死について
私はある日、駅前のカフェで、1人、考えていた。
死にたいと思うことがそんなに悪いことだろうか
実際死んでしまうかは別としても。
例えば幼い頃、難しいゲームをいつまで経ってもクリア出来ない時、もうやだ、死にたーい。などと口走った時には、そんな事言わないの。などと母親に酷く怒られたような記憶がある。
ある人は、生きたくても死んでしまう人がいるんだ、と私に説く。
何となく理屈はわかるものの、私達はそれを選ぶことは出来ないのだ、そのような運命に生まれたことは、誰も責められないじゃないか、と思う。
世間は、自分のことを大切にしなさい。と言う。
しかし、自殺こそが誰かにとって、自分への最大の愛だとしたら、誰がそれを咎めることが出来ようか?
世間は、生きていたら必ずいいことがある、と言う。
しかし、他人に、否、自分ですら自分の未来、もっと言えば明日ですら分からないのに、なぜ赤の他人がそう確信して誰かに伝えることが出来ようか?
そんなことを取り留めもなく考えていると、隣の席に男が座った。
女か男か、一瞬迷う様な容姿の男だ。
髪は男にしては長く、手元に視線を落とすまつ毛は酷く長い。
しばらく彼を横目に見ていたが、やがて私は向き直り窓の外、街ゆく人を眺めた。
そうしたのも束の間、隣の彼が、呟いた。
「人間は、どうして生きることを美徳とするんだろうね。」と。
私は思わずもう一度彼を見やる。そして反射的に「…は?」と声が出る。
まるで、私の頭の中が見透かされているかのような言葉に気味の悪さと、言いようも無い高揚感を覚える。
当の彼は、方角で言うと、こちらを見ているが、何となく目線が合わない。
私に話しかけているのだろうか?と考えを巡らせるが、周りに人はいない。
思えば、座席はいくらでも空いていたのになぜ隣に座ったのか。
そんなことを考えたが、小さくかぶりを振り緩慢と、前に向き直る。
視界の端で、彼はまだ私の方を向いているような気がしたが、私の頭の中は「人間は、どうして生きることを美徳とするんだろうね」という彼の、譫言のような問いが、反芻している。
きっと私に言ったんじゃない。と言い聞かせかぶりを振る。時の流れが酷く遅く感じる。隣で小さく息を吸う音が聞こえたと思うと、彼はこう言った。
「君は、どう思う?」
ゆっくりと、振り返ると、先程と全く同じ方向を向いた彼と、初めて目が合ったような気がした。
すると彼は、私と目が合ったことを合図にするかのようにまた、鷹揚と話を始める。
「僕は、もうすぐ自殺しようと思うんだ。」と言う。
言葉に似合わない顔で、へら、とそう言ってのけた。
「やりたいこと全部叶えたら死のうって思ってたんだけどさ、早ければ今日にも、残りのひとつを叶えられそうなんだよ。」
目の前にいる男の年齢が、まるで分からなかった。瞳は、まるで将来の夢を語る幼稚園児のようだった。
「そう、ですか。」
ようやく絞り出した言葉は、当たり障りのない、在り来りな「感想」だった。
「だけど皆が僕を止めるんだよ。自分を大切にしなさいって、ね。」長いまつ毛を揺らしながらふっと微笑む。
ぼんやりと、「この人にとっての自分への最大のプレゼントは死ぬこと、なんだろう。」と考えていた。
何度も何度も、部屋の隅で、ノートの中で、考えたことだ。彼が自殺しようとしていることに関して、特に驚きはしなかった。私だって勇気さえあれば、とすら思う。
「君は、どう思う?」
まるで、コピーアンドペーストをしたような問い。
トーンも、速さも、先程の問いかけと、寸分違わぬような気がした。
「いいと、思います。」
伝えたいことは多くあった。話したいことも多くあった。相手が見ず知らずの男であろうとも、幾つもの言葉が喉を這い上がってくるのを感じていた。
加えて、聞きたいことも沢山あったが、私の口から出たのはたった、それだけだった。
なんとなく、私が介入できる事じゃないように思った。
「そっか。」
彼が口角を少しだけ上げる。気づかない程、ほんの少し。そして、沈黙が流れた。
私は、その沈黙が苦しかったのか、或いは、チャンスだと思ったのか。
「死んだらどうなるか分からないし、生きていても幸せになれる保証なんてない、から。」
私は、ぽろぽろ、と、五月雨のように言葉を降らせる。
「どうせどっちも分からないなら、それなら、人と違う、死という選択肢を選ぶのも、悪くないんじゃないかって、おも、います。」
言い終わりそうになり、我に返る。
突然こんな事を口走ってしまって、可笑しかっただろうか、と。
しかし彼は、目を細めて微笑んだ。そしてこういうのだ。
「ありがとう。」
微々たるものだが、心からの笑顔のように感じた。
そうして、あろう事か、私の心拍数は少しだけ駆け足になった。
「じゃあ。僕はやり残したこと、楽しんでくるよ。」と
彼は唐突に席を立った。
私の言葉に彼がどう感じたか、何を思ったかなど聞く間もなく。
彼が店を出るのをなんとなく目で追う。
見えなくなると、不思議な感覚がした。
まるで実体のない何かと話をしたような、足元がおぼつかないような、そんな感覚が。
目を覚ます様に瞼を伏せ、少し薄まってしまったコーヒーを飲み干すと、私も席を立った。
なんだったんだろうか、なんて考えながら店を出る。
空は、嫌味のように晴れて、春の風が踊るように、足元をすり抜けて行った。
今日は、もう帰ろう。
春の花と、鉄臭い匂いに、目眩を覚えながら、耳を劈くような断末魔を背に、帰路に着いた。
ホームでアナウンスが流れる
あぁ、人身事故の遅延か、帰りは少し遅くなりそうだ。そんなことを考えている。
誰かが自殺したのだろうか、それとも、背中でも押された他殺だろうか。一瞬そう考えるも、まるで他人事の様な気がした。否、他人事なのである。