名も亡き作品
昔、一つのアニメーション作品があった。
それは時代の所為か、あれだけ論議された物語の断片はいつしか誰も失くしてしまった。
今ではもう、この作品が本当に存在するのかという話にすり替わってしまっている。
1990年頃、公開されたそれは「人気アニメとのタイアップ」という謳い文句を告知に出した、完全オリジナルアニメーション映画というものだった。
ここでの某人気アニメのタイトルは伏せる。
タイアップとは言っても、基本的には制作側つまり原案側の内容を主軸としており、日本の離島別荘地を舞台とした不可解な失踪事件の謎を解いていくという内容だ。いわゆるミステリー事件もの。
このミステリー事件にゲストとしてタイアップ先作品のキャラクターが、掛け合いやアドバイスの各シーンで登場する。
しかし、この作品は当時それを見た視聴者たちからは多くの批判の声が上がった。
表メディアには一切広まることはなかったが、静かな批評の声が渦巻いていたと言う。
それらの評価に至った理由は、作品内における下記の問題点だった。
【問題点】
① タイアップ先作品を代表するメインキャラクターが出てこない、サブキャラクター数人が登場するのみ
② 物語ラストで登場人物全員が命をおとす
③ ストーリーがそもそもがタイアップ先作品の雰囲気と正反対、つまりキャラクターデザインやコンセプトが互いに乖離しすぎていた
④ ③の理由から、この作品にタイアップキャラクターの登場する意味がないという評価
⑤ その他、各要所におけるストーリー構成の粗さなど
②、⑤を除き、タイアップという要素に対する批評が半分以上を占めた。
特に④の評価が大多数を占めていた。
次に、この作品のあらすじとシーンごとの印象を記述する。
【あらすじとシーンごとの印象】
-----<<開始>>----
・物語の年代は制作時の時代相応の昭和後期から平成初期あたり
・舞台は日本、離島のふもとに位置するリゾート別荘地である、施設は木造コテージや宿泊ホテル等
・開始からしばらくは昼間のシーンのみ
・旅行宿泊に来た複数の成人男女(10代後半~40代前半)、見た目は一昔前の派手なファッションだったり、落ち着いていたりなどそれぞれ
・一通り、キャラクター説明や別荘地でのレジャー準備が流れた後に、タイアップキャラクターたちも登場し合流する
・各々がレジャーを満喫する描写が流れる
-----<<全体時間の3割が経過する>>-----
・以降はすべて夜のシーンしか描写されない。暗い雰囲気が最後まで続く
・ある夜、おびただしい血と傷を負った死体が廊下で発見される
・それからは立て続けに失踪や、死体が描写されゆき登場キャラクターが減っていく
・タイアップキャラクター数人だけは全員一人も欠けることなく最後まで残る
-----<<全体時間の9割が経過する>>-----
・失踪死体事件は解決されることなく、夜に残った一行は突然車に乗り離島のふもとから下る道を走る
・残った一行は、オリジナルキャラクターが数人、タイアップキャラクターが数人
・ふもとの途中の道路わきで車が止まり、全員が外に出る
・降りた先の目の前は緩やかな傾斜面の草むら地帯奥約20メートル、その先には遥か下の、夜の海原を見下ろす断崖
・一通り事件の真相についての訊問が始まる
・一人が静かに狂い始める描写が起き、その場の草むら地帯で殺し合いのような描写に続く※実際に手を掛ける瞬間は黒い画面の暗転などで映像が飛び飛びになっており、声も入っていない
・武器はなく全員が素手。タイアップキャラクターはこの時一瞬も写されない
・最後に生き残ったキャラクターが、膝をついて横たわるキャラクターに喰らい続ける
・数十秒その描写が続き、周りにはタイアップキャラクターを含んだ全員の死体が横たわっている
・それぞれの顔や腹部にはぼかし無しの欠損傷と醜い黒血が描写される。この時、シーンを映すカメラは全体が見えるように距離が置かれた定点となっている
・生き残りのキャラクターの口元が画面アップになり、唇から漏れる血液の口を開けて数十秒後に暗転
-----<<終了>>----
これらの通り、問題点と見比べると大方批判が間違いではないことは明確である。
人気アニメとのタイアップ、それを大々的にアピールしていたはずなのに、そのタイアップキャラクターの特色を生かしきれていないストーリーのように見える。
また言ってしまえば、完全オリジナルかつマイナー作品に対する広告塔として協力してもらっている契約先への尊重、それらをあからさまに欠いているキャラクターの扱いだ。
そんな礼そのものを欠くような印象を持たれた結果、作品を求めてきたファンをあまり満足させることができなかったらしい。
それ故この映像作品は、一部の小さい劇場で何度か上映された後は、製品化には至らずお蔵入りになり、二度と一般民衆の目に入ることがなくなった。
当時ネットもそこまで普及していなかったし、駄作と言う評価だったものだから誰も記憶に置いておこうとするものはいなかった。
見た者に鮮烈さと奇怪さを与えたこの作品は、限られた人間の記憶にだけ残る幻の作品となったのだ。
もう一つ、上記の作品の背景に、あるアニメーション作品の存在がある。
このことは上記の作品を語る上で必ず併せて論議がされる。
その作品名を「喰神族」という。
これはかすかに残っている記憶の破片を組み立ててそれっぽい文字を組み立てただけの仮のタイトル名だ。
つまり本当の名前は確かにこの世には存在するが、このタイトルはフィクションである。
前述のとおりこれもアニメーションの作品である。
タイトルから察する通り主な題材は18禁スプラッターだ。
時期の詳細は不明だが1990年あたりに、特定のビデオ取り扱い店に陳列されていたらしい。
この作品は2話連続の続き物であったり、または一巻一話のオムニバス形式のストーリーであった。
すべての巻には喰神族というタイトルが使用されており、それら系列作品は全部で約10作品にも及ぶシリーズ作品である。
例えば「喰神族――残虐の果て。」とメインタイトルと第二タイトルでネームされ区別されていた。
パッケージの表紙は主に傷害により欠損等をした半裸の女性がほとんどで男性向けのスプラッター作品だ。昔のアニメーション作画の淡いざらざらした色で描かれていた。
今となっては昔のアニメと言われるものの、当時それを見た人間たちからの評価は特別なもので、根強いファンからの支持があったという。
そのような評価になった理由は単純だった。
喰神族シリーズを見た当時の実直な感想が、造り込まれた映像の水準、質がその時代ではどのアニメ作品よりも遥かに高く、より鮮烈で生々しさが他に比類しなかったという評価ばかりだったことだ。
視聴者たちはみな語っていた。
大手に所属するプロクリエイターをかき集めないと創れない作品。
至高の技術と、社会と逸脱した狂気的な欲望を持ち合わせていないと忠実に表現できない内容。
そんな皮肉や侮蔑にも捉えられる声たちの節々には、欲望の称賛が纏わりつき、陰での需要市場を賑わせていた。
ただ、その作品には謎な部分もやはり多かった。
喰神族シリーズを制作していた機関は、それこそ評価を得られるほどの高度な制作力を持っていたにも関わらず、制作関係者の名前はあまりにも無名だったらしいからだ。
元々製作元の名前を公表しない癖があったらしく、作品内のクレジット表記にも情報を乗せていなかったという。
現代ではそんなこと滅多に存在しないのだが、当時の時代背景として法人を通さない作品も多数出回っていたといわれている。そういう所業も許された時代だったのだろうか。
だからこそ当時彼らファンの間では、組織の正体への好奇心をいっそう駆り立てたという。
やがて、視聴者ファンの間では喰神族スタッフという名称で呼ばれはじめた。
同じ趣向を持ち常軌を逸した本能を具現化するために集まった集団。
それも引く手数多のアニメーション製作能力と才能を持ち合わせたプロの個人制作集団、喰神族スタッフ。
そう称しながら同じ穴の狂者たちは社会の影の中で彼らを崇めた。
話をはじめに戻す。
先ほど説明した人気アニメとのタイアップアニメーション映画、これは喰神族スタッフによって制作されたものである。
だからこそなのかもしれない。
最後の補足である下記の問題点を記載する。
【その他問題点】
・喰神族シリーズと酷似した作画と演出
・喰神族シリーズと同様、この作品には作品情報等のクレジット表記が一切流れない
・勿論演じている声優の表記も無く、だれが演じているのか分からない
・タイアップキャラクターを演じていた声優の声色は間違いなく本物ではなかった
陰の信者たちが気づかないはずがなかった、これが喰神族スタッフたちのものによって手掛けられた作品だということを。
人気アニメとのタイアップとはまったくの非公式であり、スタッフが勝手にキャラクターを使用し、独断で制作したアニメーション作品だということを。
声優もおそらく公式の人物ではなかったのだろう。
元々タイアップと言う言葉自体都合よく使われた虚偽広告でしかない。
単純に初動の知名度を得ようとしたとも考えられるが、結局彼らスタッフがやったことは、作品のいたるところに我欲の趣向を限りなく詰め込み、他作品のキャラクターでさえもその愚欲に巻き込み悲惨な姿へと変貌させたにすぎない。
ファンなんて軽く騙せると鼻で笑っている、人間としての社会性もない、クリエイターとして作品への愛も持たない。
制作陣の隠しきれない欲望と私利私欲に塗られた愚作。これが信者たちの最後の結論だった。
果たして当時浴びせられたその揶揄たちも、本当に失望に染まっていたのだろうか。
それともやはり歪んだ賛美を纏っていたのだろうか。物議や批評なんてものも本当は意味なんてなくて、彼ら信者の自分勝手な嘆きにすぎなかったのかもしれない。
もしくは偏狭の界隈でしか生きていない彼ら信者なりの強い信頼と期待の裏返しだったのかもしれない。
そんな信者の贈った声たちが教祖に届いたかもわからないまま、喰神族スタッフの作品はそれを最後に面影を見ることはなくなった。
ただ。
ある話によれば、その作品における本当の不可解な部分というのは、これまでに記述したどの部分でもなかったらしい。
それは、この作品内の各惨死シーンにおいて、声優が悲痛の断末魔を演じて吹き込んでいるのだが。
その声が普通の演じ方ではなかったようで、何かにすがるような、生にしがみつくような、まるでこの世の本物の苦痛に懇願するような悲劇的すぎる演技だったという。
まるで爪が剥がれるまで金属を引っ搔くように、声帯をきりきり掠れ上がらせ、やがては儚く消えてゆく生命の声が当時の視聴者たちを戦慄に染めた。
決して美しいとは口にできない耳をふさぐような叫びと吐息が、それだけは、そこだけは絶対にフィクションではなかったんじゃないかと。
本当にそうだったのかは今も誰もわからない。