八 Assist him~笑って欲しい
§
菜香ちんのいない、三学期が始まった。
始業式の日は何故か、わたしが腰まであった髪の毛をばっさり切った事がクラスどころが学校中の一大ニュースのように騒がれて、会う人会う人に
「どうしたのその頭!」
「ずっと揃えて伸ばしていたのにいきなり段カットって何で!」
「きれいな髪だったのにもったいない」
「何かあったの?」
大体、この四つのパターンのどれかで話しかけられた。
菜香ちんから来た、あまりにも理解不能な手紙の事で、美矢に何かあったのか聞いてみようと思っていたんだけれど、休み時間の度に周りにもみくちゃにされてそれどころではなく。
三時間目の後の休み時間、たまたま美矢が近付いてきた時に、チャンスだと思ったら
『ゆんちゃん、もしかしてあの髪、巫女さん……やるためだけに、伸ばしてたのか?』
ものすごく唖然とした顔で髪の事を聞いてきて
『うん、そうだよ』
つい、あっさり頷いてしまった。
しまった、と思ったけれど後の祭り。
皆が皆、髪の事ばかり聞いてくるので、面倒で適当に答えていた流れで、美矢にも同じように答えてしまっていた。
……まあいっか。もう終わった事だし。
それよりも対応に困ったのは、美矢と前後して私の席に寄って来た女子数人からの
『もしかして、失恋?』
というツッコミだった。
どうやら誰かが、二日にわたしが蒼汰先輩と話し込んでいた所を目撃していたらしい。
あの時点ではまだ、髪が長かったから。
単なるタイミングの問題で、元々は美容院に行くために出掛ける途中で先輩にあった、ってだけの事なんだけどね。
……失恋とまでは言わなくても、状況としては当たらずとも遠からず、っていうのが微妙な所。
でもさすがにそんな噂になったら蒼汰先輩に申し訳ないので、そこはきっぱりと否定しておいた。
そんなこんなで、結局その日は美矢に菜香ちんの事を聞きそびれた。
放課後はさっさと帰っちゃったし。明日、実力テストだもんね。
わたしも取りあえずそっちに集中しなくちゃ。
次の日は五時間丸々使ってのテストで燃え尽きて、余計な事を考える余裕がなかった。
それでも帰りにもし美矢と話せるようなら、と思ったんだけれど、出席簿を職員室に急いで届けて校庭に出た時には、既に美矢の姿はどこにもなかった。
本家に寄ってみたら、帰って来てカバンを置いてすぐどこかへ出掛けたと、絹子伯母さんが教えてくれた。
そしてその次の日。
実力テストの結果が返って来た。
わたしは一位。じゃあ美矢が二位?と思ったら
「タロー、後でちょっと職員室に来い」
美矢に順位表を渡しながら、先生がそう言った。
いつもなら順位表をもらった後、必ずわたしの所へ寄って来て国語の何問目の問題がどうの数学の計算がこうのと、点数を比較しながらああだこうだ言う美矢が、まっすぐに自分の席に戻った。
席について……順位表を持ったままぼんやりと外を、見ていた。
放課後、出席簿を届けに先生の所へ行った時。
「タローは冬休み中、元服式の事とかで色々と忙しかったんだろうな」
と先生が言うので、毎日打ち合わせや準備で大変だったと思います、と返すと
「うーん……それにしても、あいつらしくない出来なんだよな」
腕組みをして、先生が呟いた。
美矢の順位は、二十人中十五位。どの教科も半分ほどは無回答だったと。
先生から聞き出して、わたしは言葉を失った。
どうして――美矢。
帰る時、本家の横を通りながら。
ちょっと顔を出してみようか、迷った。でも。
……多分美矢、おじいちゃんに怒られている、はず。
本家のおじいちゃんは元々厳しい人だけれど、特に美矢にはちいさい頃からそこまで言う?って位、当たりがキツかった。
宮江本家は、由緒ある古い家柄だけあって、島では何かにつけて注目を浴びる特別な家だ。
何しろ総領息子のために、島の祭りをやるのと同じくらいの規模で人が動いて、元服式なんてのをやっちゃう位だもの。
だから本家の総領たる者、常に人よりも自分を律して、正していかなければならない、と。
わたしが覚えている限り、物心ついた頃からずっと美矢は、おじいちゃんからそういう姿勢を叩き込まれていたように思う。そして美矢も、そうであるようにといつも一所懸命頑張ってきた。
それでも苦手な事とか、どうしようもない事っていうのはある。誰にでも。
それを拾い切れずに、美矢が泣きそうな顔をしている時……ついわたしは放っておけなくて手を貸してしまうんだ。
小学校の頃の読書感想文なんて正にそれだった。
本人のためにならないって、先生に言われなくてもわかっていたけれど……わたしにとっては全然苦にならない事だったから、つい軽い気持ちでやってしまった。
先生に怒られて家に帰ってから、多分先生からお母さんたちにこの話が行くだろうと思ったわたしは、すぐに本家に行って美矢に気付かれないように絹子伯母さんに先回りしてその事を話して
『伯母さんお願い!この話おじいちゃんには絶対しないで!』
知ったら間違いなくおじいちゃんはものすごくよっちゃんの事を怒る。
でもよっちゃんだけが悪いんじゃない、わたしも悪いの。
もしどうしても話さなくちゃならないなら、その時はわたしを呼んで。一緒に怒られるから、と。
必死で頼んでいるうちにとうとう泣き出してしまったわたしの頭を、伯母さんは撫でてくれて
『ゆんちゃんは優しい子ね。大丈夫。おじいちゃまには黙ってるから』
そう、約束してくれた。
優しさから庇ったんじゃない。どう考えてもわたしも悪かった事だから。
だけど多分、おじいちゃんはわたしの事は怒らない。美矢だけが怒られる。
それがどうしても嫌だった。
悪いのは一緒。だから、もし怒られるなら、一緒がいい。
今日の成績、美矢らしくないどころか、美矢にはあるまじき順位、って言ってもいい程だ。
どんなに調子が悪い時でも、四位から下に落とした事はない。美矢も、わたしも。
それも、半分無回答状態だったとおじいちゃんに知れたら。
『宮江の総領息子たるもの……』
って、いつもの調子でひどく怒られるに決まっている。
そんな所……わたしには見られたくないよね、きっと。
ほんの数秒だけ、本家の門の前で立ち止まって。
わたしはまた、歩き出した。
§
それからしばらく、わたしは美矢の様子を注意深く観察していた。
男子が皆で馬鹿な事で盛り上がる中にいる時は、いつもと変わらない感じ。
でも、休み時間とか、授業中とか。
ふとした時に、窓の外を見て、ぼんやりしている事がある。
時には……今は他の子の席になった、元の菜香ちんの席の場所を見つめて。
何があったのかはわからない、けれど。
美矢と菜香ちんが終わったんだ、というのは、何となくわかった。
今まで、振ったにせよ振られたにせよ、付き合っていた子と別れた後は多少は挙動不審になっていたものだけれど、立ち直りが早いのが美矢の取り柄だった。
あまりに早すぎてそれでいいのか?って、傍で見ていて呆れたくらいだった。
でも今回は、今まで見た事がないって位、長いこと浮上出来ないでいる。
美矢の中では多分、自分が菜香ちんに振られた、っていう認識なんだろう。
菜香ちんがくれた手紙の内容からすると、そうは取れないんだけれど。
美矢とわたしの間には入れないから自分から身を引く、みたいな?
何で菜香ちんがそんな風に誤解したのか、わからない。
だけど、今まで何枚も便箋を連ねた手紙をくれた菜香ちんが、たった数行だけの事を、しかも改まった形で書いてよこしたという事に……彼女の辛さとか、決意とか、そういう複雑な気持ちが読み取れてしまって。
どう返事を書くべきなのか未だにわからなくて、手紙を出せない。
『わたしと美矢はただの従兄妹だから。そんなんじゃないから』
って改めて書いたくらいじゃ、多分、納得してもらえないような気がして。
もしかしたら、カギは元服式の後の、美矢への電話にある?
電話を代わった後、すぐにその場を離れたから、何を話したのかはわからない。
でも……切った後の美矢の様子が、今考えるとちょっと変だった、ような。
その後は普段通りの美矢だったから、あまり気には留めなかったけれど。
何を話したのか、聞きたい。
そうしたら、菜香ちんが何でそんな誤解をしたのか、わかるかもしれない。少しでもわかれば、手紙の返事の書きようもある。
だけど、美矢の様子があまりにもおかしくて、聞くに聞けない。
もしも、最近の美矢の落ち込みっぷりとか、実力テストの有り得ない成績とかの原因が全部そこにあるとしたら。
……そう思うと怖くて、なおさら聞けない。
来る日も来る日もそんな状態でいる美矢を、見ていて。
……ついに、見ていられなくなって。
「よっちゃん!」
放課後の帰りの会の後、出席簿を先生の所に置きに行く前に。
カバンを持って帰ろうとしていた美矢を、わたしは呼び止めた。
「何?」
「一緒に帰らない?今日、本家寄ってくから」
やだよ、って言われるのも覚悟していたんだけれど。
「いいよ」
美矢はあっさりそう返してきた。
「じゃ、これ職員室に置いてくるから、下駄箱の所で待ってて」
わざわざ一緒に帰ろうなんて言って帰った事なんて……小学校の頃以来、かなあ。
たまたま帰りに一緒になった時に何かの話を始めて、そのまま本家まで一緒に歩くっていう事は何度かあったけれど。
ふたりで並んで校門を出ながら。
「この間ね、蒼汰先輩に会ったの」
取りあえずわたしの方から、話題を振った。
美矢と蒼汰先輩の話なんかした事なかったけれど、去年、先輩が生徒会長をしていた時に美矢はうちのクラス委員だったから、一緒に仕事をする機会もあったし、まあ話のネタ位にはなるかな、と思って。
そしたら美矢は
「うゎ、蒼汰先輩?いつ?」
ものすごく顔をしかめて、そう問うてきた。
「元服式の次の日。久しぶりに外に出たらばったり」
と。
「俺、あの人苦手なんだよなぁ」
「え?そうなの?」
……意外な反応。
美矢って、苦手意識を持つ程に蒼汰先輩と接点あったかな?
昨年はわたしも生徒会にいたから、美矢がクラス委員として参加する作業とかの場には必ずいたけれど……はて?
「去年、時々一緒に仕事してただろ?そういう時必ず、細かい所で色々と突っかかってきてさ」
「へえ……?」
「言っている事は確かに正しいし、無意味なイジメとかじゃないんだけどな……何かこう、一々重箱の隅をつつくみたいな感じ?落ち度を見つけたらすかさずさらりとチェック、みたいな」
「ふうん……」
そんな陰湿な人じゃないはず、だけど。
「毎回気になるから、何かの行事の時に、俺に何か恨みでもあるんですか?って思わず聞きそうになったよ。さすがに三年の先輩に言う事じゃないと思ってやめといたけど」
……うっ。
思わず、返事に詰まった。
『ゆんちゃんやタローが中学に上がって来て、相変わらずゆんちゃんがタローの世話焼いてるのを見かける度に、何かイライラして』
蒼汰先輩、確かそんな事、言ってた。
まさかそれで美矢の事、ツッコミどころを見つける度にねちねちいびってたって事?
……先輩ってば、もう。
「何笑ってるんだよ?」
思わず込み上げてきた笑いを見咎められて。
「え、いや、蒼汰先輩そんな人じゃなかったのに変だなって。わたしには親切だったよ。色んな事細かく丁寧に教えてくれたし」
本当のことは絶対に言えないから、当たり障りなくそう返すと、美矢はあ、と呟いて。
「そう言えば小学校の頃だったか?俺、蒼汰先輩にからかわれて、たまたま通りかかったおまえが怒って、あの人のこと引っぱたいたって事あったよな?」
その言葉にわたし、思わず目を丸くする。
「やだ、そんな事覚えてたの?」
「忘れるわけないだろ。あれで俺、おじいちゃんにものすごく怒られたんだぞ?」
美矢の口調が、何とも恨めし気なものに変わる。
「ひとをむやみに叩いてはいけません、って日頃から散々言われていたから、俺、殴りかかりたいの我慢してたのに、横から先輩を派手にビンタしたおまえは何も言われなくて、俺は女に庇われて情けないと思わんのかってけちょんけちょんに怒られて。コドモ心に大人って理不尽だって思ったよ」
それを聞いて、わたしは思わずぷぷっと噴き出した。
「笑うなよ!」
「ごめんごめん!そっか、よっちゃんやり返せなかったんじゃなくて、我慢してただけなんだ。そりゃ理不尽だと思うよねえ。暴力振るった方が怒られないなんて割に合わないよね」
「だろ!おまけに何だよ、何もしなかった俺をいびって、ビンタ喰らわせたおまえに親切って。蒼汰先輩、マゾか?」
「ちょ!先輩に向かってマゾとかないでしょ!」
とうとう堪え切れなくなって、大声で笑ってしまった。
つられてか隣も笑い出す。
「殴り合って友情が芽生えるってのはよく聞くけど、殴られて愛が芽生えたとか、ねぇよ!」
「何でそこで愛!そんなもん芽生えてないってば!」
笑いの虫が憑いたように、久々にふたりでげらげら笑い合いながら歩いていて。
気が付いたらもう、本家の門がすぐそこに見えていた。
§
その日の晩、堀之内のばば様から電話がかかって来た。
明日の昼から、堀之内の家で餅つきをやるそうで、学校の帰りに寄ったらつきたてのお餅が食べられるから、美道や美矢にも声を掛けておいで、って。
だから次の日の帰りの会の後、すかさず美矢をつかまえて。
「堀之内のばば様が、つきたてのお餅御馳走するから帰りにおいでって、昨日電話くれたの。よっちゃんも連れておいでって言ってたから一緒に行こ?」
お餅が大好きな美矢はぱあっと顔を輝かせて、つきたては美味いんだよな~!とコドモみたいにはしゃいでいた。
美道には昨日伝えたし、小学校から自分で勝手に行くだろうからいいや。
って……わたし、姉失格?
そうやって。
毎日毎日、色々と理由をつけては美矢と帰っているうちに、理由がなくても美矢はわたしが職員室に出席簿を置いてくる間、下駄箱の所で待っているようになっていた。
最初は話題を探すのにかなり気を遣ったけれど、だんだんどうでもいいような馬鹿話で盛り上がるようになって。
あちこちで梅の花が綻びはじめる頃には、美矢もすっかり以前の元気を取り戻していた。
そんなある日の帰り道。
不意に、美矢に聞かれた。
「ゆんちゃんってさ」
「んー?」
「十の頃に、元服式の話聞かされたって、言ってたよな」
「うん」
「それからずっと、楽しみにしてたって…」
「うん」
「何で?」
一瞬わたし、目を丸くした。
「何で、だろう?」
「へ?」
美矢の目も、負けずにまん丸く見開かれる。
「いや、ね、改めて何でって聞かれても……」
一所懸命、考えに考えて。
「うーん、巫女さんになれるのが嬉しかったから、かなあ」
……お願い。
これ以上ツッコミ入れないで、美矢。
『何で、巫女さんになれるのが嬉しかったんだ?』って更に聞かれたらもう、逃げ切れない。
「ふうん、そっか」
何となく腑に落ちないような表情で。
それでも美矢が、そう呟いたのに、わたしは心底ほっとした。
「あ、ねえねえ!あそこの曲がり角の家の梅、結構咲いてない?」
「どれ?あ、ホントだ」
その話になる前にしていた、通学路の途中の家々の梅の開花状況の話題に、流れを戻す。
いきなりの問いかけに、慌てちゃったけれど。
何とか誤魔化しきった。
何で巫女さんになるのを楽しみにしていたのか、何で巫女さんになれるのが嬉しかったのか。
それは、美矢には内緒――多分、一生。
菜香ちんの手紙に返事を書かないまま、ひと月以上が過ぎていた。
美矢の様子に気を取られて、何とかしなくちゃって思って、毎日が過ぎて行って、何時の間にか。
……もう、手遅れだね。
菜香ちんの思い詰めたような内容の手紙に何とか応える事よりも、目の前で今までになく落ち込んでいる美矢のフォローを最優先してしまった。
もう、親友なんて言う資格、わたしには……ない。
――ごめんなさい。菜香ちん。