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クライノート短編集

風待ちの刻

作者: 秋桜

 どれほどの時を、私はここで過ごしてきたのだろう。


 何年、何十年、いや何百年かもしれない。

 来訪者が動物と風しかいないこの祠では、時の流れは意味を成さない。ただ昼と夜の繰返しをじっと眺めるばかりだ。

 ……もっとも、例えこの場所でなくとも、たった一つの使命以外全てを失っている私には、過去も未来もどうでもよいことに変わりはないのだが。

 石の階段に腰掛け、傍らに置いた短剣を手に取った。鞘から抜くと、片刃の剣は日の光を浴びキラキラと煌めいた。

 その刃の根元に掘られた文字を、そっと指でなぞった。


 ファウシル=セグフィード。これが私の名で、それと同時に、私が生きてきた過去が確かに存在することを証明する唯一のものだった。





 いくら記憶を辿ろうとも、行き着く先は闇の中。ただ一つだけ、真っ白な部屋の中で、銀とも白ともとれる髪の男が話しかけてきたことは覚えている。

 私のいた国の王だという男は、私がある魔法を施されていると語った。私がそれを自ら望んだということも。

 《時封の法》。それは、その国に伝わる禁呪。肉体の時を止め、半永久的に生きることを可能にする術だ。しかし被術者は代償としてすべての記憶を喪失するという。

 術を受けた私は風の祠――今いるこの地――の守人をするよう命じられた。世界に満ちる力を凝縮して生まれた宝玉〈エレメント〉を守るために。世界を守るために。それが、私が術を受けることを望んだ理由だった。


 なぜかつての私はそこまでして世界を守りたかったのだろうか。記憶を失った私はそれを覚えていない。

 それどころか、私は全ての記憶を消されたためか、まともな感情さえ失っていた。私は、それを望む原動力となった感情すら、分からなくなってしまった。

 だがこの使命だけが私の全て、私の生きる意味なのだ。この使命さえ失った時、私には、きっともう何も残らないだろう。

 ならば果たして見せよう。たとえ、永遠に解放されることがないとしても……





 剣を納め立ち上がったその時、近くの茂みでカサっという音がした。

 この付近に棲む動物だろう。そう思ったが、何か違和感を覚えた。剣を手にしたまま、私は茂みの奥を覗き込んだ。

 小鳥だった。真っ白な羽毛に一枚だけ鮮やかな緑が混ざった、シルラ鳥という渡り鳥だ。だが、つい先日渡りの時を迎え、別の地に飛び立ったばかりのはずだ。

 地面に座ったままの小鳥をもう一度よく見てみると、右翼に紅い染みを見つけた。痛々しいその傷は、小鳥が飛翔能力を失い、仲間とはぐれたことを示していた。

 普段の私ならばそのまま見捨てていただろう。小鳥が生き延びようと死のうと、すべては自然の流れ。人間が介入すべきことではない。それなのに私は、気付けば祠に小鳥を連れていき、傷の手当てを行っていた。

 情に流されることなど皆無のはずだ。現に今まで、どれほどの救える命を見殺しにしてきたのか分からない。だというのに何故、私はこんな行動をとったのだろう。不思議でならない。




 日々の時の流れは意味をなさなかった。今までは。

 小鳥の面倒を見ていると、時の流れが手に取るようにわかった。

 日が経つにつれて小鳥の怪我は癒えて。一月もすれば自由に飛び回るようになって。何故か取ると暴れたため、包帯だけはそのままで。

 小鳥は常に私の後ろにくっついてきた。周囲の偵察に向かえばパタパタと後を追ってきた。石段に腰掛ければ隣に降り立ち、陽だまりの中でうたた寝をし始めた。まるで、昔からそうであったかのように。

 このまま、共に祠を守ってもらうのもいい。そんなことを考え始めていた。




 だが時は流れる。別離は訪れる。


 一年が過ぎ、春が来て、シルラ鳥の群れが渡ってきた。久々の仲間との再会に、小鳥は喜び飛んで行った。

 あと一月。ここで一月を過ごせば、小鳥は仲間と共に遠い異国の地に旅立つだろう。そうなれば、再びここで出会える保証は、無い。

 ……変わってほしく、ない? 私は、渡りの時が来るのを恐れている、のか?




 時は、拒むほどに速く流れ、ついに渡りの風が吹く。

 リーダーと思われる、一番大きな体の鳥に導かれるように、シルラ鳥たちは飛び立った。あの小鳥も、大人たちに守られるように囲まれて旅立った。

 ……これでいい。分かり切っていたことだ。

 永劫の日々を生きる私にとって、別れは必然。いずれ来る別れを先延ばしにして、仲間のいるあの小鳥の時まで止めてはいけない。その自由な羽を、この地に縛り付けてはいけない。

 

 わかっているのに……この胸の空虚さは何だ?





 その時だった。小鳥が私のもとに舞い戻ってきたのだ。小鳥はくちばしにくわえた何かを、私の足元に落とした。

 ガラス玉だった。澄み切った泉を思わせる、水色で、透明な。私がそれを拾い上げるのを見届けると、小鳥は仲間の元へ戻って行った。その姿が見えなくなるまで、私は空を見上げていた。



 小鳥がくれたガラス玉を見つめた。水色の中に私の顔が映り込む。それを見た時、私ははっとした。

 私は、今確かに『笑って』いたのだ。

 ここに来てから、否、記憶をなくしたその日から、笑うことなど一度もなかった。笑顔を生み出す喜びを失ってしまったのだから当然だ。だというのに、私は今、意識せずに笑うことができていた。

 胸の奥に何か温かいものが広がる。これは、失った過去の記憶の欠片なのだろうか。それとも、私の中で芽生え始めた心なのだろうか。今の私にはまだ分からない。


 もしも、もしもこの、いつ終りが訪れるか分からない使命から解放される時が来たのならば、私はこの温かさの正体を知ることができるだろうか。その時、私はまた、心の底から笑うことができるだろうか。



 ならば待とう。一振りの剣と二つの宝玉と共に。いつか吹く、自由を告げる風を……



        ……to be continued in "Klainaut"

ここまで読んでいただきありがとうございます。秋桜です

クライノート前日談、二話目は風の番人・ファウシル=セグフィードです。長い永い時を、祠を守ることだけに捧げたファウシルにとって、この一年はまばたきするほどの一瞬であり、しかしかけがえのない温かさを伴った時間であることでしょう。

小鳥がプレゼントしてくれたガラス玉は、ファウシルの短剣の柄に括り付けられています。ただ綺麗なだけで、なんの力も持ち合わせていないガラス玉ですが、ファウシルにとっては大切な宝物なのです。

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