二 Dear my friend~親愛なる友へ
§
夕食を食べて、美矢が帰った後。
「姉ちゃん、巫女の練習してる事、まだよっちゃんに言っちゃだめなの?」
美道が問うてきた。
「ん~、本番まで三ヶ月切ったから別にいいんだけど……わざわざ言いたくないっていうか」
「何で?」
心底不思議だ、という表情でそう聞かれて。
「……何だろうね。何かこう……必死にやってますみたいに思われるのが、やなんだよね」
「ふうん」
必死にやる事は悪い事じゃないのに何が嫌なんだ、と聞かれたらどうしようと思ったけれど、まだ小六の美道はそこまで深く考えて聞いたわけじゃないのか、それ以上は何も言わなかった。
そう。今日は週に一回の、巫女舞の練習の日。
便箋は帰りに、出掛けたついでに買ってきたんだ。
帰ってきたら美矢がいたから、美道に目でブロックサインを送ってつい誤魔化しちゃったけれど。
『おまえが宮江の一の姫なんだよ』
堀之内のばば様に、昔の宮江一族の『斎姫』の話を聞いて、すぐ後くらいの事だったかな。
『よっちゃんの元服式で、弓佳が舞を舞うのよ』
お母さんから、そう言われた。
『元服式?何それ?』
『本家の総領息子が数え十五歳になるお正月に、氏神様で昔の成人式みたいな儀式をするしきたりになっているの。中学二年のお正月ね』
『ふうん』
『その時に、巫女さんが神様に舞を捧げることになっていてね、よっちゃんにお姉さんか妹がいればその子がやる事なんだけれど、ひとりっ子だからね。従姉妹で一番上の弓佳がやる事になるから、覚えておいてね』
……あ。
もしかしたらそれって。
その時わたしは、ばば様から聞いた話を思い出した。
総領にお姉さんや妹がいない場合は、従姉妹のうちで一番年上の女の子が『一の姫』なのだと。
昔なら『斎姫』として、一族と総領の護り姫として、氏神様にお仕えしたんだと。
つまり、昔だったら『斎姫』になるはずの『一の姫』のわたしが、将来の『総領』の美矢の元服式で、氏神様に舞を捧げるという事だ。
ただでさえ
『わたしは宮江の一の姫として、斎姫として、よっちゃんを護るんだ!』
と、妙な使命感に燃えていた所へ、本来の『斎姫』の、現代まで唯一残った役割を担うと聞かされて。
わたしは俄然、張り切った。
普通は巫女舞の練習を始めるのは元服式の一年前位かららしいんだけれど、お母さんを拝み倒して早速巫女舞のお稽古を始めさせてもらった。
前の元服式……美矢のお父さんの太郎伯父さんの式の時に巫女として踊った凪子叔母さんと、氏神様の神主様の奥さんが、ふたりでわたしの指導に当たる事になった。
ふたりともそのために、宮江島からちょっと離れた隣の県の島にある、氏神様の本社にあたる神社にわざわざ行って、巫女舞の振付を一から教えて頂いたんだそうな。
当時は子どもで何もわかっていなかったけれど、今にして思えばわたしのワガママですごく面倒な事を、叔母さんや神主様の奥さんにさせてしまったというわけだ。
中学に入る頃、やっとその事に気付いて、ふたりに平謝りに謝ったんだけど、ふたりとも
『何言ってるのゆんちゃん!そんなの別に手間でも面倒でもないわよ』
『そうそう!ゆんちゃんがそんなにやる気になってくれているなんて、巫女の先輩として叔母さん嬉しかったのよ?だからいい加減な事は教えたくないなって、気合い入れて頑張っちゃった』
だから気にする事なんか全然ないんだと、笑ってくれた。
それでも申し訳ないと思っていたわたしに、凪子叔母さんが
『そう思うのならね、このお返しは次の巫女さんにきちんとしてあげてね』
『次の巫女さん?』
『そう、よっちゃんが大人になって結婚して、男の子が生まれて、その子が中二で元服する時にその子のお姉さんか妹か、一番近い親戚の女の子がまた巫女さんになるでしょ?その時にはゆんちゃんが巫女舞をしっかり教えてあげるのよ?今の私みたいにね』
それが叔母さんへの最高のお返しなのよ?と。
優しく言われて、分かった必ずそうする、とわたしは強く頷いた。
美矢の、子どもかあ。
さすがにそんな先の事なんてまだあまりピンと来ないけれど。
昔の『斎姫』からずっと続いている宮江の伝統を、次に引き継ぐという役目も、わたしにはあるという事なんだよね。
叔母さんにそう言われてから、わたしはますますお稽古にのめり込んだ。
週に一回、ウチの近くの上り口から山を上って数分の所にある氏神様の社務所に通って、一時間から時には二時間、お稽古をつけてもらう。
昨年あたりから、時々休みの日に本社の巫女さんにお願いして来て頂き、細かい所の振付を直してもらったりするようになった。
本職の方だけあってかなり厳しいけれど、やるからにはきちんとやりたいわたしは、何度もダメ出しされても言われた事をこなせるよう、頑張っているつもりだ。
でもその事は、周りには知られたくなくて、関係者一同に黙っていてくれるようにと頼んである。
特に、美矢には絶対に知られたくない。
『早くから頑張っています、みたいにアピールするの嫌だから。こっそり練習して上手になって、当日皆をあっと言わせたいなって』
そう言ったら、皆わたしが恥ずかしがってそう言っているんだろうと思ってくれたらしく、今の所本家の人達や堀之内のじじ様ばば様達には、バレている様子はない。
まあ、でも。
普通は一年前からお稽古を始めるって話だから、多分もうやっているんだろう位には思われているんだろうな。
美矢にはそのあたりを突っ込まれた事はないけれど。
夏休みに、本社の島へ十日程泊りがけで行って猛特訓を受けてきた事も、旅に出ていたと思われているようだし。
何となく、美矢だけには知られたくない。
わたしがこの四年ずっと、巫女舞を完璧に舞うために頑張っている事を。
わたしがこの四年ずっと、巫女さんになるために髪の毛を伸ばし続けている事も。
だって、何で?って聞かれたら、答えようがないから。
『わたしは宮江の一の姫だから、世が世なら『斎姫』だから』
って答えたら、絶対美矢、ぽかんとしそう。
……多分、美矢は忘れているだろうから。
『弓佳が、よっちゃん護ってあげるんだから』
『ゆんちゃんが?俺を護るって?何で?』
『だって今は弓佳が、宮江の一の姫だもん!』
忘れていてくれた方がいい。思い出されると困る。
弓佳がよっちゃんを護る、なんてすごい科白、よく言ったもんだと思うわよ。
今じゃ、とてもじゃないけれど恥ずかしくて言えない。
……でも。
言葉には出来ないけれど、今でもわたしはそのつもりでいる。
わたしが、美矢を護るんだ、と。
わたしは宮江の『斎姫』だ。
将来の宮江の『総領』になる美矢の、護り姫だ。
だから美矢の元服式の巫女に、選ばれた。
今はもう『斎姫』なんて言葉を使う人はいない。本家の皆も、うちの両親も、周りの人達も『巫女さん』って言っている。
四年前に一度だけ『斎姫』の事を話した美矢も、ね。
多分そんな言葉、とっくの昔に忘れているんだと思う。
だからわたしも、皆の前では『巫女さん』って言うようにしている。
自分が護る『総領』の行く末の無事を願って、『斎姫』として舞うのだと。
それは、わたしだけが分かっていればいい――。
§
『Dear Nakachin.
巫女さんの練習、結構大変!あ、でもよっちゃんには絶対に内緒にしてね?
頑張っていますって散々アピールしておいて当日コケたりでもしたら
もうね、一生馬鹿にされそうだから!
あいつ絶対根に持ちそう。だって自分の元服式だもんね。
さっきよっちゃんがうちに来て、弟にゲームでぼろ負けしてました。
格闘系は苦手だって言ってたけれど、思わずツッコミ入れたくなっちゃったよ。
格闘だけじゃないじゃん、って。
ノブヤボでカッコつけてわざとマイナーな武将選んで
早々にゲームオーバーしたって。
話の出どころが菜香ちんだってバレてケンカされたら困るから
言わなかったけれどね。
蒼汰先輩の話、覚えてたんだ?
夏休みくらいまでは時々手紙を交換していたんだけれど、最近来ないの。
夏休みにわたしが出したっきりかな。
お返事が来ないとこっちからも何となく書けないって事ない?
もしかしたら高校の方が忙しくなってきて
後輩との文通どころじゃないのかも』
菜香ちんからもらった手紙への返事をそこまで書いて。
ボールペンを置いて、ちょっと考える。
巫女さんのことは、この位書いておくだけでいいかな。
昨日、美矢から聞いたんだよね。菜香ちんがわたしが巫女さんやる事を羨ましがってたって。
他所から引っ越してきたから伝統行事には関われないのは分かってるんだけど、って言いながら
『タロー君の『元服』、大事な儀式なんだよね?そういうので選ばれて巫女さんになるなんて、
いいなあ』
ちょっと淋しそうな顔でそう言っていたと。
……気持ちは、わかる。ものすごくよくわかる。
でもこれだけは、代わってやりようがないの。
わたしでなければ、駄目なの。
巫女さんの元々の意味を知ったら、菜香ちん、悩んじゃうかも。
美矢の『護り姫』だもんね。カノジョの立場の子が聞いたら面白くない、かも。
……でも。
絶対にカノジョの立場になれない巫女さんと、カノジョだったらどっちがいいか、って聞かれたら…後者の方がいいって、思わないかなあ?
美矢には昨日、冗談半分にその事を説明してやれって言っちゃったけれど、多分美矢は言えないだろうな。
まあ、わたしは何も聞いていない事に、しておこう。
それにしても。
蒼汰先輩の事を突っ込まれるとは思わなかったわ。
夏休み前にちょっとだけ菜香ちんに話したんだよなあ、確か。
蒼汰先輩は去年の生徒会長。今年の春に中学を卒業して、今は宮江島を出て隣県の高校に寮に入って通学している。
わたしは去年、生徒会書記に選ばれた。入学早々で中学の事は全然わからない状態だったけれど、先輩が色々な事を親切に教えてくれたおかげで、どうにか一年間、務める事が出来た。
先輩が卒業する時に、色々頑張ってくれたからってレターセットをプレゼントしてくれて
『何かあったらいつでも手紙くれよな。返事、必ず書くから』
って言ってくれた。
二年になって、クラス委員になって、昨年とはまた色々と勝手が違う事にぶつかって。
そういう事がある程度貯まった時に、わたしは蒼汰先輩に手紙を書いた。
些細な事で頻繁に手紙を書くのは何だか申し訳ない気がしたから。
いつも、待つ間もなく返事は届いた。しかもわたしが書いた分の倍くらいの内容で。
こちらから聞いた事にはひとつひとつ懇切丁寧に答えてくれる。便箋の残り余白を埋めるために書いた他愛もない話にもきちんと反応を返してくれる。
何だか申し訳なくなる程に至れり尽くせりで……これじゃあまりいい加減な事は書けないと、わたしは内容をじっくり練ってから手紙を書くようになった。
だからどうしても、手紙を出す間隔が間遠になる。
最後に出したのは、夏休みに入った頃だったかな。
その頃にはもう、クラス委員の仕事にも馴染んで、特別相談するような事もなくなって。
今の生徒会の様子とかを少し書いた後、夏休みには多分、宮江に帰って来るだろうからと
『夏休み、会えたらいいですね』
と、お決まりの挨拶で結んだ。
先輩は結局帰省したのかどうか。夏休みには会えず、その後手紙も来ず、そのままになっている。
菜香ちんへの手紙にも書いたけれど、高校の方に慣れて色々と忙しくなって、後輩の内容の薄い手紙に返事を書く暇なんかもうないのかもしれない。
わたしはわたしで、菜香ちんとの文通を始めた時に、あっという間に手持ちのレターセットを使い切り、間に合わせに蒼汰先輩からもらったレターセットを使って、それも使い切ってしまった。
……多分もう、蒼汰先輩と文通する事もないだろうから、いっか。
そう言えば先輩の事、小学校の頃に思いっ切り引っぱたいちゃったんだよなぁ。
ふっとその事を思い出して、思わずぷぷっと笑ってしまった。
あれはわたしが二年生の頃。先輩は四年生。
廊下で美矢をからかっていた先輩にくってかかった挙句、ぱあん!と派手な音を立てて。
びっくりしたのか先輩は泣き出すし、先生はすっ飛んでくるし、お母さんは呼ばれるしですごい騒ぎになったんだった。
その後、校内で時々先輩とすれ違う事はあったけれど、特に何事もなく。
中学で生徒会に入った時、会長が蒼汰先輩と知って、うわ気まずい!と思ったんだけれど、先輩はその事についてわたしに話を振ってきた事は、ただの一度もなかった。
もしかして先輩、忘れてる?
だったらいいんだけれどね。あまり覚えていてもらいたい事じゃないし。
……あ、菜香ちんにこの事、書こうかな。美矢も絡んでいる話だし。
まあ、美矢にとってもあんまり面白い思い出じゃないだろうから。
『蒼汰先輩って言えば、小学校の頃にちょっと面白い事があってね。
あ、この話はよっちゃんには絶対内緒だよ?
二年生の頃にね』
わたしは再びボールペンを取って、菜香ちんへの手紙の続きを書き始めた。