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「ああもう、やめろって。肩凝るだろ」
「もう、陽ちゃんのケチ」
「ケチとかそういう問題じゃねえの」
恋人だからってベタベタすんのは好きじゃないんだ。誰も見てないけど、こっちはレポートに追われてPCから離れられないんだから大人しくしとけっつーの。後ろから抱き付かれたって、何も応えてやれない。
「あ、ここ字違うよ」
「……ありがとう。もういいから寝とけって」
「眠くない」
パチパチとキーボードを打つ音だけが部屋に響く。イライラするとエンター押すのが強くなる癖、自分でももう止めたい。
2時をまわっているというのに、相変わらず那奈は部屋の中をウロウロしている。時々背後に気配を感じるけれど構っている暇はない。
それにしても眠いな……やばい、ちょっと休憩。冷蔵庫を開け缶コーヒーを取り出し一気飲み。
「眠いの?」
「ああ、さすがに」
「覚ましてあげよっか」
ニンマリするってことはまた「アレ」か。
「い、いい。お前のはマジ恐いから。夜中だぞ?」
「遠慮しなくていいじゃん」
「バカ……まじヤメテ」
眠気も手伝って情けない声で涙目になると、キャッキャ笑いながら隣の部屋に入って行った。よかった、もう寝てくれるのか。
4時頃になりようやくレポートが終わった。もう誤字とかどうでもいい、とにかく7時まで3時間寝る!
「陽ちゃん、陽ちゃん」
「んあ」
「7時だよ」
「う……あ、ありがと」
ペトッと那奈の冷たい手が俺の頬を包む。ヒィ、と飛び起き急いで身支度を整え玄関を出ると那奈もついてきた。
「いいって、一緒に来なくても」
「絶対居眠りしてバス乗り過ごすって」
「しない」
「する」
はあ……大体、うちの大学の学生でもないんだからついてきたって、なあ。
那奈がそんなことを言うものだからかえって目が冴えて、無事にバスを降りた。
「陽ちゃん、講堂まで行っていい?」
「だめに決まってるだろ、図書館にでも行っとけよ」
「えー……ここの図書館、ビミョーに居心地悪いんだよね。目、つけられてるかも」
「……へぇ。司書さん?」
「うん」
「でも講堂はダメ、目立ちすぎる」
「ちぇーっ」
口を尖らせてご不満な様子だが、いくら広い講堂とは言え友達に見つかりでもしたら色々言われるからな。
案の定、その講義はめちゃくちゃ眠くて頭に入らなかった、っていうか多分寝てた。まあ、この先生は寝てても何も言わないけど。「やる気のある人だけ聞けばいい、後で困っても知りません」ってスタンス。大学の教授には少なくない。
次の時間はひとコマ空いているので、レポートの校正をしに図書館へ行った。もしかしたら那奈がいるかもしれない、と思ったがやっぱりいなかった。
「あら、杉下君こんにちは」
「こんにちは。ちょっとPCブース借りたいんですけど」
「ROM? USBならウィルスチェックしてね」
「あ、ROMです」
そう、じゃあどうぞ、と番号札を手渡してくれた。この司書の安藤さん、多分20代後半なんだろうけどクールビューティで、細いフレームのメガネが邪魔でよく見えないけど泣き黒子がセクシー、と男子学生の間ではちょっとした憧れの存在なのだ。
そう聞いてからつい目の辺りをじっと見てしまう癖がついてしまった。確かに右目の下にあってセクシーといえばセクシー。俺はそれより鎖骨の下にある黒子の方が……いやいや、何言ってんだ。
昨日、っていうか今朝方打ち込んだ部分は誤字脱字のオンパレード、グラフの数値まで間違っていて結構手間だったが、何とか時間までにプリントアウトまでこぎつけた。大体なあ、今時ほとんどの教授はROMかメール提出なのに瀬戸内教授だけ紙提出なんだよな。めんどくさ。
枚数が微妙だ……普通のホッチキスでは留まりそうにない。案の定針が通らず無駄に穴が開いただけだった。仕方ないな、安藤さんに大きいやつ借りよう。
「あの、すみません、大きいホッチキス貸してください」
「ああ、レポート? ちょっと待ってね」
カウンターの下の引き出しにあるのだろう、椅子を少し下げて前屈みになって……あああありがとうございます! VIVA,Summer!! その豊満な胸元が……ぶっ、ブラ今日はなんとまあ艶やかな濃い目ピンク、ですねっ……クールな外見からは想像できない、じょ、情熱的な……!! やべぇ、ちょっと最近ご無沙汰で……これ以上見てはいけない! イケナイ状態になってしまう! で、でも目が……ぶっ。
「はい、どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
セーフ!セ―――――フ! 何とか耐えたぞ! 偉い、俺。良かったよ、図書館ほとんど人いなくて。ついでに那奈もいなくて。
「杉下君……風邪でもひいてるの? 顔、赤いけど」
「いっ、いえ」
「そう?」
ガシャン、ガシャン、ガシャン、とでかいホッチキスで留めてまたブースに戻った。
「はぁ……ヤバかった」
思わず声に出す。出さずにいられようか、この感動。「ヤバい」ってつくづく便利な言葉だよな、この一言に全てが集約されている。うむ、俺の理性は保たれた。ご安全に。
「なにが」
ぶっ……振り返ると那奈が立っていた。
「何がヤバかったのかなあ、陽ちゃん」
「いっ、いえっ、何でもない……」
「あの司書の人! いっつも私の事にらみつけるの! 嫌いなの!」
「えっ……マジで?」
「しかもあーんな見え見えの色仕掛け!」
い、色仕掛けってことは……し、仕掛けられた……?
「見てて、ここ出る時絶対にらんでくるから。超怖いんだから!」
カウンターで番号札を返す。安藤さんはにっこり微笑んで受け取ると、俺の後ろにかくれるように立っている那奈をチラッと見た。
「お疲れ様、レポート通るといいわね。……杉下君、もし私でよかったら何でも相談してね、何でも」
「えっ、あ、はあ」
「何か困ってない?」
また俺の後ろをじっと見る。
「い、いえ、あ、ありがとうございましたっ」
慌てて図書館を出る、その直前に振り返ると片方だけ眉をクイッと上げた安藤さんの表情。それは俺を見ているのではなく、那奈を睨んでいるのが明白だった。
「ね、睨んでたでしょ」
「ん、ああ」
「きっと陽ちゃんの事好きなんだ……」
どうした、いつもならプンスカ文句を言うのに。そんな寂しげな表情、やめてくれよ……
「ね、陽ちゃんはあの人の事どう思ってるの」
急に真面目な顔になり、俺の進路を阻む。
「どうって……個人的に話をした事もないし、綺麗な人だとは思うけどさ、な、ほら、絶対からかわれてるんだって。心配するなよ、俺みたいなガキ相手にしないって」
「陽ちゃん……もう、ガキなんかじゃないよ。大人、だよ」
「や、そりゃ成人してるけどさ」
「私ばっかり子供なままじゃん……」
「いいんだって、俺は、なあ、その、お前のそういう所」
「どういう?」
「……いつまでも、俺が好きになった時の那奈でいいんだよ」
2,3歩進んでふと振り返ると、那奈はそこにはいなかった――突然いなくなるのはたまにあることだけど、なんだよ? この話の流れでなんでだよ?




