弔いの言葉
結婚した年に夫の祖父が亡くなり、葬儀で立派な挨拶を務めた義父が、早逝しました。
原因はわかりません。病院が嫌いだったので、痛みを我慢していたのかもしれません。
夫が、弔辞の大役を仕りました。
しかし、私たちは二十代。葬儀の経験もあまりなく、式の直前に夫が
「弔辞って何言えばいいの」
と言い出しました。私も弔辞など実際に聞いたことがなかったので、タモリさんが赤塚不二夫先生に捧げた言葉を教えることしか出来ませんでした。
そして他愛ない会話をしました。ほら、あなたお父さんに似てきたんだから、一緒に飲んで話をすれば良かったね。二人共お酒好きだもんね。妹たちのバージンロードの隣は誰が歩くんだろうね。
こう書くと私が大変嫌味に聞こえますが、私の性格が悪いのか、しみじみ思っていたのかは、ご想像にお任せします。
果たして、夫がマイクの前に立ち、話しはじめました。
その途端に鼻血が。
「小百合、ティッシュ!」
と呼ばれた義妹より先に私が飛び出していました。親族席からしか鼻血は見えなかったので、参列者は何事かと思ったそうです。夫も緊張していたのでしょう。
夫は遺影を見上げ、故郷の言葉で義父(夫にとっては父)に語りかけました。子供の頃ブランコを作ってもらった思い出。そしてさっき私が話した内容を盛り込み、
「死んでしまっては何にもならんとじゃないですか!お母さんば遺して!」
本人も会場も涙涙でございました。
ちょうどいい長さで弔辞を終え、夫は席に戻りました。
弔辞というものは、本来皆様ご自宅から用意されて行くのでしょうか。
私は生涯、夫の弔辞を超えるスピーチを聞かないのではないかと思います。