16__魔王様の視た光景
リクに 北の塔へ運ばれた後のロキの お話です。
では、どうぞ。
___視点:東の魔王 - ロキ___
ロキは、カーテンの隙間から射し込む 朝の晃りの中、寝室にいた。
窓際に竚って、じっとベッドのほうを見ている。
離れた場所にあるベッドには、起きたばかりのシシィがいた。
『 シシィ。』
彼女は、朝陽の眩しさに耐えかねたらしく、もぞもぞと掛け布団の中に潜り込む。
暫くして、掛け布団を被ったまま 上体を起こした。
更に 時間をかけて、シシィは、被っていた掛け布団を 頭の上から剥ぎ取り、不機嫌そうな顔で 周囲を見回した。
淡い紅藤色の瞳が、広い部屋を 右から左へと揺れながら動いてゆく。
「 ……………… 」
シシィの 小さな口が、小さく動いた。
ベッドの上に ぺたりと座ったまま、何度か 口を動かしては 不満そうな顔になる。
短い単語を繰り返しているらしいと気付いて、ロキは 小首を傾げた。
じっと シシィの口許を見詰めていたロキの睛が、大きく瞠られた。
『 え? ––––––––––––え? え? 』
ロキは、信じられない と云った表情を見せる。
見間違いではないか、そんな事を考えてもいた。
しかし、再度 動いた唇を見て 一瞬前の疑念が拂われた。
『 う………うそ。』
瞠目し 茫然としていたロキの頬が、徐々に赧みを帯びてゆく。
蒼碧い瞳に、喜色と感動が滲んでゆく。
ロキが 嬉しさと戸惑いとで複雑な表情になっている間も、シシィは その単語を繰り返している。
だが、声は出ない。
「 ………… 」
眉を寄せ 小さな口をへの字にし、やや 頬を膨らませる。
直後、シシィは ふわふわのベッドの上に竚つ。
先程よりも険しい顔で、シーツやら 掛け布団やらの上を歩く。
そして、ベッドの端へ往くと 躇う事なく跳んだ。
『 あっ!! 』
止めに入りたかったが、軀が動かなかった。
シシィは、勢い良く跳び降り 前舒めりに転んだ。
小さな軀が 洌い床に打ち付けられたまま、動かない。
しかし、シシィは 泣きもせず むくりと上体を起こした。
『 シシィ……。』
ロキの声は 届いておらず、その姿も シシィには見えていない。
この事は、ロキ-自身も察していた。
これは 夢である、と。
そして、どうして自分が こんな夢を視ているのか と云う事も、何となく察していた。
『 シシィ………。』
シシィは、無言で竚ち上がると、寝室のドアへ 走った。
そして、扉の前で背伸びをする。
だが、どうやっても 取手に届きそうもないと悟ったのか、シシィは 室内を見回した。
しかし、すぐに 扉へ向き直る。
小さな手が、扉板に觝れた。
『 ––––––––––––まさか……。』
ロキが声にするよりも早く、シシィは それを行った。
シシィの両手が光ると同時に、木片が飛び散った。
厚さ-5センチ以上の扉に、ぽかりと穴が開いていた。
自分が通れるサイズの風穴を開けたシシィは、ふん と鼻を鳴らして 寝室を出て往った。
『 駄目だよ、シシィ。駄目なんだ、外に出ちゃ………。』
遠去かる小さな背中を、ロキは ぼんやりと見送る事しか出来なかった。
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シシィは 北の塔を出て、森に入っていた。
跣で枯れ果てた草の上を歩く幼女は、趾の下の感触を娯しむ事もなく 真っ直ぐ森を目指していた。
小さな趾で 懸命に進むシシィを、ロキは、啻 見ていた。
見ている事しか出来なかった。
『 シシィは、俺を捜してたんだ………。』
〔愛し子〕であるシシィには、神々から授けられた叡智がある。
生後-4ヶ月の彼女に 綜てをコントロール出来る様な 程度の低い叡智ではない。
だが、シシィは、自分が特別であり そのせいで狙われる事を識っていた。
その証拠に、ロキと共にいても シシィは外に出たいと云ったアピールをしなかった。
それなのに、何故 外へ出たのか……この理由を、ロキは理解した。
何となく判っていた事だったが、はっきりと そう感じさせる顔だった。
『 俺が……出掛けた、から………。』
ロキが悟った通り、シシィは ロキの許へ往こうとしていた。
ロキが シシィの気配を見付けられる様に、シシィも ロキの位置が判る。
眼が寤めて 暫くは待っていたのだが、気配は 一向に帰って来ない。
このまま 二度と会えないのではないか、そんな想いが シシィを動かしていた。
これから踏み入る森が危険である事を理解していたのだろうが、その森にロキがいる事も感知しているらしい。
幼女は、周囲の景色に睛もくれず、一直線に 北の塔の庭を進んで往く。
森には ロキ以外の生き物もおり、危険が伴う行為だと、シシィにも判っている筈だった。
しかし、自分の生命の危険よりも ロキに会えなくなる恐怖が勝ったのだろう。
故に、シシィは 寝室のドアを吹っ飛ばし、転げ隕ちそうになりながら 階段を降り、跣で外へ出たのである。
『 シシィ………シシィ…………。』
産まれて4ヶ月の 幼い〔愛し子〕は、自分の存在が齎す影響を識っていた。
識ってはいたが、理解が足りていなかった。
暗い場所に閇じ込められてきたが、彼女は 魔法を使う事が出来た。
魔法は使えたが、それだけの事だった。
森へ入り 暫くした頃、これを悟る事となる。
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シシィは、真っ直ぐ ロキの許へ邀っていた。
森に踏み込んでからも それは変わらず、迷いなく下草を踏んで進む。
しかし、5分もしない内に 彼女の様子が変化した。
脇目も振らず 一直線に進められていた趾は 停まりがちになり、睛は忙しなく辺りを見回す。
周囲に 警戒すべき生物の気配を見付けたのだ。
見える範囲に姿はないが、シシィは 緊張を俔わせていた。
低い位置から森を見回す瞳に、戸惑いが泛かんだ。
ロキとの距離は、進行方向へ 4キロ弱と云った攸だろう。
一方、ロキが仆したアクリスは、右へ逸れて 2キロくらいの距離だ。
グーロ達は、そのアクリスに群がっていた。
正確には、ロキがアクリスの角に宿した魔力が 特殊な障壁になっていて、グーロは近付く事が出来ない。
だが、アクリスは 魅力的な獲物だ。
何とかして喰えないものか、と集まっていたのだろう。
その内の何匹かが、シシィに気付いて 近付いて来ているのだ。
自分のほうへ邀って来る肉食魔獣の気配に、シシィは 表情を硬くしていた。
ロキの傍へ辿り着ければ、グーロが追って来ても 問題はない。
だが、まだ遠く離れており シシィの移動速度は速くない。
邪魔が入らなくとも、40分以上は縣るだろう。
アクリスの周囲も安全地帯ではあるが、其処へ至るには グーロの群れを蹴散らさなければならない。
先程 見事に扉を破壊したとは云え、あれが 初めての魔法だ。
大群を相手に 満足に闘えると判断する程、シシィは無知ではなかった。
故に、惑い始めていたのだ。
戻るには 少し遠い処まで来てしまった。
更に、北の塔へ戻れたとしても 絶対に安全とは云えない。
北の塔が安全だったのは 其処にロキがいたから、である。
彼の勍すぎる魔力が防壁となって、共にいる〔愛し子〕を護っていた。
その加護が離れた あの場へ戻れても、グーロの侵入を防げるとは云い難い。
生後-4ヶ月とは惟えない知性で 其処まで考えた時、樹々の間に 大型の犬の様な生物が現れた。
〔愛し子〕の気配に引き寄せられ、ふらふらと やって来た幻獣-グーロである。
遠くにシシィを見たグーロは、その趾を停めた。
この時 グーロが目視したのは、黒髪の幼女ではない。
眩く煕いていて、だが 辺りを光りで充たすモノではない光り。
謂わば、凝縮された光りの塊だ。
その光りは、神々から受けた加護の数に因って 強弱がある。
事実、シシィに加護を与えた神は多く、加護を与えたのは 上位神ばかりだ。
東の魔王として 数いる魔王達と較べても特出した勍さがあるロキと共にいられる時点で、その数も知れると云うモノだ。
加護の象徴である光りも、その分 強い。
視える事で、それに惹かれるのは 仕方のない事だ。
しかし、好意を持って接してくれるとしても グーロの様な魔獣が相手では不都合がある。
知性の低い獣や魔獣は、睛にした光りに觝れようとしただけで〔愛し子〕を傷付ける。
視えているのは 人ではなく光りだけだからだ。
悪意はなくとも、手加減など出来よう筈もない。
本体の〔愛し子〕が死にかけていても、彼等には それが見えないのだから。
故に、この接近は 死を意味した。
シシィにも、それが判ったのだろう。
幼い背は、震えると同時に 硬直した。
『 だ め だ。 』
見ている事しか出来ないロキの口から、掠れた声が出た。
こうして視ているのは、過去だ。
過ぎし時を 夢に垣間見ているだけだ。
手出しは 惷か、口出しすら不可能である。
援けたくとも 侑けたくとも、ロキには 何も出来ないのだ。
そんな彼の前で、グーロが駆け出した。
樹々の間を飛ぶ様に走り、孳みに体当たりをしてまで シシィを目指して迓って来た。
『 逃げて! 逃げてっ、シシィ! 』
叫んでも、ロキの声は 何処にも届かない。
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「や……っ だ…………ぃ や だ、よ………シシィ、シシィ………… 」
そう呟いて、ロキは 眼を寤ました。
ベッドの上にはいたが、頭は 枕から隕ちていた。
魘されて 踠いていたのだろうか、シーツも掛け布団も しわくちゃになっていた。
当然、頬は 泪に濡れており、眼が寤めた今も 嗚咽は止まらない。
ロキは、乱れたシーツの皺を見詰めたまま ぼんやりとしている。
直前まで視ていた夢は、悪夢と評するべき現実だった。
森に入り グーロに見付かったシシィは、最初の1匹を 魔法で仆そうとした。
幼女は、扉を壊した時と同じ魔法を放った。
産まれて4ヶ月で 既に魔法を使える事は驚愕だったが、その精度は低く 初速は遅い。
とても 実戦向きとは惟えない攻撃だった。
しかし、シシィが光りの球を撃ち出すと、グーロは 趾を停めた。
撃ち出された光球は〔愛し子〕の光りと同種類のモノだ。
グーロは、その光りに意識を簒われたのだ。
端的に云えば、触ってみたい と惟ったのだ。
その為、初速の遅い光球でも グーロに当たった。
尤も、当たっただけであった。
結果的に 致死には至ったものの、即死させる事は出来なかった。
当然、悲鳴があがる。 絶叫が、だ。 数10秒も続いた断末魔とも云う。
その声は、然して遠くない距離に集まっていたグーロ達の耳に届く事となった。
アクリスの周囲に屯ろしていたグーロ達が、これを聴き付けた。
次々と グーロが集まって来れば、最早 シシィに出来る事はない。
光球を撃ち続けても、数匹を斥けるのが 精一杯だった。
そんな彼女が どうなったかは、視たくなかった。
実際に睛にしているが、再度 過去夢で その過程を確認したくはなかった。
ロキは、無理矢理 意識を覚醒させ、今に至る。
泣き濡れた蒼碧い睛に映っている光景は、皺だらけのシーツと ベッドから離れた場所にある調度品だ。
緻いレースのカーテンと、その向うの大きな窓。
淡いクリーム色の壁と、その前に置かれている 木目の美しいチェスト。
これ等へ睛を向けてはいるが、見えてはいない様だ。
「 ………シシィ」
視えているのは 今し方まで視ていた夢の内容のほうらしい。
ロキの双眸からは、止め処なく泪が流れていた。
「 シシィ………… 」
ふと、この部屋を出る直前の事を思い出した。
このベッドで眠っていた幼女は うっすらと眼を寤まし、出掛けようとしていたロキを見た。
ロキへ向けられた とろんとした淡い紅藤色の瞳を思い出した。
魔王の側近である魔族でさえ近付く事が出来ない 最強の魔王である自分の傍にいて、寛いでいられる稀有な存在。
何の負荷もなく隣にいて、自分を見てくれる唯一の存在。
ロキが躇いもなく觝れる事が出来る特殊な存在。
生命とは 温かいモノだと思い出させてくれた掛け替えのない存在。
それが〔愛し子〕-シシィなのだ。
倖せを実感した この場所で、後悔に苛まれる事になるとは惟わなかった。
「っ………シシィ」
ぽろぽろと泪が零れ隕ち、頬を、シーツを濡らした。
「やだ、よ………シシィ、っ〜〜〜〜ぃ やだ、いやだよぉぉ」
大切な存在を喪失するかもしれない恐怖に、ロキの嗚咽は大きくなった。
ロキに哀しい思いをさせてばかりですが、もう少し続きそうな気配です。
ごめんよ、ロキ。泣かせたくなかったのに、やっぱり これは飛ばせなくて……。
幸せになってほしいのに、侭ならないです。




