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「セバスチャン、どうしたの?」
セバスチャンはアレクサンドラを見上げた。
「お嬢様、お騒がせして申し訳ありません。今すぐ静かにさせます」
そう答えると、農夫を力ずくでドアの方へ押しやった。
しかし農夫は抵抗して腕をすり抜け、アレクサンドラの足元まで迫り、見上げながら叫んだ。
「お嬢様、お願いです。話を聞いてください。デュカス家の領地にも関わる大事なことなのです」
セバスチャンは慌てて農夫を羽交い締めにする。
「こら、無礼者め!」
「セバスチャン、いいわ。話を聞きたいから、そのかたを客間にお通しして」
「は? ですが、こんな素性も怪しい者を通すわけには――」
不安げな顔をするセバスチャンに、アレクサンドラは穏やかに言った。
「大丈夫よ。そんなに怪しい人物ではないから」
そして農夫に向かい、やわらかく笑みを浮かべる。
「着替えなければいけないから、少し待っていてもらえるかしら」
「はい! ありがとうございます!」
農夫は嬉しそうな顔をすると、深々と頭を下げた。
アレクサンドラは部屋へ戻ろうとしたが、思い出したように立ち止まり、振り向いてセバスチャンに指示する。
「ちゃんとお客様にお茶とお菓子を出すのよ」
セバスチャンは一瞬納得いかないような顔をしたが、うなずいて農夫を客間へ案内した。
アレクサンドラは急いで部屋に戻り、軽くショールを羽織ると客間へ向かう。
客間に入ると、先ほどの農夫が所在なさげにソファに腰掛けていた。
「お待たせしてしまったかしら」
声をかけると、農夫は飛び上がるように立ち上がり、頭を下げる。
「とんでもありません。話を聞いてくださるだけでも……。あ、えっと、はじめまして。ダヴィドと申します」
「なに言ってるのよ。そんなことはいいから、ほら座って。お茶はまだかしら?」
そう言いながら対面に座ると、ちょうどお茶と茶菓子が運ばれてきた。
緊張しきりのダヴィドに向かい、アレクサンドラはお茶をすすめ、しばらくしてから話を切り出す。
「それで、今日はどうしたの? さっきエントランスで騒いでいたわよね。話を聞いてほしいって」
「は、はい。お嬢様はモイズ村に詳しいとお聞きしています。ですからご存知かもしれませんが、この辺りには水を引く川があまりありません」
「そうね。でも、ヒウイ川から水は引けるはずよ?」
「確かにそうなのですが、ヒウイ川北の山脈で日照りが続くと、水量が大きく変わってしまうのです」
そう言われ、アレクサンドラは昔モイズ村で毎年行われていた雨乞いと豊穣を祈る祭りを思い出す。
「なるほど。それで、どういう対策を考えているの?」
そう問うと、ダヴィドは嬉しそうに笑った。
「はい、それで私たちは西のほうから水路を引いてくる計画を立てました」
胸ポケットからボロボロの地図を取り出し、テーブルの上に広げ、ある一点を指差す。
「ここです。湧き水があるのですが、この水は西の方へそのまま流れてしまっています。この水を利用しようと――」
アレクサンドラは制して言った。
「ちょっと待って。それは無理があるわ。モイズは少し高台にあるもの。川を掘っても隣のトゥルーシュタットに流れてしまうし、向こうの人たちも水源を取られたと文句を言うかもしれない」
「いいえ、お嬢様。トゥルーシュタットの者たちは逆で、水源が豊富すぎて水害に見舞われることが多く、困っているそうです」
「そうなの。でも川を掘るには莫大な費用がかかるし、高さも必要。建設的とは言えないわ」
がっかりした様子で地図を畳もうとするダヴィドを、アレクサンドラは止めた。
「ちょっと待って。あきらめるのは早いわ。いいことを思いついた。ため池を作りましょう」
「はい? 池ですか?」
「そう、ダムよ」
「ダム?」
口にしたものの、ダムという言葉を知らないダヴィドに気づき、アレクサンドラは説明した。
「川を堰き止めるのよ。でも完全にではなく、少しずつ流して水を溜めておくの。必要なときに量を調整すれば、川を掘るよりお金もかからないわ」
アレクサンドラは部屋中の壺や蝋燭立て、アクセサリーを手に取り、テーブルに並べる。
「お嬢様、どうなさるのですか?」
驚くダヴィドに、アレクサンドラはにっこり笑った。
「これを売って、ダム建設の資金にしましょう。他にも売れそうなものを探すわ」
「でも、本当にそのダムを作れるかわかりません」
戸惑うダヴィドに、アレクサンドラは自信たっぷりに告げる。
「あなたならできるわ、ダヴィ。昔から建築家になりたいって言ってたでしょ? まだ独学で勉強しているんじゃないの?」
ダヴィドは驚いた顔でアレクサンドラを見つめる。
「え、なぜそれを? どこかで会ったことが?」
「私のこと、忘れたの?」
しばらく目を泳がせた後、思い出したようにダヴィドは言った。
「もしかして、レックス?」
「そうよ、レックスよ。ダヴィったら、いつまでも気づかないんだから」
ダヴィドはアレクサンドラがモイズ村で生活していたころ、共に駆け回って遊んだ親友の一人だった。
「まさか、気づくわけありませんよ。あのお転婆レックスが公爵令嬢だなんて……あっ、失礼しました」
頭を下げるダヴィドを、アレクサンドラは慌てて制した。
「ここにいる間は私はレックスよ。変に敬語を使うのもやめて」
「ですが――」
「いいの、いいの。そういうのが嫌で、ここまで逃げてきたんだもの」
ダヴィドは苦笑した。




