35-4 夢見る大神官
ジェシカは夢を見ていた。
記憶にはないはずの小さな子供の頃を。
教会の孤児院には赤ちゃんの頃の記憶を持っていた子もいた。
生まれ出る瞬間を覚えている子もいた。
逆に幼少時の記憶があまりにも辛くて、自己防衛のために一切の記憶がない子もいた。
ジェシカもその口だった。
七歳より前の記憶は一切ない。
ジェシカは物心がついた時には、もう孤児院にいた。
彼女は小さな頃から不思議な物が視える体質だった。
ふらふらと宙を漂い、ポヨンポヨンと時折跳ねるように空中を転がっていく毛玉。
そいつは去り際に、に~っと口だけの笑顔を見せて、ふっと消えていく。
どこかの家の前に真っ青な顔をした寝巻き姿のような女の人が立っている事もあった。
裸足のまま無表情で、じっとこちらを見つめている。
まるで「お前は私の事が見えるの?」とでも言いたそうな顔だ。
怖いので、ジェシカはもうその辺りには行かなくなった。
孤児院の高い門の上に座っている小人を視る事もあった。
「ほら、見て。
小人さんがいるよ」
「なんだよ、何にもいないじゃないか。
この嘘吐き」
ジェシカがそれを指で指しても、それらの怪異は他の子には見えないので嘘吐き呼ばわりされた。
孤児院の人達も薄気味悪そうな顔をして、ジェシカに虚言癖があると決め付けた。
他の子から苛められる事も多くなった。
寂しそうに隅っこでうずくまっていると、そこへ遊びに来てくれる者達もいた。
それは可愛い猫のような生き物だった。
ただし、虹色の瞳を輝かせ、薄い妖精のような羽根を生やしていたのだが。
あるいは、くるくると宙を回って悪戯そうな顔で笑う鬼火や、愛らしい縫いぐるみのようなキャタピラーなど。
ジェシカはその子達にいつも話しかけていたので、ますます皆から気味悪がられた。
「嘘吐きジェシカ」
「ぶつぶつ女」
「悪魔つき」
悪口しか言われたことがない。
子供の頃から美貌は光っていたが、それはジェシカにとって助けになった事は一度もなかった。
街でも悪い噂が流れていて、歩いていたら石を投げつけられた事もあった。
すれ違いざまに唾を吐きかけられた事もあったし、街の子供達に髪を引っ張られたり叩かれたりという被害に遭う事もあった。
そんな時に、傍にいた者達が反撃に出る事があった。
まるで見えない手に持ち上げられたかのように相手の子供が空中に浮かび上がったり、信じがたいほどの怒気を浴びせられて失禁してしまったりという事が起きた。
また、薄気味悪い唸り声が、まるで直接頭の中に聞こえてくるように感じる事もあった。
街の人は震え上がり、あの娘を街から出すようにと、何度ともなく教会に詰めかけた。
そんな時は、いつも埃と蜘蛛の巣でいっぱいの屋根裏で膝を抱えて蹲るのが常であった。
そんな事があった後には、必ず神父様が声をかけてくれて、にこにこと優しく笑いながら頭を撫でてくれた。
今でもケモミミ園で園長先生が子供の頭を撫でているのを見ると、ほんのりと心が温かくなるのを覚えるのだ。
やがて、その優しい神父様は違う教会へと飛ばされていった。
そして代わりにやってきたのは、痩せぎすで目付きの良くない神父だった。
いつも神殿の顔色ばかり窺っていて、出世欲に憑りつかれた男だった。
神父が赴任してから初めて街の人が来た時に彼は約束した。
「わかりました、皆さん。
この子は早々にここから出す事をお約束します。
今日のところは御引取りを」
そしてジェシカに向かってこう言い放った。
「この疫病神め。
俺の出世の邪魔はさせないぞ。
お前をどうするかは既に決めてある」
神父は下卑た笑いを浮かべ、淫靡ともいえる目付きでジェシカを眺め回した。
ジェシカは怖気を震い、なんだか恐ろしくなってしまい、その夜のうちに教会を抜け出そうとしたのだが孤児院の人に見つかってしまって、それは叶わなかった。
そして翌日には神殿から迎えが来た。
ジェシカが九歳の時であった。
そして連れていかれたのは神殿本部。
大司祭の前に引き出され、震え上がるジェシカ。
その人は恐ろしかった。
一目見て、それが理解できた。
この人は女の子に酷い事をする人だと。
その思いを裏付けるように、大司祭は上から下までジェシカを舐めるように眺め回し、その視線が足の付け根あたりでねっとりと絡みつくのを感じ、全身が震えた。
(嫌だ、嫌だ、こんなのは絶対に嫌。
誰か助けて)
(大丈夫よ。私達はここにいるわ。
あなたに対して、あんな奴なんかに指一本触らせるものですか)
(ああ、ミレー。いてくれたのね)
思わずジェシカは涙ぐんでしまった。
ミレーは孤児院でもいつもずっと彼女を見守り、一緒についてくれていた精霊なのだ。
他の精霊は言葉を発しなかったが、彼女だけは人の言語を操った。
高位の精霊なのだろう。
街でジェシカが受ける度重なる仕打ちに怒り狂って暴れそうな精霊達を諌めて、軽い御仕置きに止めさせてくれたのも彼女の計らいであった。
ミレーが傍にいてくれるだけで心強かった。
そしてジェシカはアルバ大神殿へ連れて行かれた。
そこには当代の大神官の女性がいた。
「大司祭殿、また見習いの女の子を連れてきたのですか?
毎度毎度、御手数をおかけいたしますね」
嫌味を隠す気も無い口調で、彼女は無表情に言った。
(このエロジジイが!
そうやって女の子を連れてきては、ものにならないと難癖つけて連れ帰り、自分達のベッドへと連れ込んで!
さっさと死ねばいいのに、この小児性愛の変態ジジイが)
御丁寧な事に神殿の精霊が、こっそりと彼女の思考をジェシカに伝えてウインクしてきた。
そいつは丸い玉のようなボディの表面に妙にリアルな感じの、それでいてユーモラスな顔があり、その両側から逞しい二本の腕が生えている。
(宜しくね~、ジェシカちゃん)
思わず破顔するるジェシカ。
それに気付き、ジロっと精霊に向かって睨み付ける大神官。
だが、そんな物はどこ吹く風~と、大司祭の頭の上で御道化た表情をしてリズミカルに髪の毛を毟り取る仕草を大神官に見せ付ける件の精霊。
(ぷふうーっ! よしなさいってアラン‼)
大司祭の前で、もう少しで「ぶひゃひゃひゃひゃー」などとやってしまいそうで、頬を膨らませ息を止めてこらえる大神官。
彼女の立場としては、このジジイだけは絶対に怒らせてしまうわけにはいかないのだ。
そして、それに対して、やや不信そうな表情で物問いたげな視線を向ける大司祭。
その様を見て、声を出さずにくすくす笑いを見せるジェシカ。
それを横目に見つつ微笑みながら、その大神官は言った。
「では大司祭様、この子の事は確かに御預かりいたしましたわ」
満足気に立ち去る老人の後姿に向かって、「いーっ」をする二人。
仕草がハモってしまった二人は、思わず顔を見合わせて爆笑した。
やれやれと言いたげな神官達を尻目に、大神官は相手の目線の位置へと降りるため、その場にしゃがみ込んだ。
「大変だったわね、ジェシカ。
私はレーナ、ここの責任者である大神官よ。
頑張りなさい。
見習いから神官の立場に上がれば、あいつのベッドへ行かなくて済むわ。
あなた、精霊が視えるのね。
才能あるわよ」
かつては自分もその対象の一人だったのだ。
大神官に選ばれたため、災禍は免れたのであったが。
レーナも新しく寄越される子供に対しては、あれこれと思う事頻りなのだ。
「視えていてもいいの?」
「ここではね!」
そう言ってウインクする、若干十五歳にして輝かんばかりの美貌に溢れる大神官レーナ。
「そうか、いいのか……じゃあ、みんな!
宜しくねー」
「「「「「「ウイーッス」」」」」」
この厳かな空間にまったく似合わない、気合の入りまくった返事が強烈に木霊した。
そう思うや否や、あっという間に大神殿の天井の高いホールは、顕現した精霊の渦に埋めつくされた。
「「「ファ!?」」」
仰天する神殿関係者達。
「キャハハハハ」
ジェシカの甲高い笑い声だけが、それに答えた。
何年ぶりなのだろう。
こんな感じに年頃の子供相応の大きな笑い声を上げたのは。
「ジェシカ、ジェシカ、待っていたよ」
「おおジェシカ、ついに君は来た」
「嬉しいわ、ああ私のジェシカ」
「何を言う、僕のジェシカに決まっているさ」
「こ、これは!」
さしもの大神官レーナも、この有様には目を白黒させるばかり。
「レーナ様、い、いかがいたしましょうか」
ここでレーナのサブを務める、レーナへの御目付け役である大司祭付きの神官が狼狽えながら訊く。
大司祭からは、早めにあの子を自分のところへ寄越すようにと耳打ちされていたのだ。
だがレーナは意地悪く彼に訊き返した。
「あら、ロドリゲスさんはどうお考えなのかしら?
この稀代の才能を持つ神官見習いの子の扱いについて」
「そ、それは……わ、私には、なんとも」
だらだらと流れ落ちる汗をひたすら拭き上げながら、どもった返事を返す大司祭の犬。
「では、この子は本日付けにて神官見習いより正式な神官とする。
更に私の跡を継ぐ次代の大神官候補とする。
皆の者、異存はないな!」
ズラっと並んだ強面の精霊が、にーーっと恐ろしい笑いを作り、取り囲んだ大司祭の犬に向かって歯を剥き出した。
彼らに睨まれ、ビビって今にも失禁しそうな神官ロドリゲス。
その中で、乱舞する精霊達に囲まれて青いスカイドラゴンに跨って空中散歩を楽しみ、歓声を上げる新入りの幼い神官の姿だけが華やいでいた。




