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第二章 豊陽城の奪還戦

第二章 豊陽城(ほうようじょう)の奪還戦


 邦州軍(ほうしゅうぐん)の退却の知らせは、砦内の雰囲気を明るくした。

 韓岐は、邦州軍の追撃隊を追い返すと、弓で援護をしていた衛を拾い、京州(けいしゅう)の砦へと向かった。

 京汎王(けいはんおう)は、砦内で韓岐と(えい)の出迎えをすると、すぐに宴を始めた。あまりにも韓岐と会えたことが嬉しかったのか、それともたんに酒好きの男な、だけなのかもしれないが……

「おい、京汎。いくらなんでも毎晩、毎晩、宴をすることもないだろうに……」

「いいじゃないか。こんな時でもないと、騒いで酒を飲むことが出来ないからな。邦州軍を追い返すことが出来たのは、久方ぶりなんだぞ」

「呆れた。追い返したのは俺だぞ。お前は、邦州軍の兵士に危うく首を斬られるところだったんだ。少しは、反省をするということをだな……」

「まぁ、細かいことはいいじゃないか。お前のその小言、衛殿に似てきたな」

「なっ!」

 韓岐は、顔を赤くする。京汎は、そんな韓岐を見て満面の笑顔を見せると、手に持った酒を一気に飲み干した。

 韓岐は、そんな京汎を見て呆れたが、やはり憎めない奴だと思った。

 京汎の陽気な性格は、昔から変わらない。無垢な笑顔。これが京汎の魅力だ。韓岐は、どこか憎めない京汎をやはり好きでいた。

「だけど、京汎。宴をするのも結構だが、今後の戦略はどうするんだ? 邦州軍を追い返したところで、また攻めてくる。どこかで攻めに転じないと、また防戦一方になるぞ」

「そうだな。京州の領土も大分、小さくなってしまった……。とり合えず、俺らの自慢の騎馬隊で攻めに攻めまくるっていうのはどうだ。これなら邦州軍も、一溜りもないだろうさ」

「馬鹿! そんなの戦略とは、呼べないだろう。また邦州軍の反撃に合うのが目に見えている。戦略として考えるなら……。そうだな、まず豊陽城(ほうようじょう)を取り返すというのは、どうだろうか?」

「豊陽城か……。たしかに、あそこの拠点は京州にとっても重要な城だ」

 京汎は、はっとしたような顔を韓岐に向ける。

 豊陽城は、邦州に奪われた京州の領土だ。肥沃な土地と四方に整備をされた道路を有している。この拠点を取り返すことが出来れば、邦州に楔を打つことができ、圧力をかけることができる。

 そして、豊陽城を拠点の中心とすれば、整備された道路のおかげで、邦州への侵攻も楽になるはずだ。それだけ、豊陽城は、重要な拠点であった。

「さすがだな。知恵もあるお前は、やはり凄い男だ」

「お前は、一州の王として自覚が無さすぎるんだ。お前は京州の民の命を預かっているんだぞ。少しは考えて行動をしろ」

 京汎が、少し頭を下げた。少し言い過ぎただろうか。いや、そんなことはない。それ程、一州の王の責任は重い。非力な民のためにも愚昧な王では、いけないのだ。

「まぁ、とにかく俺も豊陽城の奪還までは、協力してやるよ」

「なんだ。ずっとここにいないのか?」

「ずっとは、いられない。あんまり韓家の人間が、皇帝陛下の勅命もなしに、一州に加担するのも良くないからな。今回だって、兄さんにはきつく止められたんだ」

「そうか、少し淋しいが、韓岐に助けてもらえただけでも感謝しないとだな」

 京汎は立ち上がり、韓岐に背を向ける。その背中は、少し寂しげに見えた。

「京汎……」

「そうと決まれば、また飲みなおさないとな! 豊陽城奪還の前祝いだ!」

 京汎は振り向くと、満面の笑みを向けた。

「てめぇ! 本当に反省したのか!」

 京汎に飛びつこうとする韓岐。京汎は、ひょいと避けると、韓岐から逃げ回った。

「わははは。こうやってお前と走り回るのも久しぶりだな」

 京汎の笑い声が、室内に響き渡る。そこに衛の悲痛な声が聞こえた。

「韓岐さま~。 助けて下さい~」

「衛、どうした!?」

 室内の入り口には、真っ青な顔をした衛が、立っている。口には手を当てていた。

「あの人達が、飲めないと言っているのに、私に無理やりお酒を……」

 後ろには、京汎の直属の家臣たちが、酒で陽気となった顔をほころばせながら立っている。京汎の陽気な性格が家臣にもうつっているのだろうか。

 衛は、酒が全くといっていい程、飲むことが出来ない。今にも吐き出しそうな顔をこちらに向けている。

「もう駄目です。うぷっ」

「馬鹿! 衛、ここではやめろ!」

 韓岐の言葉は遅く、そこには、衛の腹から出たものが床にぶちまけられた。

「わはは。これは面白い! 衛殿、酒は吐き出すほど飲んで強くなるのだ! さあ、みんな、衛殿に続いて飲むぞ!」

 京汎の言葉に家臣たちは、陽気に大声あげた。衛は、吐いて、気を楽にしたのか、そのまま床で眠っている。韓岐は、その眼に映る光景には、呆れて言葉も出ないくらいだ。

 韓岐は、巻き込まれては面倒だと思い、逃げるように自分の部屋へと戻っていった。


 次の日、韓岐は京汎の部屋へと向かったが、京汎の姿は、既になかった。

 従者に聞くと、朝早く起きて政務室にいると聞いた。どうやら、韓岐の言葉に反省をして、真面目に仕事をしているようだ。従者は、京汎の珍しい行動に笑みをこぼしている。普段は政務などを、する男ではないのだ。

 韓岐が政務室に向かう途中、衛に会った。衛は、二日酔いで苦しそうな顔をしている。韓岐と話すのも辛そうだ。

「衛、大丈夫か? 相当ひどい顔をしているぞ」

「韓岐さま……。頭が痛くて困っています。気持ちも悪いですし……。また吐きそうで……」

「お前、ここでは止めろよ。昨日もぶちまけやがって」

「お恥ずかしいかぎりです……」

「今日は部屋で休んでいな。俺は、少し京汎と話してくる」

「すみません。従者として、韓岐さまのお側にいないのは、いけないことですが、今回はお言葉に甘えて休ませてもらいます」

 衛は、よたよたと歩き出していった。韓岐は、その後ろ姿を見て溜息をつき、呆れた顔をした。

 政務室へと入ると、京汎が頭を抱えて、書類と向き合っていた。韓岐が京汎に声を掛けると京汎は、政務室に入った韓岐に気づく。

「韓岐か。衛殿の具合はどうだ?」

「だいぶ辛そうだったな。あんな衛を見たのは、久方ぶりだよ。今は部屋で休ませているから、心配はないだろう」

「それなら良かった。少し俺も騒ぎすぎてしまったからな。衛殿には後で、謝りに行こう。京州の国を嫌いになってほしくないからな」

「あんな陽気なのは、お前の直属の家臣だけだよ。それにしても、京汎が書類と向き合っているなんて、似合わないことをしているな」

「俺だって、一州を治める王なんだ。政務ぐらい真面目にやるさ」

「従者に聞いたら、俺の言った言葉に反省をしいると聞いたぞ。素直なやつだな」

 韓岐は、にやけた顔を京汎に向ける。明らかに京汎を馬鹿にしている。

「う、うるさい! お前は俺をからかいに来たのか!」

「そう、怒るなって。実は、一晩考えて豊陽城を奪還する戦略を考えていたんだ」

「本当か! あそこは、邦州も需要拠点だと分かっているみたいで、守りを堅くしていると聞いているが……」

「そこなんだが……。たしか京州の部隊に防諜や攪乱の任を主にしている、少数の部隊があったよな?」

黒衣隊(こくいたい)のことか?」

「そうだ。そこの隊長を呼んでくれないか?」

 京汎は、従者を呼び黒衣隊の隊長を呼ぶように命じた。しばらくすると政務室に黒衣で身を包んだ老人が入ってきた。老人だが、やはり鍛えているのか、引き締まった体躯をしている。片目は、切り傷によって潰れていた。

「殿、お呼びになりましたか」

「待っていた。豊陽城を奪還するために、韓岐が黒衣隊に話があるようだ」

「おお、噂には聞いておりますぞ。邦州軍の追撃を一人で食い止めたとか。まさか生きているうちに皇帝陛下様の護衛官にお会いできるとは、思いませんでしたが……。申し遅れました、黒衣隊の隊長を務めております、羊尚(ようしょう)です」

「正確に言うと皇帝陛下の護衛官は、兄が務めているんだけどな。まあ、よろしく」

「で、豊陽城はどうやって、奪還をするつもりなんだ?」

「よし、策の説明をしよう。この地図を見てくれ」

 韓岐は、手に持っていた地図を机の上に広げる。

「豊陽城には、多くの邦州軍が駐屯をしている。まずは、この豊州城の北の土地に京州軍の主力を当てる。さすがに、豊陽城に駐屯をしている邦州軍も見逃せないだろうから、兵を率いて出てくるだろう」

「少なくなった豊陽城を攻めるということか? それは無理だろう。豊陽城だって城門を閉じているはずだ。攻めている間に、場外に出た邦州軍が戻ってきてしまう。それに囮の兵は、京州軍の主力だ。豊陽城を攻めることが出来る兵は、少数になるぞ」

「分かっている。そこで、黒衣隊を使う。羊尚、黒衣隊は、密偵や防諜の任を得意としているな?」

「はい。その為の訓練は、常にしてきております。身のこなしだけが我が隊の自慢ですから……。まさか!? 我々の隊だけで豊陽城を攻めると!?」

「攻めはしない。城内に潜入をして、豊陽城の門を開くだけだ」

「それも無謀ですぞ! 我が隊は、五十名程の小部隊じゃ。いくら主力がいないと言っても数千程の守兵がいるはず!」

「そうだぞ、韓岐! この策では、黒衣隊を無駄に、死なすだけだ」

「大丈夫だ。黒衣隊の任務には、俺も参加する」

「韓岐殿が? 韓家の者が味方してくれるなら、心強いですが……」

「門を開けて、城内に火を放つだけだ。混乱している兵に、三千の騎馬隊を当てれば、すぐに落とせるだろう。どうだ?京汎。やってみる価値は、あると思わないか?」

 京汎は、目をつむり、腕組をしている。韓岐の策を頭の中で考えているようだ。

「豊陽城を取れば、外に出ている邦州軍も挟撃できるという訳か……。うん、面白そうだ。その策に賭けてみよう! このまま何もしなければ、邦州軍にじわじわと領土を取られていくだけだしな!」

「わしも久方ぶりに血が騒いできました。韓岐殿、宜しくお願い致します」

「こちらこそ。宜しくな」

 韓岐は、羊尚と握手を交わした。

 韓岐は、その羊尚の皺に覆われた手を、暖かく感じた。


 馬延は、豊陽城の守備に任じられていた。

 が、ほどなくして、邦州の首都から、召還命令が下された。次の作戦の評定を開くということだ。

馬延は、数人の共を連れて、急ぎ邦州の首都へと帰還をした。

 宮中へと入ると、既に各武官、文官達が集まり、それぞれが決められた場所へと整列をしていた。奥には、玉座があり、その横には、蔡用が立っている。馬延は、自分の立つ場所へと向かい玉座を見つめた。

邦盛王(ほうせいおう)さまが只今、お見えになりました!」

 家臣が大声を上げる。馬延以下の群臣たちは、体を硬直させ緊張をした。

 玉座の横から、邦盛王が現れた。

 背丈は高く、その顔は見事に整えられた髭を蓄え、鼻梁は高い。邦盛王のその姿は、英雄の風貌だ。しかし、その切れ長の目は、獲物を狙う獣の様な目をしている。

 その邦盛王の目に睨まれれば、誰もが恐れをなす。現に、群臣たちは緊張をしている。それは、邦盛王の目だけが理由ではなかった。

 邦盛王は、おもむろに玉座に座り、足を組む。そして大声をあげた。

「報告は聞いた! 京州を制圧することは、出来なかったそうだな! 馬延よ。その理由を述べろ!」

 馬延は、横に並んだ群臣たちから、飛び出し、玉座の前に出て膝をついた。

「申し上げます! 京州の制圧は、あと一歩のところでした。しかし、皇帝陛下の護衛官である韓家の者が、援助されたのです。今回の制圧出来なかった要因は、それかと……」

「黙れ! 過程などは、どうでもよいことだ! 余は、結果だけを求める! お前たちもそうだ! 我が邦州の家臣たちに軟弱者は、必要ない!」

 邦盛王は、ぴしゃりと答えた。群臣たちは、頭を下げる。 

「して、蔡用よ。次の策を述べろ。京州を制圧する策をな」

「はっ。京州いる内通者からの報告によると、京州は、策を使って豊陽城を奪還する計画を密かに進めているそうです」

 京州に内通者がいるのは、馬延には、初耳だった。しかし、ありえないことではない。

 京州の王、京汎王は、京州の王家を継いだばかりで、まだ若い。反発している家臣もいるのだろう。そこに蔡用が、金品や領土の安堵をちらつかして、こちらに寝返工作をしていのかもしれない。

 蔡用は、杖を地面に向かって力強く突き、言葉を続けた。

「そこで、その京州軍の策を逆手に取り、豊陽城は、あえて京州軍に制圧させます。その制圧された豊陽城に、混冥隊を放つのです!」

 蔡用のしわがれた言葉に、邦盛王は、にやりと笑う。

「混冥隊をな……。あの隊は、北方の異民族との戦いおいて、成果をあげていると聞いている。混冥隊を使えば、京州軍も一溜りもない……な」

「そうです。豊陽城は、土地も肥沃でありますが、我らにおいては、必要のない土地。豊陽城が存在すれば、京州に利するだけです。混冥隊によって、豊陽城を灰塵にさせます」

「民をも虐殺する混冥隊……。豊陽城は暫く、使い物にならないということか……。面白い! その策を許可する!」

「陛下、申し上げます!」

「馬延よ、なんだ?」

 馬延が、さらに玉座へと近づく。馬延は、邦盛王の睨めつける目が、降り注いでいるのを感じた。震える体を、押さえつけ、腹に力を入れ、声を上げた。

「陛下! 混冥隊をお使いになるのは、お止め下さい! 民をも虐殺すれば、民心は離れてしまいます。また、皇帝陛下へのお怒りを買うのも必須! 今回の策は、上策ではございませぬ!」

 馬延は、力強い意思を持った顔を邦盛王に向けた。民を守るため。非力な民を守るために、軍人たちは、存在するのだ。こんな策は止めなければならない。それは邦盛王の為でもあった。

 群臣たちが、不安そうに馬延を見つめている。

 邦盛王は、立ち上がり馬延に大喝を放った。

「黙れ! 今の皇帝に何の力があるか! 余の目標は、天下を取ること、ただ一つ! それは、長年続いた成という国を、亡ぼすことでもある! 全てを消滅させ、新しい秩序を余が創るのだ! 民や皇帝などは、余にとっては、関係ないわ!」

 邦盛王の声に、玉座の間はしんと静まりかえった。次の瞬間、馬延に向かって重い言葉が放たれた。

「見せしめだ! こやつの首を斬れ!」

 馬延は目を瞑った。しかし、邦盛王の前に近臣たちが、割って入る。 

「邦盛王さま。打ち首は少しお止め下さい。馬延将軍は、我が国でも精強な一角青騎兵を率いております。使い道は、まだあるかと……。お考えくだされ」

 邦盛王は、一息着くと、玉座に再度、座った。

「分かった。馬延よ。打ち首は止めとする。次の戦は、混冥隊とともに、豊陽城ならびに京州軍を殲滅させよ!」

「はっ!」

 邦盛王は、蔡用とともに、玉座の間を後にした。

 馬延の額には、冷汗が流れている。しかし、この後の虐殺を想像すると、馬延の胸には痛みだけが走るのだった。


 韓岐と衛は、黒衣隊が集まる駐屯地へと向かった。

 既に、囮の部隊は先行をしている。邦州軍をおびき寄せ、手薄となった豊陽城の城門を開けることが出来れば、作戦は成功だ。

 駐屯地には、五十名程度の黒ずくめの男たちがいた。この者たちが、黒衣隊の兵士だろう。口元には、黒い布を当て、目だけが外にさらされている。

「韓岐だ。羊尚殿はいるかい?」

 韓岐は、黒ずくめの集団に入り、声をあげ尋ねた。しかし返事は、ない。

「韓岐様! 危ない!」

 後方から、衛の声がした。瞬間に韓岐は、身を掲げた。その刹那――。剣が横一閃に飛んできた。

「な、なんだ!?」

 黒ずくめの男。目だけが辛うじて見える。その男は、態勢が整わない韓岐に、蹴りを放つ。

 その蹴りを、受け止める韓岐。そのまま男は、側転をし、短剣を突き出す。韓岐は、それを横に交わし、隙が出来た、男の顔面に蹴りを入れた。が、その韓岐の蹴りは、男の口に当てた布だけを飛ばす。韓岐は、わざと布を狙ったのだ。

「正体を現しやがれ!」

 韓岐の蹴りによって、男の顔面が姿を現した。だが、目の前に現れた姿に韓岐は、驚く。

「お、女!?」

 黒ずくめの男の正体は、なんと女であった。

 女は舌打ちをした後、韓岐に向かって走り込む。短剣を突き出そうとしている。韓岐は、構えた。

羊鮮(ようせん)、止めんか!!」

 横からの大喝。羊尚の声であった。女は、再度舌打ちをすると韓岐を睨みつける。

「おじいちゃん! なぜ止めるのですか! こいつは、他国の者ではないですか!」

「馬鹿者! このお方は、韓家の者であるぞ! 皇帝陛下の護衛官だ。丁重に扱え!」

「何が、皇帝陛下だ。皇帝陛下など、私たちを助けてなどはくれない……。他国の者に力を借りなくても私は、一人で敵を討って見せる……」

羊鮮と呼ばれた女は、一人呟くと韓岐を再度睨みつけ、後を去った。

「韓岐殿。わしの孫娘が、無礼を働き申し訳なかった。許してくれ」

「いや、驚いた。それよりも女で、あの剣の腕前は凄いな。女だと知らなければ、本気になるところだったよ。 しかし、なんで俺は襲われたんだ?」

「また、韓岐様が何かしでかしたのでは、ないですか?」

 衛は、韓岐に近づく。韓岐は、衛に向かって、ひと睨みした。

「あの娘、いや羊鮮は、両親を邦州軍に殺されてな……。あれは、混冥隊と呼ばれた部隊であった。羊鮮の両親も黒衣隊に所属をしていたんだが、混冥隊が民を襲っているところを守ろうとして殺された……。その頃から羊鮮は、両親の仇を取るということで、黒衣隊に入隊したんじゃ。羊鮮は、自分たちの両親や民を守ってくれなった皇帝陛下や、他国の者を毛嫌いしているのじゃ……」

「そうかい。それにしては、殺気がこもっていたけどな。とんだ逆恨みで、迷惑な話だよ、まったく……」

「韓岐様! またそんなこと言って! 本当に無神経な人ですね! 羊尚様。主人がご無礼なことを言って、申し訳ございません!」

「いやいや、むしろ謝るのはこちらの方じゃ。あの娘には、戦争などを体験させず、幸せな生活を送ってもらいたいと望んていたんじゃがの……」

 羊尚は、ふと遠い目をした。

「それよりも、早く支度をして豊陽城へ向かおう。囮の隊は、向かっているはずなんだ。遅れると怒られちまうよ」

「韓岐さまには、人を思いやる気持ちがないのですか! これでは、亡きお父上さまや兄上さまが、なんと言われるか……」

 衛は、ぶつぶつと韓岐に向かって、怒りの言葉をぶつける。韓岐は、衛の言葉を遮るように、両耳の穴に指を入れていた。

「ほほほ、御二人は面白いのう。では、これを着てくだされ。我が隊の戦衣装でございます」

 羊尚は、手に持った、黒色の衣装を韓岐と衛に手渡した。

「よし! 早く着替えて豊陽城に向かおう! ほら、衛も準備しろよ」

「韓岐様! 聞いているのですか!!」

 衛の怒鳴り声が、駐屯地で響き渡った。その二人のやり取りを遠くで羊鮮は、見つめていた。


 夜。漆黒の闇の中で、五十名程の集団が動いた。

 韓岐たち以下の黒衣隊は、豊陽城の近くの平野まで来ていた。草原が生い茂り、黒衣隊たちは、そこに身を潜めている。

 近くには、京汎が率いる騎馬隊が伏兵として潜んでいる。豊陽城の城門が開けば、その京汎が率いる騎馬隊が駆け込み、一気に豊陽城を制圧することが、出来るはずだ。

 しかし、韓岐には、一つ気がかりがあった。

 あまりにも、守備兵が少ない。

 ここまでに来る道のりにも、警戒されている様子は、全くなかった。それに報告を聞くと、囮の隊に向かった邦州軍には、戦意がほとんどなく、少しの戦をしただけで退却をしたという。しかも豊陽城への退却ではなく、邦州の首都へと戻っていった。これは何を意味するのか……。

「韓岐殿。どうしました? 打ち合わせ通りにすすめましょう」

 羊尚は、地面を這いながら韓岐に近づいた。

「いや、少し心配ごとがあってな……」

「ふん、だから他国者なんて、信用できないんだ。大事な時に怖がる」

 羊尚の隣では、羊鮮がいた。ここに来る途中でも事あるごとに韓岐に突っ掛ってきた。韓岐は、自分は大人になれと言い聞かせて、相手をしないようにしていたが、我慢が出来なくなり、何度か羊鮮と口論を交わした。時には殴りあいにありそうな時もあったりしたが……。

「ここまで来たんだ。やるしかないだろう。衛、頼んだぞ」

「わかりました」

 衛は、身を屈みながら、豊陽城の城門へと近づく。城門の上では、数人の守備兵が松明をかかげて警戒をしている。衛は、守備兵に見えないであろう、ぎりぎりの位置で膝立ちをした。

「しかし、衛殿が弓の名手とは意外ですな。あんな可憐な姿をしているのに……」

「韓家は、近接格闘の家系だからな。韓家の従者である者は、近接戦を援護できるように弓術を会得するのさ」

 韓岐は、得意顔で羊尚に説明をした。

「何、自慢をしてやがるんだ。衛さんは良いとして、お前は何もしてないだろう」

 羊鮮は、韓岐に蹴りを入れた。

 衛と羊鮮は、いつの間にか仲良くなっているようだ。二人で仲良く話しているのを、来る途中で、何度か見かけた。嫌われているのは、韓岐だけであるらしい。

「この野郎! 蹴りを入れたな仕返ししてやる!」

「二人とも静かに! 始まりましたぞ」

 羊尚の言葉に韓岐と羊鮮は冷静になると、弓を構えた衛を見つめた。

 衛は、一人の守備兵に狙いをさだめ、弓を引き絞ると、おもむろに矢を放った。矢は、見事に守備兵の喉に刺さり、守備兵は、崩れ倒れる。

 他の守備兵は驚き、声を上げようとしたが、その前に矢が当たる。

 次々と、衛は矢を放ち、城門の上の守備兵はいなくなった。

「凄いな。一発も外すことなく、守備兵に当てたよ……」

「これが、韓家に伝わる弓術だからな」

「だからお前は、何もしてないだろうが」

 羊鮮は、再度、韓岐に蹴りを入れた。

「痛ぇ! また蹴りを入れやがったな!」

「私よりも小さいな奴が、自慢をしているからだ」

 羊鮮は舌を出し、韓岐を馬鹿にした顔を向ける。たしかに韓岐の身長は、羊鮮よりも少し低かった。女よりも背が低いのを韓岐は、気にしている。

「背は、関係ないだろう!」

「二人ともうるさいと言っておろうに、さあ行くぞ」

 羊尚が豊陽城に向かって、走りだした。それに続き、黒い集団も動き出す。

「衛殿、ご苦労でござった。後は、城門が開くまで休んで下され」

「衛さん、さすがだね!」

「ありがとうございます。皆さんもお気をつけて」

 衛は、黒衣隊に向かって丁寧にお辞儀をした。

 黒衣隊の兵たちは、城壁の下に集まると、腰から鉤縄を取り出す。それを手元で振り回し、城壁の上へと投げ始めた。鉤縄が動かないことを確認すると、黒衣隊の兵士たちは、次々と、鉤縄を使い、城壁の上へと登っていく。韓岐もその後に続いた。

 韓岐が城壁の上にたどり着いたころには、黒衣隊の兵士たちは、各々に散らばり、守備兵との戦闘を開始していた。

 思ったよりも守備兵の数が少ない……。城壁の上から眺める韓岐の目には、そう映った。

 黒衣隊が、じりじりと守備兵を押している。中でも、羊鮮の活躍は素晴らしく、手に持った短剣を自在に操り、次々と守備兵を倒していく。

 羊鮮が、一人で守備兵を攪乱しているおかげで、手の空いた、黒衣隊の兵たちが、城門へと集まり、門を開ける準備へと入った。

 韓岐が一つ遅れて戦闘に参加しようとした時には、守備兵は退却を始めていた。やはり、邦州軍には、戦意がないのか……。

 城門が開かれた。

 それと同時に、沢山の馬蹄の音が近づいてきた。近くに潜んでいた、京汎が率いる騎馬隊だ。

 騎馬隊は、城の中に入ると、散らばり、城の各拠点を抑えていく。

 京汎は、各騎馬隊の隊長に指示を終えると、韓岐の下へ、駆けこんできた。

「韓岐! 豊陽城の奪還作戦は無事に成功したな! 俺らの大勝利だ!」

「なんだか、上手くいきすぎて、拍子抜けするぐらいだったけどな……」

「京州軍としては、久々の大勝利だ! また、祝いで酒が飲めるぞ!」

「呆れた。お前は、酒のことばかりだな。まあ、この豊陽城を取り返したんだ、後はここを拠点に邦州に圧力をかけることが出来るだろう」

「京汎王さま。豊陽城は無事に取り返せましたな。わしも久々の大勝利に驚いておりますよ」

 声の方向に振り向くと、羊尚と羊鮮が、片膝をつき、頭を下げていた。

「今回の豊陽城の奪還には、黒衣隊の働きが、戦功第一だろう。俺からも直々に礼を言う」

「これは、勿体ないお言葉。これも韓岐殿の立てた策のおかげですじゃ」

「おじいちゃん! こいつは、何にもしてないよ! 実際に戦ったのは、私たち黒衣隊と衛さんだけなんだ! こいつは、敵の前で怖気づいていただけ!」

「うるせい! 俺が戦おうとしたら、邦州軍は退却を始めていたんだ! 怖気づいていたもんか!」

 韓岐と羊鮮は、睨み合う。お互いにこれから一戦をするような気迫だ。

「これ、羊鮮! 王の面前でなんて無礼なことを!」

「わははは。なんだ、韓岐と羊鮮は仲が悪いのか! これは酒でも飲ませて仲良くさせないとな!」

 京汎が、大声で笑う。そこに伝令の兵士が到着した。

「陛下! 報告します! 各騎馬隊は、拠点を無事に占拠しました。最初は、騒然としていた、住民も今は安堵し、京州軍の帰りを喜んでおります!」

「そうか! よし、宴の準備だ。盛大な宴にしよう!」

 京汎は、満面の笑顔を伝令の兵士に向けた。

 朝日が顔をだし、夜が明けようとしていた。明るい太陽の光が京州軍の勝利を祝福するように豊陽城内を照らす。

 しかし、韓岐と京州の人々は、この後の惨劇を知る由もなかった……。



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