6.
夏生の言うことが本当なら、プレイヤーは普段、知覚されないことになる。冬也が見つからないのは、そのせいなのか? 少なくとも、クラスメイトの反応の説明にはなる。
「試合に勝つと、どうなるの?」
「……望みが、叶えられる」
勝者には褒賞を与える。ありがちなルールだ。しかし、その割には、なんとなく引っかかる口ぶりだった。
夏生の声は心なしか震えていて、可能動詞というよりも、まるで、受動態――強制されているかのような印象を抱かせる。
「望み? さっき、願いは変えられないって言ってたよね。夏生は、なにを願ったの」
「願ったわけじゃない。私、そんなの、望んだことなかった……! でも、一度口にしたら、もうどうにもならない。『蒼氓の天秤』との契約は、変えられない、から」
夏生は、膝にまわした腕に力をこめて、きつく自分自身を抱きしめる。
まだ、状況はよくわからない。けれど、一際小さく見える少女に、それ以上の追いうちをかけることはためらわれた。
ため息を押し殺して、質問を変える。
「ごめん……いいよ。もう一つだけ聞かせて。ソウボウの天秤って、なに?」
「蒼氓――人民のありかたを、そのまま反映させる天秤で、試合では、戦況をあらわすたった一つの指標、なんだって」
「つまり、天秤が一定の傾きを超えたら、試合終了ってこと?」
「そう、なるのかな。でも、『天秤』のカタチをしているわけじゃ、ないから……」
よどみなく答えていた夏生が、珍しく言葉に迷う。
続きをうながそうと、足を踏みだしかけて――途中で、固まった。俺の脇をすり抜け、うずくまる夏生の上に、長い影が落ちる。
「『蒼氓の天秤』は、能の仮面だ。戦局を反映して、まだらに染まる。夏生の言うことを信じるなよ、灰李――そいつは『黒』だ」
同時に割りいった、低く凄みを持った声音に、慌てて背後を振りむく。
すらりと伸びた長い手足と、華美で無く整った、純和風の顔立ちに重なる面影。肌の白さに反した、濡れたような漆黒の髪は、まさに夏生と同質のものだ。
――散々探しまわって、それでも二週間近く見ることのなかった腐れ縁の姿に、ただ瞠目する。
「と、うや……?」
「なんだよ、お化けでも見たような顔して」
笑いまじりに返された声は、耳触りの良い、王子様然としたテノールボイスに戻っていた。
*****
久々に揃った九条兄妹を前に、どうしてか心が騒いで落ちつかない。二人を取りまく、張りつめた緊迫感のせいだろうか。
これがゲームだというのなら、そう――最悪のエンディングへ向けて突きすすんでいるかのような、焦燥感が湧く。
「お前、今までどこでなにして」
口をついて出た非難に、冬也は、ひょい、と肩をすくませる。
「もちろん、ここで、試合をしていたさ。知ってるんだろ? 灰李」
「プレイヤー……冬也が、『白』?」
「そう。俺が」
ちらり、と夏生を見下ろしても、彼女はうつむいたままなにも言わない。ならばきっと、事実なのだろう。冬也が『白』で、夏生が『黒』。それだけ言われたって、なにもわからないことに変わりはないけれど。
いぶかしむ俺を、困ったように見つめて、冬也は釈明した。
「なにも言わずにいなくなって悪かった。でもまさか、灰李が、だなんて思わなかったから。俺のことも、夏生のことも、無意識下に忘れてるもんだと――」
「変わったね、冬也」
「は? なにが」
「前の冬也なら、言い訳じみた弁明なんて、絶対しなかった。もししたとしても、それは端的な事実だけだ」
言葉をきって、長身の親友を睨みあげる。
「冬也、いつから俺に嘘をつくようになったの」
一瞬、虚をつかれたように目を丸くした冬也は、やれやれ、とでも言いたげに息を吐いて、ゆるゆると頭を振った。
「嘘、ね。……そっか、そうなるのか。いや、正直に白状するなら、なんとなくそんな気はしてたんだ。いつだって、俺たちの中心にいたのは、灰李、お前で、だからきっと、『グレイゾーン』は、灰李のことなんじゃないかって、思っては、いた」
冬也の独白を聞きながら、ぐっと歯を食いしばる。
つまり、俺がその、『グレイゾーン』――夏生の言う『角』だと言いたいのか。俺の知らないところで、試合に組みこまれていたって?
勝手な能面に、ふつふつといらだちが湧く。
「灰李。協力してくれないか? この試合、負けるわけにはいかないんだ……わかるだろ? 夏生」
冬也の視線が、初めて夏生へと動かされる。
座りこんだまま、沈黙を保っていた夏生の肩が、びくり、と震えた。
「駄目だよ。――冬也を勝たせるわけにも、いかない」
思いのほか、しっかりとした口調で応じた夏生が、顔を上げる。
ゆっくりと立ちあがった彼女は、冬也に歩みより、そして。
「灰李を巻きこまないで」
振りあげられた右手が、容赦のない速度で兄の頬を打った。
*****
「ってぇ……」
「夏生!?」
ほんのりと赤く染まった頬をかばって、冬也がうめく。
当の犯人は毅然としたものだ。下ろした右手を身体の横で握りしめながら、頭一つ高い冬也の顔を、キッと睨みあげている。
はっきりとした目鼻立ちの美人のそういう横顔は、妙に迫力がある。
「……それが、お前の答えか。夏生」
「そうだよ。私は、冬也に勝たせるつもりはない。絶対に、勝たせたり、しない」
迷いのない瞳で言いきる夏生を、冬也は無表情に見つめている。細まった眼に微かにのせられた感情は、――諦め?
「なら、どうするつもりだ? 引きわけなんて存在しないんだ。試合を終わらせるには、どちらかが勝たなくちゃならない」
「だけど灰李を巻きこむ必要なんてないじゃない」
「本気で言ってんの? 夏生。どうせ、『グレイゾーン』を制さなきゃ勝敗はつかない。染めるか、取りこむか、あるいは――」
「やめて!」
冬也のセリフを遮って、夏生が叫ぶ。
互いを睨みつける兄妹の間に、盛大な火花が散った。肌に突きささるような緊張感が漂う。
そして、一呼吸置いてすぐ、俺の存在を無視した応酬が、また再開されようとする。
冬也の口が開くのを見た瞬間、俺の中で、ブチリ、となにかが切れ――いつからか重くのしかかっていた圧迫感が、ついでとばかりに弾けとんだ。
つかの間の解放感を味わった、その直後、逆流して沸きたつ血が、一気に理性を押し流した。
「いい加減にしろよ……」
「は、いり?」
「いつまでも、ぐだぐだぐだぐだ揉めやがって」
九条兄妹の瞳が、揃って丸く見開かれている。
アホ面をさらすイケメンの胸ぐらを掴んで、端正な顔をぐっと引きよせる。我ながら柄が悪いが仕方ない。一般市民のフツメンだってやるときゃやるさ。……たぶん。
「大体なあ、冬也。強情っぱりな夏生が、一度決めたらてこでも動かねえのくらい、お前が誰よりよく知ってんだろうが!」
兄なら譲れ。身も蓋もなく言いすてた俺に、冬也がひきつった笑みを見せる。
「そんな単純な話じゃないんだって」
「だったら尚更だ。延々とくだらない試合続けてんじゃねえ」
「あんなあ、夏生は『黒』だぞ? 譲れるわけ――」
「それが『何』だって?」
本日一番の低音で吐きすてた俺に、冬也が言葉をのむ。
「冬也が『白』だ? 夏生が『黒』だ? そんなん俺は知らねえんだよ。お前らがなにも言わないからな!」
冬也が固まった隙をついて、隣で呆然と立ちすくんでいる夏生の腕をひく。
「行くよ、夏生」
「え?」
「いいから早く!」
戸惑う夏生を強引に連れて、全力で走りだす。
「灰李……」
ちらり、と振りかえった背後で、冬也は、追いかける様子もないまま、その場に立ちつくしていた。
丸く見開かれていた眼が、まるで眩しいものでも見るかのように、細められている。――なんだ? あれ。
一瞬だけ見えた冬也の表情が、焼きついて離れない。
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