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「申し訳ありません」
「いや、お前なら引く手数多だ。心配することはない。エクトルもいるしな」
テオドールがそう慰めるように言うと、エクトルが目をキラキラさせながら満面の笑みで答える。
「はい、お父様。お姉様のことは僕にお任せください」
「うん、よろしく頼むぞ」
「二人とも、またしょうのない冗談を言って」
そう呟くと、それを受け流してテオドールに言った。
「お父様、それとお願いがありますの」
「なんだ?」
「はい、しばらく王都を離れたいのです」
するとテオドールは困惑した。
「アレク、だが今は社交界シーズンに入ったばかりだぞ? 一番大切な時期だ。シーズンが終わるまで待てないのか?」
「申し訳ありません。けれど今は、殿下の噂を耳にするだけでも辛いのです」
「だが……」
テオドールはそう言って少し考えたような顔をしてから、大きくため息をついた。
「あれほど殿下との婚姻を望んでいたのだ。お前が落ち込む気持ちもわからなくはないな。少しのあいだだけならいい」
アレクサンドラはそれを聞いてテオドールに飛びついた。
「お父様、ありがとうございます」
「こら、お前はもう立派な淑女なのだからこんなことをしてはだめだぞ」
そう言いながらテオドールは顔をほころばせると、アレクサンドラに尋ねる。
「それで、どこへ行くつもりだ?」
「はい、モイズ村へ行こうと思っております」
「モイズか。あそこはお前が小さい頃、何年も過ごした場所だったな」
「はい、五年ほど過ごしましたわ」
「そうだったな。それで、いつから?」
「明日にはここを発とうと思ってますの」
「明日?! それは随分急な話だ。それにな、私は少し用事ができてしばらく忙しくなる。お前が向こうに発つなら少し一緒にいる時間を作りたいんだが、私の用事が済んでからではだめなのか?」
「ご用事ってなんですの?」
「アシューの土地を私に売りたいと話があってな。あそこは北からのエメラルドの鉱脈がつながっている。掘れば必ず出るはずだ。買わない手はない」
「アシューですの? けれど、あそこは持ち主が誰にも譲らないと言っていたはず。それなのに急にどうしたのでしょう?」
「わからん。手放さないといけない理由があるんだろう。経済的な理由とかな。いや、今はそんなことはどうでもいい。とにかくその交渉を早く済ませてくるから、少し待てないのか?」
アレクサンドラは首を横に振る。
シルヴァンになにをされるかわからない現状、早く王都から出ていかなければならないからだ。
「モイズの屋敷には一通り物が揃ってますし、特に持っていく荷物もありませんわ。 それに、私、辛くて一秒でも早くここを出たいのです」
そう言って瞳を潤ませた。
「そ、そうか……ならば仕方がない。手配しておこう。明日は早朝に出ることになるが」
「それぐらい大丈夫ですわ」
「だが、しばらく会えないとなると寂しくなるな」
テオドールはしみじみアレクサンドラを見つめた。
「なら、たくさん手紙を書きますわ」
「そうだな、そうしてほしい」
「では、部屋に戻りますわね。準備をしなければいけませんもの」
そう言って、自室へ向うとそのうしろをエクトルが慌てて追いかけてきた。
「お姉様! お姉様がモイズに行くなら僕も……」
アレクサンドラは立ち止まり、振り向くとエクトルを見つめた。
「だめよ、エクトル。お父様も仰ってましたけど、今は社交界シーズンですわ。 特にあなたはお父様と挨拶回りをして、社交界で顔を覚えてもらわなくてはならないのよ? モイズに連れて行くわけにはいかないわ」
「でも、モイズは馬車を一日休まず走らせてもここから五日はかかるのですよ? 遠すぎます。お姉様がそんな離れたところへ行ってしまうなんて嫌です」
「とにかく、だめなものはだめよ。そうね、お父様からお許しが出ればいいわ」
そう言われエクトルは不満そうな顔をした。
「お父様はお姉様のお願いしか聞いてくれませんよ」
「なら、説得することね」
「そんな……」
そう呟いてうなだれるエクトルをそこへ残し、アレクサンドラは自室へ入った。
ロザリーに明日からモイズへ立つことを話すと、最初は驚いていたものの、久しぶりに故郷へ帰れると大喜びした。
そんなロザリーを見つめ、結婚せずロザリーを連れてずっとモイズに引きこもってもいいかもしれないなどとアレクサンドラは考えていた。
アレクサンドラは今年で十八歳となる。
貴族令嬢としてはもうそろそろ婚姻適齢期が過ぎるころだ。
モイズ村でなんだかんだ理由をつけて過ごしていれば、テオドールも娘のことはやがて諦めるだろう。
そうしてあれこれ考えながら、軽く荷をまとめると、その夜は早々にベッドへ潜り込んだ。
翌朝、エクトルとテオドール、母親のイネスに見送られ屋敷をあとにした。
エクトルはアレクサンドラの出発直前までずっとテオドールに自分も行きたいと主張していたが、それはあっさりと却下された。
そんなエクトルを宥めると、両親に挨拶をして馬車を走らせた。
アレクサンドラは焦らずゆっくりモイズ村に向かうことにしていた。
途中、野営はせずにできる限り村の宿に泊まることにし、観光も兼ねてこの旅を楽しんだ。
宿に泊まるたび地元の食事を楽しみ、領民たちとも言葉を交わしながら、一週間以上をかけてようやくモイズ村に到着した。
モイズ村の屋敷はしっかり管理されており、すぐにでも使える状態となっていた。
「ロザリー、あなたモイズに帰ってきたのはいつぶりかしら。 どうせなら、しばらく実家から屋敷に通うといいわ。 それにまとまった休みを取れるよう、メイド長にも言っておくわね」
ロザリーは嬉しそうに目を見開く。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「もちろんよ。今日ももういいわ、家に帰ってご両親を安心させてあげて」
「はい!」
そう言ってさがって行ったロザリーに、アレクサンドラは他の使用人にロザリーへお土産をもたせるよう指示を出すと、窓の外を眺めた。
窓を開け、外の景色を眺める。
外はまだ明るく、日が差して暖かい陽気だった。
のどかな田舎の空気を胸いっぱい吸い込み、思い切り伸びをすると、これからしばらくここでなにをして過ごそうかとわくわくした。
考えてみれば今まで、他の令嬢と張り合い神経をすり減らし、プライベートではマナーレッスンなどに追われ、ゆっくりする時間もなかった。
どうせなら時間に縛られず、好きなときに散歩したり、馬で遠乗りしたり、本を読んだり、気ままに街へ買い物に出かけたりと、好き放題に過ごすことにした。
そうしてアレクサンドラはゆったりとした時間を過ごした。
「今日はどの本を読もうかしら……」
そう呟きながら本の背表紙を目で追っていると、エントランスの方が騒がしいことに気づいた。
「お嬢様にあなたのような方をお会いさせるわけにはまいりません。お帰りください」
「ほんの少しでいいのです。話をきいてくれませんか」
「いけません!」
そんな押し問答をしている。
アレクサンドラは気になり、階段の上からエントランスホールを覗き込んだ。
すると執事のセバスチャンが、農夫らしき男性を外に押しだそうとしていた。




