35-5 復活の大神官
目を覚ました時に彼女を迎えて包んでくれたのは、まるで母親であるかのような優しい笑顔だった。
「御母さん……」
「なあに? ジェシカちゃん」
ふと全身を包み込む、この季節の陽溜まりのような温かさ。
再び心地よい眠りに落ちようとして、彼女ははたと気がついた。
「ええーっ、マ、マリンシア様~!?」
ガバっと飛び起きたジェシカを、王妃様はそっと掌で押し止めて笑顔でまた寝かしつけた。
「うん、俺が応援で呼んできたんだ。
だって、こういう時に必要なのって、やっぱり御母さんでしょ」
俺がそう言うとジェシカは呆れたような顔をしていたが、大人しく再び布団の温さに身を任せる事にしたらしい。
「ねえ……アルさん。
御仕事の方はどうなったのかしら」
ジェシカは少し心配そうな声で訊いてくる。
「ジョリー」
「御意」
精霊の大神官は進み出ると、「えっへんっ!」というような感じで話しかける。
「アルバのロス大神官よ、日頃は大変に御苦労様だ。
仕事に関しては何も心配する事は無い。
すべて精霊魔王に丸投げしておいた。
彼には既に大神官魔王の称号がついている。
ファル様にも来ていただけているので、ゆっくりと休んでいなさい」
ジョリーに言われて気が付いた。
やだ、また変な称号がついている。
やたらと何かの役職を宣言するのも考え物だなあ。
「今は俺がここの責任者だ。
神殿の人事を刷新するぜ」
俺が黒い笑みを浮かべてニヤ~っとするのを見て苦笑するジェシカ。
「お、御手柔らかにね」
「とりあえず、神殿への女の子の連れ込みは禁止しておいた。
今後、神官見習いの女の子があいつらの餌食になる事は許可されない。
初代国王たる錬金魔王・船橋武と、この精霊魔王・井上隆裕の名においてな。
言う事が聞けないというのなら、神聖エリオン自らの御仕置きが待っている」
「あはははは。
やっぱりアルさんはアルさんだねえ。
船橋武って初代国王の本名だよね。
アルさん、本当の名前は井上隆裕っていうんだ。
稀人の国では、なんて呼ばれていたの?」
「タカ。
タカさんとか、親戚の叔父さん叔母さんにはタカ君って呼ばれていたな。
字は違うが、読みはここで言うところのアルフォンスの意味だ」
「じゃ、今度から公じゃない時はタカさんって呼ぶー」
なんだか安心したらしいジェシカは、いつものように朗らかな様子に戻り、安心して夢の住人に戻っていった。
今度は良い夢を見られるだろうか。
ミレーが俺を促して、外へと連れ出し哀願した。
「ジェシカの事、御願いね。
ずっとあの子と一緒にいたいの。
そして必ず幸せになってほしいの。
あの子の夢を叶えてあげて」
ミレーは俺にジェシカの夢を見せてくれた。
暗い子供の頃の夢だ。
それは目を背けたくなるような情景だったが、真摯な表情で俺を見つめる精霊達の前で、それは出来なかった。
ジェシカの願い。
それは「自分の家族を作る事」であった。
しかし、大神官は結婚する事など許されない。
大神官が美少女なのは客寄せの意味合いもある。
アイドルは結婚してはいけないのだ。
さて、どうするかな。
神殿の条文を書き加えてもいいし、ジェシカを引退させてもいいんだが、それもちょっとな。
神殿組織にとって俺は、仮の大司祭権限を持つ只の余所者に過ぎないのだ。
余計な波紋を引き起こすのは憚られる。
俺も、もう少しジェシカに大神官をしていてほしい。
あの呪われた糞鎧どもも、まだ健在なのだ。
この世界、突然何があるかわからんのだしなあ。
まあ、そこは困った時のエリオン頼み。
何かあった時はファルに一言何か言わせておこう。
少なくとも、ドワーフの国以外は大概の事はそれでなんとかなる。
ファルはトーヤの妹的存在なので、ドワーフの国では、それだけでファルの味方をしてくれそうだけど。
ドワーフにも顔馴染みで、女将さん、マリンシア様にもよく抱っこされているし。
親方もよく頭を撫でてくれている。
あと、ファルが鍛冶場に顔を出すと、火の精霊達が踊り狂い鍛冶場も熱狂する。
その熱がドワーフ達にも伝播して、酷いとパンデミックを起こして国中が鍛冶祭りの状態になる事すらある。
いつもの事といえば、それまでなのだが。
神聖エリオン自ら御利益を振りまきまくっているので、最近は「うちの国でもロスを拝んでみるか!」的なムードが、あの国にも生まれつつあるらしい。
とりあえず、午後の仕事をちゃっちゃと片付けて、わくわくする神殿の精霊達が見守る中で、ちょっとした儀式を行った。
俺とファルの前に呼びつけられたのは、痩せぎす神父、いや今は神殿本部勤務の痩せぎす神官か。
それと大司祭の子飼いであるロドリゲス。
後は当然の如く、元大司祭本人だ。
三人ともビクビクして、ファルの方をチラチラ見ながら俺と対峙している。
俺は、徐に糸電話を懐から取り出すと、片方をファルに持たせてしゃがんだ。
ぼそぼそと、いつものように指令を出す。
「お前ら、今日限りで全員クビね。はい、これ」
衝撃に身を包まれた三人を、次に絶望の衣が覆う。
そう言ってファルが手渡しにした紙には、こう書かれていた。
「はも~ん」
これを出されたら、もう如何なる宗教施設においても彼らを雇う事はできない。
もちろん、それはロス教だけに限らない。
世界中の全てのロス神殿あるいは精霊の駐留する他神教にまで以心伝心で情報が伝わり、そこから近隣の精霊のいない宗教施設に至るまで精霊の御使いが破門状を回すのだ。
この『破門状システム』は、かつて初代国王船橋武が作っておいたものらしい。
ええい、ヤクザの仕来りか!
千年も経った今では、もうなあなあで、あまり上手く運用されていなかったらしいのだが、千年越しの稀人リレーにより、そのシステムが正式に復活した。
最後に信奉する主神ロスの御使い神聖エリオン本人から手渡しで破門にしていただいたのだから、奴らも本望である事だろう。
そしてアルバのロス大神殿における『労働基準法』を、神聖エリオンの名において発令した。
毎週日曜日、つまりロスの日は大神官の休養日とする。
その代わり、ロスの日だけは神聖エリオンの御神籤を引ける日とする。
それには一年間有効な神聖エリオンの御利益がてんこ盛りに詰まっており、しかも毎月内容が異なる。
毎月これを引かないとライバルに負けてしまうのだ。
可愛い大神官に会いたければ平日にもやってきて御布施を払わないといけない。
主神ロスを祀る大神殿における地獄のぼったくり経営の始まりである。
だが後日検証された結果、この御神籤を引いた者と引かなかった者の、その末路の差の恐るべき内容に世界は震え上がったという。
この異世界アスベータにおける、神聖エリオンへの畏怖の念は更なる高まりをみせたのであった。




