13.
「理論的に考えちゃあ駄目だ。灰李、この試合に勝つ鍵は『激情』だよ。要するに人心を掌握すればいいんだ。大衆心理の扇動。まずは一人を誘導するだけでいい。あとは代理人が適当に調節する」
「掌握? ちょっと待てよ。冬也こそ、なんの話をしてるんだ」
「『蒼氓の天秤』を揺らせ――つまり、民衆の価値観、そのものを塗り変えるんだよ」
世界を変える。スケールがデカすぎて的を得なかった話が、ふたたび目の前に展開される。
「プレイヤーの役割は、選択を強制することだ。『黒白』はそうやって戦う。……だけど、『灰』は違う」
岐路に立つ人間に選択を迫って、すこしずつ、自分の望む方向に寄せる。そうだ、たしかに、そう夏生も言っていた。
「日本人にアンケートをとると、『どちらでもない』に回答する割合が高いことは知ってるか?」
「え、ああ、……まあ、たしかに」
「まず、そんな選択肢が用意されていること自体がおかしいんだ。『どちらでもない』人口が、最終的にどちらを選ぶかで結果がひっくり返ってしまうなんて、馬鹿げた話だろう」
「それ……つまり、それが『グレイゾーン』ってことか?」
どちらでもない。それは、この試合における『灰』の立ち位置そのものだった。
白と黒がまだらに交錯していた能面。その中央に、二色を分かつように引かれた灰色の帯。『蒼氓の天秤』が示した、あれは、境界線なのか。
「なにもしなくたって人は狂うよ。なんの指針もなく正しくあれるほど、人間は強くない。だから俺たちは、逃げ道を奪って追いこんできた。でも灰李、お前は逆だ。逃げ道を与えて誘いこめばいい」
「誘いこむって……」
「弱さに、つけ入るんだ」
身も蓋もなく言いきった冬也に、息をのむ。反論しようと開いた口は、どんな言葉をつむぐこともできないまま、引きつって震えた。
そんな俺の様子を、冬也は表情無く眺めていた。俺たちを隔てる道の中心を、寒風が勢いよく吹きぬけていった。巻きあげられた木の葉が、沈黙に乾いた音色を響かせる。
やがて、流れるような仕草で身を起こした冬也は、ぐっと距離を詰めて、告げる。至近距離で、黒珠の双眸が玲然と揺らめく。
「いいか、灰李。決めたなら迷うな。絶対に目をそらすな。刻みこめ。お前が選びとった道が、その選択が、生みだす結果から逃げるな」
そのまま身を返し、遠ざかっていく冬也の背中を、呼びとめることもできずに呆然と見送った。
*****
これしかないと、すがりついた。その選択は、本当に正しいものだったのだろうか。後には退けない。わかっていた。
わかっている、つもりだった。
冬也は、たった一言を告げるためだけに来たのだろう。腹をくくって試合を動かせと、それだけを、伝えに。
「あー、……くっそ」
ずるずると路上に座りこむ。
なにもかもが思い通りにいかない。逆か。いきすぎてる。
決められたレールの上を、予定調和で走るだけ。せいぜい速度調節が関の山で、方向転換なんて夢のまた夢。小さな頃に遊んだ、電車の模型と変わらない。
漠然とした不安は消えず、だけど、立ち止まることは許されない。一刻も早く試合を終わらせて、それで、……それで?
終わったら、どうなるんだ。
――望みが、叶えられる。
――それを『望み』といたしましょう。
泣きそうに笑う夏生の顔が浮かんで、やがて歪に微笑むグレイの姿へと変わる。
眼をつぶれば、すぐさま暗闇のスクリーンに『蒼氓の天秤』が映しだされて、どうやっても試合からは逃れられない。
俺の望み。願い。
……もう一度、なんの変哲もないあの日々へ。
変わってしまったなにもかもを。傷ついてしまった女の子を。支えを失った親友を。どうか。
――戻してくれ……なにもかも、全部。
あの一瞬から変わらない、俺の……たったひとつの、道しるべ。
あの男に、すがりたくなんかない。でも、それが最後の希望だというのなら、俺に選択肢なんかなくて。だけど。
――口に出したら変えられない。
――いいから戻せっつってんだよ!
いくつもの言葉が、頭の中を駆け巡っていた。
夏生のために。冬也のために。大切な幼馴染を、彼らと過ごす日々を守るためなら、俺は、なんだってする。
冬也のことなんて言えやしない。俺だって大概、身内びいきで、身勝手だ。わかってる。
始まりがなんだったのか、なんて、いまさらどうだっていい。ただ、俺は守りたい。取り戻したい。この手の中にあった、なによりも大切な宝を。
「やってやるよ……なんだって、やるさ」
ひとり、呟く。震えを抑えるように握った手のひらに、爪が食いこんだ。
*****
様々な人々が行き交う駅前。夏生に殺されかけた、まさにその場所で、立ち止まる。
ショーウィンドウのガラスに映る俺は、ずいぶんとひどい顔をしていた。触れた手のひらから、ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
つけ入れ。惑わせ。なんども自分自身に言い聞かせながら、深く、息を吸う。できるのか? 俺に。……いや、やるしかない。
「『灰』は、逃げ道を与えて、誘いこむ」
冬也から聞かされた攻略法を、必死で頭に叩きこんだ。まずは一人。そうすれば、あとは積み木崩しだ。
なにもしなくたって『灰』は勝つ。だけど、試合を終わらせるにはそれじゃ足りない。共通思想を生みだせ。統一しろ。完全に。
――完全試合を。
固くひき結んだ唇をほころばせて、足を踏みだした。約束された勝利へ。大丈夫。きっと、冬也ならこう言うだろう。
「Take it easy.」
気楽にいこうぜ、簡単な仕事だ。自己暗示のように呟きながら、ガラスごしに眺めていた人波を睨みつける。
さあ、溺れかけた人間へ、藁を投げろ。腐りかけた眼の奥の、微かな燻りを燃えたてさせろ。身を焼き尽くすほどの業火を。
――そうして、ターゲットを、定めた。
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