七 I loved you~好きだった
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元服式の翌日、久しぶりに外に出た。
まあ、昨日も出たと言えば言えるんだけれど、私服で行きたい所へ行けるのは一週間ぶりだ。
美容院の予約は十一時。久々の外を満喫したくて十時過ぎに家を出てきた。
と言っても正月の二日なんて開いている店は限られている。
コンビニに寄ろうか、それとも本屋さんに行こうか……と思いながら歩いていたら。
「……ゆんちゃん?」
横から、ちょっと低めの声で名を呼ばれた。
「え?あ、蒼汰先輩!」
そこにいたのは、蒼汰先輩だった。
顔を合わせたのは先輩の卒業以来。背が見上げる位に伸びて、頬のあたりが引き締まって、大人びた感じに変わっている。
「お久しぶりですっ、と、あけましておめでとうございます!」
いきなりの久々の再会にちょっと焦りながら、ぺこりと頭を下げる。
「ああ、あけましておめでとう」
先輩もそう返してくれて。
「昨日、すごかったな」
「え?」
「元服式」
そのひとことに、顔を上げたわたしは思わず叫んでいた。
「先輩!見てたんですかっ!」
「当たり前だろ?宮江本家の元服式なんてなかなか見られるもんじゃないからな。次はタローの子どもが中二になったら、だろうから、大分先だし」
そう言って、先輩はにこっと笑った。
「ゆんちゃんの巫女さん、きれいだったよ。舞もすごく上手で本職の巫女さんかと思えるくらいで。拝殿から出て来て階段降りて来る時なんか、まっすぐ前だけ見ていただろう?神様が降りてるんじゃないかって思える位、カッコ良かった。俺、マジ感動したよ」
「やだ!そんなベタ褒めしないで下さい!お世辞でも先輩にそこまで言われると何か、照れちゃいますよぉ……」
えらくストレートな褒め言葉の嵐に、思わず両手で頬を押さえた。心なしか、熱くなっている。
「いや、お世辞じゃなくてマジだから。随分前から練習、頑張ってたんだろ?三年だか四年位前から?」
「――え?」
思いもかけない問いに、思わず先輩の顔をまじまじと見て
「先輩、何でそれ、知ってるんですか」
否定する事を忘れて、思わず馬鹿正直に問い返してしまった。
「俺の母、神社の奥さんと従姉妹同士なんだ。それでゆんちゃんの話、よく聞いていたらしくて」
……うわ、さすが宮江島!
世間が狭いって事を日頃実感させられてはいたけれど…先輩と神主様の奥さんにそういう接点があったなんて全くの予想外だった。
かなり気を付けてトップシークレットにしてもらっていたつもりだけれど……意外な所に穴があるものなんだなぁ。
と。
「それって、タローのため?」
ぼそりと。
いきなり言われたひとことに、わたしは固まった。
一瞬の後に気を取り直して。
いやそんなんじゃなくて、巫女さんになるのがすごく楽しみで、やるならしっかりやらなくちゃって思って、って。
へらっと笑いながら返そうとしたんだけれど。
「ゆんちゃん、タローの事いつも一所懸命フォローしてたもんな」
更にそう言われて。
わたしは今度こそ、返す言葉を失ってしまった。
「先輩……何で?」
やっと、絞り出すようにそれだけ言うと。
「俺ずっと、見てたから」
「え……」
「ゆんちゃんが、タローからかってた俺の事引っぱたいた事があっただろ?小学校の頃」
「えっ!あ、はいっ!」
先輩、今まで何も言わなかったけれど、覚えていたんだ!
……って当然か。あんな強烈な思い出、忘れられたらそっちの方がむしろびっくりかも。
「あの時はホント、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げながら……当時はついに言えなかった謝罪の言葉が、すらりと口をついて出た。
先輩は、いやそれはもういいんだけれど、と、くすっと笑って。
「あれからずっと、俺、ゆんちゃんが気になって、見てた」
「……」
「最初はうわぁあいつだ、って、学校ですれ違ったりするとつい目について、って感じだったんだけどな……気が付いたら、目が追ってた」
……どう、しよう。
何か、とんでもない話を聞かされている、気がするんだけれど。
「それで、まだ小学校にいた頃、何年も先の元服式の巫女さんの練習、頑張ってるって母から聞いて」
……練習を始めたのは四年生の秋。先輩はその頃六年生だった。
「そもそも元服式って何だかわからなくて母に聞いたら、タローのだって……宮江本家の昔からのしきたりだって、その時初めて知ったんだ」
「……」
「その頃だったかな、職員室に行った時にたまたま、ゆんちゃんがタローとふたりで先生に怒られている所を見たんだよな」
「それってもしかして、二学期の最初じゃないですか?多分、夏休みの読書感想文の事で」
何でそんな所まで目撃されていたかなと……とほほな気分で言うと。
「ああ、それかな。確かゆんちゃんがタローの作文を代わりに書いたとかって話だったと思う」
「やっぱり。それです」
と、先輩は苦笑いしながら
「正直あの時は呆れた。何でそこまでしてやらなくちゃならないんだ、って」
「まあ……そう思いますよね、誰でも」
さすがに宿題の作文まるっと代筆とか、本人のためにもならないし。
「やりすぎですよね、わたし。自分でも馬鹿かって思いますもん」
そう言ってあはは、と笑うと
「いや」
先輩が真面目な顔で、首を横に振った。
「ゆんちゃんがじゃなくて、タローが馬鹿だって思った。甘えるのもいい加減にしろって」
「……」
「すごくむかついて、タローに直接文句言ってやりたくなった」
「……先輩?」
「でも、文句言ったら多分、タローより先にゆんちゃんが怒るだろうなって思って、やめた」
あのビンタは強烈だったしな、と付け足すように呟かれて。
「やだ先輩、さすがにしませんよ、四年生にもなってそんなムチャ……」
もう、笑い話に持っていってこの話題を終わらせたい、と思いながら言いかけた言葉は
「俺、タローに嫉妬してたんだと思う、あの時」
先輩の思わぬひとことに遮られた。
「その時はわからなかった、けど去年、ゆんちゃんやタローが中学に上がって来て、相変わらずゆんちゃんがタローの世話焼いてるのを見かける度に、何かイライラして」
「……」
「生徒会でゆんちゃんと一緒に仕事が出来るのが嬉しくて」
「……」
脈絡のないふたつの話。
でも、これを結びつける言葉がない……わけじゃない。
「俺、ゆんちゃんの事、好きだった」
穏やかな、告白。
だけど
『好きだった』
それは、現在進行形じゃない、過去形。
「高校行ってから、俺があげたレターセットでゆんちゃんがくれる手紙が嬉しかった」
……何を書いたらいいかわからなくて。
クラス委員をやっていてわからない事を箇条書きで並べた後は、当たり障りのない日常の、つまらない事で便箋の残りを埋めていた。
「夏休み会えたらいいですねって書いてあったから、絶対会って、告ろうと思ってた」
……夏休み、会えたらいいですね、って。
軽い気持ちで書いたんだった。
近くまで来たら寄って下さいね、みたいな、お決まりの文句くらいのつもりで。
「部活の休みが一週間だけ取れたから宮江に帰ってきたら、ゆんちゃんは本社の方に行ってるって母に聞いたんだ。泊まり込みで巫女さんの練習だって」
……そうだった。
本社のある島まで行って、十日位泊まり込んで、猛特訓を受けたんだった。
「それ聞いた時、俺、タローに完全に負けた気がした」
……ちょ、何でそこ?
美矢、関係ないし!
って、ツッコミを入れようとしたけれど。
声が喉の奥に絡まったみたいに、出てこない。
「それで、昨日の舞を見て……何か、吹っ切れた」
ちいさく、笑いながら。
「ゆんちゃんってもう、いとことか、彼氏彼女とか、そういうのを超えた所でタローの事、大事にしてるんだな、って」
「先輩……」
それは、誰にも言われたことがないこと。
わたし自身も、ちゃんと考えたことがないこと。
『宮江の一の姫だから』
『斎姫だから』
だから美矢が大事、って。
……その言葉を当てはめたらすとんと腑に落ちたから、それ以上、考えようとしなかった。
ただの従兄妹で片付けられないくらい、仲良しで。
でも彼氏じゃない。彼女にはなれない。
だけど――大事。
何でそれを、蒼汰先輩がはっきりと、言葉で示してくれるんだろう。
何でそんなこと、先輩が気付くんだろう。
ずっと見ていてくれたから?わたしと……美矢のこと。
「……ちょ、ゆんちゃん、泣くなよっ……」
慌てたような声。
何時の間にか、俯いてた。
何時の間にか、涙が噴き出すように、こぼれていた。
何かもう、色々と……申し訳なくて。
「せんぱいっ……ごべ、んな……さい……っ」
謝ってみたけれど、途中でしゃくりあげて、ひどく間抜けな言葉になってしまった。
「いや……あのな、ここで泣きながら謝られたら……俺、結構悲惨じゃん」
まいったな、とちいさく呟くのを、耳にして。
ここでわたしが泣くのも、謝るのも、先輩に対してとても失礼な事だと気付いた。
袖でぐいぐいと、目のあたりを拭って、顔を上げる。
「いきなり泣いちゃってごめんなさい、って事、でず……っ」
しゃくり上げる前に、一気にそう言い切ると、先輩はふっと笑った。
「……相変わらずゆんちゃんは強いな」
「そうです、か?」
作った笑い顔が、込み上げて来るものでひくっと歪む。
そんなふうに。
ずっと見ていてくれて、何も聞かなくても解ってくれているこのひとのことを。
好きになれたら、すごく楽だったんだろうけれど。
「……もう、行かなく、ちゃ」
涙を拭った時、腕時計に目が行って、かなり時間がたっている事に気付いた。
「え、何か用事だった?引き留めてごめん」
慌てる先輩に、大丈夫です、と返して。
「美容院、予約入れてるんです。まだ十分位あるから」
「美容院?」
「これ、ばっさりすっきり切っちゃおうと思って」
頭のてっぺんで束ねた長い髪を、軽く揺らす。
「え?何で?ずっと伸ばしてたんだろ!もったいない!」
先輩がひどく驚いた顔をした。
「うん、でも巫女さんやるのに前髪とか結構切っちゃって、何か変だから」
胸のあたりで切ったサイドの髪は何とか後ろで束ねられるけれど、肩先につかない位の髪はもうどうしようもない。
「変か?そうやってると大河ドラマのお姫様みたいで可愛いと思うけど」
……うわぁ、先輩!
可愛いとか、そんなさらっと言う?
あまりにストレートな言葉に内心どぎまぎしながら
「もう巫女さん終わったし、長いのって色々面倒だから、さっぱり切って来ます」
そう返すと。
「そっか……巫女さんやるためにずっと、伸ばしてたのか」
蒼汰先輩はそう言って、穏やかに笑った。
「はい」
涙が乾いた目を細めて、わたしも笑った。
「じゃ、失礼します」
「うん、元気でな」
「先輩も、高校の方、頑張って下さいね」
「ありがと」
ぺこりと、頭を下げて。
先輩の横をすり抜けざまに……髪を結んでいる辺りをぽんっと、軽く叩かれた。
「ゆんちゃんも、来年受験、頑張れよ!」
「はい!ありがとうございます!」
もう一度、笑顔で挨拶して、先輩に背を向けて、歩き出した。
ごめんなさい、蒼汰先輩。
本当に色々と、ごめんなさい。
……そんな事、口にしたらまた先輩が困るだけだから、もう言わないけれど。
心の中で思うのは、許して下さいね。
本当に――ありがとうございました。
その日わたしは、髪をばっさり肩の上まで切った。
美容院のお姉さんももったいながって、きれいな髪だしせめてセミロングにしては、とアドバイスしてくれたんだけれど……もう、全部切ってすっきりさせたかった。
帰り道、すっかり軽くなった頭を左右に振って、後ろに揺れる重いものがない事に多少の違和感を覚えながら。
重かった髪と一緒に、色々なことをさっぱりと切り落としたようで、何だか爽快な気分でわたしは道を歩いていた。
失恋したら髪の毛を切るって、馬鹿馬鹿しいと思っていたけれど、案外心機一転には手っ取り早い特効薬なのかもしれない、と。
ふと思いついたその事を、菜香ちんへの手紙に書こうと、思った。
それから今日の、蒼汰先輩の事も……美矢の話だけは抜きにして。
書きたいことが色々とあり過ぎて、便箋を何枚も連ねて。
冬休みがもうすぐ終わるというあたりでまだ菜香ちんへの手紙を書き終わらないうちに、彼女の方から先に、手紙が来た。
とても薄くて軽いそれを開封したら……中には、便箋が一枚だけ。
『ゆんちゃんへ
ゆんちゃんはタロー君にとっては特別な子なんだよ。
多分、誰もゆんちゃんの代わりにはなれないと思う。私も無理だった。
彼女とかじゃなくても、タロー君を大事にしてあげてね。
Naka』
……何、これ。
たったそれだけの短い文面。
余分な言葉が全くない、簡潔過ぎる位に簡潔な内容。
なのに。
意味が全然、解らない。
国語の成績はずっと学年でトップだった、わたしが。
『特別な子』って、どういう意味?
『代わりにはなれない』って、何?
美矢にあんなに大切に思われていた菜香ちんが、どうしてこんな事、書くの?
今までもらった中で、いちばん、短い文章。
『Dear Yunchan』で始まらない、初めての手紙。
どうして?
これ、どういう事なの?