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三 Witness~斎姫は見た!

                     §


 明日で二学期が終わるという日の、朝。

「急な話だが、上村が明日で転校する事になった」

先生が、そう仰った。

お父さんの急な転勤が昨日決まったんだそうで、クリスマスイブの日にはもう引っ越すと。


 先生に促されて教壇に上がった菜香ちんが

「短い間でしたが、仲良くしてくれて、本当に有難うござい、ました」

そう言って下げた頭を上げた時……今にもこぼれそうな位、目に涙を湛えていた。

教室のあちこちから、何人かのちいさな泣き声が、上がった。


 わたしは泣かなかった。

泣いている場合じゃない。今やらなくちゃならない事を、やらなくちゃ。


 転校の手続きのために菜香ちんが先生と職員室に行っている間、自習の指示が出た。

いつもは自習と聞くと男子は馬鹿みたいに騒ぎ出し、それを女子が『静かにしなさいよ!』と注意するもののなかなか収まらない……んだけど、今日は異様な位、静かだった。

菜香ちんがいない、今のうちだ。

「皆、ちょっと聞いて!」

わたしは前に出て、教壇の上に立った。

「明日、菜香ちんに何かプレゼントしたいと思うんだけど、賛成してくれる人は手を挙げて下さい」

全員がほぼ同時に挙手してくれた。

わたしの言葉が終わらないうちに、誰よりも真っ先に手を挙げたのは、美矢だった。


 その後簡単な話し合いで、プレゼントはクリスマスカラーのポインセチアの鉢に決まった。



 放課後。

わたしは出席簿を職員室の先生の所に届けると、すぐに学校を飛び出した。


 昼休みに一年のクラスに行って、お父さんがお花屋さんをやっている後輩の沙希さきちゃんを呼んでもらい、お店が何時まで開いているかを確認したら、六時で閉まるとの事だった。

『明日でうちのクラスの上村さんが転校するから、ポインセチアの鉢植えをプレゼントする事になったの。ギリギリになっちゃうかもしれないけれど今日必ず行くから』

生徒会書記の沙希ちゃんとの付き合いは、前任のわたしの仕事の引継ぎに始まって、今もクラス委員として生徒会活動にも関わる関係上、日頃から何かと親しくしている間柄だ。

『あ、もしかして帰ってからすぐ巫女さんの練習ですか?』

『そうなの!本番まで日がないから結構時間かかりそうで。ホント、ギリギリかも』

『いいですよ、お父さんに弓佳先輩が来る事、話しておきますから』

こちらの事情をよく判っている彼女は、にっこり笑ってそう言ってくれた。

『有難う!ごめんね、でも六時には絶対間に合うよう頑張るから!』


 校門を飛び出したあたりで、皆に紛れて並んで歩いている美矢と菜香ちんを追い越した。

追い抜きざまに手を軽く上げて、ばぁい!とひとことだけ言ったから、もしかしたら気が付かなかったかも。


 大急ぎで家に帰って、三分で普段着に着替えて、家を飛び出した。

すぐ近くにある登り口から階段を駆け上って、氏神様の境内までは二分。

御神木の大楠の所まで来て、走るのをやめて。

息を整えながら手水舎ちょうずしゃまで歩く。


 手水の前で一礼してから柄杓ひしゃくに水を汲んで、両手を清めて口をすすぎ、最後に柄杓を立てて柄を清めて。

もう一度、礼をする頃には、呼吸が元通りに整っていた。

巫女舞は神聖なものだから、慌てず騒がず、平常心で望まなくちゃ。

ゆっくりと深呼吸しながら、拝殿横の社務所まで歩いて行って。

「こんにちは、弓佳です!本日もお稽古、よろしくお願いします!」


                     §


 ミスが少なかったからか、お稽古は意外に早く終わった。

いつもならとっぷり日が暮れる頃までやるんだけれど、今日はまだ日没前だ。

「明後日の祝日は、本社の巫女さんが振付の指導に来て下さるから。朝から一日しごかれるって覚悟しておくのよ?」

恐ろしい言葉を、凪子叔母さんがにっこり笑いながら口にした。

「あ~!本社の巫女さん、厳しいからなあ。ダメ出し激しそう……」

その様を今から想像してげんなりするわたしに

「ゆんちゃんなら大丈夫よ!」

「この間見て頂いた時も、あまり厳しい事は仰らなかったじゃない?」

叔母さんと、神主様の奥さんが、そう言ってくれた。

「え!あれで厳しくなかったの?」

と、叔母さんと奥さんは顔を見合わせながら頷き合って。


 「凪ちゃんの時は凄かったよねえ。私、見ちゃったのよ。お稽古を途中で抜け出して、御神木の根元の穴の所で丸くなって大泣きしてたでしょ」

「だって私、まだあの頃十歳そこそこよ?無理あり過ぎだって」


 奥さん、叔母さんと同い年の幼なじみだから、その辺の事情はよく知っているのね。

「でもゆんちゃんは偉いわね。まだ何年もあるうちからお稽古つけてくれって、自分で言うんだもの。叔母さんびっくりしたわ」

叔母さんの褒め言葉に、ちょっと気恥ずかしさを覚えて。

「うん……四年生の秋頃だったかなあ、お母さんに巫女さんの事を聞かされて……よーし頑張ろう!って。また四年もあったのに、気が早すぎだよね?」

「そんな事ないわよ?早くから始めたから、長袴ながばかま履いても平気で歩いたり踊ったり出来るようになったじゃない?私なんか本番で何回コケそうになったか……」

「あ~!そんな事言わないで叔母さんっ!わたしも本番でやっちゃいそう!」



 挨拶をして社務所を出たら、境内の木々の合間に見える空が、オレンジ色に染まっていた。

二の鳥居の向こうに僅かに見える西の水平線が、傾いている夕陽に照らされて光っている。

沙希ちゃんちのお花屋さんに遅くても五時半位には行くとしても、まだ少しは時間に余裕がありそうだ。


 わたしは拝殿の方に回って、正面の階段を上った。

捲り上げていたスラックスの裾を、下ろす。


 足が出ない長袴で歩くのに慣れるため、裾上げしていない男物のスラックスを買ってもらって、練習の時は必ず履いていた。

すぐに裾が擦りきれるから、何本も買い換える羽目になったけれど。

幸いと言うか、お父さんが足が短……いや、その、ええと。

とにかく、私が擦りきらせた分の丈を切っても、お父さんが十分履ける長さだったので、全部無駄にしなくて済んだ。でもそのせいで、お父さんのタンスの中はスラックスがぎっしりで凄い事になっている。あれだけあったらもう一生買わなくていいんじゃないかって位。

でも、もうこれが最後の一本かな。


 元服式まであと二週間を切った。

もうすぐ、巫女の潔斎が始まる。当日までの一週間、家からは一歩も外へは出られなくなる。

巫女舞の練習は家でも出来るけれど、ここでないと出来ない事が、ひとつある。

拝殿の階段を降りる練習、だ。


 美矢の元服式の後、わたしが御神前で巫女舞を捧げる。

それが終わったら、わたしを先頭に、皆で並んで拝殿から鳥居横の斎館まで、歩いて行く。

普通に歩くのはともかく、最大の問題はこの、拝殿の階段を降りる事だ。

長袴を履いている上に、目線に扇を捧げて歩かなければならないので、足下を見るわけにはいかない。

足下をちらちら見ながらおっかなびっくり降りるなんて、想像しただけでもみっともなさすぎる。


 一年位前に、TVでやっていたタカラヅカの特集で、最後に大階段を降りて来るトップ男役さんが、目線を客席に向けたままで狭い幅の階段を降り切る事の苦労を、裏話的に語っていた。

それを聞いて、これだ!と思った。

拝殿の階段は大劇場の大階段よりも巾があるし段数は十段そこそこ。やれば出来る。いややるしかない、と。

それから自分で何度も何度も降りる練習をして、段数も一段の幅も、感覚で覚えた。


 階段の中央に立って、練習用の扇子を目の高さに横に捧げ持って。

ここは大劇場で、境内は客席で観客がたくさんいて、気分はタカラヅカのトップで。

イメージに浸りながら、静かに階段を降りはじめる……と。


 上げた目線の向こう、御神木の楠の根元の辺りに、誰かが居るのが見えた。


 頭がふたつ。

夕暮れの薄暗さではっきりしないけれど……うちの学校の制服のボレロと、学ラン。

おいおいこんな所でこんな時間にデートかい?と思った、その時。


 並んでいたふたりが向き合って。

学ランが、ボレロの子を抱きしめた。


 うわぁ!何してんのっ!

って……あれ。


 美矢と、菜香ちん……だ。


 幼なじみと、親友だもの。

見間違えるはずがない。


 ……どうしよう。

何か、ものすごく見ちゃいけないものを見ている気がする。

でも目が逸らせない。目線を下げるわけにはいかない。

目線の高さはとにかく保ったまま、なるべくそちらを見ないようにと、視線を左右に泳がせる。

幸い、段取りを感覚で覚えている足は、ゆっくりしっかりと階段を踏みしめている。


 落ち着いて。

とにかく、平常心で。

平常心、で……。


 菜香ちんが、美矢の胸元から顔を上げて、美矢を見上げた。

何か言ってる?

――え?


 え……え、えええっ!!


 前方の、ほんの一瞬の出来事に、頭の中が真っ白になった――その時。

足の裏が一番下のコンクリートの土台部分を踏みしめたのが、判った。


 どっ、どうしようっ!


 そそくさとスラックスの裾を捲り上げて。

階段の下に置いてあった紙袋に、扇子を雑に放り込んだ刹那、がさり、と音がした。

うわ、音なんか出したらまずい!

とにかく気付かれないようにここから退散しなくちゃ!

正面の階段から下りるには、御神木の横を通らなくちゃならないから、そっちは駄目。

ちょっと遠回りだけれど、拝殿の横の小道から下りるしかない。


 紙袋をひっつかんで、靴を半分突っかけた状態で、走り出して。

薄暗い林の中の小道に入って。

ここまでくれば大丈夫、と、ほっと一息ついて……歩き出した。


 運動量の割に激しく波打っている心臓の音に、戸惑った。

そんなに走ったわけじゃないのに。

何で、こんなに息苦しい?


 小道をゆっくり歩いているのに、なかなか動悸が収まらない。

まだ、ドキドキいってる。


 どうしよう。

美矢が……菜香ちんに、キス、してた――。


                     §


 陽が沈んで、辺りがかなり暗くなる頃。

わたしは沙希ちゃんちのお花屋さんにいた。


 沙希ちゃんが予め話しておいてくれたらしく、彼女のお父さんが

「今クリスマス前だから、ポインセチアは色々出ていてね」

と、いくつか鉢植えを用意して下さっていた。

大小様々あって、どれもいいな、どれにしよう、と迷っていたら、隅の方にあったひとつ……いや一組が目に止まった。

ひとつのカゴに、仲良く並んでふたつの鉢が入っている。

鉢ふたつ分だから値段もそれなりにするけれど、手持ちのお金で十分、買える。

そう判断して

「じゃ、これ下さい!」

その鉢に、決めた。


 家に帰って。

買ってきた鉢のカゴを自分の部屋の机の上に置いて、しばらく眺めていた。

菜香ちんとの友情の記念に、お揃いでひとつずつ、って、いいかも。

これを見た瞬間、そんな事を考えたわたし。

明日皆から集めるプレゼント代は、半額を人数割りすればいい。ひとつはわたしの自腹って事で。

……と。


 不意に。

さっきの光景が頭の中をよぎった。


 御神木の楠の根元の、大きな穴になっている所に、仲良く並んで見えていた、ふたつの頭。

まるでこの、ポインセチアみたいに。


 向かい合って、抱きしめて、見上げて、そして――。


 「ああああっもぉうっ!」

それを思い出した刹那、何だか居てもたってもいられなくなって。

椅子から立ち上がって、下に置いてあった大きなクッションに顔を埋めた。


 何やってんのよ美矢!手、早すぎ!

今までのカノジョにももしかしてあんな事してたわけ?大体アンタまだ中二でしょ!

キスだよ、キス!デコチューでもほっぺにチュ♪でもない、正真正銘のキスだったよ、あれ!

ああもう、どうしようっ!


 って。

何でどうしよう、なのよ!

何でわたしがこんなに動揺しなくちゃならないのよぉ!


 こんな事でどぎまぎさせられている自分が何かすごく口惜しくて、手をグーにしてぼすぼすとクッションを叩く。

「ん~っっ!」


 クッションを抱きしめたまま、床を左右にゴロゴロ転がりまくって。

時折唇から勝手にこぼれる意味不明な雄叫びを、全部クッションの中に埋めて。

気が済むまでそうした後。


 「……はあ」


 起き上がって、わたしは大きな溜息をついた。


 ……美矢を見上げていた時の菜香ちん、遠目にも仕草がとっても可愛かった。

もしかしたら美矢の前で、泣いていたんだろうか。

だから美矢、あんな風に抱きしめたんだろうか。


 何だかな。

美矢って……オトコ、なんだな。


 そんな事はとっくの昔に、考えるまでもない事実として認識していたはずなのに。

今更何を言ってるんだわたし、とは思うんだけれど。


 ずっと。

わたしが護るべき、護らなくちゃならない子、だと、思っていたから。

……だから、なのかな?

自分がリードを取って好きな子を護ろうとするような美矢を目の当たりにして、こんなにも動揺してしまっているのは。

何て言ったかな、こういうの。コペルニクス的転回、っての?

今までの世界がぐるっと反転しちゃった、みたいな?



 クッションを抱え込んで床に座ったまま、机の上を見上げた。

カゴの縁から、赤と緑の葉っぱが出ているのが見える。ふた鉢分、仲良く。


 お揃いなんだったら。

もうひとつは、美矢にあげよう。


 わたしとお揃いよりも、その方がきっと、菜香ちんも喜ぶ。

美矢も喜んでくれる、きっと。


 そう、思った時。


 我ながらいい事を思いついた、と思うより前に。

……何故かひどく、切なさを感じていた。


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