金色と灰色。それは非日常への入り口。
導入部でもあるため、戦闘描写は薄くしてあります。
戦闘描写に関しては次回以降から濃くする予定です。
ルビが正常に機能してない箇所があったので、ルビを一旦抜きました。
特別な読みに対するルビなどではないため、話の進展などに問題は出ていないはずです。
西野さんそっくりの子は数秒程、口を開かずにこちらをただただ見つめていた。
その目は睨むような目つきで、そそがれる視線が痛い。
「学校の」
彼女はそう言うと、また口を閉ざした。先程と違うところは小首を傾げ、合っているかといった視線に変わっている所だろう。
名前を呼んだ後で学校の、と呼ばれたのだから髪色は違うものの西野さんで合っているようだ。
彼女の口数の少なさに釣られてしまい僕も首だけを振る事で返答する。
僕の動作を肯定と受け取ってくれたのか、彼女は「忘れて」とだけ言って、立ち上がりながら上半身を僕の方から川の方へと視線を向けた。先程まで異音が鳴り響いていた方向だ。
僕も立ち上がって彼女の視線の先を追うが、感じる。暗闇の向こうに何かが居る。誰かではなく、何か。
状況を正確に把握出来ていない僕は、忘れてと言われたものの怪我をしている彼女を置いていくわけにもいかず判断に困っていた。
ただただ暗闇を見つめていると、彼女は飛んだ。
落下防止の為に橋には胸元程まである手すりが設置されている。腕を使い登ればあるいは越えられるかもしれないが、跳躍程度で越えられる低さはしていない。
それを、飛び越えた。川岸への距離を考えると五メートル以上は優にあるだろう。
地にぶつかった痛みによる軋みに耐えながら数歩、手すりに向かって歩く。
下へと視線を降ろすと、そこにははっきりと視界に映る金色の髪があった。
ふと彼女の先へと視線を動かすと、動いてる何かが朧げにだが見えた。背は低く、距離があるため憶測ではあるが股下程の高さしかない。
ギラりと暗闇に浮かぶ二つの瞳が見えるが、それ以外は何一つ輪郭が見えない。暗闇の低い位置に瞳が浮かんでいる、そんな感じだ。
僕が薄目に対象の存在を掴もうとしていると、足元から不意に声をかけられた。
「少年、君にはあれが見えるノ?」
少女のような可愛らしく、音の高い声。
こんな夜遅くに子供が何故と視界を更に足元へと移したが、そこには西野さんの傍に落ちていたピンクのウサギが転がっているだけで、誰もいなかった。
幻聴だろうか?
いや、摩訶不思議な状況ではあるが流石に幻聴までは聞こえないだろう。
「ラビの声が聞こえてるならあれも見えてるはずなノ。男の子で魔力があるのは珍しいノ」
やはり幻聴ではなかったらしい。
誰も居ないと思っていた足元で、ウサギの人形が独りでに動き出した。
「うさ、は?動いてる?なんで……いでっ!」
驚きを隠せずに自然と身体が後退を始めてしまっていたが、数歩歩いた所で足の痛みに自然と声が上がってしまった。
「ツッキーとぶつかった時に挫いたかもしれないノ。ラビもツッキーも回復魔法は得意じゃないから、自然治癒力に任せるノ」
「ツッキー、って誰?」
「あの金髪の女の子なノ。君はツッキーの知り合いなノ?」
どうやらこのピンクのウサギは西野さんの所有物で合っていたようだった。
喋る人形。回復魔法という言葉。そして人間離れの跳躍力を見せた西野さん。
聴きたい事は山ほどあるが、それに答えてくれる者が現れたのは幸いだ。
川岸の方では暗闇の二つ目と西野さんが躍るように暗闇の川岸を動き回っている。何かしてあげたいとは思うが、僕では何も出来ないし居ても邪魔だろう。
僕に今出来る事は去るか、現状を理解するか。この二つだけだろう。
あの二つ目が飛んできた西野さんを追いかけて来なかった事を考えると、ここは幾分か安全だと思って良いのだろう。
何度も言うがこの状況は異常だ。アニメや小説など、空想の世界で描かれている事が現実で起こっている。
安全そうな場所には居るものの、絶対確実でもない。本来ならここを離れるべきだ。
けれど非日常に身を置いてるのは、仲良くなれなそうとはいえクラスメイト。
明日になって「西野椿さんが行方不明です」なんて言われた日には今日この瞬間逃げ去った事を一生後悔するだろう。
何も出来ない事と何もしない事は同義じゃない。見守る事も今を知る事も、逃げて何もしない事よりも何かが得られるからだ。
「ウサギさん。西野さんが戦ってるあいつって何者なの?」
ピンクのウサギは先程と同じく、ステップを踏みながら話し始めた。口が動いていないため厳密には話してはいないのかもしれないが、そんなのは些細な問題だ。
「ラビはウサギって名前じゃないノ。ラビなノ。あれはミストストーカー。普通は存在すら捉えられなくて、魔力を目に集中させない限り存在を認識できないから、ミストなノ」
ラビラビ言っていたが、どうやら一人称は自分の名前にするタイプらしい。
ミストストーカー、忍び寄る靄。外見が真っ黒で暗闇に溶け込んでいるだけかと思ったら、本当にその外見は見えないらしい。
けどラビが言うには普通は存在を捉えられない。つまりあの目すら認識できないはずだ。なら何故僕はあいつの目が見える?
「ねぇ、存在を捉えられないなら何で僕はあいつの目だけ見えてるの?話の通りなら僕はあいつを認識出来ないよね」
「それは君が魔力を持ってるからなノ。それも魔法少女より多い、魔力タンクとでも言えるレベルなノ。それが漏れ出してるから意識しないでも見えてると思うノ」
僕が魔力を持ってる?
そう言われても今まで魔力と呼べそうなものを感じ取った事はない。
「魔力タンクって……。僕、そんなものがあるなんて思ったこと無いけど、勘違いじゃないの」
「そんな訳ないノ。試しに目を閉じて集中するノ。見えないモノを見る。君ならそれでミストストーカーを捉えられるノ」
更に胡散臭い。集中するだけで魔力が操れるというのなら、僕は日常の中で魔力を操れている事になる。
けれどラビもこの状況で僕に教えるメリットは無いだろう。ここは不本意ながら、この動く人形に乗せられよう。
目を閉じて意識を戦っている二人へ向ける。何も見えないけれどそこに居るように。
見えない二つ目の姿を、あぶり出すように。
最初は真っ暗闇だった瞼の裏側だったが、集中を続けるにつれて色が増えていく。
片方は橙色で、片方は灰色。
縦に長く、朧気だが人の形をしている橙色。
横に長く、朧気だが四足歩行の、犬のような形をしている灰色。
見えたものを確認するためにゆっくりと瞼を開くと、色は付いていないものの先程よりも鮮明に見えるものがあった。
「あれは……犬?」
「狼なノ。ミストストーカー・グレイウルフ。最も数の多い魔物なノ。」
犬と狼の違いを僕は知らないが、あれは狼らしい。
姿の無かった二つ目の姿を捉える事が出来ていた。ラビの言っている事は嘘ではなかったらしい。
灰色の毛並みをした狼。サイズは大きく、二メートル程だろう。
瞼の裏に映った色と同じ毛色だが、魔力の色はその者の毛色なのだろうか。
そして浮かぶ姿は別にもあった。
グレイウルフと戦っていた西野さんだが、彼女もまた別の姿をしている。髪の色は変わらず金色だが、首から下が現代的ではない。
まず大きな違いは腕だろう。先程まで白い肌をした長い腕が見えていたのだが、その腕を覆うように銀色の篭手をはめていた。
飾り気ひとつなく、手首の部分から肘にかけて鱗のようにプレートが重なっている。
指先の方も同じで、間接は動かしやすく、かつ防御性を重視しているのだろう。小さいながらも間接部分も鱗のようにプレートが重なっていた。
そして背中。彼女には人類には似つかぬ、真っ白な羽根を背負っていた。
純白の羽根は肩甲骨の辺りから生えているかのように、根本をその身体へと向けている。
羽根は大きく、折り畳まれている今の状態でも太腿辺りまでの長さがある。あの羽根を全力で広げれば、橋の手すりを飛び越える程の飛翔も可能なのかもしれない。
真っ暗闇の中に浮かんだ純白の羽根。場違いな眩しさに目を奪われていると、先程まで西野さんにしか興味を示して居なかったグレイウルフが動きを止め、こちらへと視線を向けた。
突然の停止をフェイントか何かと考えたのか、西野さんは向かう勢いを殺さずに、羽根を少しだけ羽ばたかせてグレイウルフを飛び越えた。
「アオオオオオオオオオオオオウ!」
自分の動きを阻害していた者が空へと離れた今、狼を止める障害は無くなった。今と言わんばかりに高く大きい遠吠えを吠えた後、グレイウルフは僕たちに向かい全速力で駆けてきた。
「まずいノ!思ったより操作時の魔力漏れが大きくて魔力操作を感知されたノ!逃げるノ、少年!」
ラビはこちらに向け大きく叫んだ。
魔力操作を感知された、という事は先程の行為が原因だろう。
現状に通ずるラビに教えられたから危険に繋がらない行為かと思っていたがそうではないようだ。
「逃げるって言ったって犬相手に逃げ切れるわけないでしょ!」
「犬じゃなくて狼なノ!それならそれなら、両手を前に出して魔力を集中させるノ!イメージは盾。グレイウルフの突進を受け止めるノ!」
僕は死にたくない。
頭で考えるよりも先に、手と頭が動いてくれた。
腕を突き出した頃にはグレイウルフの鋭い牙が視認出来る程に距離を縮められていた。
それでも間に合う。僕はそう確信している。何故だか分からないが、咄嗟に動いた頭がそう言っている気がした。
真っ先に頭へ浮かんだのはヒーターシールド。最近読み終わった漫画に出てきた、逆三角形の凧のような形をした盾だ。
頭で浮かんだそれは青い光のような粒子が集まり形を成し、伸ばした掌の前で浮遊していた。
グレイウルフが今にも飛びつこうとしている中、僕は浮遊していた盾を手に取る。
盾を掴んだ左手を軽く曲げ、右手も盾の裏から抑えるように添えた。
足は開き重心を低めにし、グレイウルフの突進に備える。
インドアでかつ百七十にも届いていない僕の身体は比較的軽い。何より盾を持つ経験なんて無く、扱い方も分からない。
それであれば僕に出来るのは流す事でも弾く事でもなく、受ける事。
僕が体勢を整えるのとほぼ同時にグレイウルフは駆けた勢いのままに僕へと飛びつく。
盾の位置を調整して受け止める事には成功したが、グレイウルフの勢いは思ったより強く、僕の脚は地から大きく離れた。
勢いを半分も殺せずに浮き上がった僕の身体は体勢を崩し、グレイウルフにのしかかられた上半身から崩れるように地面に倒された。
西野さんと激突した時ほど大きな衝撃は無かったが、今回は相手が悪い。
的確に敵意を持って飛びついた相手に押し倒されたのだから、ここで逃げるなり出来なければ僕の命は危うくなるだろう。実際、痛みに耐え薄く開いていた目には大きく口を開けたグレイウルフが映っていた。
盾を動かそうと左手を持ち上げようとしたのだがそれも叶わない。僕の身長を超えるグレイウルフは、その体重で僕の身体ごと盾を押さえつけているからだ。
これでもうグレイウルフを止めるモノはない。
怖い。痛いのは嫌だ。死にたくない。青春してみたかった。父さんごめんなさい。母さんごめんなさい。何でこんな事したんだろう。得体の知れないものに従ってはいけなかった。
色々な考えが頭の中を突き抜ける。けれど目の前に迫る鋭利な牙は止まらず、恐怖に駆られた僕は瞼を強く閉じ、身を強張らせながら最後の痛みを待ち構えた。
一秒、二秒、三秒。
時が過ぎても痛みがやってこない。実は痛みを感じる間もなく絶命してしまっていたのなら辛い思いをしない分良いのだが、背中は確かにコンクリートの硬さを感じ続けている。
恐る恐る瞼を開けると、首根っこを掴まれ後ろ足だけが地についている不格好なグレイウルフが立っていた。
足をばたつかせているが、対象に近い後ろ足を踏みつけられているグレイウルフは、空を切る事しか出来ない片足を必死に動かしていた。
首を掴んでいるのは銀色の篭手。伸びた腕は街灯に照らされてもなお白く、金髪の女の子が立っている。見間違えようのない、西野さん本人だ。
「ラビ、巻き込まないで」
「違うノ、言い分を聞いてほしいの」
「後で」
「はいなノ……・」
西野さんは端的にラビの返答を後回しにすると、掴んだグレイウルフをそのままに、僕へと顔を向けた。
「ごめんなさい」
西野さんはそれだけ口にすると、グレイウルフへと意識を向け直す。
先程から動く事で抵抗しようとしていたグレイウルフだが、段々と動きが鈍くなってきている。息も絶え絶えだ。
首から上はほとんど動かなくなったグレイウルフへ空いた手を動かした西野さんは、首を掴んでいない右腕でグレイウルフの頭を掴む。
頭を掴まれても抵抗が強くならない程に衰弱している事を確認した西野さんは首を掴んでいた左上を下顎へと移し、体重を使いグレイウルフの頭を上下へ引き裂いた。
最初は何が起きているか分からなかった。
今の状況こそ現実のものだと受け入れたくなかったが、このような状況はアニメや漫画、ゲームで多く見てきた。
血みどろな戦いも少なからずあるが、このような少女
が題材の作品はもう少し綺麗にまとまっていたと思う。
それなのに目の前で繰り広げられている光景は、酷く残酷だ。
ジャンプし全体重を使って顎関節を破壊した西野さんは、グレイウルフのマウントを取るように倒れこみ、次の動作へと移る。
脚に体重をかけグレイウルフが起き上がれないようにしたまま、グレイウルフの足を掴む。
掴んだ足は西野さんの手により曲がってはいけない方へと曲げ進められ、鈍い音と共にグレイルフの足は曲がった。
それを四度、機械的な表情と動きで行う。
全ての動作を終わらせ西野さんはグレイウルフの上から身体をどかすが、動く事も噛みつく事も出来なくなったグレイウルフはただ寝転がったまま動かなかった。
脅威を排除出来たことを確認できた西野さんは、グレイウルフの胴体を掴み持ち上げると、橋の上を川の真上辺りまで歩む。
下を流れる川はいつものように静かで、連日雨が降っていないため澄んでいるだろう。
西野さんは掴んでいたグレイウルフを振り子のように動かし速度をつけると、川へ向かいグレイウルフを放り投げた。
何メートルもの高さへ放り出されたグレイウルフは幾分かの滞空時間を過ぎると、無慈悲にも下へと落下を始める。
程なくしてグレイウルフは僕の視界から消え去り、異物が着水する音が大きく鳴り渡る。
音を聞き届けこちらへと戻ってくる西野さんを視界にとらえ続けているが、僕はもう限界のようだ。
二度に渡る頭部への衝撃と非現実的な事の連続による疲労からか、彼女がこちらへ戻ってくるより先に僕の視界は目を閉じていないにも関わらず黒く染まっていく。
今覚えば、彼女が放った「ごめんなさい」という言葉は、巻き込んだ事だけではなくこのグロテスクな状況を見せる事も含まれていたのかもしれないが、それを確認する術は視界と共に過ぎ去っていった。




