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噺の扉(短編集)

僕と母とあんこ

作者:

誰にでも嫌いなものを食べれるようになる瞬間…そういう瞬間があると思うのです。

僕は、あんこが大嫌いだった。

何故かと聞かれたら、特に理由はない。

ただ、甘いものが得意ではなかったのだ。

だから、好んであんこを食べる事もなかった。


しかし、僕と正反対な母。

母は、甘いものが好きだった。

そんな母が一番 好きだったのはあんこだった。

特に、家の近所の和菓子屋 江戸屋のあんこが大好きだった。

あんこを食べる時の母は、本当に幸せそうだった。


あんこを食べる時に必ず母は、僕にこう言った。


「こーちゃんは、あんこを食べないの?すごく美味しいよ。」


「僕は、要らない。甘いものは、嫌いなんだ。」


「あら、勿体ない。本当に美味しいのに。」


そう言いながら、母は、あんこを頬張る。

その姿を、僕は黙って見ていた。


月日が過ぎて、僕も大人になった。


いつの間にか、見上げていた筈の母をしっかりと見下ろしていた。


母は、相変わらず、甘いものが好きだった。

あんこも大好きだった。


僕は、変わらず甘いものは嫌いだった。

でも、あんこを美味しそうに頬張る母の姿を見るのは嫌いではなかった。



ある日突然、母が倒れた。

体調が悪いことを僕を含む家族に隠していたらしい。

だから誰一人、母の異変に気付かなかった。


医者の話だと、末期の癌で、母は長くはないらしい。


あんなに元気が良かったのに・・・・。

台所に向かう母、掃除機をかけながら鼻歌を唄う母、あんこを頬張る母…


色々な母の姿が思い浮かんでくる。

思い浮かぶ母は、いつも笑顔を浮かべていた。


病院のベッドで横になっている母は、頬がこけて少し痩せてしまっている。


すると、母はいきなり僕を見つめながらこう言った。


「こーちゃん、お母さん…江戸屋のあんこが食べたいなー」


「えっ? いきなり!?」


「母は、今さっき あんこが食べたくなったのだ!!」


「はい、はい。…あんこだね。分かった。じゃあ、買ってくるから。ちょっと、待ってて!」


母の返事を聞かずに、病室を飛び出した。


「………きてね!! …………だからね!」


何か母が叫んでいたような気がするが、戻った後に聞けばいいかと深くは考えなかった。


この時に、母の言葉をしっかり聞いておけば良かったと今では後悔している。


でも、その時の僕は、そのような事を考えてはおらず、出来るだけ早く母にあんこを届けたいという気持ちが先行していた。


病院から江戸屋まで自転車で10分…いや、頑張れば8分。


ポケットから自転車の鍵を取り出し、急いで乗り込んだ。


自転車に乗り込んでから、必死にペダルを漕いだ。


早く、母にあんこを届けなくてはという気持ちが僕を突き動かしていた。


後は、全く記憶にない。


自分でも知らない内に、江戸屋のあんこを片手に病室の前に来ていた。


「母さん、入るよー。 江戸屋のあんこ、買ってきたから。」


しかし、僕の言葉に、返事をしたのは母ではなかった。


「安西さん、息子の安西 幸太郎さんですか?」


「はい、そうですけど・・・。」


「残念ですが、お母様の寛子さんは…先程 御臨終になりました。」


「……………。嘘だ!!」


「いいえ、嘘ではありません。 先程、貴方が外出された直後に容態が急激に悪化して…そのままお亡くなりになられました。」


いきなり、母の死を突き付けられた僕は、目の前にいる医者の言葉が信じられなかった。


目の前の医者は、僕に悲しい現実を受け止めさせようと、


「残念ながら、嘘ではありません。」


と、目を伏せながら言った。


僕が頭の中で必死に否定している現実を、肯定してくる。


「信じたくない気持ちは、お察ししますが・・・お母様の傍に来て、最後のお別れをしてください。私達は、少し席を外させて頂きます。」


僕に向かって一礼した後に、病室を出ていった。


まだ、母の死を受け入れられない僕はあんこを片手に病室で独りで立ち尽くしていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数日後、無事に母の葬儀を終える事が出来、参列してくれた人達に挨拶をしていた時だった。


「こーちゃん!!」


僕の名前を呼んだ人物がいた。


その声に振り向くと、そこには母の親友のえつ子おばさんがいた。


「えつ子おばさん…母の葬儀に参列して下さりありがとうございました。」


えつ子おばさんに向かって、一礼すると


「いいのよ。 こーちゃんこそ、本当に辛いわよね。 私だって、いまだに、寛子が亡くなったのが信じられないの…」


えつ子おばさんは、ハンカチで真っ赤な目を何度も押さえた。


「僕だって、いまだに信じられないんです。 母は、ひょっこり あんこが食べたーいとか言って出てくるんじゃないかって・・・そう思っているんです。 亡くなった人が出てくる訳ないのに。」


「確かに、寛子ならありそうね。 だって、あんこが大好きだもの・・・。」


そう言ったえつ子おばさんの顔は、思い出を懐かしむような優しい笑顔だった。


「そうだ! あんこだ! 母さんに買ったあんこがあった。」


「えっ? あんこ?」


「そうなんです。 母さんは、亡くなる前に僕にあんこが食べたいから買ってきてって頼んだんです。」


「寛子の奴、どんだけあんこが好きなのよ…」


溜息をつきながら、呆れているえつ子おばさんを横目に、冷蔵庫に向かう。


「ちょっと、持ってきますね。母さんも食べたいって言ってたので。」


「そうね。 寛子にあげましょう。」


母にあんこを供えなくてはと思い、冷蔵庫の中からずっと入れっぱなしだったあんこを取り出した。


そのあんこを見てみると、あんこは、買ってから数日たっているのに、匂いもよく、そしてツヤツヤと光っていた。


「なんで、こんなに美味しそうに見えるんだろう?・・・」


そう、思った瞬間・・・僕の右手があんこを掬い、僕の口の中に勝手に放り込んでいた。


その姿を見ていたえつ子おばさんは、ただ僕を驚愕した表情で見つめていた。


「あれっ!? 思ったより、甘くないや…美味しい…」


「こーちゃん、あなた…甘いものが苦手なんじゃ…」


「確かに、甘いものは苦手です。 でも、このあんこは…」


あんこを持っている手に、ふと温かいぬくもりを感じた。


「こーちゃんの分のあんこも買ってきてね! !二人で食べると、もっともっと美味しいのだから!」


あんこを口に付けた母の姿が見え、声が聞こえた気がした。


気付いた時には、僕の頬を涙がつたっていた。

好きなものを大切な人と一緒に食べるということは、とても幸せな事ですよね。

この幸せが当たり前とは思わずに、大切な時間として過ごして行きたいです。

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