跳ぶ少女。伝える過去。
「飛ぶ……?」
僕はラビの言葉を頭の中で何度も噛み砕いてみたが、ラビが一体何を意味してその言葉を言ったのか分からない。
「そう、跳ぶノ。ツッキー。論より証拠、習うより慣れろなノ。空の彼方へレッツラゴーなノ」
「ラビ、それは意味が違う」
やはり「飛ぶ」の意味は間違っていなかったようだ。理解したくなかったが、そうなのだろう。
僕はどちらかと言うと高い所が苦手なため、飛ぶ理由も分からないし出来れば飛ばないでほしい。
「ちょっと待って二人とも。出来れば飛ぶ理由を教えてほしいかなって。ちょっと高い所が苦手で」
夜空から街並みを見下ろしている自分を想像して自然と声と身体が震えてしまっている僕の肩に、西野さんは優しく手を添えてくれた。
「涼太、大丈夫。怖いのは最初だけ」
え?
そう返す前に西野さんはもう片方の手を僕の膝裏へと入れて、気付けば僕は西野さんに抱えられていた。
所謂お姫様抱っこだ。
「準備して」
僕が待ってと声に出す前に、西野さんはそう口にしながら足に力を込め腰を落とす。
このまま飛んでしまったら最悪振り落される。僕の頭に過った考えで咄嗟に声が続かなくなってしまい、落とされまいと西野さんの首へ腕を回す。
西野さんが軽く重心を落とし、僕たちは夜空へと跳んだ。目を閉じると風と重力の動きを余計に感じてしまうため目を開けているが、下も向けずに視線が宙に浮いてしまっている。
そうこうしている間に上昇は止まり、速度を徐々に付けながら下へと落ちていく。翼を生やしているわけでも無いため当たり前と言えば当たり前だろうか。
「西野さんこれどうするの!?落ちてる落ちてる落ちてる!」
「着地五秒前、口を閉じないと噛むわよ」
咄嗟に口を閉じたが、結局の所どうやってこの後起こる事態を回避するのか聞いていない。横に映る視界が建物の屋根になり始めた頃、西野さんは身体全身に魔力を纏っていた。
数秒経って地面から振動が伝わってくるが、あの高さから落ちてきたにしては振動が少ない。魔法で振動を緩和してくれたのだろうと思うが、それだったら羽を作って飛んでいても良いのではないだろうか。
西野さんはそのまま二度、三度と跳躍を続け人気のない公園にたどり着く。広めの公園で降りた箇所には木々や茂みがあり、まず人目にはつかないだろう。
地面に着地すると、西野さんはやっとお姫様抱っこを止めてくれ、僕の足が久方ぶりに地へ着く。体感では半日ほど浮遊している気分だったが、時計を確認した所十分少々しかあの跳躍は行われていなかったらしい。
「跳んでいた時は不可視の魔法を下側にかけていたから、ここまでの行動は人目についていないノ。後はお家に帰ればお終いナノ」
西野さんの肩にしがみ付いていたラビがそう言う。因みにラビはずっと西野さんの肩に掴まっていたのだが、表情が凄かった。
丁度僕の位置からは見えていたのだが終始風に煽られて全体の皮が震えあがっており、車の窓から顔を出している犬のようだったので笑いを堪えるのが大変だった。
もしかしたら怖がっていた僕を安心させるためだったのかもしれないが、「慣れているノ」と言わんばかりの表情をしていたため、肩は跳んでいる時でも定位置なのだろう。
「また明日、涼太」
「うん、今日はありがとう西野さん。おやすみなさい」
随分あっけない終わり方ではあるが、学校で見せる西野さんの印象に寄っていて安心する。日常の西野さんは何処となく事を端的に終わらせようとしていて、今のやり取りも正にそのままだ。
今日の事はあの空間に入ってから今この瞬間まで誰にも気付かれていない。あのスライムに飲まれていた人も含めて、気付いてあげられてるのは僕達しかいない。
思い出すと口の中に胃酸の味が再現されて苦しいが、あの世界に足を踏み入れてしまったのだから僕だけは覚えているべきなのだろう。
西野さんは、僕よりも多い数の苦みを味わっているのだろうから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なぁ聞いたか?空飛ぶ少女の話!」
「あれ生で見たぜ。金髪の女の子っぽい人が誰かをお姫様抱っこしながら空飛んでたんだよ」
「ずりぃ!写真取ってないのか写真……ぶれぶれで見えねえじゃんかよ」
「急いで携帯構えたけど向こうが思ったより速かったからこれが限界なんだよ。それにしても、この前のクレーターと良い不思議な事件が増えてきたよな」
何時ぞやに見たような光景だが、今回も新しい話題が噂として広がっていた。
「空飛ぶ少女」と語られる今回の噂は金髪美少女が空を飛んでいたという話だ。人によって誰かをお姫様抱っこしていた、デカい荷物を抱えていたと変わる箇所があるが、噂の方向性は大体一緒なようだ。
(いやー失敗失敗、三人分の認識遮断魔法をかけた事が無かったからちゃんと魔法が使えてなかったようなノ。やっぱり下からの視界を誤認させる膜なんて適当な魔法じゃなくて、個人個人を包む魔法にすれば良かったノ)
ラビはテレパシーでケラケラ笑っているが、僕からしたら笑い事ではない。一応顔が分かる程解像度の高い写真は撮られていないようだが、周りから聞こえてくる会話を聞く限り一部ではその画像が出回っているらしい。
ローカル内に限っては制服の色や形からどの学校の生徒か特定しようとしているらしい。幸いにも近所には似た色をした制服の学校が二か所あるため今の所は問題無さそうだ。
ただ、他人に見つかる云々の前に跳ばないでほしい。危険が無いと思っていた時に襲ってきた危険程恐ろしいものはない。こちらが身構えていなかったわけだから、高所恐怖症なのも合わさって一番生きた心地がしなかった。
(西野さんもラビも。お願いだから次は絶対に普通の場所に扉を繋げてよ)
(善処するわ)
(近くに人目に付かない場所があったらそうするノ)
次が無ければ良いなとは思うが、二度ある事は三度あると言うくらいだ。巻き込まれないとは言い切れないだろう。
それ故に次の機会を回避するためにお願いするが、気休めにもならないだろう。二人して跳んで行く事に全く抵抗が無かったのだから普段の移動は跳躍が基本なんだと思う。
何処か魔法少女らしいと言えなくもないが、出来れば跳ぶのではなく飛んで行く方の魔法少女であって欲しかった。
僕が起こりえるかもしれない未来に対して溜息を吐いていると、教室前方の扉が開けられる。
「お前ら元気なのは構わないが廊下まで声が聞こえてるぞー。ホームルーム始めるから黙って席に戻れ」
教室へ入ってきた教師の声に各々が自分の席へと戻っていく。いつもの様に本を開いていた西野さんも、その本を鞄に仕舞い正面へと顔を向けた。
思い返してみると、西野さんの横顔をしっかりと見るのは久々な気がする。
色白の肌に少し高い鼻は何処か異国の血を感じる。髪色も明るいし、実はハーフかクォーターなのかもしれない。陽に照らされた橙色の髪は明るみを帯びていて、魔法少女の時の髪色に近しい明るさになっている。
西洋人形をヒトにしたような彼女が、戦う時は拳を握って殴り倒す戦い方をするなんて魔法少女が一般的な世界だったとしても誰も想像出来ないだろう。
しいて言うなら、球技が苦手な所は運動の苦手そうなイメージに合っているといった所だろうか。
僕が度々向けていた視線が気になったのか、瞳だけをこちらに向けていた西野さんと目が合った。
(見つめ過ぎよ)
テレパシーでそれだけ言うと、西野さんの瞳はまた正面へと戻っていった。
見つめていると言われる程長く視線を向けていたつもりは無いが、本人に言われたので僕も視線を正面へと向ける。
思えば初めての出会いは良好では無かった。返されぬ挨拶に不愛想な応答。
一番の印象が最悪で氷のお嬢様なんて初日から呼ばれ始めたのに、その日の夜には魔法少女という日現実を見せられもした。
頭の理解が追い付かなくて、状況に置いていかれないようにするのが精一杯だったけど、それでも何となく西野さんは素っ気ないだけの人間じゃないような気がして。
それはアニメに良く出る魔法少女に引っ張られた印象だったかもしれないけれど、結果的には間違っていなかった。
テレパシーを通して話してみれば初日の印象は段々と崩れてきて、ただ表現の苦手な女の子だと理解出来る。そんな女の子だからだろう、僕が彼女の居る側へ脚を踏み入れたのは。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「きりーつ、気を付け。礼」
「はいさようならー。お前ら寄り道はするなよ」
今日も今日とて平和に一日が終わる。
クラスメイトから僕に「空飛ぶ少女」の話を振られた時は焦って変な挙動をしてしまったが、僕への関連性なんて誰も思いつかないだろうからきっとバレていないはずだ。
(涼太。昨日の空間の話、覚えてる?)
荷物をまとめている際、西野さんからテレパシーが送られてくる。昨日はドタバタしていたため記憶がグルグルと混ざっているが、懸命に思い出そうとしていると西野さんの発言を思い出してきた。
(西野さんの事を話してくれるんだよね。勿論覚えてるよ)
(良かった。あの時の川岸に行きましょう。上の歩道に上がるための坂なら座れるし、あの件で人も少ないわ)
西野さんはそう言うと荷物を仕舞い終わっていた鞄を持ち、教室から出ていく。
一緒に向かうのに待ってくれるわけじゃないんだなと思ったが、僕が追い付けば良いだけの話だ。僕も急いで荷物を纏めて後ろを追いかける。
西野さんに追いつこうとしたが全然追いつけず玄関にたどり着いた時には既に校門から出ており、橋が見えた頃には既に西野さんが視界から消えていた。視界に納まっていた時には間違いなく歩いているようにしか見えなったのだが、一体どんな魔法なのだろうか。
「はぁ…はぁ……。全然追いつけなかった。目的地が一緒なんだから一緒に歩いても良いのに」
「無理よ」
僕が西野さんに問いかけると、即答で拒絶される。ちょっと心が痛くなり涙が出そうになったが、西野さんは言葉を続けた。
「誰かに私の過去を話すのが初めてで、柄にもなく緊張しているの……察して欲しい」
西野さんが、緊張。
今までの西野さんを見ていると全く想像が出来なかった。けれど何時もに比べて表情が硬く見える。冷たいではなく硬いな所が、彼女なりの緊張している時の表情なのだろう。
「ごめん、西野さんが緊張しているってのが……正直想像出来ませんでした」
「不快よ。はぁ……、良いわ。それより私の話をさせてほしい」
僕が西野さんの隣に座った所で、西野さんが話し出す。
「昔は笑っていたと言ったけれど、小学生の頃。両親がまだ生きていた頃までよ。」
話し出した西野さんの表情は暗く、言葉のトーンもいつもよりも低くなっていた。
「魔法を使える子ってね、意識していなくても魔力が漏れ出してる子が多いらしいの。気持ちが外へ向いている子、元気な子ほどそういう傾向にあるらしいわ」
「因みに西野さんは?」
「私も、昔は活発だった。おままごともしたけれど、男の子に混ざって追いかけっこもしてたわ」
西野さんが追いかけっこ、もしかしたら西野さんの戦い方はそういう所から来てるのだろうか。
「けれどさっき話した通り、元気な子ほど魔力が漏れている。つまりあいつ等に見つかる事になるのよ」
ふと西野さんの手を見ると、強く握られ過ぎていて薄っすらとではあるが血が滲み出ている。僕が手に触れると、初めて手の状態に気付いたようで咄嗟に手を開いた。
「私が中学生に上がった頃、事件が起きた。家族で遊園地に出かけた時にあの空間に家族全員で取り込まれたの。最初は演出か何かだと思ったけれど、辺りに誰も居ない事で違うって気付いた。」
僕の手はあのまま西野さんに掴まれ、手を繋いでいる。伝わる熱は冷たく、手は小刻みに震えていた。過去を話したことが無いという事は、思い出す機会も殆ど無かったのだろう。
「初めて見たのは涼太と会った時と同じ、ミストストーカー・グレイウルフ。あれが三匹居て私たちは最初犬かと思ったの。けれど雰囲気がおかしい事に気付いたお父さんが私とお母さんを逃がしてくれた。けれど相手の方が足が速いもの、逃げられるわけがなかった。今度はお母さんが逃がしてくれて、それが両親との最後。私も食べられる寸前という所でその地区に居た魔法少女に助けてもらえたわ。」
ポツリポツリと語っているが、西野さんが泣きそうなのが伝わってくる。
「何でもっと早くと叫んだ。私にも彼女のような力があればと嘆いた。不幸中の幸いと言って良いのか、私には戦う為の素質はあったから今の道を選べたわ。孤児になった私は魔法少女育成機関のような所に預けられて、そこで学問と魔法を学んで、色んな学校に転校しながらミストストーカーと戦ってたの」
話が現代に移るにつれて西野さんは段々表情が明るくなってくる。
「知っての通り表現は苦手だけれど、学校に通うのは楽しかった。好きだったの、勉強。だから偏差値の高い学校とかは私が編入して、その近辺のミストストーカーを倒してた。そして前の場所が平和になったからまた転校して、ここに来た」
そう言って西野さんは話を切り上げ、項垂れていた顔を上げた。
最初に比べれば表情は普段通りに戻っているが、まだ小さく身体は震えている。僕が言葉をかけようとした時、西野さんの横でマナーモードのように静かだったラビが急に飛び上がり、テレパシーを飛ばしてきた。
(緊急なノ!ヤバいノ!この近くで大きめの空間が出来たノ!ミストストーカーは反応が小さいのがいっぱいあって、ツッキーの苦手な飛行タイプのミストストーカーなノ)
ラビの声を聞いて、西野さんは立ち上がる。
僕も立ち上がって着いて行こうとしたが、西野さんに手で制される。
「涼太は帰って」
「けど、今回の敵は西野さんが苦手って」
(そう、だからこそ今回は少年に着いてきてもらうべきなノ)
西野さんはそれでもと言わんばかりに手をどけない。
(危なくなったら少年には帰る術があるノ。だから様子見も兼ねて連れて行ってもきっと問題ないノ)
西野さんは向けていなかった視線を僕へと向ける。
昨日の感覚を思い出して、扉自体は出来ないものの何となく感覚を覚えているのを再確認して西野さんを見つめ返す。
答えは互いの眼で分かる。このやり取りに、テレパシーは必要なかった。
「着いてきて」
西野さんはそう言うと僕の前に出していた手をどける。昨晩、西野さんは話を聞いてから決めて欲しいと言っていたが、多分無理だ。
怖いし痛いのは嫌だけど、きっと僕の答えはその前から変わっていなかった。
ラビの案内で走り出した西野さんの後ろ姿を、僕は追いかける。
向かう方向は住宅街や学校とは別、山へと向かう方角だ。
仕事落ち着いて有給休暇で更新したんですけど、また地獄に配備されるらしいので今度はいつ更新出来るか分からないです。




