21,若気の至り
朝、始業時間三十分前の八時頃、山興小学校の一つしかない全学年合同の教室。下級生五人が居る中、絵乃は突然椅子から立ち上がり、教室全体に響く声を張り上げた。
「あのね、私、言わなきゃいけない事があるの!」
「おう、どうした?」
五年生の大介が返事した。
「あのね、言いにくい話なんだけど」
「あぁ、俺たちみんな仲間だ。遠慮せず言ってくれ」
大介の温かい言葉に絵乃はジンとした。
「ありがとう、実はね」
「実は?」
「私、一ヶ月以上生理が来ないのっ!」
教室にこだまする絵乃の生理来ない報告。三年生以下三人は頭の上に『?』マーク。
四年生の明日太は理解したものの、生理が一ヶ月以上来ないと何か変なの? という思考。
そんな中、五年生の大介はピンときた。
「って事は絵乃、もしかして」
「ええ、もしかして、うっ、急に吐き気が」
「おいおい、ちょっと待て、この前の授業で習った事を俺と一緒に実験したら成功しちゃったって言うのか?」
「ええ、大介が、あのドロッとした液体を注ぎ込んで掻き回したせいで!」
「いやいや、まだ俺のせいとは決まってないぜ。あの時アスタも一緒に実験したんだから!」
「えーっ!? もしかして昼ドラみたいなドロドロした事情に巻き込まれたのかな!?」
「二人のせいじゃないわ。私が軽率だったの」
妙な会話が繰り広げられるある意味ドラマチックな雰囲気の教室、そこへ割って入るようにある男女が訪れた。
「みんな、久しぶり&はじめまして!」
「どもっ!」
卒業生の浦佐洋子と渡辺真。洋子は中学三年生、真はその一つ上の高校一年生。
在校生たちは、なぜ卒業生が訪れたのか疑問だった。
「あら、久しぶりね、二人とも」
「絵乃ちゃん、元気してた?」
「絵乃は相変わらずおかっぱ頭の雪だるまだな」
「ええ、今も変わらず健康な雪肌精よ」
「セック、すせい?」
「真、変な事言わないのっ! せっきせいよ、雪肌に精し、精神の精って書いて雪肌精よ。化粧品でそういうのがあるの」
「え? 精子?」
「ち、違う! 違くないけど、精神よ。噛んじゃったのっ! もう、それにどうしてセック、なんて間違え方すんの!?」
「大丈夫よ、二人ともそういう年頃よね。洋子ちゃん、恥ずかしがらなくていいわよ」
「絵乃ちゃんまでからかわないで!」
盛んなお年頃の高校生と、ませた小学生のやりたい放題トーク。高校生二人は何しに来たんだ? そんな空気が漂う、学校を囲む森の中からカッコウの鳴き声が聞こえてくる爽やかな朝の教室。
「ショートで指通り良さそうな髪の洋子お姉さん!!」
日頃時間をかけて手入れしている髪を褒められた洋子は、気を良くして天使の笑顔で大介に振り返った。
「大介君、お上手ね。なぁにっかなぁ?」
真と絵乃にからかわれた直後の洋子にとって、それは嬉しくてたまらず、不気味なくらい満面の笑みだ。
すると大介は、床に膝を着き、洋子のスカートの中を覗き込むように土下座した。
「おっぱい揉ませて下さい!!」
空気が凍った。時間が止まったかのような沈黙と、大介に刺さる複数の冷たい視線。
スカート覗いてんのに揉ませて? パンツ見せてじゃなくて? という疑問と、こいつ、どうしてくれようか? という処分の行方の検討が洋子の中で交錯する。
「オハヨー、みんなお揃いね」
気が付けば朝のHRが始まる八時半。担任の秋子が教壇に立った。
「オハヨー先生、早速だけど、質問がありま~す!」
秋子に質問する事で、大介は洋子の蛇の目から免れた。
「おはよう大介君、もしかして先生のスリーサイズが気になるの?」
「いや、質問する必要性を感じないから遠慮しとくよ」
「フッ、どうせ私はオバサンですよ。洋子ちゃんのおっぱい触るなり吸うなり好きにすればいい」
「ちょっと!! それ先生が言う事!? っていうか聞いてたのね、さっきまでのやりとり」
「私はあなたの先生じゃあ~りませ~んわ!!」
小学五年生が発端で醜い争いをする十五歳と二十七歳。
「まぁまぁ、俺は秋子先生に興味がないと言ってるんじゃない、勿論、洋子ちゃんにも興味津々だ」
「えっ、そうなの? じゃあ、スリーサイズは興味ないけど、おっぱいは触りたいってやつ?」
「否!! いや、おっぱいは触りたいけど、スリーサイズは今更聞く必要などないのだよ先生、だって」
だって?
教室内の目線が大介に集中する。
「だって、先生が教卓で居眠りこいてる時に絵乃と一緒にスリーサイズ測ったから。ついでに二人でおっぱいも触らせてもらった」
「ええ、桜舞い散るゴールデンウイーク明けの事ね。私も将来、最低限あのくらいにはならなきゃって思ったわ」
「そういえば絵乃、気持ち悪いのは治まったか?」
「えぇ、うちでやったコーヒーとガムシロップを用いた沈澱実験、ついハマっちゃったわね。飲み過ぎで翌朝まで響くとは思わなかったわ」
「ええっ!? 実験ってそれ!?」
三人が行った実験とは、グラスにコーヒーを一杯に注ぎ、それにガムシロップを入れて、底に溜まるタイプと溜まらないタイプがあるかを確かめる実験をした。カップ五杯、五種類のガムシロップを試した結果、スリムアップシュガーと呼ばれるもののみが沈澱せず、コーヒーの中に満遍なく散らばったという。アスタと大介はコーヒーが苦手なため、絵乃は1リットル以上になる五杯全てを飲み干した。結果、翌日まで不快感が残ってしまったのだ。
「アスタ、どうした? 俺たち他に何をしたって言うんだ?」
「ふふっ、可愛いわね、だったらアスタ君が想像するような実験もしてみる?」
「大介君、絵乃ちゃん、私、先生として、それ以前に女性として二人に話さなきゃいけない事があるみたいね。放課後残ってね」
「残念、私、用事があるの」
「お、俺も用事が」
二人とも冷や汗ダラダラで拒む。
「大丈夫、すぐ終わるから」
「いえ、一刻を争うので」
「そ、そうそう」
聞き苦しい口実に、秋子は普段とは違う一面を見せた。
「ええから来いや自分ら!! あぁ!?」
「はい」
「うっ」
その時の秋子の表情は、一部の商店街やお祭りを陰で支える人の様だった。
「この二人は後でみっちり教育するとして、今日わざわざ二人に来てもらったのは解ってるわね?」
「いや、全く解らん」
「大介君みたいな事もあろうかと思って説明するわね。今日は一日授業を中止して、この村についてみんながどう思ってるか、遠い市街の高校に時間をかけて通ってる大介君と、これからその高校に行く洋子ちゃんにも聞きたかったの」
この村を潰してダムにする計画、それが実行に移るまでは時間はかかる。だが村人の間には既に亀裂が入り始めていた。ダム建設を承諾した人と、反対している人との関係は、子供たちの見えない所で確実に悪化している。
子供たちだってそれに気付いていない訳ではない。一見変わらないようで、以前とは違う空気を自ずから感じ取っていた。
そんな空気を感じながら育った真と洋子は高校生になり、独立する日が迫っている。村内には進学先も就職先もない。いずれにしろ時間をかけて村と市街の往復をほぼ毎日繰り返せざるを得なくなる。
「そんなん決まってんべした? 先生。事情があって引っ越したとしたって、故郷無くなったら淋しいっしょ」
「私も真と同じ意見だよ。例え将来引っ越して離ればなれになっても、ちっちゃい時からずっと一緒のみんなと共有出来る場所だから。それに、この村の人たち、あったかいじゃん。そんな人たちが、中にはお年寄りだって居るのに、それこそ私たちよりずっと長くここで過ごして来た人たちの故郷を潰すなんて残酷過ぎるよ」
山興村は、内陸部の山に囲まれた小さな村。村人たちには村を守りたいという思いと、絆という目に見えない心と心の繋がりがある。
その日の昼休み、大介は洋子から愛情たっぷりにぶっ叩かれ、更に放課後、秋子から絵乃と共に使用休止になっている理科室に呼び出された。すっかり日が暮れてアルコールランプの僅かな炎と人体模型が温かく見守る趣のある雰囲気の中、ありがたい指導を受けた。
「二人が大人になった時のために教えてあげる。ああいう話はみんなの前で堂々とするものじゃないの。こういうロマンチックな雰囲気の中で、二人だけの世界を共有するものなのよ」
アルコールランプの炎はロマンチックに見えなくもないが、背後の臓物丸出しの人体模型に見守られているのは、少々考えさせられるものがあった。
しかし二人は怒鳴られたり耳が痛くなって頭が重くなるような説教を覚悟していたので、その的外れなありがたいお話を納得したように相槌を打ちながら素直に聞いていたという。




