3,大せつないのち
八月、地球は滅亡する。
そんなニュアンスで世間を騒がしたノストラダムスの予言。この日は正に予言された当日。
予言は山奥にある山興村もメディアを通して伝わっていて、ちょっとした騒ぎになるのは都会と変わらない。しかし何故だろう? この地球が滅亡するというのに、不思議と恐怖感はなかった。そんな大それた事などある筈ない、いま自分が暮らしているこの空間が自分と共に消え行くなんて、子供たちにとっては壮大過ぎて、大人たちには馬鹿らしいのだろう。
学校は夏休み。人生最後の思い出作り(かもしれない)として、五年生の洋子、二年生の絵乃、一年生の大介で近くの河原で大人には内緒のピクニックをしていた。他の子供たちは家族旅行で村を出ている。
近所付き合いが緊密なこの村で大人たちに黙ってそんな事を実行出来たかと言うと、公民館を兼ねた村役場で緊急集会が行われており、村を離れていない大人たちは例外なく役場に集まっているのだ。なので村の民家に残っているのは旅行に出掛けていない三人の子供だけ。人口が少ないとはいえ、役場を除けば子供が三人しか居ない村というのは奇妙なものだ。
この日、大人たちは村で唯一県や国など外部の自治体と頻繁に連絡を取っている村長から、やはり俄かに信じ難い、けれど偽りのない事実を聞かされる。緊急集会が行われるのはこのためだ。
まさか、滅亡だなんて…。
◇◇◇
子供たちは河原を下流に向かって歩いていた。周囲を木々に囲まれた河原には人の頭ほどの楕円形の大きな石がごろごろしていてサンダルを履いている三人は足元に注意していても踏み締めた石がグラグラして時々躓きそうになる。
河原に着くと、遊び道具として三人で持ち寄った5リットルのバケツや川の生き物を捕まえるための目が粗い柄が細い竹で出来た小さな網、気圧変化で袋が少々膨らんだポテトチップスなどの食料を取り敢えずごろごろした丸い石たちの上にバランス良く置く。川の流れは上流なので速く、幅は二車線の道路くらいだ。流されれば大人だって助からない。
大介は裸足になり海水パンツに着替えて川の中の足場を探し、流れが緩やかな所を選びながら突き出ている岩まで泳いだ。その岩には水生生物がよく潜んでいるのだ。
洋子と絵乃は唯一の食料であるポテトチップス(うす塩味)を手と口を休めずに貪り食いながら、流れの速い川に入ってさぞお腹を空かすであろう大介が岩にくっついた生物を探る様子を傍観したり晴れ渡る空を見上げ、大きなアブを追い掛ける一頭のオニヤンマを観察していた。
ポテチの袋の中を探って中身が無くなった事を確認した絵乃はふと思った。
「ねぇ洋子ちゃん、大介君の分のポテチ、残しておかなくていいの?」
「ん? あっ…」
夢中でポテチを貪り食った二人は、大介の分を残しておく事などすっかり忘れていた。
「へ、平気よ、大介はね、ああやって岩を探ったりして食料を捕ってるんだから」
ちなみにその岩に潜んでいる生物といえばヤゴなどの水生昆虫くらいで、とても日本人が食べるようなものではない。
釣り竿があればアユやマスが釣れたりするが、生憎そんな物は持っていない。
「お~い、でっかいヤゴとかアユのちっちゃい奴とかよくわかんない魚採れたぞ。あ~腹減った」
バケツにコオニヤンマのヤゴを一頭とメダカほどの小魚を数十匹泳がせて大介が戻ってきた。
洋子と絵乃によって食料が食べ尽くされた事など知らない大介は大漁に満足してご機嫌だ♪♪
「そう、じゃあその小魚でも塩焼きにしたら?」
洋子は空腹の大介にそんな無茶な提案をした。
「うん! そうしよう! って出来る訳ねぇべ? こんなちっちぇえの」
メダカほどの小さな魚を塩焼きにすれば可食部など残らず消し炭になってしまう事など言うまでもない。
「食べないって言うならしょうがないね。大介はお昼ご飯抜きだ♪♪」
「いやいやポテチあるべした?」
大介は洋子がお昼ご飯抜きなんていう冗談を言っていると思っていた。
「ごめんなさい大介君、洋子ちゃんと二人で食べてたらいつの間にか無くなっちゃったの」
絵乃の申し訳なさそうな表情と言葉に大介は本当にお昼ご飯抜きなのだと悟った。
「スッキリ晴れた真っ青な空、透き通るきれいな川っ! この絶景だけでお腹いっぱいじゃない?」
スッキリ晴れた真っ青な空から時々オニヤンマが食べ残したアブやハチの残骸が落ちてきて、洋子にそう言われて空を見上げた大介の口の中にそれが見事に入った。
「ぐふぇっ!! っぺっ!! じゅほっ!?」
「トンボさんが大介君に食べ物分けてくれたのかなぁ?」
絵乃は素で言う。大介はオニヤンマが食べ残した虫を吐き出す。
「ぶふぁっ、まだ生きてた。あの虫。俺の口の中でうねうねした。 あ~、俺の頭がアンパンで出来てたらなぁ…」
虫が口の中に入る事はたまにある。村の人々の殆どはそんな事があっても、すぐ別の話題に切り替える余裕があるのだ。
自分の頭がアンパンで出来ていない事を悔やむ大介。しかしこの村にはジャ〇おじさんどころかパン職人すらいない。したがって『自分の頭を食べる=死』となる。
「まぁいいや。家に帰ればじいちゃんが釣ってきた鮎が余ってるし、解凍して塩焼きにしよう」
「ごめんね大介、今度アイスキャンディー買ってあげるから」
「ホントに洋子ちゃん? 約束だよ?」
「じゃあ私は…」
「絵乃ちゃんはまだ二年生だからいいよ。ここは五年生の私に任せなさいっ!」
こうしてポテチ問題は解決したようだ。
「うわっ!」
バケツを覗き込む大介が驚いた。
「どうした?」
洋子が駆け寄り、絵乃もそれに続く。
「お魚さんが…」
絵乃はその光景ショックを受けた。
バケツの中で、大介が捕まえたコオニヤンマのヤゴが小魚を捕食しているのだ。尻尾をくわえられた小魚は血を吹き出しながら必死に逃れようとしている。しかしヤゴの顎は強く、一度捕らえた物はヤゴ自らが放さない限り逃げられない。
「すげぇ…」
大介はそれを唖然と観察している。
「お魚さん、可哀相」
絵乃は半泣きで見ていた。
「よく見ておくんだよ。私たちがいつも食べてる塩焼きとかお刺身だって、最初は生きてるのをさばくんだよ。私たちだって、お魚さんから大切な命を貰って、今こうやって元気に生きてるんだよ」
「そうだよね、じいちゃんが釣ってきた魚だって、昨日まで生きてた」
「命、貰ってる」
「そう、それに、さっき絵乃ちゃんと食べたポテチの材料になってるジャガイモだって、畑の土の中で生きてたんだよ」
「うん、ばぁちゃんがよく言ってる。畑の野菜だって生きてるんだよ、って」
村の大半の家の庭には畑があり、村の子供たちは野菜だって生きていると教えられているのだ。
「そう、だからね、『命』って自分だけのものじゃないんだよ。お父さんとお母さんから貰って、食べたり飲んだりしたものには運動するエネルギーを、家族とか友達とかペットには『絆』で心のエネルギーを貰うの。数え切れないくらい多いものに支えられてる、たったひとつの、すごく貴重で、生きてるだけでも奇跡なんだよ。それだけは大きくなっても忘れないでね」
「ヤゴも俺たちも、こうやって支えられて生きてるんだな」
ヤゴに捕食された小魚は、頭部だけ残り口をぱくぱくさせて、バケツの底に転がっていた。命の灯が少しずつ消え行く姿を三人は心のフィルムに焼き付けた。こうして消えた命はヤゴを成長させて、やがてトンボになって翼を広げ大空へ飛び立つことだろう。
その後、大介はヤゴや小魚たちを川へ逃がし、三人は村の集落へ戻りそれぞれの家に帰った。
◇◇◇
私が玄関の扉を開けると、おばあちゃんが出迎えてくれた。
「あら絵乃ちゃん、お帰りなさい。今日は洋子ちゃんと大介君と遊んでべかぁ?」
私は靴を脱ぎながら言う。
「うん、あっ、今日は夕ご飯いらない」
「あら、どうしてだべ? 今日は絵乃ちゃんが大好きなモロヘイヤもあるべよぉ?」
おばあちゃんは不思議そうな顔で私を見る。
「洋子ちゃんがね、みんな色んな命に支えられながら生きてるって言ってた。だからちょっとだけでも犠牲になるが少なくなれば、助かる命は多くなる。だから夕ご飯は食べたくないの」
命に感謝するために私が考えた事だった。
「じゃあな、絵乃ちゃん? もし絵乃が今夜のモロヘイヤさんを食べなかったら、どうなっちゃう?」
「食べられないで残っちゃう」
考える間でもない結果。
「そしたら、せっかく絵乃ちゃんのために命をくれたモロヘイヤさんは、誰を支える事も出来ねぇで棄てられて燃やされちまう。それってすげぇ可哀相だべぇ?」
「うん、可哀相」
「だべぇ、だからぁ、ちゃんと残さねぇで食べてあげるのが『ありがとう』の言葉の代わりになるんだべしたな?」
言われてみれば、おばあちゃんの言う通りだった。きっと洋子ちゃんもそう思ってると思う。
今日は『命』を深く考えた日だった。
それと、ノストラダムスが予言した、地球滅亡の日でもあった。結局、夜になっても隕石は堕ちてこなかった。地球の無事を確認した私は、二階の子供部屋で眠った。
◇◇◇
日付が変わり地球の無事を確認した深夜、喉が渇いて目が覚め、飲み物を飲みに一階の炊事場にある冷蔵庫へ向かうと、曇りガラスが嵌め込まれた木製の扉を挟んで隣の居間からお父さんとお母さんが内容は聞き取れないけれど、真剣な顔をして話し合っているのが聞こえてきた。