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第一章 皇帝陛下の護衛官

最初に投稿した小説を改稿して、見やすいように章ごとに分けました。

中華風戦記と格闘技物を混ぜた物語がウリとなっております。

一読していただけると嬉しいです。

 第一章 皇帝陛下の護衛官


 それは、突然の悲鳴であった。

 小道を歩く青年の耳には、はっきりとその悲鳴が聞こえた。

 声からして、女の悲鳴だろう。

 明らかに、異常事態を伝える悲鳴。しかし、青年はその悲鳴に意にも介さず、手に持った饅頭を口に頬張る。

 その青年の背丈は、常人のそれと変わらない。いや、常人と比べれば小柄な部類に入るだろう。しかし、体つきは、筋肉で引締められており、余分な脂肪はない。顔つきといえば、凛々しい瞼に、高貴さを思わせる鼻筋を持っている。

 青年は、饅頭を食べ終わると、欠伸をした。せっかくの端正に整えられた顔が勿体ないぐらいの、だらしのない顔だ。

韓岐(かんき)様! 食べ歩きは行儀が悪いと、いつも言っているではないですか。お止め下さい!」

 韓岐と呼ばれた青年の少し後ろには、従者であろう女が声をあげていた。

 韓岐は、従者の方に振り返り、うるさいと言ったように顔をしかめる。韓岐の顔をしかめる返事は、いつものことである。従者は韓起に、追いつき辺りを見渡した。

「それにしても、先ほどの女の人の悲鳴はなんでしょうか? もしかしたら、誰かに襲われているのかもしれませんよ」

 韓岐は、従者の言葉を聞いていないかのように、欠伸をした。

「韓起様! 聞いているのですか!」

「聞いているよ。(えい)、お前のいつも面倒なことに首を突っ込む性格は、悪い癖だ。ほら、時間がないんだ。急ぐぞ」

 韓岐は、衛と呼ばれた女従者の言葉に呆れた顔をし、前髪を掻き揚げた後、速足で歩きだした。小道の周りには、緑の葉をつけた木々が生い茂っている。

「人が助けを求めているのかもしれないのに、韓起様はいつも面倒くさがって……。これでは、韓家の息子として恥ずかしいです。いいですよ。私だけでも……」

 衛は、ぶつぶつと呟き、辺りを見渡しながら、韓起の後ろ姿を追いかけた。

 つかの間。韓岐と衛の間に、一人の女が飛び出してきた。突然の人の出現に驚く、衛。

「助けてください!」

 女は、叫び声をあげると、衛に抱き付いた。

「どうしたのですか!?」

「山賊に襲われておりまして、助けて下さい!」

 女が現れた木々の先を見ると、六人ほどの山賊と思われる男たちが、こちらに向かって追いかけてきていた。

「お頭! さっきの小娘を追いかけたら、また女がおりましたぜ。こいつは、運がいいや」

「おい、女! 痛い目に合いたくなかったら、大人しくしていな。その荷物もこちらに渡せ!」

 六人の山賊。中央にいる男が山賊の頭だろう。一際、体が大きい。その頭が、凄味のある目と不気味な笑顔を携えて、衛と助けを求めた女の前に歩み寄ってきた。

「待てよ。そいつは、俺の従者なんだ。勝手なことをされるのは、困るんだけどな」

 山賊達は、後ろの声に振り替える。そこには、韓岐が腕を組み、立っていた。

「なんだぁ? お前も痛い目に合いたくなかったら、大人しくしているんだな。お前の荷物も置いていけ。そしたら見逃してやる」

 一人の山賊の男が、韓岐の前に寄っていく。その山賊の男の体躯も大きいが、韓岐の背も低いため、韓岐は見上げるように、山賊を見つめていた。他の山賊達は、ニヤニヤして韓岐を見ている。

「それともお前が、俺ら全員の相手をするかい? まぁ無理だろうな」

「はぁ。面倒だな。仕方ない、お前、歯ぁ食い縛れよ!」

「ぐえぇぇぇ!?」

 韓岐が、溜息ついた次の瞬間、目の前の山賊は、おかしな声を発した後、悶絶して倒れた。山賊は、気絶をしている。口からは、変な液体を垂れ流していた。

「なんだ!? お前、今何をしやがった!!」

「何って。腹に一発ぶち当てただけだよ。拳をな」

 韓岐は、山賊達に自分の右拳を見せた。

「ふざけるな!」

 一人の山賊が、剣を鞘から取り出し韓岐に向かって、振り落した。しかし、その剣は空を切る。

韓岐は、その山賊の腕に蹴りを浴びせ、そして、顔面に向かって、右拳を当てた。倒れる山賊。

 そのまま韓岐は駆け出し、残りの山賊達を蹴りと、拳で倒していく。残ったのは、山賊の頭だけだ。その山賊の頭は、唖然とした顔をしている。

「まだやる?」

 韓岐は、息を乱すことなく山賊の頭を睨みつける。

「くそったれ!! これで死ねや!!」

 山賊の頭は、やけになり韓岐に向かって剣を突き出し、突進してきた。韓岐は、その突進に後退もせず、前に進みだし、山賊の腕を掴む。

 そして、相手の足を払うと、背負投げをした。

 地面に叩きつけられた山賊の顔に、そのまま、韓岐は、右拳を振り落す。

「ひっ!! お助けを!!」

 韓岐の振り落した右拳は、山賊の頭に当たることなく、地面に叩きつけられていた。

「命だけは、助けてやる。これに懲りて、悪さをするのは止めるんだな。早く消えな」

 韓岐の言葉を聞くと、山賊の頭は涙を流し、気絶した山賊達を見捨て、一人で逃げ出した。

「助けていただいて、ありがとうございました!」

山賊に追われていた、女は韓岐の前に歩き出すと、頭を深々と下げてお礼の言葉を言った。

「別にいいよ。最近は、戦争も多くなって、ああゆう山賊も多くなったみたいだからな。あまり一人で歩いていると危険だぞ」

「よく言いますね、韓岐様。最初は、助けるのを面倒くさがっていましたのに」

「衛、うるさいぞ!」

 韓岐は、衛に向かって怒鳴り声をあげていた。その二人のやり取りを見て、くすくすと笑う女。山賊に襲われた恐怖は、もう消えたようだ。

「それにしても、お強いですね。武器も使わずに一瞬にして、六人の山賊達を倒してしまうなんて……」

「あれは、韓家に伝わる武術でして……」

「馬鹿! 衛、その話はするなって、いつも言っているだろ!」

「あっ!」

 得意げな顔をしていた衛は、韓岐の言葉にしまった、という顔をした。

「韓家って、まさか! 皇帝陛下の護衛官のお家では!? それなのに、不遜な態度を取ってしまって……。ごめんなさい!」

 女は、そのまま地面に膝をつき、頭を下げた。

「おいおい、頭をあげてくれよ。韓家って言っても家督は兄が継いでいるし、皇帝陛下の護衛官も、名ばかりなんだ。あんたが平服する必要はないよ」

「韓岐さま! また、そんなこと言って。皇帝陛下への不遜な発言は、いけませんよ!」

「でも衛、事実だろ? 皇帝に力がないから、諸侯は戦に明け暮れて、こうやって賊も増えているんだ」

 韓岐の言葉に、衛は顔を赤くし身を震わせていたが、反論が出来ないでいた。

 この大陸は、成国(せいこく)と呼ばれる国が統一をしていた。その成国の下には、(しゅう)と呼ばれる国々が散らばり、各地域を治めている。成国の皇帝を頂点とし、各州の王は、成国を尊び、六百年の歴史を築くに至るが、その歴史の中で成国の力は弱まり、諸侯は、領土拡大に向けて、戦争を続けていた。

 今の成国に、諸侯同士の戦争を止める力は、ない――。

「話はさて置き、そろそろ俺たちも向かわないとな。あいつに怒られてしまう。ん?」

 韓岐は、不意に後ろを振り向いた。馬蹄の音。音の方向には、土煙が立っていた。

「どこかの軍の、騎馬隊でしょうか?」

「あれは、邦州(ほうしゅう)軍の騎馬隊だろう。戦争を始めると聞いていたからな」

 少数の騎馬隊が、韓岐たちの前に現れた。その騎馬隊は、青の鎧兜を身に着けている

 兜に生えている一本の角飾りが印象的であった。

「お前たち、ここは、邦州の騎馬隊が通る。馬に巻き込まれたくなかったら、道を外れることだ。いいか、忠告はしたぞ!」

 騎馬隊は、馬を止め韓岐たちに忠告をすると、そのまま走り出した。

「あの角と青色の鎧兜は、精強で名をはせている邦州軍の一角青騎兵隊いっかくせいきへいたいだな。この道を通るということは、戦場への奇襲か……。よし、どんな奴が率いているか見てみるか」

 韓岐は、少しの間考え事をした後、側の茂みの中に隠れ始めた。衛と女は、状況を掴めず、ただ韓岐に続き、茂みの中へと隠れた。

 しばらくすると、たくさんの馬蹄音が聞こえた。韓岐たちの目の前を、騎馬隊が駆け抜けていく。

「さすがは、世に聞こえた一角青騎兵だ。隙が無い。これは、あいつも苦戦をしそうだな」

「韓岐さま。もうよろしいのでは? こんな近くで軍隊を見ていたら怪しまれますよ」

「いや、もう少し……。たしか、前の将軍が病で亡くなって、新しい将軍がこの騎兵隊を率いているはずなんだ。あの一際立派なのが、将軍だろう。もう少し乗り出さないと見えないな」

「韓岐さま! 危ない!」

 韓岐は、前に乗り出した拍子に何かにつまずき、騎兵隊の行軍に飛び出した。将軍だと思われる馬が韓岐の出現に驚き、止まった。

「女!?」

「貴様、何者だ!! この方を馬延(ばえん)将軍と知っての狼藉か!!」

 騎兵たちは、韓岐の周りに集まり槍を向けた。将軍が騎兵たちを静止させ韓岐の前へと馬を進める。韓岐の目に映る将軍の顔は、綺麗な白い肌の持ち主であった。その将軍の輝く青い目が韓岐を見つめる。

「そこの者。怪我はないか?」

「ああ……」

 韓岐は、気の抜けた返事をした。

「将軍。もしかしたら、敵軍の密偵かもしれませんよ。捕えて探りを入れましょう」

「よい。こんな若い青年が、敵軍の密偵のはずではないだろう。戦の前に無駄な時間を取りたくない。さあ行け!」

 馬延と呼ばれた将軍は、剣を振りかざし、合図を出した。周りの騎兵たちは、一斉に駆け出し始める。

「すまなかったな。この道は我が軍が使わしてもらう。まだ後続の部隊が続くゆえ、しばらくの間、道から外れていて欲しい。それでは」

 馬延は、馬腹を蹴ると駆け出して行った。みるみるうちに、馬延の姿は小さくなっていった。

「韓岐さま! 大丈夫でしたか!?」

韓岐の返事はない。韓岐は、馬延の駆け出した方向を見つめていた。

「韓岐さま?」

「あれは確かに女だった……。馬延将軍か……」

 韓岐は、小さく呟いていた。

 まさか、あの馬延が今後の韓岐に深く関わっていくとは、今の韓岐には想像もつかなかった。


 小高い丘の上にいる韓岐の眼下には、人同士のぶつかり合いが見えた。

 戦争である。

 青色の甲冑と黒色の甲冑同士が、戦っている。青色の軍は、邦州軍だろう。対する黒色の軍は京州(けいしゅう)軍だ。お互いに一進一退を繰り返してはいるが、京州軍の方が押されているのが分かる。

「あいつも苦戦しているようだな。邦州軍を押し返してはいるが、勢いがあるのは一部の部隊だけだ。やはり、京州の家中は、統率が取れてないみたいだ」

「どうしますか韓岐様? このままだと京汎(けいはん)王様の下に伺えませんが……」

 韓岐は、衛の言葉に返事をせずに黙っていた。

 先ほどの女とは別れて、韓岐は、道中を急いだ。友の救援が今回の旅の目的である。

 韓岐の友人である京汎王は、京州の王を引き継いだ。京汎は、幼いころ成国の首都に人質に来ていたころに知り合った中だ。人質といっても、各州の王子は、帝都に行き、一通りの王についての、学習をする決まりとなっている。

 京州の新しい王、京汎(けいはん)はまだ若い。

 韓岐とは、三つぐらい年が上だ。それだから、お互いに馬が合った。

 京州の家中では、若い京汎が王位を引き継ぐことを快く思っていない、勢力もあるらしい。

邦州は、その京州の家中の混乱に乗じて、領土の切り取りを始めた。

 京汎の手紙の内容では、邦州軍に半分以上の領土を切り取られたらしい。韓岐は、韓家の家督を継ぐことはなかったので、旅がてら、友人の助けに乗り出したのだ。

「衛、見てみろ。京汎の部隊が押し出しているが、あれは、邦州軍に誘い出されているんだ。先ほどの一角青騎兵の伏兵が、側面を突いてきたぞ」

 京汎の部隊は、側面に現れた一角青騎兵に、陣列を崩されている。このままでは、京汎の命が危ない。

「仕方ない……。あの馬鹿を助けに行くぞ。衛は、離れたところから、弓で援護をしてくれ。敵兵には、当てなくていい。威嚇だけで、十分だからな」

 衛は頷くと、背中に背負っていた弓筒から、弓を引き出した。韓岐は、腕に手甲をはめる。

「韓岐様、お気をつけて」

 韓岐は、軽く手を振ると丘を下り、京汎のいる戦場に駆け出した。

京汎の周りには、邦州軍が取りついている。京汎は、懸命に馬上から槍で応戦をしていた。

「京汎王さまをお守りするんだ!」

 護衛の兵は、京汎の周りに集まるものの、幾人かは、邦州兵の餌食となっている。

「くそ!! 邦州軍め! こうなれば、一人でも多く倒してやる!」

「陛下! 後ろ!」

 京汎の後ろにいた護衛の兵が倒され、がら空きとなった京汎の背中に、槍が飛び出してきた。が、その槍は当たることなく、槍の持ち主は、馬上から消えた。

「見ちゃいられないな、京汎」

「韓岐! 来てくれたのか!」

「今は、話している場合ではないぞ。退却だ。邦州軍の追撃を振り切るぞ」

 韓岐は、先ほど跳び蹴りで倒した、邦州兵の馬に乗ると、馬腹を蹴り駆け出した。京汎と周りの兵士たちも韓岐に続く。

「くそ! 邦州軍の追撃は早いぞ。このままでは、追いつかれる!」

「京汎、先に行け。俺が追撃を食い止める。追撃隊の隊長を倒せば、時間稼ぎができるだろう」

「それでは、お前が!」

「俺は、韓家の一族だぞ。心配するな」

 韓岐は、馬首を返すと邦州軍の追撃隊に向かって、駆け出して行った。

「隊長。敵兵が一人でこちらに向かって駆けきています! どうしますか!?」

「一人だと? 笑止な! 京汎王の首は目の前だ! お前ら、行け!」

「さあ来い! この韓岐が相手になってやる!」

 一人の騎兵が韓岐に向かって。槍を突き出す。韓岐は、腕にはめた手甲で槍を弾くと、拳を相手の顔面へと当てる。

 続けさまに韓岐は、左右に展開した騎兵に、拳を当てる。騎兵たちは、槍や剣を繰り出すが、韓岐は、馬を巧みに操り、攻撃を避けては、拳を当てていく。

「なんだ!? あれは!! 我が隊の兵士たちが次々と倒されていくだと! 小癪な!」

 隊長は、顔を真っ赤にする。

「このわしが相手をしてやる」

 隊長は、手に持った槍を頭上で振り回すと、韓岐に向かって駆けだした。そして近づくと、韓岐の頭上に勢いよく槍を振り落とす。その振り落された槍を、両手で受け止める韓岐――。

「お前が、この隊の隊長か。なかなかの力だ」

「当たり前だ! この一角青騎兵追撃隊隊長の誇りにかけて貴様を討つ!」

「それは、たいそうな名前だ、なっ!」

 韓岐は、馬上から飛び跳ね、隊長に向かって跳び蹴りを放った。隊長は、槍で韓岐の跳び蹴りを受けるも、態勢を崩し、馬上から落ちる。

 隊長は、すぐに起き上がると、腰の剣を抜きだし韓岐に振り落す。韓岐は振り落された剣を、避けると、隊長の顔に回し蹴りを当てた。

 隊長は、一瞬にして気絶をした。追撃隊の兵士たちは、馬を止め、その光景に固唾をのんで眺めている。

「まさか、隊長が……」

 そして、横から矢が飛んできた。

「まだ敵兵がいるのか!? 仕方ない、退くぞ!」

 隊長を抱えた追撃隊は、一斉に退却を始めた。

「ふう、これであいつも無事に、退却できただろう」

 韓岐は、馬にまたがると、矢の跳んできた方向に駆け出した。そこに衛がいるはずであった。


 奇襲は、成功した。

 突出してきた京州軍の側面を、一角青騎兵で突撃。いくら武勇に優れている京汎王でも一溜りもないだろうと馬延は、思っていた。

 馬延は、京州軍の退却を見届けると、追撃隊に追撃の指示をだし、自分は帷幕へと戻った。兜を脱ぎ、結んでいた髪をほどく。金色に光る髪。その馬延の姿は、美女そのものだ。

 馬延は、椅子に座ると報告書に目を通し、書類の作成を始めた。そこに血相を変えた伝令が帷幕の中へと駆け込んできた。

「馬延将軍、報告を致します! 追撃は、隊長の負傷により、不首尾に終わりました!」

 馬延の帷幕に入った伝令の兵士は、報告を終えると、馬延の次の言葉を待った。馬延は、いぶかしげな顔をしている。

「馬鹿な! 伏兵の奇襲は、成功したはずだ。あの隊長は、我が隊でも勇猛で名をはせているのだぞ。負傷するはずがない! 京州軍には、鬼神でもいるのか!?」

「それが……。たった一人の敵兵により、追撃隊は足止めを食らったようです。それもまだ青年ぐらいの容貌だと、報告されております」

「青年だと!? まさかな……」

 馬延の脳裏には、奇襲の途中で会った青年の顔を思い出した。

 しかし、ただ一人の青年が、追撃隊の勢いを止めることができるのか……。それはもはや、人のなせる所業ではない。馬延のきめ細やかな白い肌には、冷汗が流れた。

 奇襲の成功により、京州軍に大打撃を与えられるはずだった。

京汎王を討取れなくても、勢いをもっての、砦への侵攻。そして制圧が可能であったが、それは、現実的に困難となった。

「これで京州軍は、要害の砦へと籠ってしまった。守りを固められた京州軍を攻略するのは、時間がかかるだろう。こちらの被害も増えることを、覚悟しなければならないな……」

 馬延は、溜息をつくと、側に置いてあった、お茶をすすった。そこに次の伝令の兵士が現れた。

「馬延将軍、蔡用(さいよう)さまがこちらにお見えです」

「何? 蔡用さまが? 直ぐに、お通ししろ」

 しばらくすると、帷幕の中に蔡用と呼ばれた老人が入ってきた。

 蔡用は、京州の宰相を務めている。

 蔡用の年齢は、壮年の齢を当に超えて、高齢の域に入っていた。先代の王にも従え、今では京州の父と呼ばれて尊敬されている。内政、軍略において卓越な才を用い、この京州の領土拡大の一翼を担っていた。

 今回の奇襲の策も、この蔡用が立てた策だ。わざわざ前線に来るということは、奇襲の失敗の叱責に来たのだと、馬延は思った。

「これは、蔡用さま。わざわざ、前線まで来られて。お呼びいただければ、私が参りましたのに……」

「それについては、よい。報告を聞いたぞ。此度の奇襲の策は、不首尾に終わったようじゃな」

 蔡用は、席に座ると皺に覆われた顔を馬延に向けた。しかし、その瞳は、不気味な怪しい光を放っている。

「申し訳ございません」

「ふむ。報告によるとたった一人の殿によって、足止めを食らったそうじゃな。その者は、武器を使わず、追撃隊を倒したと聞いておる」

「そこまで、聞いておりましたか」

「武器を使わないと聞いて、心当たりがあった。もしかしたら、皇帝陛下の護衛官の家である、韓家の者であるかもしれん……。あそこは、兄が家督を継ぎ、若い弟がいると聞いている。なぜ、韓家の者が京州の援助をしているか分からんがな……」

 蔡用の言葉に馬延は、あの青年の顔を思い浮かべた。

「しかし、いくら韓家の援助があろうが、京州の攻略は後少しです。砦の攻略には、時間がかかるかもしれませんが、我が一角青騎兵で、見事に砦を落としてみせます」

「いや、わしは陛下と相談をし、ここは一旦退却をすることに、決めた」

「砦の攻略は目前だというのに、退却をするのですか?」

「陛下は、韓家の者が援助していることに、心配をされたのじゃ。わしは、京州の攻略については、混冥隊(こんめいたい)を使うことを提案しようと思っている」

「混冥隊を!? しかしあの隊は、あまりにも虐殺を繰り返すということで、解体をされたはずでは!?」

「あれは、秘密裏に使っておるわい。今は、北方の異民族討伐で功績をあげておるよ。異民族の民を含めて、かなりの人を殺しているみたいだがな」

 蔡用は、不気味な笑みをこぼした。

 混冥隊は、少数の兵で編成されている部隊だ。蔡用が発明をした特殊な薬を服用し、一種の興奮状態にさせ、戦闘能力を格段に向上させる。しかし、その薬の副作用により、敵味方を問わず、殺戮を繰り返す――。

 馬延の聞いた話では、非力な民までも虐殺をする故に、皇帝陛下から混冥隊の解体の勅令が出されていたはずであった。

 それから、混冥隊の噂は聞いていなかったが、まさか北方の異民族を討伐していたとは、気づかない筈であった。だが、今回の京州との戦いで混冥隊を使うとなれば、また無駄に民が殺されていくはずだ。

「お言葉ですが、蔡用さま。混冥隊を使うのはお止め下さい。あの隊を使えば、陛下の名声に傷がつきます。京州との戦争は、我が一角青騎兵にお任せ下さい!」

「これは、もう決定事項じゃ。陛下は、早急な京州の攻略をお望みである。陛下の目標は、成国を討伐し、この大陸の頂点に立つことじゃ。少々の名声など、気にも留めておらぬ」

「しかし……」

「くどいぞ、馬延。本来であれば、お主は、今回の失敗の責を、負わなければならぬ身じゃぞ。お主の父が病で亡くなり、解体をするはずであった一角青騎兵を、女の身であるお主が引き継いだ……。今回の失敗は、お主の父の功績により不問に致すが、次からはないぞ。自分の身の心配をしておくのじゃな」

 蔡用は立ち上がり、従者を呼ぶと、用意された駕籠にのり、帷幕を後にした。馬延は、その駕籠が見えなくなるまで頭を下げていた。

 冷たく吹く風が、まわりの砂を運んでいった。



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