で尋ねる。「俺を見つけた?」


看守長は鼻で笑う。「アーマン・ド・モンテボワというデルロ技術の密売人を捕らえたんだよ。そいつが全部白状したんだ。仲間を安い代償で売り渡してな」


「そいつはまだ生きてるのか」

ヴァルデマールの言葉に、看守長は肯定と取れるような仕草をする。裏切り者を殺す機会が残されていることに、一瞬かすかな安堵を覚え、同時に復讐心が疼いた。


「さて、ヴェルニーさん」

マリアンヌと名乗る女性が穏やかに語りかけてくる。「あなたにいくつか聞きたいことがあります。私たちはあなたの装置を解析し、どうやら亡き魂を甦らせようとしていたと推測しています」


ヴァルデマールは沈黙で応じた。だが彼女は構わず続ける。


「ところが、あなたの呪式は死霊術に頼ることなく、召喚術の輪を用いていた。一般に死者の魂を異界から呼び戻す試みは、常に最悪の失敗に終わるとされています。にもかかわらず、目撃者の証言ではあなたは確かに何らかの“エクトプラズム”を顕現させたという」


「……祖父の魂そのものを引き戻そうとしたわけではない」

あの世とこの世を隔てる“ヴェイル”を真正面から破るなど、不可能に等しい。その手間も代償も、ヴァルデマールには用意できない。「俺が狙ったのは“残響”……いわばエコーを作ることだった」


マリアンヌは眉をひそめる。「エコー……?」


それは誰もが理解を示さなかった、彼独自の理論だった。だがここで黙しても、マインドの騎士に脳をこじ開けられるだけだ。


「魂は地上を去る際、その強い執着が残った場所や物に痕跡を刻む。特に愛着の深かった愛用品にはね」

祖父の場合、それこそが“日誌”だったのだ。生前ずっと手放さず、地底へ落ちてからも唯一の心の支えにしていた書物。「俺の狙いは、その残留した精神的な力を人工のエクトプラズムへと収束させ、異界の存在がこの世界に顕現する際に用いるのと同じ手法で仮初の身体を与えること……それだけだ」


「つまり、人工的な幽霊を作ろうと?」

マリアンヌが問い、ヴァルデマールは静かに首肯する。「ええ。俺の血を媒体として、この世に縛り付ける。俺は祖父の最後の直系だから」


「なぜそんなことを?」

マリアンヌの声はどこまでも穏やかだったが、ヴァルデマールにはその真意が掴みかねた。友好的に見せかけて、いつ刃を向けられるか分からない。


――それでも、彼は失うものなど既にない。

「祖父は……“地上”の者だった。太陽のある別の世界から落ちてきたんだ。そこで知り得たことを、もっと詳しく聞きたかった。地底ではなく“地上”へ続く扉を開けるためにな」


マリアンヌは言葉を失うように微かに目を伏せる。後ろの看守長とトームの騎士は失笑を浮かべた。


「“アース(地球)”、か? 土の塊にでも住んでるのか?」

看守長があざ笑う。「なんとまあ、似非神話の与太話だな」


「……地球は実在する!」

ヴァルデマールの声は弱々しくも怒りを帯びる。朦朧とした意識を怒火が強張らせる。「いつか必ず見つける。青い空と輝く太陽の下に広がる世界を――」


「寝言はやめろ。お前は処刑か、鉱山で朽ち果てるかだ」

看守長が乱暴に言い放ち、「久々に火あぶりも悪くないな」などと嘲笑を漏らす。


しかし、マリアンヌは冷ややかな表情で看守長に向き直った。「放しなさい」


「は? 何を言ってるんです?」

看守長は驚愕の色を浮かべる。


「放すのです、今すぐに」

マリアンヌはきっぱりと命じた。「彼をパラプレクスへ連れて行きます」


「お、お嬢様。それはあまりにも――」

看守長はまるで信じられないと言わんばかりに反論する。「こいつは異端の落とし種で、大罪人ですよ? 頭のおかしな亡者崇拝者じゃないですか」


「これはオーク閣下のご意向です」

マリアンヌの言葉は重く響く。「闇の領主みずから、ヴァルデマール・ヴェルニーを直々に取り調べたいと仰せです」


――つまり、祖父の日誌は既にオーク卿の目に触れたのだろう。そして、そこに何かを見出したのかもしれない。


本当に、その先に太陽があるとしたら……。

ヴァルデマールの胸中に、絶望の中にも小さな光が差し込む。


いつか、彼は本物の“地上”で太陽を仰ぎ見ることができるのだろうか……。

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