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廃色リフレイン  作者: 本宮愁
Gray scale Refrain
11/24

11.

 翌日、皮肉なまでの晴天を見上げて、ため息を吐いた。


 このままじゃいけない。焦燥感だけが湧きあがり、具体的な解決策はいまだ闇の中。閉路をさまよって、同じ場所にばかり戻ってくる。


 そのたびに頭をもたげる甘美な誘惑。うち払っても、うち払っても、グレイの言葉が忘れられない。


 学校に行く気にもなれなくて、昨日と同じ噴水の淵に、ずっと腰を下ろしていた。


 ぼんやりと眺める街路には、ピンクの旗が立ち並ぶ。バレンタイン商戦に街は忙しい。風はまだ冷たくて、長時間外気にさらされた肌は氷のようになっていた。痛みさえ麻痺して感じない。


 冬也は、夏生は、いまもどこかで戦っているのだろうか。狭いようで広いこの街の、どこかで。人しれず試合ゲームは、くり広げられている。


 結局、俺にはなにもできないのか。だけど……まだ俺に、できることがあるんだとしたら。


 鳴りつづける警鐘に、耳を塞いだ。



*****



 夕暮れ。帰宅を急ぐサラリーマンで賑わう、大通り。雑踏の中心で、長い黒髪を風に揺らした美少女を見つけた。


 雪に喩えられる白い肌に、墨を垂らしたように深い黒の色彩――見間違えようもない、夏生だ。


 思いつめた表情でたたずむ幼馴染に、冬也の言葉が正しかったことを、直感する。



――あいつはもう、半分壊れてる。



 行きかう人波に溺れながら見た、うつろな瞳に映る自分自身の顔は、滑稽なほどに強張っていた。足早に過ぎさる人々の喧騒が、分厚いフィルターの向こう側で響いている。


 どうして、こうなったんだ。


 後ずさった踵に、ガツン、と硬質な感触が当たる。冷えたショーウィンドウに背中がはりつき、――もう、下がれない。



「な、つき……」

「もう、これしかないの」



 いつになく弱々しい、震えた声。色褪せた世界の中、スローモーションで伸びてくる、真白い腕。……振りはらうことはできなかった。


 細い指が、首に絡みつく。それでも、逃げようなんて、思えない。全身から力が抜けていく。仄暗い絶望が、頭を支配する。



――俺にはもう、どうしてやりようもないから。



 冬也の声が、言葉が、何度も脳内をまわる。


 試合ゲームが終わったって、夏生は救われない。壊れてしまった心は、戻らない。もし、戻ったとしても、優しい彼女に待っているのは、きっと、俺以上の深い絶望だ。


 ……間にあわなかった。俺は、大切な女の子一人さえ、救えない。



「ごめんね……」



 血の気の引いた夏生の顔が、ぼやけて遠ざかる。

 ああ、くそ。どうしたら。



「ばいばい、灰李」



 夏生の顔が歪む。一層深く食いこんだ爪が、皮膚を切り裂いて、わずかな血が流れでた。

 気道は完全に塞がれ……最後の酸素が、消えた。全身の器官が悲鳴を上げている。


 苦しい。


 何よりも、結局、……こうするしかない自分の弱さが、苦しくて仕方がない。



「ぐ、れ……い」



 音になんて、ならなかった。

 それでも、夏生の目が丸く見開かれた、次の瞬間には、視界を灰色の砂嵐が覆った。



*****



 退色した空間は、いつか見た洋室にどこか似ていた。ベルベット地の床へ、どさり、と倒れこむ。息苦しさが消えない。締めつけられた気道に爪を立てるようにして、喘いだ。


 かすむ視界の中、上等な革靴、そして目の覚めるような真紅の布地がぼやけて映る。



「私をお呼びで?」



 軽薄な声が届くと同時に、圧迫感が消えた。一気に、酸素が肺になだれ込む。



「けほっ……げほ、っく、は……はあ」

「おやおや、大丈夫ですか? 灰李サマ」



 呼吸を整える暇さえ惜しんで、正面で膝をつく男の、ビビットカラーのスーツにすがりつく。高級感のある生地に、掴んだ場所から皺が広がった。


 ……冗談じゃない。だけどもう、これしかない。


 瀕死の喉から、無理やり声を絞り出す。



「もど、せ」

「さて?」

「戻してくれ……なにもかも、全部」



 グレイの口元が、意地悪く吊りあがった。待ち焦がれたような眼をしながら、男は落ち着きはらって口上を述べる。



「本当によろしいのですか? 人は日常にあって非日常を求めるもの。せっかくの試合ゲームを無為に――」



 目の前に垂れていたネクタイをわしづかんで、なりふり構わず、俺は叫んだ。



「いいから、戻せっつってんだよ!」

「やれやれ、かしこまりました。それを『望み』といたしましょう」



 おどけた仕草で肩をすくめたグレイは、俺の手を外させて、ゆっくりと立ちあがる。

 そのまま、しばし、なにもない空間を真剣なまなざしで見つめ、――ふっ、と表情を緩めた。



「左腕をご覧ください。契約は、なされました。『灰』のプレイヤーとして、あなた様の参戦を認めます」



 薄れていくモノクロの世界で、男は満足げにほほ笑んでいた。



「渡部灰李サマ。――またのお越しを」



*****



 戻された場所は、大通りから一本入った路地裏のようだった。暗闇。まぶたを上げても戻ることのない視界に、時間の経過を悟る。夏生の姿は、ない。


 ポケットに突っこんだ携帯を引きだして、ボタンを探る。電源は――入った。液晶の明かりが目に刺さる。



「九時半……」



 ディスプレイを確認した左手が、止まる。袖口からのぞく、くすんだ茨模様。ぐるりと一周、手首を取りまく灰色の鎖――『契約痕』だった。


 画面からこぼれた明かりに照らされ、皮膚上でゆらめく文様が、まるで手錠のように思えた。


 具体的な中身も知らされないまま、一方的に交わした契約の象徴。悪徳商法にもほどがある。ただし、望み、受けいれたのは、……俺だ。


 固くつぶったまぶたの裏に、まだらの能面が浮かびあがる。能面――『蒼氓の天秤』は、がらりとその様相を変えていた。


 波打つ黒と輝く白。二色で構成されていた面の中心に、蛇行した灰色の帯が伸びる。全体の約半分を占めるほどの太い帯だ。イレギュラーな『灰』の参戦を、反映したのだろうか。



「グレイ。……おい、グレイ!」



 張りあげた声が、住宅街に虚しく反響する。胸くそ悪い男。だけど、正直、あいつに頼るしかない。



*****



 いつまで経っても得られない応答に、舌打ちした頃、目の前の空間がぐらりと崩れた。


 生け垣がよじれて収束し、夜風がコートのすそをさらう。異様な光景に腰が引けた。常識の通じない奴らだとは思っていたけれど、これは。


 硬直する俺の耳もとへ、冷たい呼気が吹きこまれる。聞き覚えのある軽薄な笑い声が、大気を揺らした。



「おやおや、いまさら竦んでおられるようだ」



 氷のような指先が、首筋をするりと撫でていく。一斉に鳥肌が立つ。抜けおちそうになる膝で、必死に踏んばった。


 ……だめだ。身体に染みこんだ恐怖が、いつまでも抜けない。



「これは遊戯ですよ、灰李さま。計りしれないアドバンテージが与えられた出来レースに、なにを怯えることがありますか」



 油の切れた玩具のようにぎこちなく、首を回した。


 ビビットカラーのスーツを纏う、中肉中背の男が、ゆっくりと灰色の能面を外す。その下から現れたのは、やはり特徴の薄い凡庸な顔。


 俺だって人のことは言えないんだけど、でも、それにしたって、こいつは。なんど見ても印象に残らない、特徴が無いことが特徴であるような、無個性さだ。


 日本人の平均値を凝縮したような、その顔に、グレイは能面とまるで同じ微笑を貼りつけていた。


 あいまい。相手の捉え方にすべてを委ねる、万能の仮面。そうか、この男、この表情――まさに『灰』だ。



「お前……」



 グレイの口角が、ニィ――とつり上がっていく。たっぷりと時間をかけて、顔の下半分だけに、愉悦が貼りつけられた。アンバランスな笑み。



「説明をお望みですか? 私などより、もっと適任がおられますよ。いやあ、彼は非常に聡明だ。二度と会いたくはありませんがね。殺されちゃいそうですし」

「適任? おい、それ、まさか」

「では、私はこれにて失礼いたします」



 勝手なことを並べ立てて、きっちり45度に腰を折ったグレイが、胸に手をあててこうべを垂れる。



「な……!」



 反論を口にしかけた俺の顔へ、なにか固いものが押しつけられる。視界が奪われる間際、愉しげに歪むグレイの瞳を見た。



「ご健闘を――灰李さま」



 顔に吸いついた物体――能面を引き剥がしたころには、暗闇に浮きあがる真紅の布地は忽然と消えさっていた。


 手の中に残った、忌々しい灰一色の能面を睨みつける。やはりその顔は、俺をあざ笑っているようにしか見えなかった。



*****

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