束の間の日常。おかえり、非日常。
長らく更新が出来ず申し訳ありません。
近状に関しては活動報告にて。
翌日の学校は、ひとつの話題で持ち切りだった。
川岸のクレーターは小隕石の落下だ。
橋の傍で空飛ぶ少女を見た。
川には物の怪が潜んでいる。
どれも現実味が無く、学生特有の「あったら面白そうだな」という妄想が、実在する爪痕を元に繰り広げられていた。
立ち会った身からすれば面白味など微塵も無いが、それを口にする事は出来ない。
戻ってこれないかと思った日常に帰って来れたんだ。これ以上の幸福もないだろう。
それを手放すような発言をする事だけは、絶対にしたくない。
教室の端っこで話題を片耳に外を眺めていると、教室の扉を開く音がする。
こう言った音に人は何故か敏感なもので、会話をしながら、あるいは会話と中断して扉の方へと視線を向けている。
僕も外へ向けていた顔を横へ動かし、教室へ入った人の顔を確認する。
橙色の髪。透き通るような白い肌。歳相応の少し低めな身長。
間違いなく、西野さんだ。
僕が初めて目にした西野さんであり、日常の西野さん。
昨日怪我をしたであろう右足に包帯が巻かれているのが昨夜あった事は夢ではない事を再確認させてくれる。
教室にいたクラスメイトは新たに教室へ入ってきた人物が西野さんだと分かると、今はそれよりもと言わんばかりに各々の会話を再開していく。
委員長だけはまだ視線で西野さん、主に包帯が巻かれている足を追っているが、初日の事があるからか分からないが話しかけられずにいる。
西野さんはこのような雰囲気に慣れているのか、気にする事なく進み自分の席へ座った。
その手は流れるように鞄へ向かい、昨日の授業前と同様に小説を手にしていた。
(おはようなノ、少年)
「ひぇい!」
予期していなかった声に驚き、息を吐き出そうとしていた口から変な声が漏れてしまう。
僕の声を耳にしたクラスメイトが次々と僕へ視線を向けてくるが先程の声が優先され気にならない。
ラビの声がした。
昨日と変わらず直接語り掛けてくるような声なのは変わらないが、昨日は耳辺りに感じた声が今は直接頭に響いて少しだけ頭が痛い。
皆の視線がまだ集まっているため、頭を極力動かさずに視線だけで西野さんの周囲を確認する。
少し大きい人形程度のサイズをしているピンクのウサギなんだ。居るならば気付けないわけがない。
それでも視認出来る範囲にラビはいない。
(そんなに探しても見えるわけないノ。今はツッキーから少しだけ魔力を貰って姿を遮断してるノ。因みに少年へ語りかけてるのはテレパシー。知り合いになった少年に挨拶出来ないのは寂しいからツッキーの魔力で話しかけてるノ)
確認するように視線を西野さんへ向けると僕と目が合い、ひとつ頷いた。
「その通り」と言った意味なのだろうか。
挨拶されたからには挨拶を返したいものなのだが、僕にはテレパシーの返し方が分からない。
ラビには大変申し訳ないが、ノートの切れ端に「おはよう、ラビ」と書くだけで済ませる。
傍から見たらこれでも十分不思議な行動ではあるが、この程度なら周りにも不審がられないだろう。
そうこうしている間にホームルームを告げる鐘が鳴る。
鐘が鳴ったタイミングで担任が居ないのはいつも通りだ。大体鐘が鳴ってから数分経ってから教室に来るのが彼の通例になっている。
いつもと変わらない、今までと同じだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから一週間、何も変わらない日々が続いていた。
(少年は今日も予定は無いノ?)
(失礼な事言うなよラビ。僕は予定が無いんじゃなくて自由を謳歌してるだけだ。決して暇なわけじゃない)
(涼太、人はそれを暇という。屁理屈は不要)
少し変わったとすればラビに習って僕もテレパシーで会話が出来るようになった事と、西野さんはテレパシーでなら話しかけてくれると判明した事だ。
初めて出会ったあの時説明されたように魔力を扱う素質はあるらしい。
テレパシーに慣れるまでは僕が独り言を言っているように見えていたようで、果てには西野さんの言いたい事を視線だけで読み取ってるという噂すら流れたほどだ。
(けれど暇なのは良いこと。私も皆の事や涼太の事を守れてるって実感出来るから、是非ともそのままで居てほしい)
そう伝えてくる彼女の表情はいつもと変わらず無表情に見えるが、口角がほんの僅かではあるが上がっている。彼女なりの笑顔だと、数日の付き合いではあるが分かるようになってきた。
それに会話をするようおになって知ったが、西野さんは僕の事を下の名前で呼んでくれていた。異性から名前で呼ばれる事はそう多くないためこそばゆい。
(それじゃ僕は帰るね。西野さんも、その。頑張って)
(うん。涼太も事故には気を付けて。バイバイ)
そう伝えて西野さんは小さく手を振ってくれた。僕もそれに小さく手を振り返して教室を後にする。
玄関へと歩きながら考えるが、正直西野さんとの関係は思ってもみなかったものだ。
初日の雰囲気のまま、あの夜の出来事がなければ間違いなく歩み寄れる自信も無く、彼女とは席替えをするまでの数か月間会話をしない隣人として過ごしていただろう。
それが今となっては真逆と言っても良い。命を救われて、クラスで唯一話すようになって。
魔力タンクと呼ばれる程の才能を秘めていた事が判明し、今では子供の頃に憧れた能力のひとつでもあるテレパシーなんて物まで使えるようになってしまった。
手放しで喜ぶ事が出来るような経緯ではないが、人間関係も含めて悪い方向へと転んではいない。
十数年と短い時間ではあるが、過ごしてきた中で今が最も充実しているだろう。
そう考えていると既に玄関へと着いてしまい、後は帰路に着くだけになった。あの夜に今の日常を取った僕は終礼と共に真っすぐ家へ帰ってゲームに没頭する毎日を送っている。
今日も変わらず家に帰って、部屋にあるゲーム機の前で安全な画面越しから非日常に没頭する。僕が今まで描いていた日常だ。
そこへ行き着く。そう思っていた。
いつからだろう。どれ程経ったのだろう。
分からない。
玄関を出てから三十分程、あの橋を越えて商店街を抜けた後だ。
今日は日が落ち始めるのが早いな、と空を見上げた事がきっかけだった。
いつものように太陽がまだ上に見えているのに空が薄暗くて、薄く広がった黒い霧のようなものが空との合間に挟まっているような色合いをしている。
それに気付いてからは自分の周りに違和感しか見つからなくなってしまった。
いつもなら疎らに人が行き交っている道に誰もいなく。
見える風景はほんの少し前に見た風景をひたすら繰り返している。霧に包まれた境界線を何度も繰り返している気分だ。
(ラビ!聞こえてたら返事してくれ!西野さん!)
僕は咄嗟にテレパシーを使う。テレパシーを使うのは教室内しか無かったし有効範囲を気にした事が無かったが今はそれを悔やむ。もしもこのテレパシーが伝わっていなかったら残りは彼女達がここの異変に気付くのを待つ他ない。
ただ、この空間はそれを許してくれないようだ。
粘土の高い液体が混ぜ合わされているような音が何処からか聞こえてくる。音の方を向くもののそこは煉瓦の積まれた壁に沿った曲がり角になっていて道すら確認が出来ない。歩みを進めれば分かるだろうが、それだけはいけないと頭痛のような警報が頭の中を走り回っている。
逃げられるように体勢を整えながら音の方を向く事数分。未だに音との距離は縮まらない。少しずつ大きくなっているため近づいてはいるのだろうが、その歩みはとてつもなく遅いようだ。
解けない緊張が長く、冷や汗もそうだが動悸の速さも馬鹿にならなくなってきた。耳に響く心臓の音が、時折あの音を消してしまい、実はすぐ傍に居るのではと錯覚させてしまう。
実はこの音の存在は僕に気付いていないのではないか。
頭の中でそう思考が過った瞬間、僕はすぐに行動に移した。少しずつ、少しずつ音を立てないように後ろへ後退する。
一歩一歩確実に足を下げ、ある程度距離を取れた時。依然として動きが無い事にほっとしたのが原因だろう。
僕の下げた右足が、踵で小さな小さな石を踏み抜いた。こういう時に限って音とは鳴るもので、踏まれた石は力によって弾き飛ばされ、壁へ地面へと音を立てながら跳ね返っていく。
タイヤに踏まれた小石程ではないとはいえ音は音。擦ったアスファルトや砂利よりも大きな音に、姿見えぬ存在は液体を混ぜるような音を立てるのを止めた。




