(2)
那奈が突然この世を去ったのは、大学1年の冬だった。付き合い始めて半年、お互い初めて同士で恐る恐るだったHも少し慣れて来た頃だった。ある日俺の部屋に泊まって、朝起きた時にはもう息をしていなかった。
心筋梗塞。知らなかったんだ、子供の時から不整脈があって激しい運動は控えるよう言われてたって。
俺の、せいだ。
無理させたから。
警察に事情を話した時、恥かしいとかそういう感情はなかった。ただただ、苦しくて悲しくて、吐き出したい一心だった。俺は事情を知った親父にぶん殴られてオカンにも散々泣かれて、一生償え、と那奈の親の前で土下座をさせられた。しかし那奈の親は、いいんです、いつかは、と覚悟しておりました、と静かに言うと、俺が渡した那奈の持ち物を大事そうに抱えて帰って行った。
那奈が、好きで好きでたまらなかったんだ。
一晩中でも愛したかった。どうして、無理しちゃいけないんだって教えてくれなかったんだよ……
ひとりアパートに帰り、呆然と布団かぶって丸くなってた時。
「だって、陽ちゃんが大好きだったんだもん」
ああ、幻聴まで聞こえる……
「那奈……」
「陽ちゃん、ね、聞こえる? 見える?」
ああ、幻覚まで……そういやあ、何も食べてなかったな。腹は減らないけど……
「陽ちゃん、私。幻覚じゃないってば」
「……!! 那奈!? え、夢? それとも今までが夢!? え? え?」
「わあ……嬉しい、陽ちゃん『見える人』なんだあ!」
そうして那奈は、再び俺の目の前に現れ、ずっとくっついてまわっているのだ。以来2年間、彼女を作ることはできなかった。彼女作ってもいいんだよ、と言ってくれるけれど、そんな簡単にはいかないし気も引けた。何しろ1年位は、普通に女子と話ができない、目も合わせられなかったのだから仕方ない。
たまに両親の元へ飛んでいくけれど、那奈の事が見えるのは飼い猫のウメちゃんくらいであとは誰にも気付かれない、と寂しそうに笑った。大学にもたまに「見える人」がいるらしいが、そういう人はあえて目を合わせなかったり、チラッと見るだけで何も言わないそうだ。
霊的なものなど今まで見えた事がなかった、と思っていたけれど那奈がこれだけはっきり見えている事を考えれば、今までただ気付かなかっただけなのかもしれない。那奈から、あの人霊だよ、と教えられて驚くこともよくある。
安藤さんの件から、もう1週間も那奈は帰ってきていない。最初は怒ったついでに実家に帰ったのかと思っていたが、こんなに長くいなくなることはなかった。
もしかして安藤さんなら――那奈が見えている彼女なら何かわかるかもしれない。
「あの、安藤さん」
「ああ、いらっしゃい。今日は? 何かお探しですか?」
「前に、何でも相談してっておっしゃってくれましたよね」
「ええ、どうぞ」
周りに聞かれたら頭おかしいかとおもわれるよなあ……閉館前なのにまだ学生が数名いる。さっさと出ろよ。
「えっと……ここじゃ話しにくいんですけど」
「そう、じゃあウチ来る?」
ええええええええっ!!! い、今、なんと?
俺が顔を赤くして戸惑っていると安藤さんはクスッと笑った。ああ、余裕のないガキだと思われたか!
「ちょっと待ってね、帰る用意するから」
小声でそう告げると、PCをいじって閉館を告げる館内放送を流した。どこからともなくゾンビのようにわらわらと学生がわいて出て来て、カウンターに群がったり数名で談笑しながら帰って行った。
少し離れた所でその様子を見ていた。安藤さんは無表情でてきぱきと学生をさばくと、一度奥の部屋に引っこみ荷物を抱えて出て来たので、荷物持ちましょう、と手を出すとありがとう、とにっこり微笑み一番大きな紙袋を渡された。
安藤さんのアパートは、大学の正門を出て10分位歩いた所にあった。近い事は近いのだが、何度もクネクネと道を曲がったのでよくわからなくなってしまった。鬱蒼とした公園とも言えないような広場の隣に、ちょっと場違いな雰囲気のガルバリウム張りのモダンなアパートの2階、一番奥が安藤さんの部屋だった。俺の築36年モルタルのボロいアパートとは大違い。
「どうぞ」
わわっ、緊張する。那奈は寮にいたから、実を言うと女性の部屋に入るのは初めてなのだ。
「お、お邪魔します」
「コーヒーでいい?」
「や、お構いなく」
俺は完全に舞い上がっていたけど、今この瞬間に那奈が帰って来るんじゃないか、と気付き気が気ではなくなっていた。見つかったら怒るとかそういうレベルじゃないぞ、死人が出るかもしれん。
「あら、脚を崩したら? 正座なんて窮屈じゃない」
お構いなく、と言ったのに結局コーヒーを出してくれたが、とても飲む気にはなれなかった。でもあまりガチガチなのもなめられるんじゃいかと思い一応胡坐をかいたが、リラックスはできない。
「で、相談ってなあに」
「あの……もう、はっきり聞きます。安藤さん、幽霊とか見える人ですか」
「ああ、やっぱりね。その事だろうと思ったわ。彼女、どうしたの」
よかった……わかってくれてた。変な人だと思われずに済む。
「えっと……この前俺が図書館に行った時、安藤さん、見てたんですよね」
「まあね、っていうか前から気付いてたけど」
「あ、そうなんですか……あの日から、帰って来ないんです。ずっと一緒にいたのに」
「そう、良かったじゃない」
良かった……え、ああ、まあそう言うよな、普通の人なら。
「何か、ご存じないかと思って」
「さあ、知らないけど……なあに、あの子にずっと付いていてほしいのかしら?」
語尾にほんの少し笑いが混じった気がする。バカにされたかなあ……返事を言いよどむ。どっちだろう、那奈にいてほしいのかいてほしくないのか。
「もう2年でしょ、いい加減成仏してもらったら」
「知ってるんですか」
「私、ここ5年目なの。図書館って皆静かにしてるけど、色んな情報が集まる場所でもあるのよ」
「正直……自分でもわからないです。半分は俺のせいで死んだんだし……」
「半分……? 心筋梗塞か何かだったわよね?」
「えっ、や、その……」
俺はただ言いにくい事だから目が宙を泳いだ、それだけだったのだが、安藤さんはそれが那奈を探している仕草にみえたのだろう。
「あ、安心して。ここ結界貼ってるから入って来れないのよ」
「け、結界? え、安藤さん、何者ですか」
一瞬この人こんな顔して厨二病かと思ったが、どうやらマジなようだ。神棚と言っても一般の家にある範疇を超えているような立派なものが、奥の部屋にぼんやり見えた。祭壇、って言ってもいい。
「私のうち、代々こういう仕事なんだけど私は次女だから別に継がなくていいって言われて。個人的にお祓いとか霊視とかして、占い師みたいなこともしてるの。大学には内緒よ?」
へえ、としか言いようがない。こんな人、本当にいるんだ……
「だから、ここは大丈夫だから何でも話して。もちろん秘密は厳守します……ああ、占いじゃないからお金なんて取らないわ、安心して」
「いや、あいつが消えた事情を何かご存知ないかと思っただけなんで。か、帰ります」
なんかヤバい雰囲気。よくあるじゃん、こういう宗教っぽいことやって洗脳されるのって。立ち上がり、玄関に向かおうとした俺の前に安藤さんがすかさず立ち塞がった。
「まあまあ、そう言わず。彼女、今のまま成仏しないと幸せな来世を迎えられないわよ、いいの?」
「え、それどういう……いや、俺だって成仏しないといけないのはわかってますけど、どうしたらいいか」
「教えてあげるから。ね、座って」
強引に腕を取られソファに座らせると、安藤さんも隣に座った。二人掛けの小さなソファ、そして離してくれない腕。ヤバい、ドキドキする……
「一番いいのはね、恋人を作る事よ」
「でも今の状況じゃあ……ずっとあいつといるから、できないですよ」
急に、時計の秒針の音が気になる。アパートの周りは車がバンバン通るような道でもなく、ひっそりとしていた。相変わらず俺の心臓はいつもより少しだけバクバクいってる。いや、バクバクっていう時点で「少しだけ」じゃねえだろ?
「だから、今。ほら、今いないじゃない?」
……わーっ、わーっ! さ、誘われてる! 俺は今、誘われている! え、マジ? マジなの?
からかっているんじゃないだろうかと思い恐る恐る安藤さんの顔を見た。ええっと、なんですか、その潤んだ瞳、っていつの間にかメガネ外してるしいぃ! 今にもキスしてとか言い出すんじゃないだろな、おい! やぶさかでないけれども! けれども!!
心の中の大嵐を悟られてはならない。俺は、もう大人だあっ! 多分。
「安藤さん、ちょっとからかわないでくださいよ、俺みたいなガキ安藤さんには釣り合わないですよ」
な、ここで言ってくれよ、冗談よ、とかなんとか。
「やだ、私……本気よ。杉下君の事、好きなの」
そしてそのしなやかな手が俺の太腿に置かれ、理性の針がギュイン、と振れそうになった。
「あのっ、その、あいつのためとかそういうんだったら、そんなお芝居とかしてくださって申し訳ないんですケドぉっ」
うわっ、カッコ悪、声裏返ったあっ!
「ええっ、どうして私があの子の為にお芝居しなくちゃならないわけ? 関係ないわ」
「な、何かの罰ゲームとかさせられてんですか? ほら、学生からかってこい、とか」
「もう、どうしてわかってくれないの? そんなんじゃないってば、本当に好きなの」
「いやだって、ねえ、俺な……んんっ」
その先の言葉は、安藤さんの唇に塞がれ続かなかった。
俺は、久し振りに生身の女性を、
抱いた。




