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あいはぐ  作者: おじぃ
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4,絵乃の海岸物語

 小学三年生の夏休み。腰越家の三人は神奈川県 葉山(はやま)町の森の中にある別荘に来ていた。別荘はコテージ風で、一階は個室や洗面所など、一般家庭の設備が揃っていて、他に吹き抜けの屋根裏部屋がある。屋内にに居ながら屋根の形がはっきり見える構造だ。


 この辺り一帯、西から二宮町にのみやまち大磯町おおいそまち平塚市ひらつかし、茅ヶ崎市ちがさきし藤沢市ふじさわし鎌倉市かまくらし逗子市ずしし葉山町はやままちを『湘南しょうなん』と呼ぶが、葉山はその中では割と静かな町で、鉄道の駅がない。山興村とは違う自然環境に囲まれた町は、海と山が共存してして洒落ている。


 今年は地元のアンティークな家具店でカフェテーブルを購入し、広間の真ん中にある森の中を見渡せる窓辺に配置した。森の景色は心を落ち着かせてくれる。


 今回、遠い山興村から遥々湘南へ来たのは両親の休養と、葉山の別荘から少し離れた茅ヶ崎で催される国民的バンドの地元公演を生で聴くためだ。残念ながらチケットは取れなかったが、球場での講演で、わざわざ外からでも見えるようにスクリーンが設置されているとのことだ。


 公演開始は夕方。それまでは江ノ島やその周辺を観光することにした。絵乃(えの)にとって、江ノ(えのしま)という響きは何だか親近感があった。


 江ノ島の展望台から一望する大海原に地球の丸さを実感し、島のノラネコたちと触れ合ったり、名物の『しらす丼』を味わって満足した絵乃たちは、竜宮城のような駅から小田急線おだきゅうせんに乗り、藤沢駅で東海道本線とうかいどうほんせんへ乗り換えて茅ヶ崎へ向かった。絵乃が住む地方の人々は日頃からあまり電車に乗らない上、乗ったとしても必ず座席が空いている。絵乃は15両編成の電車でも座れないどころか乗り切れないくらい混雑していて、人が鮨詰めになった蜜柑色(みかんいろ)の電車を見て神奈川の人の多さに圧巻された。


 ◇◇◇


 茅ヶ崎に着いて、バンドの公演開始まで時間があるので絵乃は一人で勝手に両親の前から居なくなって砂浜を裸足で散策していた。もちろん後で怒られる事になる。


 ◇◇◇

 

 ざ〜、ざ〜、ざぱぁ〜ん。


 山奥に住む私にとっては聞き慣れない波の音。歩き慣れない砂浜の感触。私は大きい貝殻も、小さい貝殻も、波で削られて角が丸くなった緑色の硝子の破片なんかも拾い集めて観察していた。硝子の破片は綺麗だから持ち帰る事にした。


 小さくてかわいいシジミ貝、ハマグリだか何だかよく分からない大きな貝、耳に当てると波の音が聞こえるという大きな巻き貝も落ちていた。私はその巻き貝を拾い上げて波の音を聴こうとした。


「う…」


 それを持ち上げたら牛糞に似た強烈な臭いがしたので、私は中に何かが入っていて、奇妙な汁なんかが出て来ると嫌なので、それをそ〜っと砂の上に置き、何事もなかったかのように再び歩き出した。


 とはいえあの臭いは嗅いだ者の鼻の奥深くにしつこく、しぶとく残る。あまりにも強烈で混乱しそうに、いや、混乱しているのかもしれない。


 とりあえず私は夕日と対面して、江ノ島に背を向けて、『烏帽子岩(えぼしいわ)』が見える岩場へと歩き続ける。岩場を登るとテトラポッドで大きな波が打ち砕かれ、岩場の覚束ない足元とシンクロして恐怖を増幅させた。


「これが、サザンの歌に出て来る烏帽子岩…」


 しかし恐怖はすぐに吹き飛んだ。歌に出て来る烏帽子岩の現物を目にして、胸がドキドキした。


「烏帽子岩、見てるの?」


「はっ!?」


 背後から気配もなく、私と同い年くらいの蓬色(よもぎいろ)の半ズボンと黒いランニングシャツを着た角刈り頭の男の子が話しかけてきた。


「気配もなく近寄って来るなんて、あなた、ただ者じゃないわね!?」


「いや〜、それは波の音で足音が掻き消されただけじゃないかな」


「そ、そうかもね…」


 ごもっともな意見を言われて納得するしかないのが、何かしてやられた気がして悔しかった。


「ねぇ、何処から来たの? この辺じゃないよね」


「なんでそんな事まで分かるの!? あなたやっぱりただ者じゃないわ」


「これが、サザンの歌に出て来る烏帽子岩、なんて言ってたら分かるよ。この辺の人にとってはいつもの岩だから、気にも留めない事だってあるよ」


 またも的確な返事をされて、私は成す術もなかった。村で一番賢い子供(自称)のプライドに泥を吹っ掛けられた。上には上が居るって、こういう事か。


「そうよ、遠い山から来たの」


「へぇ、名前は? 僕は稲村健太(いなむら けんた)


腰越(こしごえ)絵乃(えの)


「ははは、山奥に住んでるのに凄く湘南らしい名前だね」


「え? なんで?」


「うん、鎌倉に『腰越(こしごえ)』っていう所があって、腰越のすぐそこに『江ノ(えのしま)』があるよ。まぁ僕の苗字も、同じ鎌倉に『稲村ヶ(いなむらがさき)』っていう所があるんだけどさ」


「稲村ヶ崎は知ってるわ。有名だもん」


 話しながら小さな蟹やゴキブリみたいな虫がうじゃうじゃ駆け巡っている岩場を下りて、さっき一人で辿った砂浜を今度は二人で歩く。


「絵乃ちゃんって可愛いね」


「可愛い? 私が?」


 私が可愛い!? こけしみたいな頭の私が可愛いだなんて…。


 お父さんにも言われた事ないのに…。












 それはないかな。あるのかな。













 でも、そんな事言われたらキュンときちゃう。だって、女の子だもん!







「うん、可愛いよ。こけしみたいで。頭、撫でていい?」


 ………、プツン。


 私の中で、何かが切れた。


「いっ、言ったわね!? 私が気にしてるこけし頭の事言ったわね!!」


「えっ!? ご、ごめん!! そんなつもりじゃなかったんだ」


 ◇◇◇


 うぁぁ、どうしよう、絵乃ちゃん怒らせちゃった!! まだ会ったばっかりなのに、もう会わないかも知んないのに!!


「ええ、分かってるわ。だって、健太君、優しい子だもん」


 ???


「え? 僕たち、さっき会ったばっかりなのに」


 えーっ!? 絵乃ちゃん何!? この冷静な切り返し。怒ってるんだよね!? いや、もう怒ってない!? 寧ろ褒められてる!?


「分かるわ。だって、私は村で一番賢い子供だから。でも今回は私の完敗よ。何年か先、またあなたに会ったら、今よりもっと賢くなって、綺麗になって、見返してあげるわ」


 村で一番賢い、って言ってるよ。自分で。絵乃ちゃん、突っ込み所多そうだなぁ。


 とりあえず、もう怒ってないみたい。


 ほっぺがぷにぷにしていそうで、こけしみたいに可愛い女の子は右手を差し出した。僕も右手を差し出して絵乃ちゃんの手を握った。


「うん、楽しみにしてるよ」

 

絵乃ちゃんとは、きっとまた会える。そんな気がした。


「またね、健太君」


 絵乃ちゃんは微笑んだ。その笑顔を見たら、僕の胸はくすぐったくなった。


「うん、またね、絵乃ちゃん」


 握った手を解いて、絵乃ちゃんはサイクリングロードに沿うボードウォークで待つ、きっとお父さんとお母さん(?)の元へ歩いていった。


 二人の元へ辿り着くと、何故か絵乃ちゃんは怒られていた。僕はそれを見届けて、一人で近くにある家に帰った。


 ◇◇◇


 健太君とお別れした後、私はお父さんとお母さんの元へ戻ったら怒られた。勝手に離れて散歩したのがまずかったみたい。


 心配させちゃったんだね。ごめんなさい。


 陽が沈みかけた頃、国道沿いの球場近くまで歩いて向かった。いよいよ国民的バンドの地元公演が始まる。


 ◇◇◇


 公演が始まった。


 まずは前座から。前座も国民的男性アーティストで、彼は切ない歌からプレイボーイな歌まで多様な楽曲を披露する。勿論凄まじい盛り上がりだ。そしていよいよメインの登場。演奏前、ヴォーカリストのトークで会場の内外は熱気に染まり、茅ヶ崎の街に、茅ヶ崎の野球少年だったミュージシャンの声が響き渡る。


 ◇◇◇


 あの、国民的バンドの演奏が今、すぐそこで、ナマの声が私の耳に、小さな胸に、心に染みる。まるで夢でも見ているような、はたまた魔法にかけられたような、敢えて言うなら胸が『浮き上げられる』感覚。健太君も来てるのかな?


 本当は良くないのかもしれないけれど、私たちは国道の路側帯のガードレールによっ掛かり、球場に設置されたスクリーンを見ながら公演の様子を見る事にした。足元にアオダイショウ(ヘビ)が這っているけれど、私は気にしないし、左右の人々は演奏に酔いしれて気付いている人は少ない。


 それからあっという間の数時間、数々の名曲や、知らない曲に心を打たれ、幻想的な時間を過ごした。一番印象に残ったのは、知らない曲だけれど切ない曲だった。


 今年の夏はきっと、私にとって一生忘れない夏になる。

『あいはぐ』は順不同で話を執筆していて、第7回目の話や絵乃が高校生になってからの話も出来ています。元々は絵乃が高校二年生になった頃から始める予定であった経緯です。



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