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境界

作者: 黒水開

 わたしは()()。彼女は魅沙(みさ)。わたしと彼女は一心同体。同じ時間、同じ場所で、同じ母親から生を受けた。わたしが笑えば彼女も笑顔になったし、彼女が傷つけばわたしも痛みを感じた。わたしの幸福は彼女の幸福で、彼女の涙はわたしの涙。わたしが右手を振れば彼女は左手を振り返し、彼女が首を傾げればわたしも同じようにした。わたしの17年は彼女の17年であり、彼女の軌跡はわたしの軌跡であった。


*  *   *


今日学校に行くのはわたし。その間魅沙は家にいる。昨日は魅沙が学校に行き、わたしは家に残っていた。らしい。美沙が帰ってくるまで眠っていたようで、どうも記憶が曖昧だ。

「行ってきます」

 同時に朝食を終え、一緒に歯を磨き、同じ服に着替えたところで、わたしは魅沙に言った。彼女が左手を振っていたから、わたしは右手を振り返した。


*  *   *


「加賀さーん」

 午後のホームルームが終わり、背後から声をかけられ振り向くと、女子生徒4人のグループが帰る用意をしていた。その中の一人がわたしを手招いている。

「どうかしたの?」

 わたしの問いに彼女は答えた。

「レイナの伯父さんがね、駅前のケーキ屋さんで雇われ店長やってるんだけどね。今日の夕方、そこでちょっとした……試食会? みたいなイベントがあるの」

「それでね、」レイナと呼ばれた生徒が説明を引き継ぐ。「伯父さんが『お友達と来なさい』って招待券をくれたんだけど、この券1枚で5人までは入れるんだって」

「加賀さん、放課後ヒマならどうかなー、って」

 なるほど。そのケーキ屋はわたしも何度か訪れたことがある。学生の財布に親切な価格設定かつ、その味は地元のテレビで定期的に取り上げられるほどである。

 特にあのチーズケーキは絶品だ。舌の上で蕾が開くように広がる上品な甘さを、初めて体験したときの感激は今でも忘れられない。

その店の新作を誰よりも早く試食できるというイベント。めったに訪れる機会ではないだろう。

 しかし――

「ごめんなさい、放課後はどうしても外せない用事が入っているの。せっかくのお誘いだけど――――」

 ――招待券は5枚。わたしは5人目。

 つまり、6人目の魅沙が入店できない。

わたしと彼女が異なるものを口にする。

それは――嫌だ。(いや)だ。あってはならない。

――わたしたちは、そういう風にできていない。

「――――今回は遠慮させてもらうわ」

「ああ、そう……じゃあしょうがないか」

 彼女たちは少し残念そうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻り、

「またいつか誘うから、予定開けといてよ」

「加賀さんの分まで、いっぱい食べてくるから!」

「ええ。ありがとう」

わたしはまとめた荷物を背負う。

「じゃあね、魅沙ちゃん」

そう言って手を振ったレイナに、

「ええ、さようなら」

 美雨(わたし)は笑顔で応じた。


*  *   *


 年季の入ったワンルームマンションの、自分の部屋の玄関の前で、わたしは立ち尽くしていた。

 何か強い衝撃を受けたのであろう、大きく歪んだドアノブが、千切れた金属片と共に無様に床に転がっている。

「……………………な、に?」

 たまたま何かがぶつかったとか、素材の経年劣化だとか、そんな話ではない。

 これは明らかに人間の仕業だ。

 何者かの故意と破壊衝動が染みついている。

 一目瞭然、血痕のようにべっとりと。

「どうして…………」

 その『何者か』にとって破壊が目的なのか過程なのか、はたまたそれらの結果に過ぎないのかは分らない。

 ただ言えるのは、『何者か』はドアノブを鉄屑に変えたあと、その中に這入(はい)っていった可能性が極めて高いということ。

「…………あっ」

 そこまで考えて、わたしは初めて気がついた――――

否、こんなことは考えて分かることではない。

考える間もなく分らなければならない。

「…………魅沙っ!」

当然、鍵は掛かっていない。

とはいえ、取っ手のないドアはもちろん正規の手段で開けることはできない。手が傷つくのも厭わず、元鍵穴に指を引っかけて扉を開く。

「………………これは、」

 破壊は終わっていた。

 壁も、床も、天井も、照明も、靴も、棚も、椅子も。

 あらゆるものが壊し尽くされ、元の姿は跡形もない。

目に映るのは結果と、混沌と、爪痕と、終末と損傷と最悪と地獄と創痕と結末と絶望と混濁と静寂と没落と失墜と破滅と、

「だ、れ……?」

 辺り一面が破壊に蹂躙されたわたしたちの部屋に、見知らぬ男が――――『何者か』が立っていた。

「な……にを、」

「■■■、■」

 金属バットを手にしたその男は、言葉ともいえないような雑音を口から絞り出す。その目は紅く血走り、とても正常な様子には見えない。

「■■……■■■■。」

「あんた、何言っ――っ!」

 気付いた。

 男の後ろ、洗面台の近く。

 この地獄絵図で、本来の形を保っているそれ。

「み……さ、魅沙ぁ!」

 わたしは飛び込んだ。恐怖に目を見開いた彼女ではなく、その恐怖の元凶である男のもとに。

「■■■■! ■■■■」

「それを……バットを放せ!」

 所詮は女子の細腕。成人男性に力で敵う訳がない。

 しかし、少し動きを止めるくらいなら――魅沙を逃がし、助けが来るまでの時間を稼ぐくらいならできるかもしれない。

「魅沙、早く逃げ」

 て、

 と言おうとしたとき。

「■■■■」

 わたしの拘束を

            振りほどこうとする男


    の

        手に  


     握られたバットが


壊した

            砕いた


 何を?             それを


 ぐちゃぐちゃに、

                ばらばらに、

       滅茶苦茶に


出鱈目に


       魅沙が、  壊された。



 その時――――――――あるいは、次の瞬間。


 わたしたちのセカイが、音を立てて崩壊した。



*  *   *


「はいはい、どいてどいて!」

 警察手帳を掲げ、野次馬を搔き分けながら、俺はようやく現場に到着した。

「天野先輩、お疲れ様です」

 若い警官が駆け寄ってきて、慣れない様子で敬礼をする。

「…………一応、現時点で分かっていることを」

 訊くと、水崎と名乗った彼は数枚の紙を取り出し答える。

「はい。えっと、今日の午後5時ごろ――今から2時間くらい前ですね――下の階の住民が、人が暴れるような物音を聞いています。金属音がしたと言っていたので、鍵はその時に侵入者が破壊したとみて間違いないでしょう」

「…………」

「で、その部屋の住民が帰って来たのが、ほぼ直後。大体5時過ぎですね。叫び声などが聞こえ、ただごとではないと思った先ほどの住民が通報し、今に至ります」

「……その男は?」

「はい、腕の注射跡から、覚醒剤の常用者だったと思われます。発見次第すぐに搬送されました。命に別状はないそうですが……写真、ご覧になりますか?」

「……いや、いい」

「……ええ。それがいいと思いますよ」

「…………フン」

 若者の諭すような口調が少し気に入らなかったが、まあその通りなのだろう。

 金属バットで何度も殴打された頭部は、もはやヒトのそれと分かるような状態ではないだろうから。

 そんなものをわざわざ見たいとは思わない。

「それで、その女子生徒は?」

「ああ……はい」水崎は別の紙を取り出して読み上げる。「加賀魅沙。高校2年生、親と離れて1人暮らしです。特に過去に事件を起こしたりはしていませんが」

 1枚の紙を表にして俺に示す。カルテのようだが、

「――解離性同一性障害……って、」

「ええ。いわゆる多重人格というやつです」

「…………多重、人格」

「はい。ただ、加賀魅沙を診断した医師に先ほど電話で話を伺ったところ、彼女は少し特殊なケースのようでして……」

「特殊?」

「えっとですね、もちろん多重人格というからには、複数の人格を持っているわけで、それが彼女の場合は2人でした」

「……特殊というのは?」

「それがですね」水崎は続ける。「その2人の人格――というよりその性格が、非常に似ていて――というかほとんど同じようなもので、交替しても外からは区別できなかったそうです。」

「同じ……ねぇ」

 区別できないほどに似通ったふたり。

 それこそまるで――

「――双子の姉妹みたいに、ってわけか」

「精神科に行ったのも、最初は記憶障害を疑ってのことでした。他人が言ったはずのことを全く覚えていない、といったことが多々あったそうで」

「…………記憶」

 形が全く同じ器でも、それぞれに何かを注げば別々のモノとして存在する。

 そのふたつの器を、ひとりの少女が同時に手にしていた。

 ただそれだけの話。

「その子は、今どうしてる?」

「ああ……えっと、医師によると、ああいう状態のときには変に刺激せず、自然に落ち着くのを待った方がいいそうです。暴れるような様子もなさそうですが、……あれ(・・)、聞こえますよね?」

「……ああ」

 そう言って俺は水崎に背を向け、階段に足をかける。後ろで息を吞む声がするが、何も言う様子はないので気に留めずに上階へ進む。

 三階のそのドアの前には、数人の警官が落ち着かない面持ちで立っていた。軽く敬礼を交わすと、開け放たれた入口から中を窺う。

「……………………」

 狂気を孕んだ暴力によって、一切の容赦もなく破壊しつくされた一室の、その片隅に。

そこに、ひとりの少女の姿があった。

 彼女は洗面台の前に膝をつき、我を失ったように泣き叫んでいる。

 五時過ぎからずっと泣き続けているのだろう、その枯れた声は古いラジオのようにも聞こえる。

そして、俺はようやく彼女の手にあるものに気付いた。

 止まる気配のない感情の奔流は、もしかするとそれらに向けてのものなのかもしれない。

まるでそれらが愛おしいものであるかのように、

 血を分けた姉妹の亡骸か何かであるかのように、



 赤く濡れた手で、彼女は割れた鏡の破片を強く握りしめていた。



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