32-1 青天の霹靂
その日は朝から爽やかな風に吹かれ、大変に気持ちのいい朝であった。
ケモミミ園で暮らす人達は快適な一日を予想し、真理の心も晴れやかだった。
今日もまた楽しい暮らしが始まる。
そう信じて疑わなかった。
当の本人でさえ。
だが、それは突然に始まった。
朝御飯の後で立ち上がった真理は、何か立ち眩みのようなものを覚えた。
今までに、かつて覚えのないような感覚に、戸惑いを覚えながらも立ちあがろうとしたが、それは許されなかった。
真理は椅子の背に摑まり立ち、そのまま糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
◆◇◆◇◆
「真理!」
その突然引き起こされた事態に驚いて、皆も駆け寄った。
真理が目を覚ました時には、ベッドの脇で子供達の心配そうなミミがたくさん揺れていた。
特に真理が拾ってきた子供達の。
この子達にとっては、大切な『真理御母さん』なのだから。
「真理? どうしたんだ。
お前がこんな風に倒れるなんて、只事じゃなさそうだが」
俺は、とても嫌な予感に重苦しい声を出した。
胸の奥が潰れそうな、この感覚。
絶対にただ事ではない。
これは通常のESPの感覚によるものだ。
セブンスセンスのそれとは違う、何かを感じているもの。
セブンスセンスの力は、もしかしたら一種のタイムレスな超演算力のようなものではないかとも考えている。
「この世界の全てを、揺れ続ける時間軸の中の現在過去未来に至るまで、その事象の全てをわかっている『者』が計算し尽くして報せてくれるような何か」だ。
ESPとは異なり、あれは通常の生物的な説明ではありえないものだ。
本来は「第七の感覚」と呼ぶのとは少し違う内容の物なのだと思う。
あれは能力でもなんでもない物なのだ。
そもそも、あれは本来は物ではなく『者』なのだしな。
他に適切な呼び方が無いので、便宜的にセブンスセンスと呼んでいるだけなのだ。
それをもたらしている存在が何かはわかっているのだが、それがどうやってああいう超常的な能力を発揮しているのかが、まったくわからない。
古代から在る、狩る者と狩られる者の関係。
狩られる者は食われないために、狩る者は体力と狩りの成功率を測るための天秤。
髪一筋でも、その判断を誤れば、いずれも死に辿り着く。
『あいつ』が利用しているかもしれないシステム的な物にのみ関していえば、恐らくはカンブリア紀あたりの激しい生存競争の中で急速に生物の中に発達したものではないか。
生き残った者だけが身につけ、子孫に、そして進化の末に俺達「人」にも伝えただろう能力。
右へ行くか、左へ行くか。
追うか諦めるか。
逃げるか、立ち向かうか。
0か1の選択。
生き残って子孫にその結果を伝えるか、遺伝子ごと捕食者に食われて消えてしまうか。
何億回も、あるいはもっと多くのサンプルの中で培われてきた理。
繰り返した結果を、只の一度もミスらずに生き残ったものだけが螺旋の中に情報や経験を伝える事が出来、その繰り返しで継がれてきた兆も京もの積み重ね。
だがそれとは異なる、未来から流れてくるなんらかの情報。
なんらかのメディアを通して読み取っている感覚。
そう、タイタニック号の沈没を事前に多くの人が夢に見たような、あの時空を越える情報の逆流もまた世界のシステムの中にはあるのかもしれない。
セブンスセンスという『者』が、時に未来予知のような力を発揮するのは、まるでテレビ電波のように垂れ流されている未来からくる情報を元に、超演算処理してテレビで受信するように無理矢理脳内で情報を再現しているのではないか?
そんな風にも疑っていた。
俺の魔法PCは、セブンスセンスがPCの体裁をとっているだけなのかもしれない。
元々は、あの真っ白な霧の中の特別な時間の中で『あいつ』が作ってくれたものなのだから。
今まであまり深くは考えたりはしなかったが、それはセブンスセンスと出会った三十年前からの堂々巡りの思考なのであった。
人は皆、使っているPCの中身やソフトを構成する0と1の羅列の書き順などに興味を示さないものだ。
あれは未来予知というものとは、少し『ずれた』感覚である感じがしていた。
人は全て、未来からの情報を手にする事が出来るアンテナだ。
だが、それを映すテレビを持っているのは、ほんの一部の人だけ。
そういう特別な人を人は超能力者と呼ぶのかもしれない。
俺も、そんな特別なものは持っていない。
人間ならば誰でも持っているESPという物に関して、俺は完全に常人の範疇に入り、超能力者というカテゴリーには生涯無縁の人間だ。
ごく稀に未来を、例えば視覚的に視る事が出来るくらいだ。
俺のESPは人並みでしかない。
その多くは追い詰められて切羽詰ったような時にしか発動しない。
俺の場合は、パソコンで無理やりテレビと同じ情報をデータから合成して作り出しているだけの気がする。
それなら、あのような微妙に予知能力とは違うという感覚も理解できる。
だが今感じているのは、日頃慣れ親しんだセブンスセンスとは明らかに異なる、体の奥底に捻じり込まれるような、強烈無比な予知予感であった。
これは滅多な事では俺に起きないだろう、完全で強烈なESPの感覚。
これから親が死ぬという事を、理屈では理解出来ないような予感で察知するとでもいうようなレベルの何かだ。
まるで御暇乞いの予感のような。
御暇乞いなら、親父の時にやられたので強烈に体験させていただいた。
御袋が死んだ時も、へたりこんでいた御袋を見ただけで肉親の死を感じ取って顔色が変わるのを感じた。
それは戦争の最終局面に突き付けられる、最後通牒のように俺の胸を握り潰した。
そんな俺の顔を見て、子供達が凄く不安な気持ちになっているようだ。
いけない、俺は園長先生なんだった。
だが無理やり笑顔を作ったので、酷く凄惨な笑いになってしまったような気がした。
その俺の無様さを見て、苦しそうに真理が笑う。
「もう。
園長先生ったら、なんて顔をしているの?
まるで本物の魔王みたいよ。
しょうがないわねえ」
そう言って真理は、無理やりに持ち上げた半ば震える手で俺の顔を力なく撫でた。
そしてアルスが葵ちゃん達に何かを耳打ちしている。
「さあさあ、みんな!
真理御母さんの事は園長先生に任せて、みんなは御勉強しようか~。
今日は特別な、絵細工の教材があるよ~」
葵ちゃんに急かされて、子供達はこちらを振り返りながらも教室へと移動していった。
「アルス?」
少し沈黙した後に、若きSランクの冒険者は……重い口を開いた。
「園長先生。
そして真理さんも。
落ち着いて聞いてね。
もしかすると、真理さんは存在が消えかかっているのかもしれない」
アルス、アルス、お前一体……何を言っているんだ?
気が付くと、俺は床の上に両膝を着いて真っ青な顔でベッドに震える手で摑まり、かろうじて姿勢を保っていた。
「今の真理さんを見ていると、まるで消えかかっている魔法を見ているかのように錯覚する。
確か、真理さんは魔法の塊というか、魔法そのもののような存在なんだよね?」
俺は直感に優れた歴戦のSランク冒険者の感慨に、稲妻で頭を殴られたかのように衝撃を受けた。
頭の中を、今度こそ正真正銘のセブンスセンスによる感覚が、白抜きの二重鍵括弧で囲まれた文字列として衝撃と共に駆け抜けた。
『メンテナンス』
真理は、真理は……。
俺は震える思考を無理やり纏め上げ、結論を出した。
真理は魔法錬金術によって作り出された芸術品だ。
だが、いつまでも順調に稼働し続けられる代物ではないのだ。
複雑極まる構造の魔法の塊のような物が、まるで生きているかのように動き続けているのだから。
千年もの永い間ノーメンテナンスで動いてきた魔導人形。
それでも、やはり耐久限界はあった……ものらしい。
俺は集中し、真理をもう一度解析してみた。
「魔導ホムンクルス。
整備不良状態。
耐久限界到達。
完全消滅まで一週間以内。
要・緊急メンテナンス」
もう一度、耳を劈くような稲妻が俺の脳天に舞い降りた。




