I The unwanted outsider 冷たい街角で
※本作品には1950年代の北米における実際の差別表現・蔑称が登場しますが、差別を肯定する意図は一切ありません。
当時の時代背景や人物の心情を描くための表現であり、物語全体としてはむしろそれらの偏見や暴力に晒される登場人物の姿と、その強さや再生を描いていくものです。
――1953年、カナダ、モントリオール
冬の空気は刃のように鋭く、街を覆う雪の匂いと煤けた煙の匂いが混ざり合っていた。石造りの建物の影が路地を埋め尽くし、ガス灯のぼんやりした明かりが、雪の上に長く冷たい影を落としている。街角で見かけるのは、退役軍人たちの姿。未だに軍服を着ている者もあれば、傷ついた体をかばいながら歩く者もいた。彼らの姿には、戦争の爪痕が深く刻まれているように見えた。
戦争は終わった。でも、ここにはまだ、終わりきらない空気が残っていた。
煙突から漂う石炭の匂い、軍服の襟を立てた男たち、義足の音。雪が振るたびに全てが、静かに、少しずつ消えていくようだった。
「お前は混ぜてやらないよ! お父さんもお母さんもジャップとは遊ぶなって言ってるもん!」
「お前ら日本人のせいでうちのお父さんは香港で死んだんだ!」
その言葉は、凍った空気よりも鋭く、シンシアの胸に突き刺さった。
「貴様らジャップが戦争を始めたせいでうちの兄貴は硫黄島から帰って来れなかった!!」
「ここは白人のための国なんだ! ジャップは出ていけ! 日本に帰れよ!」
ただ、背中に投げつけられる罵声と雪玉の冷たさだけが残っていた。誰が何を叫んだのかもう分からなかった。
シンシア・フサエ・タカハシは小さな肩を震わせながら、薄暗い裏道に座り込んでいた。凍てついた涙が彼女の黒髪を頬に貼り付け、かじかんだ指で擦っても、頬の冷たさは消えない。制服のスカートの裾は泥で汚れ、タイツには小さな破れができている。強制収容所で病死した父の肩身である懐中時計をそっと握りしめた。そこにはまだ温もりが残っているかのよつだった。父は自分たち家族を守れなかったことを悔やみながら死んでいった。
(……お父さん)
彼女の周りには誰もいなかった。少なくとも彼女自身はそう思っていた。
「どうしたの?」
不意に、背後から声が降ってきた。
低くて、落ち着いた、妙に耳に残る声だった。シンシアは驚いて顔を上げた。
そこにいたのは、見たことのない少年だった。
ガス灯の光に照らされたその姿は、まるで違う時代から迷い込んだかのようだった。アッシュブロンドの髪はまるでシルクのように滑らかで、肌は雪よりも白い。彼のコートは、この寒さには不釣り合いなほど薄手で、古風な仕立てだった。まるで何十年も前の上流階級の少年のように——。そのコートから伸びる長い脚と細い手首がやたら目を引いた。
けれど、それよりも印象的だったのは彼の瞳だった。夜のように暗く、それでいて深い湖の底に沈んだ紅玉のように赤い。光を受ける角度によって、そのどちらにも見えた。
「あ……」
言葉にならない声がシンシアの唇から漏れた。彼は、微笑んだ。
「また、誰かにいじめられた?」
優しい声だった。
だが、その微笑みはまるで、彼女の傷ついた心の奥を覗き込んでいるような、そんな不思議な響きを持っていた。
「ねえ、サミー、来週フラン先生の家でニューイヤーパーティがあるの。ずっとずっと自粛自粛でできなかったじゃない? サミーも来ない?」
「ごめん。私そういうの苦手」
サミーと呼ばれた少女は話しかけてきたクラスメイトのことを見ることもせず、ただ真っ直ぐ前を見ながらそう言った。
そこそこ長くしている黒髪を靡かせ、カツカツと大股の早歩きでその場を去っていく。
「アニ、あんな偏屈で陰気なの誘わないでよ。そもそもあの人誘ったって来ないでしょ。孤独を愛してるみたいだし」
「そうそう、とことん無視してやればいいの! あんなの!」
「その通り! あんな奴呼んだらせっかくのパーティもお葬式モードになっちゃうわ!」
一軍女子たちがサマンサに聞かせてやろうと無駄に高い声でそう言った。
「そうそう、学校で毎日あいつの陰気な顔を見なきゃいけないってだけで不愉快なのにさ!」
サマンサは聞こえているのか聞こえてないのか振り返ることはなかった。
学校から出たサマンサは一月の凍った空気を胸に思い切り吸い込みつつ、ある場所へ向かった。この街、モントリオールは一年の半分は雪と氷に閉ざされ、特にこの時期は氷点下10度から20度くらいになる。この時期の外気は冷たいというより痛い。何百本もの針が頬を刺してくるかのようだ。そしてカナダ第二の都市かつケベック州最大の都市であり、フランス文化の漂う趣深い街だ。「北米のパリ」と呼ばれるほど芸術も優れ、街のあちこちで美しい銅像やアートを見ることができる。今で言う「インスタ映え」の街でもある。
下校時に学校の近くにあるモントリオール地下街に行くことはサマンサの日課だった。モントリオール地下街は多くのショッピングモール、フードコート、都市機能を担う建物を繋ぐ広大な地下通路網だ。サマンサはいつもフードコート近くのベンチで課題を済ませ、ネットサーフィンか読書をして時間を潰す。その休憩所の中心には大きな噴水があり、いつも色とりどりにライトアップされている。そんな美しい場所がサマンサはお気に入りなのだ。
家に帰っても母が機嫌悪いかもしれないし、もしかすると彼氏といるかもしれないので居心地が悪い。だからと言って遊ぶ友人もいないのだ。友人を作らないのは、疲れたからとも、傷つくのが怖いからとも、ある意味開き直っているからとも言える。
サマンサがティムホートンで買ったレモンティーを飲みながら、一息ついてると小汚い格好の白人男性がにやにやしながら顔を覗き込んできた。
「ニーハオ!!中国語話してみな!!ハハハ!!」
男性は下品に笑いながら去っていった。
(……またか。)
もう21世紀も4分の1が経過した。今日のカナダの社会はかなりリベラルになってきているので、曾祖父母や祖父母が受けてきたような差別をサマンサは受けてきたわけでない。だが、こういう「よそ者」「イロモノ」扱いはたまに受ける。
モントリオールで生まれ育った。ここは故郷のはずなのに——。
少し前に流行った世界的流行り風邪の最初の患者が中国で発見されたため、最近アジア人差別に拍車がかかっている。サマンサはモントリオール生まれモントリオール育ちだが、日本人の血を引く日系四世だった。
(でも日本にいたときよりはマシ。日本にいたときよりは)
サマンサはレモンティーを口に運びながら回想する。
サマンサがプライマリースクールを卒業した頃、日系人三世の母はフランス系カナダ人の父と離婚した。そしてサマンサは母と一緒に一度日本へ渡った。日系人は三世以降になると、親が早いうちに日本語学校に入れないと曰本語が話せないままになってしまうものだが、母とサマンサは就学前から日本語学校に通っていたのでネイティブと変わりなく曰本語を話せた。母は語学力を買われて日本の支社に転勤になったのだ。
(あの頃の私は、日本なら日本人しかいないから差別や嫌がらせもなく、同胞と仲良く暮らしていけるなんて思ってた。馬鹿だった。甘かった)
だが、差別されるのは日本も同じだった。――いや、日本で受けた差別はカナダの比ではなかった。
『あいつ、なんであんなに英語できるわけ? ずるいよね?』
『私たちは苦労して覚えてるのに最初からできるなんて不公平だよ』
中学に入学して間もない頃の昼休みのことだった。チャイムが鳴ると同時に、前の席の女子たちが一斉に立ち上がる。
『トイレ行こ~』
『サマンサも来なよ~』
4人の女子がサマンサの席の横で待つ。誰が言い出したというわけでもなく、当然のように、グループ行動に巻き込むような雰囲気。
サマンサは一瞬きょとんとした後、小さく首を横に振る。
『いい。私はひとりで行くから』
ぱたりと教科書を閉じる音が教室に響いた。その瞬間、グループの空気が微妙に変わる。
『……ふーん』
彼女たちの目が冷たく細まる。そして教室の出入口の近くでヒソヒソと話しだす。
『てか、ひとりで行くとか、KYすぎじゃね?』
『なんかさー、ああいうのを「海外かぶれ」って言うんだろうな、マジ無理~。「私はあんたたちとは違います」「私自分持ってますから」的な? うざいわー。あんな顔してるくせに』
リーダー格の女子がわざとらしく笑うと、他の子たちもつられるようにクスクスと笑い出す。
サマンサはそのまま何も言わずに昼休み中、ずっと教室の隅で一人静かに弁当を食べた。
さらに、サマンサが英語の授業で教科書を綺麗な発音で読むと、くすくすと笑う声が聞こえた。どうも強弱アクセントのない言語を話している日本人にとって強弱がはっきりしている英語の発音はおかしくて堪らないようだ。
『サマンサ敦子の真似をしまーす!』
ある日、クラスの男子が教壇の前に立ち、わざとらしく舌を巻きながら英語の教科書を読み上げる。
『Ha, ha, ha!!(ハッハッハ!)』
他の生徒までその男子の真似をして笑った。教師も止めない。その日、サマンサは初めて「カナダへ帰りたい」と思った。
教師は庇うどころか「あなた少しは空気を読んでよ。皆あなたのせいで不愉快な思いをしているのよ。皆あなたみたいな海外育ちじゃないんだから不公平でしょ。皆に合わせて。あなたが目立つとクラスの和が乱れるの。協調性って大事よ」とサマンサを放課後残し、英語を下手に読む練習をさせた。
だが、今更そんな練習をしたところで時すでに遅しだった。
『何あいつ今更。私たちの英語の発音を真似して馬鹿にしてるの? 自分が英語話せるからって鼻にかけてるよね? やっぱりサマンサ敦子って嫌な奴』
このように、さらに嫌われる事態になってしまった。自分たちだってサマンサのモノマネをしていたのに。サマンサだけプリントが回ってこない、サマンサだけクラスメイトに挨拶しても返してもらえない、連絡を回してもらえず次の日持ってくるものが分からず教師に叱りつけられる等は当たり前だった。酷い時はカンニングの濡れ衣まで着せられた。罰ゲームのネタとして男子に告白をされたことまであった。それもその男子はサマンサが恋心を抱いていた相手だっただけに、サマンサの心はより深く傷ついた。
ただ……サマンサの容姿がいかにも「私はハーフです」といったものであれば、皆の反応は全く違ったものになったのかもしれない。
『ねえねえ、A組にめっちゃ可愛いハーフの女の子が編入してきたんだって!! 英語もめっちゃ上手いの!! 』
『ジュリアちゃんでしょ?めっちゃ可愛いよね! イギリスの話もすごく面白いの!』
中学2年生の頃、隣のクラスに日英ミックスの女の子が編入してきたのだが、彼女は色素の薄い目と髪を持ち、彫りの深い顔をしていて、手足も長かった。彼女がクイーン・イングリッシュを披露すると「かっこいい」と絶賛され、イギリスの話をすると「もっと聞かせて!」と皆目を輝かせながら寄ってきた。勿論、英語を下手に読む練習もさせられてない。
『ジュリアちゃんって、みんなの憧れの的だよね。やっぱりハーフっていいな〜!」
『ああいう子なら英語できてもカッコいいし、うちらのクラスのイメージも上がるけど……サマンサは、なんか違うよね』
サマンサも混血ではあるが、母方の血が濃く出ていて容姿は日本人とあまり変わらなかった。性格や要領の違いもあったのかもしれないが、ここまであからさまに扱いが違うのはサマンサが日本人と大差ない容姿をしているが故としか思えなかった。
『サマンサ敦子ってハーフなのにブスじゃない? ジュリアちゃんは可愛いのにね』
実際こんなことを言われたこともある。サマンサは別に美人ではないが、ブスという程でもないのに。
彼らにとってサマンサは「異なる文化を持った外国人」ではなく「ちょっと海外にいたからといって気取っている痛々しい日本人」にしか見えなかったのだ。なまじ曰本語が流暢に話せるのも原因の一つだろう。正直カナダで受けたいじめの何倍も堪えた。
サマンサはずっと日本人を同胞だと思っていたし、先祖が愛した「古き良き日本」を自分も愛していたからだ。だが、実際は「白人>自分達>その他」というカースト社会だったのだ。日本人に溶け込めないサマンサは「その他」だったのだ。日本は単一民族国家であるが故に異質な者は決して「自分達」に入れない。そう思うと悲しみと同時に暗い怒りが生まれた。
「生まれ育った国カナダで人種差別を受けながら生きていく方がマシなのでは?」と思い始めた矢先、母から突然「カナダに帰ろう」と言われた。そう言った母の顔はどこかやるせなかった。
「なんで?」と聞く気にはなれなかった。母もきっと自分と同じ思いをしてきたと感じたから。