1,さくらさかなくてもいちねんせい
前作『いちにちひとつぶ』に出張させたあの人をメインにした、幼い少女が大人の階段をのぼってゆく物語です。
今日の私が在るのは、この村があったから。
消えてしまいたいと思う日も数知れずあったから。
まがい物の私を、愛してくれた人が居たから。
そのすべてが、私を優しく包み、育み、やがてすべてを抱きしめることが出来る時が来ると、教えてくれた。
◇◇◇
四方を山に囲まれた小さな村、山興村。春には透き通る雪解け水が小川、水路を流れる。水路から溢れた水は舗装されていない小道に新たな小川をつくる。そして道の端には無数のタンポポが咲き乱れ、フラワーロードが出来上がる。
夏、昼間には時間により様々なセミが鳴き、田んぼにはイナゴが飛び交い、鳥類やオニヤンマがグライダーの様に飛び交いそれを捕食する。夜はホタルが光り、コオロギやキリギリスが合唱する。
秋には稲穂がさらさらと心地良い音を奏で、真っ赤な蜻蛉たちが空いっぱいに飛び交う。夜長はマツムシやスズムシが郷愁を感じさせる。
そして冬は車が埋まる程のこんこんとした雪景色。この村は豪雪地なのだ。冬は家族で雪掻きしたり火燵に入ってテレビを見ながら隙間風が入る茶の間で、文字通りお茶を飲みながらミカンや駄菓子を食べる。
そんな平和で長閑な村に少女、腰越絵乃は暮らしていた。
◇◇◇
1997年4月、まだ雪が多く残り、桜も咲いていない春、絵乃は村の小さな小学校へ入学した。
全校生徒は絵乃を含めてたったの六人。山興小学校は木造平屋、約150坪の古い校舎で、校庭の面積は陸上競技の約400平方メートル。校庭の隅にはニワトリやウサギを飼っている飼育小屋があり、動物たちも生徒には含まれないがこの学校で共に暮らす仲間となっている。
周囲を木々に囲まれた森の中の学校は閉塞感はあるが、子供たちは自然に囲まれながら教養も心もすくすくと育つ。
この年の新入生は絵乃一人のみ。入学式は質素なもので、視聴覚室など空いている部屋で絵乃とその両親が校長をはじめ教職員と挨拶をしたり、必要書類を提出する程度だ。
この学校には体育館や講堂はない。なので雨の日は体育の授業は中止になり、教室で椅子取りゲームなど、適当な遊びをするのだ。
ちっぽけな入学式が終わると、早速の帰宅となる。
「絵乃、今日からキミの新しい人生がスタートだっ!」
絵乃の母が威勢良く言った。
「新しい人生? 私、生まれ変わったの?」
ずっと前から何変わらぬ日常。しかし、絵乃にとって小学校に入学したという変化は、自身の世界を一新させた。
脱皮したような、何年かぶりに初日の出を見て、今年は良い年になりそうなどと何となく思ってしまうような感覚。
今度は父が、ははっと笑って答える。
「そうだね、生まれ変わったかもね」
何故笑われたのか、絵乃には理解できなかった。こうして山奥の小さな小学校から絵乃の学生ライフがスタートした。
◇◇◇
翌朝、絵乃は四年生の浦佐洋子と一緒に登校する事になった。洋子の通学路の途中に腰越家があり、立ち寄ってもらう事になった。
つくしがあちこちににょきにょき立っている舗装されていない黄土色の土の道は、動物の糞が見事にカムフラージュしそうな色合いだ。路側帯の代わりに緑の草たちが、文字通りグリーンベルトとなっていって、車一台やっと通れる程の狭い道だが中央線だってある。それも草たちが織り成すものだ。車のタイヤに踏まれない所には草が生えるのだ。
草の上を軽く掠めるように蹴ってみると、さわっ、さわっ、と軽い音をたててすぐ消える。
ところが風が吹けば、ふさーっ、と辺りの草たちが一斉に靡く。秋になれば草たちは脇役。道を囲む田んぼの稲穂たちが、ざわーっ、さらさら~と、メインコーラスを奏で、より一層広大な大地を感じられる。絵乃たちにとって、それは当たり前の日常。時々、草を蹴り上げようとした時、足元にヘビが居て、牙を剥かれる事もたまにある。
「絵乃ちゃん、そろそろ桜が咲くね」
「うん、桜咲く前に一年生になっちゃった」
洋子が絵乃に言ったように、かつて洋子が一年生だった頃にも、周囲の人々からそんな事を言われたのは寒冷地ならではだ。
「桜はね、春のたった数週間だけ不思議な世界をみんなに見せるために、一年かけてピンク色の花を咲かせるエキスを木の中に貯めるんだよ。私の花で、みんなが素敵な一年を過ごせるように、って願いを込めてね!」
「へぇ、みんなのために一年頑張るんだね」
「そう、だから私も絵乃ちゃんも、桜さんに負けないように頑張ろうね!」
「うん! 桜咲くの楽しみになってきた」
これから絵乃たちには、頑張り過ぎなければならないほどの試練が待ち受けている事を本人たちは知る由もなく、今はまだ一部の者しか知らなかった。
昨年秋頃からちょくちょく執筆していた物語です。とはいえ第一回目のこの話は出来たてのものです。
色んなネタを用意していますので、これから絵乃の成長を見守ってやって下さいませ。