水泡掴んで濡れた手は
この話は短編連載で上げていた小説の一つを短編作品として再掲したものです。
真珠を思わせる月白色の玉。直径2cmほどの玉を摘まみ上げ、柔樫寿子は声を絞り出した。
「や……やっと手に入れた……。秘宝薬……っ!!」
隈のできたオレンジ色の目を細めて、美しいその玉を感慨深く見つめる。
思えば長い道のりだった。王様が「秘宝薬を献上した者には何でも好きなものを褒美として与える」とお触れを出してから、寿子は家族を養うためのお金欲しさにここまで頑張ってきた。秘宝薬探しにノってくれる友人はおらず、他人とパーティを組めるほどの実力も無かった寿子は一人でここまで頑張った。強い魔物に険しい道。攻撃も独学ならば回復も独学。自力で技や術を習得し、時には自分で薬も作った。
そして生粋のドジっ子である寿子はたくさんのドジを踏んできた。獣用の罠を踏み、魔獣の尻尾を踏み、崖では足を踏み外し……。
そんな命からがら命がけの思いをたくさん経験すること数年数カ月、ようやくお目当ての宝を見つけ出すことに成功した。
「これで家族においしいものをたくさん食べさせられる……。待っててね、みんな……!!」
秘宝薬を見つめながら呟く寿子。足元を見ていない彼女は気が付かなかった――足元がぬかるんでいることに。
「――あっ!!?」
案の定、彼女は足を滑らせた。すってんころりん、と漫画のような転げ方で顔面から地面にダイブした。痛そうである。水分を多分に含んだ土のおかげで怪我が少なそうなのは不幸中の幸いか。
「い、いたた……。またやっちゃった……。も~、秘宝薬を落としちゃった……。えーっと、秘宝薬は……」
寿子が周囲を見回すも、直径2cmほどの玉は見当たらない。目の前には湖があるだけ……。
「――ま、まさかっ!!」
慌てて湖に駆け寄れば、一か所だけ不自然にぶくぶくと泡を立てている。寿子が咄嗟に手を入れて泡の出る場所を探ったが、その手に掠めるのは泡ばかり。服が濡れるのも構わず湖に飛び込み顔を水につけて中を覗いたが、その時には泡が収まってしまった後だった。
「……うそでしょ……。ぜ、全部、溶けちゃった……」
秘宝薬は万病に効く薬。その使用方法は「水に溶かす」こと。秘宝薬の入った水を飲めば、どんな病もたちまち治るとされていた。そして秘宝薬は簡単に水に溶ける。つまり、湖なんかに入れてしまえば途端に溶けて無くなってしまうのだ。
秘宝薬の溶けた湖の中で呆然と立ち尽くす寿子。ここの湖の水を持って帰ればワンチャン、という考えも浮かんだが、今ここの水を数mL手に入れたところで何の意味もないだろう。この大きな湖に溶かされてしまっては、秘宝薬の効果なんて1%未満まで薄まってしまっているだろうということは明白なのだから。
「あぁ……秘宝薬が水の泡に……。あたしの努力も水の泡、なーんちゃって。はは……」
乾いた笑いが口から零れる。無駄にした数年に対する言い訳、どうしようかな。自身の家族に対してそんなことを考えながら、寿子は濡れた服もそのままに帰路につくのであった。
***
一先ず近くの村に着いた寿子は泊まれる場所を探すために、手近にいた人に声をかけた。
「あの、すみません。この村に宿屋はありますか?」
寿子に声をかけられた男性は寿子の姿を見るなりギョッとした。
「どうした、嬢ちゃん!ずぶ濡れじゃないか!」
そう指摘されて初めて、寿子は濡れたまま歩いていたことに気が付いた。秘宝薬を失ったショックで、ここまでずっと上の空だったのだ。
「あっ、すっ、すみませんっ!こんなはしたない恰好で……。今すぐ乾かしますね」
そう言って寿子は魔法を使って服を乾かし、同時に解けかけた耳下ツインテールも縛り直して身なりを整える。ドジっ子体質のせいで川に落ちることも、淡い茶色の髪の毛をしばり忘れることもしょっちゅうだったので、この魔法は頑張って覚えた。労力に見合わないくらい魔力を消費するが、使い慣れてコツを掴んだ今ではわりと簡単に使える魔法の一つになっている。
「お見苦しいところをお見せしてしまってすみませんでした……。――へぇっくしゅん!!」
謝った直後に盛大なくしゃみをする寿子。
(恥っずかしー!!おっさんみたいなくしゃみ出た……っ!!かっ、顔が熱い!!顔から火が出るっ!!)
羞恥から顔を真っ赤にさせるが、冷え切った体はガタガタと震えが止まらない。
「嬢ちゃん、大丈夫かい?顔が赤いし体が震えてるしくしゃみもして……。服を乾かしたって、さっきまで濡れてたんだ。もうすでに風邪を引いちまってるんじゃないか?」
顔の赤みは別の要因だが、風邪の引き始めの症状が出ているのは確かだった。
心配してくれる男性に、思わず寿子の涙腺が緩む。
(や、優しいおじさんだー!!辛いことが起きた後の優しさは格別心に染み渡る……っ!!)
そんな優しい男性にこれ以上の心配をかけさせぬよう、寿子は手を横に振った。
「だっ、大丈夫ですっ!これも魔法で治せるんで……」
そう言って寿子は再び自分に魔法をかける。医療魔法――周囲に何もないような場所で高熱を出すこともあったので、死に物狂いで覚えた魔法の一つだ。医療魔法は習得が難しいうえにコストがバカ高いが、こちらも使っていくうちに慣れてきた。手足が痺れて呼吸が上手くできない病に罹った時も、この魔法のお世話になったものだ。
すっかり顔色のよくなった寿子。そんな寿子を、男性は驚愕した表情を浮かべて見ていた。
「嬢ちゃんあんた……聖女様だったのかい?」
「えっ!?そっ、そんな!!違いますよ!!」
唐突な男性の言葉を否定しつつ、寿子は顔を赤らめる。
(やだっ、聖女様だって!?そんなっ、あたし……聖女様に見られちゃうほどイイ女……ってこと!!?)
頬に手を当てテレテレしている寿子をよそに、男性は腕を組んで考え込む。
「そうかい、違うのかい。嬢ちゃんほどの腕があれば、王妃様の病も治りそうなもんだが。まあ、王妃様の病はただの風邪とは違うからねぇ。なんてったって、手足が痺れてまともに動かせないうえに、呼吸困難なんだってな。そんな病、秘宝薬がなけりゃ治せないだろうね……」
男性の言葉に、寿子の気持ち悪いテレテレ動きがぴたりと止まった。
(手足の痺れに、呼吸困難……?)
その症状に、心当たりがあった。
秘宝薬を求める王様。
病に罹った王妃様。
王妃様と同じ病に罹り、自分で治したことがある寿子。
寿子の脳裏に、ある一つの可能性が浮かび上がった。
(もしかして、秘宝薬がなくてもイケるのでは?)
***
あれから数カ月。寿子は今日も王城へと足を運んでいた。
「柔樫様、おはようございます!」
「柔樫様、本日もよろしくお願いします!」
ピシッと制服を着こなす王宮勤めの人達に挨拶をされ、同じく王宮の制服に袖を通した寿子は引き攣った笑顔で会釈する。
(なっ、慣れない……っ!こんな平民に頭を下げないでよみんなーっ!!)
あの村に泊まった後、寿子はすぐさま王城へ向かい、王妃様の病を魔法で治してみせた。元気になった王妃様を見て喜んだ王様は、寿子にたっぷりとお金を与えただけにとどまらず、城勤めの提案までしてきたのだ。給料に目の眩んだ寿子は一も二も無く飛びつき、今に至るというわけだ。
(いっ、居心地が悪いっ!!でもでも、大して動かなくてもお給料貰えるんだもん……!!)
そう、寿子は秘宝薬を探した数年数カ月の内に、様々なスキルを身につけていた。ゲーム用語を用いるなら、レベルがカンストしている状態。戦いに駆り出されても、大した魔物も出現しない今の時期なら寿子一人でどうにでもできてしまうほどだった。
秘宝薬を落とした時は絶望したし、この数年を全て水の泡にしたと思っていた。
しかし、この数年の努力は、何も無駄ではなかったようだ。今こうして職を手に入れ、楽してお金を手に入れられるようになったのは、ここ数年の努力のお陰である。現状の寿子を一言で表すなら、まさしく「濡れ手で粟」。
あの時掴んだ水の泡。その濡れた手で、粟を掴む。
努力はきっと、あなたの力に。