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第三章 混冥隊出撃

 第三章 混冥隊(こんめいたい)出撃


「もう行ってしまうのか。淋しいな」

「俺ももう少しここに、いたいところだったんだが……。兄さんにも怒られてしまうし、もう行くよ」

 豊陽城(ほうようじょう)の城門の前で韓岐と衛は、京汎(けいはん)の見送りを受けていた。連日の宴を終え、韓岐と衛は、自身の故郷である、成安都(せいあんと)へと帰ろうとしていた。

「そうか……。あまり引き止めるのも男の別れに相応しくないな! 今度は、韓岐たちがいなくても、邦州軍を倒して見せるさ」

「ああ、成安都で、京州(けいしゅう)の良い噂を期待して待っていることにするよ」

 そう言って韓岐は、京汎の前に拳を突き出す。京汎も、韓岐の突き出された拳に、自身の拳をぶつけた。

「いつでも遊びに来い! また京州の旨い酒を、馳走してやる! 衛殿も」

「わ、私は、もうお酒はこりごりです!」

 衛は、思い出したように、顔を青くする。

「そうだよ、京汎。こいつが連日の宴のせいで、体調が戻るのに数日かかったんだ。本来ならもう少し早く、旅立てたのにさ」

「私が、韓岐さまに助けを求めているのに、逃げて助けてくれなかったからじゃないですか! 韓岐さまは、いつもそうです! ほんとに薄情なんですから!」

「わははは! 衛殿は次に来る時までに、酒に強くなる修行をした方がいいな! なんなら京州に伝わる酒の飲み方を伝授しようか?」

「結構です!」

 衛は、顔を横に向けて拗ねた表情をする。それを見て韓岐と京汎は、大笑いをした。

「それじゃあな、京汎。酒ばっかり飲んでないで、ちゃんと王らしくしているんだぞ」

「京州の大勝利を韓岐に聞かせてやるから心配するな。それじゃあな」

 韓岐と衛は、京汎に手を振ると、豊陽城を後にした。

 韓岐と衛が、豊陽城を出てから数日が過ぎただろうか、韓岐たちの故郷の成安都までは、後、一日程までの道のりまで来ていた。

 韓岐と衛は、近くの街で宿を取り、空腹を満たそうとして、飯店へと向かった。

「韓岐さま! それは私のお肉ですよ! なんで取ってしまうんですか!」

「衛が、食べるのが遅いから手伝ってあげたんだ。代わりにこれをやる」

「それは、韓岐さまの嫌いな、きのこではないですか。ちゃんと食べてください。だからいつまで立っても背が伸びないんですよ!」

「うるせい。これももらうぞ」

「ああ! 私が最後に取っておいた杏仁まで! もう!」

 韓岐と衛が、店の中で、やりとりをしていると、男たちの会話が、耳に入ってきた。

「おい、聞いたか。豊陽城が、邦州軍に襲われているらしいぞ。京州軍は、苦戦をしているみたいだ」

「ああ、俺もさっき街で聞いた。何でも、邦州軍は、豊陽城内に火を放って、住民までも襲っているらしいな。あれだろ、混冥隊だっけか? 邦州軍も恐ろしい隊を作ったもんだよ」

「俺らの街にも、来ないことを祈るしかないな」

「どういうことだ! 詳しく教えてくれ!」

 韓岐は、席で会話をしている男たちの間に入り、男の腕を掴む。韓岐の顔は、血相を変えていた。

「おい! あんたは、一体なんだよ。さっきそこで聞いた話だから、俺らも詳しく知らねえ。分かっているのは、京州軍が退却を始めているそうだが、豊陽城の住民も引き連れているらしいってことだ。多分戦闘という戦闘は出来ずに、苦戦をしているんじゃないか」

 韓岐の顔は、青ざめた。非戦闘員の住民を連れて戦えるはずがない。戦闘は、邦州軍の一方的なものと、なっているだろう。

 邦州軍は、初めからこれを狙っていたのだ……。だから豊陽城奪還の際の、邦州軍の戦意の無さに納得できる。

 俺が立てた策……。俺のせいだ……。

 韓岐は、自身が立てた策のせいで、京汎と京州の人々が危機に陥っていることに自責の念を覚え、冷汗が流れた。

「衛! 近くで馬を買って来てくれ! 直ぐに京汎たちを助けに行く!」

「分かりました!」

 衛が、走り出し、店から出ていく。

「しかし、俺らだけで、邦州軍を止めることができるのか……。よしっ!」

 韓岐は、思いついたように腰から紙と筆、そして墨を取り出す。一考をした後、紙にさらさらと文字を書き始めた。そして書き終えると、紙を折り曲げる。

「店主さん。この手紙を成安都にいる兄さん、いや、韓周に早馬で届けてくれないか。金は、いくらでも出す」

 店主は、韓岐から手紙を受け取り、驚いた顔をする。

「韓周って、皇帝陛下の護衛官の韓家の者ですかい!? あんたは、一体!?」

「韓岐さま! 馬の用意が出来ました!」

 衛は、店の入り口で大声を上げた。 韓岐は、店主に頼んだと一言だけ残し、走り出した。

 韓岐と衛は、馬に飛び乗り、馬腹を蹴り駆け出した。

「頼む! 間に合ってくれ!」

 韓岐は、暗くなった、夜の中で松明を掲げ、無我夢中で駆けた。京汎の無時を祈って……。


 豊陽城は、燃えている。

 馬延の赤い瞳には、勢いを持って燃え盛る、赤い豊陽城が映っている。

 きっと、あの豊陽城の中では、逃げ遅れた住民が、熱い火によって、もがき苦しんでいることだろう。

「馬延将軍! 混冥隊が、京州軍の追撃を始めました。我々は、いかがいたしましょうか?」

「わかった。一角青騎兵は少し遅れて、混冥隊を追いかける。あいつらは、敵味方関係なく、殺しに掛かってくるからな」

 混冥隊――。噂以上の恐ろしい隊であった。

 京州軍が守る豊陽城は、混冥隊と一角青騎兵によって侵略にあった。中でも混冥隊の戦闘は恐ろしく、京州軍はもとより、住民までも襲い、殺していく。その住民の中には、女、子供、老人までもが含まれていた。いや、一緒に戦っている一角青騎兵の兵士までもが、混冥隊に襲われて命を落としている。

 混冥隊に理性は、存在しない。ただ、欲望のまま戦をしている。邦州の宰相、蔡用が作り出した丸薬は、飲むと興奮状態にし、戦闘力を増大させる。

 しかし、その強くなった代償はこれだ。ただの殺戮を繰り返していく、戦闘集団……。

 馬延は、一角青騎兵(いっかくせいきへい)を率いて、追撃に向かった混冥隊を追いかける。その道中には、無数の死体が転がっていた。

 その殺し方も、目を背けたくなるほどの残虐な殺し方だ。

腹は裂かれ、頭は何度も、殴られ脳が飛び出している。道中の死体も京州軍の兵士だけではなく、住民の死体もある。中には、住民を守ろうとした兵士が、住民ごと串刺しなっている死体もあった。

 これは戦ではない! 殺戮だ!

 馬延の胸は苦しかった。しばらく、駆けると混冥隊の隊長である阿猛(あもう)が、腕組をして立っているのが見えた。

「どうした? 阿猛殿、なぜ止まっている?」

「馬延殿か。いや、あの橋の向こうで俺らの隊が攻めあぐねていてな。まあ俺が向かえば、直ぐに突破できると思うんだが。さっきまで、たいした抵抗が無かったから、面白くなりそうだ……」

 混冥隊の隊長の阿猛は、不気味な笑顔を馬延に向ける。

 阿猛は、筋肉が異様なに隆起をしており、体躯も相当に大きい。手に持った大斧(だいふ)を当てられれば、即死は間違えないだろう。

「そうか、京州軍はあの橋の奥で陣形を整えて、逃げ遅れた住民を迎えているのか。分かった。我が隊は、別の道で、京州軍の本陣を襲う。京汎王の首を取れれば、この戦は終わるからな」

「そんなに戦をすぐに終わらせるなよ。体が熱くて、疼いているんだ。もう少し、戦を楽しませろ。おっ、獲物が現れたぞ」

 先を見ると、逃げ遅れた子供と、その親が走っているのが見える。阿猛は、馬延が止める間もなく、大斧を肩に乗せ走り始めていた。

「さあ叫び声を上げろ! そして死ねい!」

 阿猛の大声に腰を抜かす子供。親は、子供を庇うように抱きしめた。

 大斧は、風を裂くような、音を上げて二人に振り落された。しかし、振り落された大斧の下に子供と親の死体は無い。

「なんだ!? どこに消えた!」

 阿猛が横を振り向くと、子供と親を抱えた二人の黒ずくめの兵士がいた。羊尚(ようしょう)羊鮮(ようせん)の二人である。

「よくも、非力な住民まで襲ってくれたわね! あんたを殺してやるから、覚悟しな!」

「少しは、骨がありそうな奴が現れたな! 俺を楽しませくれるか!」

 阿猛は、身が震えるほどの大声を上げた。

「羊鮮、よせ! こんな化物に適うはずがない! 逃げるぞ!」

 羊尚は、羊鮮を掴み、阿猛との戦闘を止めようとしたが、一瞬遅く羊鮮は、阿猛に向かい駆け出していた。

「死ね!」

 大斧が、羊鮮の頭に落ちる――。

 羊鮮は、側転をし、阿猛の横に回り込み、短剣を突き出す。短剣は、見事に鎧の隙間を通し、阿猛の横腹に刺さった。

「どうだ!」

 羊鮮は、このまま連続攻撃を仕掛けようと、差し込んだ短剣を横腹から抜こうとした。が、短剣は抜けない。

「馬鹿め! 俺はそこら辺の者と違って、やわな鍛え方をしていないんだよ。お前の刺した短剣は、俺の筋肉で止まっているぞ!」

 阿猛は、大声をあげて笑う。そして、片手を握りしめると、羊鮮の体に拳を当てた。叫び声を上げて吹き飛ぶ羊鮮。

「もう、お終いだ。女を殺すのは快感だ! さあ、叫び声を上げて死ね!」

 羊鮮は、死を覚悟して、目を瞑った。

 血……。羊鮮の顔に、生暖かい血がかかった。

「おじいちゃん!」

「羊鮮……。逃げろ……!」

 羊鮮が目を開けると、羊尚が羊鮮を庇って、背中で大斧を受け止めていた。背中は、ぱっくりと割れている。羊尚は、そのまま羊鮮に倒れ込み絶命した。

「いや……。おじいちゃん……!!」

「これは、これは。最高に楽しい場面をいただいたぞ! だが、お前が死ぬ状況は変わっていない! さあ、泣き叫べ!」

 羊鮮の顔は、涙で溢れ居ている。茫然としている羊鮮の頭に、阿猛の大斧が容赦なく振り落された。


「早く逃げろ!」

 羊鮮は、ふと我に返る。ここは、天国ではないのか。いや、目の前には、見覚えのある後ろ姿と、聞き慣れた声が聞こえた。

「韓岐!」

 韓岐は、振り落とされた阿猛の大斧を、両手の手甲で受け止めていた。

「馬鹿! 泣いてないで、早く動け! こいつは俺がやる!」

「おじいちゃんが!!」

 羊鮮は、涙を流しながら、叫び声を上げた。韓岐が首を横に向けるとそこには、羊尚の死体が横たわっていた。

「じいさん……。くそっ! 俺がもう少し早く来ていれば!」

「お前が来たところで、何も変わらんが、なっ!」

 阿猛は、横一閃に大斧を韓岐に向かって振る。韓岐は身を掲げて、阿猛の下に潜り込み、足払いを放った。韓岐の足払いによって、倒れる阿猛。

「羊鮮。そこを動くな! こいつを倒して、お前を連れていく!」

 韓岐は、立ち上がろうとしている、阿猛の顔に下段の蹴りを放つ。鈍い音が鳴る。阿猛は韓岐の下段の蹴りを咄嗟に腕をあげて、防御をしていた。

 阿猛が、立ち上がり、韓岐の顔に向かって拳を繰り出す。

「ちぃぃ!」

 阿猛の放った拳を、首を動かし避ける。そのまま、韓岐は、阿猛の懐に潜り込んだ。そして、地面に思いっきり踏み込むと、阿猛の腹に右拳をぶち込んだ。

「馬鹿めっ! いくら手甲を身に着けていようが、鎧を着た、俺の体に拳が効くわけが……!」

 鎧から、悲鳴のような音が聞こえる。

 韓岐の放った一撃は、阿猛の鎧を砕いた。そして、鎧に覆われた腹が、顔を出す。

「貴様! よくも!」

 阿猛は、右手に持った大斧を韓岐に振り落す。韓岐は、すかさず動き、それをかわす。

「これで終わりだっ!」

 再度、韓岐は地面に強く踏み込むと、砕かれた鎧からむき出しとなった阿猛の腹に向かって、思いっきり、左拳を突き上げた。

「ぐえぇぇぇっ!!」

 韓岐の放った攻撃に、悶絶する阿猛。口からは、液体を吹き出し、身を縮めて倒れ込んだ。

 韓岐は、何度か息をつき、羊鮮の下へと駆け込む。

「よし! 羊鮮。馬に乗れ! 橋の向こうにいる本隊と合流するぞ!」

 韓岐の声に羊鮮は反応しようとするが、力が入らないようだ。無理もない目の前で、自分の肉親が殺されたのだ。

 韓岐は、羊鮮を抱きかかえると、自分が乗ってきた馬に乗せた。羊尚の死体に向かってすまないと言うと、馬腹を蹴って走り出した。

 羊鮮を乗せた、馬は走り出す。韓岐は羊鮮を前に抱えた。馬蹄の音と一緒に羊鮮の涙の音が聞こえるようだ。

 だが、後ろを振り返ると、混冥隊の兵士の集団が馬に跨り、韓岐たちを追いかけてきていた。


 韓岐の乗った馬は、混冥隊の兵士を背にしながら、駆けている。

 しかし、二人を乗せた馬は、次第に速度を落としていく。人を二人も乗せている為、馬が疲れているのだ。

 混冥隊の兵士が、韓岐たちに腕が届きそうな距離まで来たときに、混冥隊の兵士は、馬上から消えた。その頭には、矢が刺さっている。

「どうやら着いたみたいだな。衛、後は任せたぞ!」

「お任せ下さい!」

 韓岐たちは、橋の上まで駆けることが出来た。橋の上では、衛と、京州軍の弓隊が弓を構えている。

 向かってくる、混冥隊の兵は、弓によって、次々と馬上から、転げ落ちていく。

「ありったけの矢を用意してください! 私がここを死守します!」

 衛の叫ぶ声が聞こえる。衛と弓隊の射撃により、混冥隊の追撃が緩む。そこに京州軍の騎馬隊と歩兵隊が突撃をし、押し返していた。

 韓岐が橋を渡り奥へと進むと、京汎が、馬上でいまにも、敵に向かって駆け出そうとしているのが見えた。その京汎を近臣たちが、必死に止めている。

「京汎! 無事だったか!」

「韓岐か! 助けに来てくれたんだな!」

「京汎、すまない……。俺の立てた策が邦州に見破られていた……。俺のせいで、羊鮮のじいさんまで……」

「羊尚が。そうか……。韓岐のせいではないさ。俺たちが甘かったんだ……。羊鮮は、無事なようだな」

「はい……」

 韓岐と京汎はうつむき、羊鮮は涙を流す。三人の傷は大きい。だが、落ち込んでいる暇はない。気を塞ぎ込んでいる三人に、近臣が声を掛けてきた。

「陛下。前線では、混冥隊を押し返しているようです。ほとんどの民も収容できたようですし、退却を開始しましょう」

「わかった。退却の指示を出す。韓岐、すまないが、しんがりを引き受けてくれるか? 俺たちは、民を引き連れている為、早くは動けん。お前が後ろを守ってくれれば、心強い」

「いいぜ。なに、こっちには秘策がある。まだ間に合ってはいないようだが……。この秘策が成功すれば、混冥隊も邦州軍も引き返えすはずだ」

「秘策?」

 京汎は、韓岐向かって、質問を投げかける。韓岐がその秘策の説明を始めようとした時に、伝令の兵士が血相を変えて駆け込んできた。

「どうした!?」

「敵の隊長が現れました! 前線は、抑えることが出来ず押されております! 急ぎ救援を!」

「隊長!? さっき俺が倒したはずだぞ!」

「韓岐、急ごう! 羊鮮は休んでいろ」

「いえ、私も向かいます……。まだ戦えますから……」

「だが……」

 羊鮮は、気力が無くなっているのが見ただけで分かる。そんな羊鮮を京汎は、心配しているのだが、羊鮮は戦場に出ようとしている気持ちを変えることはないだろう。

「じゃあ、お前は降りて、新しい馬に乗り換えろよ。お前がでかくてこっちは窮屈だ」

「なっ!」

 羊鮮は、韓岐の言葉に怒りを覚え、拳を握り顔面へと殴りつけた。

「痛てぇ! 何しやがんだ!」

「お前が、私を怒らせることを言うからだ!」

「そんだけ、殴れる元気があれば大丈夫だな。ここは戦場なんだ……。じいさんを失って悲しい気持ちは分かるが、気持ちを切り換えないと、今度はお前が殺されるぞ。お前を失えば、京汎だって悲しむ」

 羊鮮は、韓岐の言葉にはっとした顔をした。

「韓岐……。お前……。わかった。心配をしてくれて、ありがとう……」

「わかったら。さっさと新しい馬に乗り換えろ。お前の尻が俺のに当たって、さっきから痛いんだ」

 韓岐はまた顔面に、羊鮮の拳を打ちつけられた。


 前鮮では、京州軍の騎馬隊と歩兵隊が崩されていた。

 戦場の中央にいる一人の男が大斧を振り回し、京州軍の兵士たちを倒している。先ほど、韓岐が倒したはずの阿猛であった。

 勢いにのった混冥隊は、衛と弓隊が布陣している位置まで近づいていた。

「衛! 大丈夫か!」

「韓岐さま! 急に敵の勢いが変わってしまって……。必死に弓で、応戦をしているのですが」

 そう言って、衛は、弓を引き絞って矢を放つ。その手からは、血が流れている。相当な数の矢を放っていたのだろう。

「衛、休んでいろ。後は、俺がやる」

「韓岐。お前一人では、無理だ。俺と騎馬隊があいつらを蹴散らす」

「そうだ、私も行く。あいつは、おじいちゃんの仇だ!」

「いや、京汎も羊鮮も止めておけ。あいつの雰囲気が変わっていて、やばい感じがひしひしと伝わってくる。このままだと、いたずらに兵士を失うだけだ。ここは、俺に任せてくれ」

 韓岐の額から、冷汗が流れていた。その韓岐の様子を見て、京汎も決意をする。

「分かった。お前があいつを倒したら、騎馬隊を出す。気をつけろよ」

 韓岐は、馬腹を蹴る。後ろ姿で、京汎たちに手を振ると、中央で暴れている阿猛に向かって駆けだした。そして、馬から飛ぶと、阿猛の頭に向かって跳び蹴りを放った。

 鈍い音――。常人なら、首の骨が折れて即死する蹴り――。

 韓岐は、阿猛を殺すつもりで蹴りを入れたのだ。だが、その阿猛は、首を回し、何ともないように、平然と立っている。

「今の蹴りを食らっても、死なないなんてな。混冥隊が化物の集団だって噂は、本当みたいだ」

「探していたぞ! お前を! よくも俺に恥をかかせてくれたな。今度こそ俺が、お前を殺してやる!」

「やってみろ!」

 阿猛は、韓岐に向かって大斧を振る。韓岐は、素早く動き、阿猛の腕に蹴りを入れる。阿猛が握りしめていた大斧は、吹き飛んだ。

 そのまま韓岐は、阿猛の懐に潜り込んだ。

 地面に力強く左足を踏み込むと、右拳を握りしめ阿猛の腹に突き上げた。だが、前回の戦闘のような手応えはない。

 阿猛は、韓岐の頭に拳を殴りつける。すんでのところで韓岐は腕を上げ、防御をするが、空いた腹に向かって、阿猛は前蹴りを入れた。

 吹き飛ぶ韓岐。なんとか、倒れずに踏ん張った。しかし、あばら骨はいくつかひびが入っただろう。内臓からの内出血により、口の中では、血の味がした。

「くそっ! 打撃が、効かないのか!?」

 韓岐は、驚いた顔を阿猛に向ける。そんな韓岐を見て、阿猛は、不気味な笑い声をあげた。

「ひゃっひゃっひゃ。俺にはお前の攻撃なんぞは、効かんぞ。この蔡用さまからいただいた、丸薬のおかげで、俺は強くなったのだ!」

 阿猛が、腰の袋から一つの丸薬を取り出す。その丸薬は、不気味な黒色をしていた。そして、その丸薬を阿猛は、口の中に入れて丸飲みをした。

 丸薬を飲み込んだ阿猛は、雄叫びを上げる。それと同時に阿猛の筋肉は、異常に隆起していく。髪が生えていない頭、全身は、血管が膨張していく。鎧は悲鳴を上げ、砕けていく。それだけ阿猛の体が、倍以上に膨れ上がっていたのだ――。

「お前を殺す!」

 身が震えるほどの阿猛の雄叫び。韓岐は、笑みをこぼす。

「そうか……。人間をやめちまったんだな……。それなら遠慮することない。久々に、本気が出せそうだ!!」

 韓岐は、駆け出した。その勢いを止めるように阿猛は、前蹴りを放つ。飛ぶ。空中での三段蹴り。阿猛の頭が、左右に揺れる。

「まだ、まだぁ!」

 着地。そのまま下段の蹴り。石と石がぶつかったような異音。だが、阿猛は崩れない。

「ふん!」

 阿猛の拳。その周りの空気までもが、吹き飛ぶような音をだして、韓岐の頭へと向かう。避ける。阿猛の腹に拳を突き上げる。効かない。

 そのまま、上段回し蹴り。韓岐は止まらない。下、上へと蹴り、拳の連続攻撃を加える。だが、岩を叩いているように阿猛は、微動だにしない。

「ちょこまかと、うるさい蠅だ!!」

 阿猛の右拳。防御。だが、衝撃を抑えることが出来ず、吹き飛ぶ。また、間合いが開く。

 阿猛の拳を受け止めた腕は、骨にまでその威力を伝えている。手甲をしていなければ腕の骨は、粉砕されていただろう。

 まわりの兵士たちが、息を飲んで二人の戦いを見ている。常人同士の戦いではない。お互いの兵士たちは、戦をすることを忘れ、固唾を飲んでこの一騎打ちを見守った。


「これは、やばいな。本当に負けてしまうかも……」

 韓岐は片目をつぶり、肩で息をする。目の前にいる阿猛の呼吸は、乱れてはいない。

「ゲッハ! ゲッハ! 絶望しているようだな! この阿猛さまに歯向かうからこうなるのだ! さぁ! 気持ちよく死ね!」

 阿猛が韓岐に向かって駆けていく。京汎を始め、京州軍の兵士たちは、不安な顔をする。しかし、韓岐だけは笑みをこぼす。

「だが、俺は韓家の人間だ。そして、韓家の者は、ただ一度も負けては、いけないんだっ!!」

 韓岐の下段の蹴り。だが阿猛は、笑う。

「馬鹿め! その攻撃は見切っているぞ!」

 が、韓岐の下段の蹴りは、「くんっ」と音を出し、途中で軌道を変え、阿猛の頭へと当たり、その頭を吹き飛ばした。韓岐の放った下段の蹴りは、上段の蹴りに変化させた。変則の蹴りは、阿猛にとって予想外であり、まともに韓岐の蹴りを頭に食らう。

「おおおっ!」

 雄叫びを上げながら、そのまま韓岐は、横に体を反転させ、阿猛に向かって飛び、浴びせ蹴りを放つ。韓岐の全体重を乗せた、浴びせ蹴りだ。

「その攻撃も、見切っていると言っているだろう!!」

 阿猛は、韓岐の浴びせ蹴りを頭で受け止める。そして韓岐の体を両手で掴み、上に持ち上げると、地面におもいっきり、叩きつけた。

「ぐはっ!」

 口から血が飛ぶ。韓岐は、咄嗟に受け身を取り、衝撃を和らげたが、痛みが全身に広がる。脳は揺れ、意識が飛びそうになった。

「韓岐が危ない! 衛殿! ここから弓で、あの怪物に当てられないのか!」

 京汎は、衛の体を掴かみ、揺らす。

「落ち着いてください。ここからでは、もしかしたら矢が韓岐さまにも当たってしまいます! 今は、見守ることしか……」

「しかし、よし騎馬隊をだすぞ! このままでは韓岐が殺されてしまう! おい、伝令を呼べ!」

「陛下! 阿猛が動きだしました!」

 京汎が伝令の兵士に、指示を出そうとしたところに、羊鮮の言葉が入る。京汎が振り向くと、阿猛は仰向けに倒れている韓岐に、とどめを刺そうとしていた。

「こいよ……。絶好の機会だぜ」

 韓岐の目は意識が飛びそうなのか、虚ろとなっている。

「まだ挑発をする、余裕があるとはな。言われなくても、すぐに楽にしてやる!」

 阿猛は、倒れている韓岐の顔面に向かって拳を振り落す。が、韓岐はすかさず阿猛の腕を掴むと、両脚を上げ、両脚を阿猛の首――頸動脈を締め上げた。

「ぎ……ざ……ま」

 阿猛の血管は、さらに膨張をしている。

 腕は掴まれ、首は両脚によって締められているため、韓岐の技から、抜け出すことが出来ない。何よりも、自分の肩と韓岐の脚によって頸動脈が挟まれていることにより、阿猛は呼吸が出来ないでいた。

「三角締めと呼ばれる絞め技だ。もうお前は、この技から抜け出すことは出来ない」

「は……じめ……か……らこれを……ねら……って……」

 阿猛の口から、泡が出る。もう、少しの空気も阿猛の体には、入っていないだろう。

「韓家の武術は、打撃技だけではないんでね」

 韓岐は、締め付けの力をさらに強くした。「ぎゅう」と言う音が鳴る。

「落ちろぉ!!」

 阿猛は白目を向き、倒れた。一瞬の静寂の後に、京州軍の陣営からは、歓喜の声が上がった。

 韓岐は、息を切らして起き上がる。すぐに韓岐の横を騎馬隊が横切った。

京汎が率いる騎馬隊が、雄叫びを出しながら、隊長を失って、混乱をしている混冥隊に向かって、突撃をしていた。

「韓岐様さま! 大丈夫でしたか!」

 衛と羊鮮が、韓岐に駆けこんできた。

「なんとかな……。痛てて。あばらを何本かやられたよ」

「すごいな……。あんな化物を倒して、しまうなんて……」

 羊鮮が近づく。

「俺は韓家の人間だ。韓家の人間は絶対に負けられないんだ。でないと皇帝の護衛官として抑止力な無くなってしまうからな。それにじいさんの敵討ちもあったし……」

 韓岐の言葉に、はっとする羊鮮。

「韓岐……。ありがとう」

 羊鮮は、下を向きながら照れくさそうにして、韓岐に向かって呟いた。

「えっ、聞こえないなあ。もっと大きな声で言って貰わないと」

「この!」

 羊鮮は、韓岐の腹に蹴りを入れた。

「やめろ! さっきの戦いで怪我をしているんだぞ!」

「うるさい! お前の性格が悪いからだ!」

 逃げる韓岐を追い立てる羊鮮。その光景を見て衛は、呆れて溜息をついた。

 京汎の騎馬隊が、混冥隊を追い返していたが、まだ、戦は終わっていなかった。

 韓岐たちのすぐ側に、一角の角を兜に身に着けた騎馬隊。馬延率いる一角青騎兵が現れたのだ。


 騎馬隊が、韓岐たちの目の前に並んでいる。

 正面中央にいるのが、馬延将軍だろう。一際、装飾された甲冑を身に着けている。馬延が合図を出せば、数千ほどの騎馬隊が動くはずだ。

 京汎たちの騎馬隊は、混冥隊を追い散らしている。

 韓岐の後ろに控えているのは、歩兵隊と弓隊。そして橋の向こうには、混冥隊の殺戮から逃れてきた、豊陽城の住民たちがいた。

 あの騎馬隊が、突撃を仕掛けてくれば、一溜りもなく、蹴散らされてしまうはずだ。それを想像すると韓岐の体には、冷汗が流れた。

「衛たちは、後ろに下がれ。俺があの将軍をやる。指揮官を失えば、混乱をするはずだ。そうすれば、時間を稼げるだろう……」

「韓岐さま、手負いの身では、無理ですよ!」

「そうだ! お前だけではあの騎馬隊を抑えられないよ! 私もやる!」

「しかし……」

 正面中央の馬延が、こちらに向かって駆けてきた。咄嗟に韓岐たちは身構える。しかし、騎馬隊たちは動かない。馬延は、数名の護衛を連れてきただけだ。

「邦州一角青騎兵隊将軍の馬延だ。お初にお目に掛かる。先ほどの戦いは、見せてもらった!」

 透き通った良く通る声が、戦場に響いた。

「そこの青年とは、一度、お会いしていたな。素晴らしい戦いであった。我らは敵ながら、お主の強さに、感服していたところだ。青年、名前は?」

「韓岐だ。一体、どうゆう風の吹き回しだ? 戦はまだ終わっていないだろう……」

 韓岐たちは、いぶかしげな顔を馬延に向ける。

「我らの任務は、豊陽城の奪還だ。目的は既に達せられた。民を抱えている京州軍に対して、戦はしない。我らは、混冥隊とは違う。無駄な殺生をしたくないのだ」

「いまいち、信じることが出来ないが……」

「これ以上、民までも殺戮すれば、噂は近隣諸国に広がる。そうなれば、邦州は信望を失い孤立をしてしまうだろう……。戦をここで止めるのは、我らの王のためでもあるのだ」

 馬延のまっすぐな青く光る瞳が、韓岐を見つめた。韓岐は、しばらくその瞳に魅入られた。

「分かった……。戦を止めるのは、こちらも願ったり、叶ったりだ」

「それでは、一角青騎兵は、ここで引かせてもらう。しかし、韓岐殿の戦いは遠目で見せてもらったが、素晴らしかった。我らは、勇者を尊敬する。敵でなければ、語り合いたいってみたいところだ……」

 しばらく、韓岐と馬延は見つめ合った。

「勝手なことをしてもらっては困るな、馬延……」

 どこからか、低い声が聞こえた。韓岐たちが左右を見渡すと、いつの間にか、集団が現れた。混冥隊の集団だ。馬延の後ろには、男の姿が見える。

「お前は! 孫興(そんこう)!」

 馬延が、声の方向に振り向いた。

「戦は、終わっていないぞ。京州の殺戮が、我らの王の望みだ。戦意のない者は下がっていろ」

 低く淡々とした声色が、韓岐たちにも聞こえる。その男は、阿猛と比べて小柄であるが、異様な雰囲気を漂わせていた。

 こいつが混冥隊の親玉だ――!

 咄嗟に韓岐は思った。阿猛とは比べものにならない程の、闘気を感じる。韓岐の背中には鳥肌がたつ。やばい感じしか、しない――。

 孫興の堀深い瞼が、静かに韓岐を睨んでいる。その左顔には、大きい青痣があった。

「衛! 羊鮮! 下がっていろ!」

「え!?」

 二人の声。韓岐は、苛立つ

「早くしろ! 全軍を急いで退かせろ! こいつは、さっきの奴とは違う!」

 孫興が動いた。韓岐に向かって、跳び蹴りを放つ。咄嗟に韓岐は、腕を上げて防御をした。

「お前が、韓家のこせがれだな。お前を殺して、俺が最強の武人としての名誉を手に入れる!」

 孫興も武術を使うのかと、韓岐は思った。

孫興から間合いをとる韓岐。後ろでは、衛と羊鮮が心配そうな顔をしている。横に控えている混冥隊は、動かない。

「心配するな。お前を殺してから、混冥隊を動かす。俺は、韓家の人間との戦いを望んでいたのだ。皇帝の護衛官としての実力を、見せてみろ!」

孫興の闘気。韓岐は一瞬、後ずさりをしたが、すぐに全身に力を入れて、その闘気に耐えた。

 衛、羊鮮、馬延、そして周りの兵士たちは、その異様な雰囲気の光景に、時間が止まったような感じがした。


 目の前の孫興は、韓岐よりも少し背が高いだろうか。しかし、その体躯は、無駄な脂肪がついておらず、そして、端正に整えられた筋肉が見える。こいつも阿猛が使っていた丸薬を飲んでいるはずだ。

「来ないなら、こちらから行くぞ!」

 孫興が前にでる。下段の蹴り。重い一撃。そのまま、韓岐の顔に向かって上段の蹴り。顔を後ろに下げ、すんでのところで避ける。韓岐の頬は、切られ、血が流れた。かまいたいちのように鋭い攻撃だ。

「しゃあ!!」

 韓岐の反撃。体重を乗せて、右拳を真っ直ぐに突き出す。孫興は身をねじり避ける。

 韓岐の空いた顔に膝蹴りを放つ。韓岐は、身を後ろに倒し、避ける。孫興が、倒れていく韓岐に拳を振り落す。が、韓岐は、地面に手を突き、孫興の体に蹴りを放ち、突き飛ばす。また、韓岐と孫興との間合いが広がる。

 孫興が、笑っていた。

「さすがは、韓家の人間だな。楽しませてくれる」

「俺は、全然楽しくないけどな」

 韓岐は、肩で息をする。なんとか互角の勝負に持ち込めているが、こちらは手負いの身。時間がかかれば形勢は、不利となるだろう。

「韓家の人間は、一度も負けてはいけないという、不文律があると聞く。だがその不文律も今日で、終わりだな」

「ふん。やれるものなら、やってみろよ」

 孫興は、ニヤリと笑う。

「口だけは達者なようだな。武を志す身としては、韓家の人間に勝つことが至上の喜びだ。遠慮なくやらせてもらうぞ!」

「薬を使って強くなっている奴が、何を言ってやがる!」

「勝てればいいのだ……。勝てれば、――なっ!」

 孫興は、一気に韓岐との間合いを詰める。

 孫興の下段の蹴り。足を上げて防御をするが、下段の蹴りは軌道を変えて、上段の蹴りに変わった。がら空きであった韓岐の頭は、吹き飛ぶ。血が空中に舞う。韓岐の鼻からは、血が出ていた。

「この野郎!」

 態勢を立て直した韓岐は、間合いを詰めてくる、孫興に上段の蹴りを放つ。脚を掴まれる。韓岐は、そのまま跳ね飛ぶ。空いた左足で、孫興の頭を蹴る。そのまま韓岐は仰向けに倒れる。孫興は、腕を振り落とす。

「ちいいぃ!」

 韓岐は、先ほどのように、蹴りを放ち、孫興を突き離そうとするが、見破られ避けられる。

 韓岐の顔に、孫興の拳が当たる。が、その拳を額で受け止め、そのまま腕を掴み、両脚を上げた。

 阿猛に使った三角締めを掛けようとする。しかし、孫興は、腕をねじり、三角締めから逃れる。倒れている韓岐を蹴りあげようとするが、咄嗟に後転し、避ける。

 立ち上がった韓岐は、右拳を孫興の顔面に突き出す。しかし、孫興はその韓岐の腕を掴み、両脚を使って挟み込んだ。そのまま、回転をすると、地面に倒れ込み、韓岐の腕を伸ばす。

 韓岐の肘の筋が「ぴしいっ」と音を立てた。

「どうだ、関節技は! 降参しろ。俺の部下になると言うのなら、助けてやる」

 腕の筋が悲鳴を上げている。そして、激痛。このままでは、韓岐の腕が折れるだろう。しかし、この関節技から逃れる方法は、一つしかない――。

「誰がお前の部下になるか。お前に折れる覚悟なんて、あるもんか!」

「そうか……。では、手加減はしない!」

 孫興がさらに体重を乗せて、腕をひっぱる。韓岐の腕から、骨が叫ぶ音がなる。腕が折られた。韓岐の腕がだらりとする。

 韓岐はすかさず、そのだらりとした腕を、引き抜き、孫興の関節技から逃れた。

「あそこから、逃れるとはな……。貴様! わざと折らせたかっ! まだ、戦う意思はあるようだな!」

「知っているだろう。韓家の人間は負けることは、できないんだよ」

 韓岐の右腕は、だらりとしている。もうこの戦いでは、この腕は使うことが出来ないだろう。それでも戦う意思は消えなかった。だが、勝てる要素が一つもない。それだけ、孫興の力は強く、武術の技術は韓岐よりも、はるかに上であった。

 孫興が距離を詰める。そこに、剣が飛んできた。孫興は止まる。韓岐と孫興の戦闘を止めるように、剣が地面に刺さった。

「孫興! 戦は終了だ! いま伝令が来た。停戦だ。京州と二年の停戦が決まったそうだ」

「何!? 停戦だと!? どういうことだ!?」

「皇帝陛下の勅命(ちょくめい)が、邦盛王さまの下に来たようだ。停戦をしなければ、諸侯の軍勢を進めるとな。既に、国境付近まで、各諸国は、軍を準備しているらしい」

「勅命だと!? なぜ、今になって皇帝が動く!?」

「そうか……。間に合ったようだな。兄さんがうまく、皇帝を説得してくれたみたいだ」

「お前の仕業ということか……。ふははは! いいだろう。今は引いておいてやる。だが、二年後、お前を殺して、俺が最強の称号を手に入れる。それまで、首を洗って待っていろ!」

 孫興は、混冥隊たちに合図を出すと、引き上げていった。


 衛と羊鮮は、孫興との戦いで、傷だらけになった韓岐に近づき、体を支える。

 韓岐の顔、体は痣だらけで、血が滲んでいる。そして、孫興に折られた右腕は、だらりと下げられていた。

「韓岐さま! 今は動かないで下さい。後で添え木を腕に着けます。しかし、驚きましたよ。あそこで挑発して、腕を折らせるなんて……。変な折れ方をして、二度と動かせなくなったら、どうするんですか!」

「ああ……。すまない。ああするしか、方法がなかった……」

「韓岐さま?」

 韓岐の体が、小刻みに震えている。そして、唇を噛み締めていた。恐怖からくる、震えではない。

 惨敗だった。

 あのまま戦いが終わらなければ、確実に負けていた。こんなことは、初めてだった。初めての負け試合……。韓岐は、全身の痛みよりも、その負けたことが、一番の苦痛であった。

 韓岐を支えている衛と羊鮮に、馬延が近づく。

「韓岐殿、大丈夫か? まさか、皇帝陛下の勅命を引き出すとは、驚いたぞ」

「いや、あんたのおかげで助かったよ。あそこで、止めに入らなかったら、確実に殺されていた。礼を言うよ」

「礼には及ばない。混冥隊のやり方には、私も嫌気がさしていたからな。しかし、あの孫興とあそこまで戦えるとは……。あの孫興という男は、邦州国内でも有名でな。戦うことを喜びとしていて、手が付けられない男だ。昔、誰かに負けてからは、姿を消したと聞いていたが……。まさか、混冥隊の指揮官をしていたとは……」

 馬延は、話を続ける。

「皇帝陛下の勅命は、近隣諸国の軍勢も動かしたらしい。民を虐殺する邦州に皇帝陛下は、怒りを覚えているということだ。四方から攻められては、いくら邦州でもたまらんからな。これからまた、他の州との戦だろう。これも韓岐殿の策か?」

「それは、兄さんが考えたことだろう。俺は、皇帝を動かしてくれと、兄さんに手紙を送っただけだから……。あんたは、また戦でいいのか?」

「私の本心は、戦のない平和を望んでいる。だが、私は邦州の馬家の人間。我が王の命令には、従うのみ。お前が韓家の人間として、負けてはいけないということと、一緒だ」

「そうか、勿体ないな。そんなに綺麗な人なのに。女として生きていけば、いいところにも嫁げたものを……」

「韓岐さま!」

「韓岐! お前!」

 衛と羊鮮は、韓岐の言葉に驚いた顔をする。韓岐もはっとした顔をした。

考えて出た言葉ではない。自分でもなぜそんな言葉が出たのか分からない。目の前にいる馬延は、顔を赤らめていた。

「ありがとう。そんなことを言えるぐらいだから、まだ、元気なようだな。では、二年後、まだ私が死んでいなければ、次に会うときは、戦場かもしれん」

 馬延は、馬に跨り、後ろを振り向く。

「二年後。それまで、その言葉を覚えておくよ……」

 馬延が、呟き、馬腹を蹴って駆け出す。

 その馬延が呟いた言葉は、韓岐たちには、聞こえなかった。馬延は、後ろに控えている一角青騎兵に退却の指示出すと、戦場を後にした。

「韓岐さま、なぜ敵の指揮官にあんな言葉を!? 普通の韓岐さまなら、人に褒めることを言う人では……。まさか、頭を打ち付けられて、おかしくなってしまったのでは!?」

「おかしくなってねぇよ! 俺だって何であんな言葉がでたか、分からないんだよ!」

「最低だ……。あんたがそんな男だとは思わなかったよ……」

 羊鮮の顔は、茫然としている。衛は、韓岐の変わりぶりに混乱しているのか、正気の顔をしていない。

「うるせい! 人が落ち込んでいるときに、取り乱しやがって! 痛てて。衛、こっちの腕は、折れているんだから、ちゃんと支えてくれよ!」

「韓岐、大丈夫か!?」

 声の方向に振り向くと、馬に乗った京汎が、血相を変えて、駆け込んできた。

「ああ、なんとか大丈夫だ。腕は、一本やられてしまったけどな」

「ああ俺も、戦で傷を負ったが、お互いに生きていて、良かった……」

 京汎は、ニコリと笑った。見ると京汎の腕から血が流れている。

「それはそうと、皇帝陛下の勅使が来ているらしい。お前が呼んだのか?」

「ああ、兄さんに頼んで、皇帝陛下を動かしてもらった。言ったろ、秘策があるって」

「しかし、こんなところで、皇帝陛下の勅使を出迎える訳にはいかんな。とりあえず、近くの城に戻ろう」

 京汎と韓岐は戦場を後にし、近くの城へと移動をした。戦場では、混冥隊により、殺された多くの死体が残されていた。


 韓岐は、衛から治療を受ける。

 腕に添え木を着けて、包帯を巻くと、応接の間へと向かった。応接の間では、皇帝陛下の勅使(ちょくし)が上座に座り、それを京汎と近臣が出迎えていた。

「皇帝陛下は、非力な民をも虐殺していく邦州の横暴にお怒りである。して、今回は、京州に同情をし、邦州と京州の戦を停戦せよとの勅命を発せられた。京州は、この勅命にとくと従うように」

「ははっ!」

 京汎は立ち上がり、頭を下げた。

 皇帝陛下の勅命。この勅命の効果は、絶大だ。

 普段は、勅命が発せられることはないが、一度、発せられれば、州の王たちは、その命令に従わなければならない。いくら、皇帝の力が無くなったとはいえ、従わなければ、諸侯からの信望を失い、その国は、孤立をする。

 国が孤立をすれば、後は、滅びが待っているだけだ。だから、邦州も停戦の勅命に従ったのだろう。

「だが、邦州の横暴は、留まることをしらない。既に邦州は、勅命によって、邦州に軍勢をすすめた各州に、戦を仕掛けているようだ。このままでは、邦州の版図は大きくなるばかりである」

 皇帝陛下の勅使は、一度、息を吸い込むと、さらに話を続けた。

「そこで、京州に邦州討伐の任を命ずる。二年の停戦の間、邦州を討伐するべく力をつけるのだ。これは、その書簡だ」

 皇帝陛下の勅使は、京汎に書簡を渡す。

 これで、京州は邦州に攻め込む大義が手に入ったのだ。これがあれば、諸侯を味方につけることもできるかもしれない。

「そして、韓岐よ。そこにいるのだろう」

「俺!?」

 韓岐は勅使に急に呼びかけられて、驚く。

「こっちに来い。お主にも勅命が出ている。お主をこれから州の王を助ける『護影士(ごえいし)』の任に命ずる。お主は、これから、皇帝陛下の影の家臣として、京州の王を助けるのだ」

「護影士!? なんだ、それ?」

「お前、皇帝陛下の勅使になんて態度を!?」

 京汎は、韓岐の不遜な態度に、慌てる。

「うむ、よい。皇帝陛下は、現在の状況を不安視されていてな。なんでも邦州は、皇帝陛下をも討ち倒そうと、画策しておるらしい……。そこで、この護影士という新たな官名を新設された。韓家の人間であるお主が、影で動き、皇帝陛下に対する危険分子を取り除くのだ」

「要するに、俺は勅命によって京汎を助けても良いってことね。名ばかりの官名なんか作ってないで分かりやすく、言えば言いのに……」

「何か言ったか?」

 勅使の白い眉が、ぴくりと動く。

「言え、何も言ってません」

「ごほん。まあよい。この、印綬をお主に下賜する」

 勅使は、印綬を韓岐に手渡した。丸い印綬は、金色に輝き、中央に「影」という文字が刻まれていた。

「危険分子は、邦州だけではないが、一先ずは、京州を助けて、邦州の王、邦盛王を取り除け。お主は、その任務に対する抵抗をする者の、生殺与奪権がある」

「分かった」

 韓岐が、真面目な顔をする。生殺与奪権があるということは、それ程、この護影士の任は、重い官名なのだろう。こんな危ない官名を考えたのも、兄さんかもしれないと、韓岐は思った。

「それでは、我々は失礼する」

「誰か、皇帝陛下の勅使を送ってまいれ」

 京汎が声を上げると、数名の従者が、皇帝陛下の勅使を連れて行った。

「韓岐、これからどうする? 皇帝陛下の勅命をもらったとはいえ、俺は二年後にあの邦州に勝てる気がしない……。お前が立てた、豊陽城の奪還の策も見破られていた訳だし……」

 京汎の言葉に、韓岐はしばらく黙っていた。そして、思いついたように言葉を発した。

「京汎、俺に考えがある。ここでは話せないから、お前の部屋に行こう」

「俺の部屋? 分かった直ぐに行こう」

 韓岐と京汎は、京汎の寝室へと向かった。


「それで、お前の考えとはなんだ?」

「うん、まず二つあるんだが、一つは、軍師を探そう。お前には、邦州の蔡用のように戦略を相談できる相手がいない。まず、それが一つだ」

「相談する相手? 韓岐がいるじゃないか」

「俺では駄目だ。京州のことなんて詳しく知らないし、何より、大軍を動かす知識がない。俺は、黒衣隊のような少数の部隊を、動かせるぐらいだ。まずは、軍師を探そう」

「しかし、軍師なんて、そう簡単にいるもんなのか? 俺には、分からないが……」

「俺と衛で京州内を探してみるよ。一人ぐらいは、いるだろう」

「なんか、雲を掴むような話だな」

 京汎が、自分の頭を掴む。

「それで、もう一つのお前の考えは?」 

「それなんだが、今回の俺の作戦は、邦州にばれていたらしい。これは、黒衣隊からの情報だ。多分の混冥隊との戦の最中に聞いたのだろう。たしかに、豊陽城の奪回の時に、邦州軍の戦意が感じられなかったからな」

「それじゃあ、京州内に内通者がいると言うことか!」

 京汎は、目を見開き驚いた顔を韓岐に向けた。

「お前が王位を引き継いで、まだ浅いからな。大方、京州の領土を餌に、情報を流していたんだろう。その内通者は、京州を手に入れたいようだな」

 韓岐は、自分の前髪を掴み、まくし上げた。

「それで、俺の部屋で話をした訳か。内通者がどこにいるか、分からないということで……」

 京汎は頭を下げる。落ち込んでいるのだろう。まさか、自分の身内で内通者がいるなんて信じられないはずだ。

「しかし、州内に内通者がいたのでは、邦州を打ち倒すなんて到底、出来ないぞ!」

「落ち着けよ。それも考えてある。お前は、これから暗愚な王となれ」

「へっ?」

 京汎の間抜けた顔。思わず韓岐は、笑いそうになる。

「これからお前は、政務も取らず、毎日酒を飲み、女と遊ぶんだ。うん、暗愚な王の典型的な例だな」

「お前、俺を馬鹿にしているのか!」

「だから、落ち着けって。化かされたと思って試しにやってみろよ。俺は、その間に人材を探す。京州に必要な人材を、な」

 韓岐は笑い、京汎の肩に手をのせた。京汎は、まだ韓岐の言葉を理解できず、間の抜けた顔をしていた。



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