32-2 逝かないで
俺は長く沈黙を保った。
自分の俯いた顔から小雨が降っていた。
少し体が震えていたかもしれない。
そんな俺の頭を、優しい、少し存在が希薄な感じの手がそっと撫でた。
のろのろと顔を上げた俺の顔を優しさの塊のような微笑で包むようにして、真理は穏やかな表情で言った。
「園長先生。
もう、お別れなのね。
短い間だったけれども楽しかったわ」
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
駄々っ子のような顔で、その言葉の受け取りを拒否する俺に、真理は少し困った顔をして矛先を変えた。
「アルス。園長先生を御願いね」
「真理、そんな遺言みたいに言うなよ!
『私があなたの家族になってあげるわ』って言ってくれたじゃないか!」
たとえ人間じゃなくったって、お前は俺の家族だ。
元の世界にだって、もう俺の家族は誰もいない。
どこの世界を捜しても、今は一人っきりしかいない大事な……。
「わかった……」
言葉短く、若くして多くの世の中を見てきただろうSランクの戦士が答えた。
「アルス!」
真理はもう何も言わない。
いや言えない状態なのかもしれない。
俺は、やにわに立ち上がると叫んだ。
「アルス、真理を頼む!
今から御山へ行ってくる」
その場で瞬時に転移魔法で転移し、俺は聖山へと向かった。
「バルドーース!!」
俺は竜の御山に着く早々、普段は決して出さないようなドラ声を絞り出していた。
心なしか情けない、縋るような叫びになっていくのを止められない。
幻想的なほどに神々しく聳える幽谷にて幾重にも響き渡るそれは、スポンジが水を吸い込むかの如く山肌に吸い込まれていった。
「どうした、アルフォンス。
そんな声を上げて。
お前らしくもない」
鍛錬中だったとみえる、着物の上半身をはだけた竜が後ろから声をかけてきた。
「真理が! 真理が……」
呂律が回らなくて、上手く喋れない俺の様子から、彼女の盟友たるバルドスはそれだけで事情を察したようだ。
「そうか。
ついに来るべき時が来たようだのう……」
爺は踵を返すと、軽く片手でついてこいという素振りを示し、茶室の方へと先に立った。
「落ち着いたかの?」
俺は爺が点ててくれた茶を啜り、無言で老竜と向かい合っていた。
「教えてくれ、バルドス。
俺はどうしたらいいのか」
彼は静かに茶を啜ると、千年の昔を想うように宙を見つめながら静かに語り出した。
「初代国王船橋武はな、今際の際にこう言っておった。
『この子は、真理は、俺の最高傑作だ。
だが、いつかは寿命がくる。
いかなる形であれ、生きて間断なく動き続けているのだからね。
それは結構先の話だとは思うがね。
あんたとあの子と、一体どっちが先に相手を見送る事になるかな。
はっはっはっ』
とな」
武、てめえ。
笑いごっちゃねえんだよ。
バルドス。
早く、話の続きを!
その焦りを眷属として張り付けた俺の顔を見て、爺は話を急いだ。
『メンテナンスは必要だが、これほどの魔導ホムンクルスの整備が出来る人間など、私以外にはおそらくいまい。
何しろ構造があまりにも複雑過ぎる。
もし、お前の生きている間に活動限界が来たならば、お前が見送ってやってくれ。
我が盟友、白銀竜バルドスよ』
それが、船橋武がバルドスに残した遺言だった。
「だが、それだけじゃあるまい?
あいつの事だ。
きっとまだ続きがあるはず。
ある程度の対処法はあんたに残していったはずだ!」
俺はセブンスセンスで確信していた。
その対処法の存在を。
わかるな。
理屈でなくわかる。
それが確信の力、セブンスセンス。
「うむ。
奴はこうも言っていた。
『気休めかもしれないが、【エリクサー】を使えば真理の延命は可能かもしれない。
あれは、とうとう俺にも作れなかった。
レシピは宝物殿に残してある。
だが、あくまで想定されるレシピだ。
あれこれと必要な物が足りなくて、実際に作れたわけじゃないからな。
それなりに研究して作成したレシピなので、材料や触媒さえ揃えば、あれでいけるはずなのだが。
ま、なんにせよ気休めだ』
アルよ、アルバ王宮の宝物殿に行くがよい。
お前ならば、もしかしたら作る事が可能か」
俺は、その場で転移した。
かつての、真理及びその造物主の盟友たる言葉を途中でぶつ切りにして。
「陛下~」
俺は謁見室の扉を、ぶち破らんばかりに開け放った。
扉を守っていた衛兵がおろおろして、どうしたらいいのかわからなくて、俺と国王陛下を交互に見やっていた。
折りしも国王陛下は、外国の大使と謁見の真っ最中であった。
俺は誰憚る事無く、ズカズカと謁見の場へと押しかけた。
「どうしたアル。
控えぬか。
大使殿に御無礼だぞ」
相手の手前もあり口ではそう諌めるが、俺の只事ではない様子に国王陛下も焦っているようだった。
もしや、また危機的な何かが、と。
「真理が寿命で……消えて……しまいそうです」
俺の情けない、無理やり絞り出すような声に国王陛下は目を瞑り、そして間髪入れずに訊いてくれた。
「わかった。
儂は何をしてやればよい」
「宝物庫の入室許可を。
そしてある物のレシピをいただきたい。
陛下、少し御耳を拝借」
俺は国王陛下に近づいて、そっとその耳元で囁いた。
エリクサーと。
陛下も驚いたようだったが、思わず頭をこちらへ向けて見つめ、俺の眼の真剣さに打たれたものか、静かに頷いてくれた。
「わかった、そのように取り計ろう。
ケインズ」
「はっ」
背後に控えていた護衛の内の一人である、ごつい体躯を誇る髭面の騎士団長が玉座の後ろから歩み出る。
「聞いておったな?」
「かしこまりました。
グランバースト卿、どうぞこちらへ」
この人って、あんな内緒話が聞こえる人であったものらしい。
地獄耳か。
やはり王国の騎士団長って只者じゃないんだなあ。
「いや、あなたの只ならぬ様子に何事が起きたかと思いましたよ。
また、危険過ぎる何かが攻めてきたのかと」
「攻めてきたさ、天使の軍勢がな」
俺は、天の御迎えなんかに俺の大切な家族を渡すつもりはない。
それから宝物殿の『奥の院』へと案内された。
魔導のギミックに隠された地下室にそれはあった。
宝物庫に、こんな場所があったのか。
さしずめ一見さん御断りっていうところかな。
そこには厳重な扉で遮られた、たくさんの小部屋が並んでいた。
そして、そのうちの一つへと騎士団の大将が誘ってくれた。
そこにあった古い羊皮紙にインクで刻まれていた物を魔法PCで写しとった。
状態保存の魔法がしっかりとかけられており、それは明確に内容を記録してくれていた。
俺は奇跡の霊薬エリクサーのレシピを手に入れた。




