一 Jealousy~ヤキモチ
§
『Dear Yunchan.
巫女さんの練習、頑張っていますか?
タロー君の元服式まであと二ヶ月ちょっとだよね?
ゆんちゃん、髪の毛が長いから、きっと巫女さんが似合うと思います。
どんなかっこうで踊るのかな?楽しみにしています。
タロー君は元服っていう位だから昔の武将のかっこうするんだよね?
それも楽しみ。
ところで、前にちょっとだけ話してくれた二コ上の先輩……
そうた先輩、って言ったかな?
結局今はどうなってるの?』
「ただいまぁ」
靴を脱ごうとして、玄関先に見慣れた靴があるのに目を留めた。
そのまま自分の部屋に行くつもりだったけれど、何やら騒がしい居間を覗く。
「うわぁまたやられた!」
「よっちゃん弱いな~!」
「うるさい!格闘系は苦手なんだよっ!」
男ふたりが、テレビゲームに夢中になっている。
「あ~もうやめたっ!」
コントローラーを放り出して、ごろんとその場に横になった従兄の美矢は、わたしの顔が目に入ったのか
「あ、ゆんちゃんお帰り」
こちらに頭を向けて仰向いたまま、手を挙げた。
その声で、弟の美道もこっちを振り向く。
「お帰り姉ちゃん、今日も……」
と言いかけるのに、居間へ入りながら目配せを送ると、美道はあ、という顔で口をつぐんだ。
「便箋切らしたんで買ってきたの」
座って、テーブルの上に持っていた袋を置く。
と、美矢がむくっと起き上がって。
「あ~、もしかして上村との手紙の?」
「うんそう」
袋を開けて中のレターセットを出して、テーブルの上に並べてみた。
薔薇の柄と、ちょっとお茶目なカエルと、レースの縁取りの大人びた感じのものと。
「こんなにたくさん買ったのかよ!」
「姉ちゃん、確か先週も同じくらい買ってなかったか?」
驚く男子ふたりに
「こんなにって言うけれどこれ、大した枚数入ってないのよ?すぐ使い切っちゃうからまとめて買っておかないとね」
事もなげにそう返す。
レターセットは女子の必須アイテムだ。特に、うちの学校みたいにケータイ所持禁止でメールのやり取りが出来ない環境では、手紙のやり取りは重要なコミュニケーションだからね。
「しっかしまあ、毎日学校で会って話してるのによくそんなに書く事あるな」
テーブルの上に並んだレターセットをしげしげと見ながら、美矢が呆れたように言った。
「ゆんちゃんと上村、ほとんど毎日手紙やり取りしてるだろ」
「マジ?毎日?」
美道が目を丸くして叫ぶ。
「毎日は大げさでしょ。二日に一回位だって」
「それは『ほとんど毎日』と同じ事だろ、なあ美道」
同意を求められて、黙って頷く弟の横で。
ホント女ってわかんないよな……と呟く従兄に、わたしは口に出せない言葉を心で投げかけた。
――アンタのせいだよ、美矢。
§
『上村菜香です。どうぞよろしくお願いします』
一学期の始業式の日、女子がひとり転校してきた。
クラス委員になったわたしは、先生から彼女が学校に慣れるように色々と助けてあげて欲しいと言われて、彼女に積極的に話しかけるようにした。
ほんの数日そうして話しているうちに、彼女とわたしは結構趣味が合うことがわかった。好きな音楽とか好きな本とか。読書好きという点も一緒。料理が好きなところも。
博識で、勉強もよく出来た。
今までわたしの最大のライバルは美矢で、学年一位を取ったり取られたりだった。
ところが一学期の中間テストではいきなり彼女が一位、わたしは三点差で二位、更に一点差で三位が美矢だった。
うちの学校は一学年につき一クラスしかなくて、わたし達中二クラス二十一人中の順位だから大した事がないと言われればそうなんだけれど、わたしにしてみれば大事件だ。
何しろ、小学校どころか幼稚園からずっと持ち上がりの代わり映えのしないメンバーの中でのマンネリ化した順位争いに、突然新たなライバルが降ってわいたんだもの。
彼女に一位を取られた事はわたしにとっては新鮮な出来事で、口惜しいというよりもむしろ痛快な気分になった。
その後、授業でわからなかった所を休み時間に彼女に聞いたり、家に呼んで一緒に宿題をやったりと……そんな所からも彼女とわたしは親しくなっていった。
いつしか『菜香ちん』『ゆんちゃん』と呼び合うようになり。
帰る方向が同じだった事から、毎日一緒に帰るようになり。
途中の彼女の家までずっと、いろんな事をおしゃべりして歩いた。
その時間が、一日のうちで一番の楽しみだった。
ところが。
その楽しみが半月前に突然、奪われた……美矢に。
菜香ちんが美矢の事を気にしているって、二学期の始め頃から何となく気付いてはいた。
会話の端々によく美矢の事が出て来るようになり……ある時
『ゆんちゃんだけタロー君の事よっちゃんって呼んでるの、何か、いいよね』
そう言った彼女の口調に、何だか羨ましげな響きを感じて、おや?と思った。
宮江本家の男の子は、つけられた名前とは別に生まれた順に太郎、次郎って周りから呼ばれるのが代々の慣わしらしくて、美矢も小さい頃から周りにタロー君って呼ばれていた。それがそのままニックネームになっている。
さすがに親やおじおばは名前や愛称の『よっちゃん』で呼んでいる。それを聞いていたわたしも物心ついた頃からずっと『よっちゃん』と呼んでいた。
他所から来た菜香ちんは最初、この手のややこしさに面食らっていたようだった。
でも事情を話すと『郷に入っては郷に従えっていうものね』と……美矢の事、最初は美矢君って呼んでいたのをあっさりタロー君に変えていた。
その彼女が、わたしが美矢を『よっちゃん』って呼ぶのを羨ましがっている?
もしかしたら……と思っていた矢先。
『昨日、タロー君から、付き合ってくれないか、って言われたの』
帰り道で、菜香ちんからこそっと、打ち明けられた。
正直、わたしはどう言ったらいいのか、迷った。
美矢は、悪いヤツじゃない。それは十四年間側で見ている従妹のわたしが保証する。
ビミョーに情けない所があって、ビミョーにいい加減で、ビミョーにだらしなくて……っと、改めて考えると色々とビミョーなんだけれど、まあそれは大抵の男子に言える事で。
最大の問題は……彼女を作っても長続きしない事だ。
これまで美矢が付き合った女子は全部で六人。
皆、二ヶ月か三ヶ月で別れている。美矢の方が振っただけじゃなくて振られたっていうのもあるし、どれも大体の事情を知っているけれど美矢が一方的に悪いってわけじゃない。
とは言えやっぱり、中二で彼女通算六人、っていうのは、褒められた話じゃないよね。
だから、大事な親友に自信を持ってお勧め出来る物件じゃないんだよ、なぁ。
でも。
『菜香ちんも、よっちゃんの事、好きなんでしょ?』
『……わかる?』
『うん、夏休み明け位からかな、何となくそうなのかな、って思ってたの』
『そっか、ばれてたか』
『バレバレだよ?』
ふふ、とちいさく笑って。
『好きならいいじゃない、付き合っちゃえ』
迷いは取りあえず心の奥にしまって、わたしは彼女の背中を押すような事を口にした。
『……いいの?』
おずおずと、菜香ちんが問うてくる。
『いいの、って、わたしに許可取る事じゃないでしょ?』
『だって……ゆんちゃんって、タロー君と仲、いいから』
……ああ、またこれだ。
これで何度目だろう、美矢を好きになった子にこの手の事を言われるのは。
『やだ!いいも何もないわよ!わたしよっちゃんとは従兄妹だから仲いいだけでカレカノってわけじゃないから!』
わたしは笑いながら、こういう時にいつも返すお決まりの科白を口にして
『よっちゃん、いいヤツだから。従妹のわたしが保証する。がっつり付き合ってやって!』
菜香ちんの肩をぽんぽん、と叩いた。
わたしと美矢は、父方母方の二重の従兄妹。だから。
『弓佳とよっちゃんはね、結婚は出来ないのよ。絶対駄目なの』
ちいさい頃から、お母さんに散々そう言われている。
法律上はいとこの結婚はOKなんだけれど、普通の従兄妹よりも血が濃いから、子どもの事を考えたら結婚は駄目なんだと。
わたしはともかく、美矢は宮江本家の総領息子だ。跡取りを残さなくちゃならない立場だけに、将来の結婚相手は慎重に選ばなくちゃならない、って事だそうだ。
……いくら仲良しの従兄妹でも、美矢と結婚とか冗談でも考えられないわ。
結婚なんて話自体まだピンと来ないけれど、そもそも恋愛対象外だもんね、美矢なんて。
だから、お母さんに言われる度に
『もうカンベンしてよ~お母さん!よっちゃんと結婚とか、地球がひっくり返ってもないない!』
絶対有り得ないから、と笑い飛ばしてきた。
まあ、結婚出来ない関係だ、なんて大げさな話をわざわざ菜香ちんにする必要はないよね。
ただの従兄妹だから、ってだけで、十分。
そして美矢と菜香ちんは、付き合い始めた。
美矢の家――宮江本家は、わたしの通学路の途中にある。つまり菜香ちんとも帰る道筋は一緒ってわけで。
当然のことながらふたりは一緒に帰るようになった。
放課後、菜香ちんがものすごく申し訳なさそうに
『ごめんゆんちゃん……いい?』
と聞いてきた時
『やだ!いいも何もないわよ!カレシと一緒に帰るってのは基本中の基本でしょ?』
笑って答えながら。
内心、このヤロウ、と……少し離れた先で菜香ちんを待っているらしい美矢に、わたしは嫉妬に燃える眼差しを向けていた。
そんなわけで。
親友と思う存分語るひとときを奪われたわたしは、家に帰ってから、その日話そうと思っていた事を手紙に書いた。気が付いたら便箋四枚にびっしり。
次の日に学校でそれを渡すと、菜香ちんが
『嬉しい!わたしも手紙書くの大好きだから!』
すごく喜んでくれて、翌日、雑誌の付録の可愛い便箋を何枚も連ねた返事をくれた。
以来半月、わたしと菜香ちんの文通は続いている。
「よっちゃん!お夕飯食べてくでしょ?」
廊下から居間を覗いたお母さんにそう聞かれて
「あ、はい叔母さん!頂きます!」
妙にしおらしい返事を返す美矢に、思わずぷっと笑ってしまった。
「何だよ?」
「いや何か、らしくないなって。絹子伯母さんには『メシまだー?』とかエラそうに言ってるくせに」
「他所の家でそれやったら馬鹿だろが」
「よっちゃんならやりかねないかなって」
「おまえなぁ!喧嘩売ってんのか?」
「そんなお金にならないもの売らないわよぉだ!」
どんどんエスカレートするわたし達のやり取りにストップをかけたのは
「ふたりともいい加減にしなよ」
美道の覚めたひとことだった。
「ま、夫婦漫才みたいで面白いけどさ」
けろりと言われて
「誰が夫婦だ!」
「冗談やめて!」
ふたりで美道に文句をつけた後、顔を見合わせて「なあ!」「ねえ!」と言って、頷き合った。