31-1 救援されし者
私の名はツェペリ。
旅の詩人だ。
世を流離い、たゆたう雲のように流れる、言葉の旅人だ。
今日もアルバトロスと呼ばれる古き魔道の国を放浪している。
稀人が建国したと伝えられる神秘の国だ。
ああ、稀人!
なんという素敵な響きか。
一度でいい、実際に彼らと相見えてみたいものだ。
そんな思いから、かつて初代国王が稀人であったという伝説の、この国へやってきたわけなのであるが……私はもう駄目かもしれない。
路に迷って彷徨い、もう三日も何も食べていなくて、つい口にしたキノコが致命傷になったようだ。
意識も薄らいできた。
ああ、何かが近づいてくる。
おお、何という事だ。
それは魔物のようだ。
しかも複数の。
そうか、私はこれまで幾多の命を頂いて生きながらえてきた。
今度は私が捧げる番がきたのだな。
さあ、せめて美味しく食べておくれ。
それが私の最後の思考だった。
暖かい。
そして、いい匂いがする。
私は思わず飛び起きた。
だが、私の目の前にいたものはなんと魔物のゴブリンだった。
しかも三体もいた。
驚愕に固まってしまった私。
だが……。
「そんなに急に動いてはいけません。
ああ、心配しないで。
私達は魔物ですが、あなたに危害を加えたりはしないから。
さあ、このスープを飲んで」
そう言って、彼は私に木で作った皿とスプーンを手渡した。
人の言葉を喋るゴブリン。
一瞬、先程とはまた異なる驚きに固まってしまったが、それよりも、もっと私を驚かせたものがあった。
私は倒れるほどの空腹であったけれど、その食器の意匠の素晴らしさに、つい見惚れてしまった。
スプーンには動植物を模した簡略化された模様が精密に刻まれてすらいた。
ふと、自分が寝かされている寝床を見た。
それは草を編んだと思われる、粗末だが芸術的な「布団」だった。
寝床の下にも、ふかふかで香りのよい干草のベッドが敷かれていて、とても気持ちがいい。
これは一体どうした事か。
出されたスープを一口、口に含み、私は目を見開いた。
美味い。
弱った体に染み込んでくる栄養滋養が魂を嵐のように揺さぶる。
なんというか、その滋味が脳天を突き上げ、全身を雷のように貫いた。
私は目を見開いたまま、石像のように固まってしまった。
「スープが御口に合わなかったですか?
人と私達では味覚が違うかもしれない。
食べている物は、そう変わらないと思うのですが」
それもまた衝撃だ。
人と変わらぬ物を食し、この究極の味に仕上げる魔物達。
彼らの事を知らぬ人々は、私の言う事などまったく信じてくれないだろう。
「いえ、あまりに美味しくて。
あなた達が私を助けてくれたのか。
ありがとう。
だが魔物である君達が、何故人である私を助けてくれる?
人はあなた達を狩るものなのに」
だが、その茶色をした優しい生き物はこう言ったのだ。
「困っている人間を見たら助ける。
それが私達の基本方針です。
その昔、私達を救ってくれた素晴らしい人もいたから。
それは黒髪と黒い目をした英雄」
私は衝撃に身を焼かれる思いだった。
それは……それこそは!
涙が、熱い涙が頬を濡らし、布団を潤すのを止める事が出来なかった。
それこそが、私が心の底から求めていた伝説の漢の物語。
「ど、どうされたのです?
まだ、どこか痛むのですか?」
その茶色の、おせっかいで御人好しな生き物は私の様子に大慌てだった。
「いえ、違うのです。
私の魂が求めてやまなかったものに、こんな形で出会えたなんて。
御願いです。
その英雄の御話を、どうか私に」
彼は驚いたような顔で私の眼を覗き込んだが、静かにこう言ってくれた。
「今は栄養を取って御休みなさい。
そして想像しなさい。
彼の事を。
それから物語を創造しなさい。
体の奥底から、スピリット(精霊)のもたらす、魂の根底に淀み溢れる言葉を感じなさい」
私は彼の言葉をよく噛み締めながら、夢中でスープを頬張り、ミルクとパンをいただいた。
パンはボソボソとしてはいたが滋養に溢れ、一口ごとに私に生きる力を与えてくれた。
だが私は、ふと疑問に思った。
「一体、このミルクをどこから?」
「ああ、魔物のミルクですよ。
あなた方の言うところのウシによく似たものです」
凄い。
人の世でもウシなどを飼っている人はいない。
ウシとは、こんなにも美味い乳を出すものなのか?
我々はヤギを飼ったり、遊牧民が羊や馬の乳を利用したりするのがせいぜいなのに。
「こんな美味いミルクは初めてです」
「ああ、これは煮立たせないようにして、ゆっくりと三十分ほどかけて煮るのです。
分という時間の概念は、稀人である彼がこの世界に持ち込んだものです。
彼は腕時計という機械を、別の世界から持ってきました」
それを聞いて私は思わず固まってしまった。
私に降り注ぐ衝撃は、決して止む事が許されないようだ。
「我々は時を砂時計で測っています。
彼は、砂時計の砂を測る計量カップをいくつか石で作ってくれて、更にそれを正確に作り直すためのスケールという物を残してくれました。
我々はそれを代々精密に作り直しながら残し、後世に伝えてきたのです」
なんという衝撃……私は言葉を喪失した。
「さあ、少し御休みなさい。
あなたは大変御疲れのようだ」
そう言って彼は、優しく私に布団を被せて微笑みかけてくれた。
ああ、今までに見たことも無いような、慈愛に満ちたゴブリンの微笑み!
私は自分の表現の拙さに身悶えしつつ、闇の世界へと墜ちていった。
目が覚めたら朝であった。
私はふらふらと身を起こしながら立ち上がろうとした。
「ああっ!
まだ身を起こしてはいけません。
******!」
彼女は(喋り方や仕草から、女性であることがわかった)夫君を呼んでいるようだ。
その固有名詞は、彼らの言葉というか発音なので、人である私には理解できない。
「ああ、もう少し休んでいてください。
すぐに朝食の用意をさせましょう」
私は彼女の忠告に、素直に従うことにした。
命を失う寸前まで弱っていたのだ。
ゴブリンのもてなしを受ける事が出来なければ、私は大地の糧と成り果てていただろう。
彼らが、もし私の骸を見つけたのであれば、丁重に弔ってくれただろうか。
私は自分がまだ生きている事を偉大なるロスに感謝し、彼らゴブリンを救った伝説の大英雄に思いを馳せた。




