近未来変人SF「マグロと結婚した男」
西暦2000年ごろの文化を真似た書斎にて、ちょび髭を生やしたダンディが、立体映像モニターをみつめている。
映し出されている情報は、銀河系で最もポピュラーなニュースサイトだ。
「……喉が渇いたな」
彼の指が器用に動き、ブドウを一粒絞る。すると、ペットボトルを逆さにしたみたいに果汁が溢れ出し、ワイングラスを満たした。次の瞬間、変化が起きる。浅黒かった果汁が鮮やかなルビー色へと変わり、芳醇な香りが部屋中に広がった。
ダンディが、ふむ、とグラスを傾ける。新鮮な液体が喉を通り過ぎ、沁みるようにお腹の中へと落ちきると、彼の頬にえくぼが浮かんだ。
「実にフレッシュな味わいだ。さすが新種のワインスタントブドウ」
酸素に反応して、瞬時にワインへと変化する。そのように品種改良されたブドウなのだ。賞味期限はたったの10秒だが、味と香りは唯一無二と言える。
ほどよい情報に刺激されながら、好みの酒をたしなむ。本来ならば至福のひと時だ。
しかし、ニュースを見れば見るほどに、彼の眉間にシワが寄っていく。
「あまり刺激的ではないね」
何度も目玉を往復させ、見出しをすばやく流していく。
内容は愚にもつかないものばかり。
やれどこかの星が隕石で滅んだとか、やれどこかの国家でクーデターが起きたとか、やれ天の川銀河の所有権詐欺が流行っているとか……。ダンディにとってはどうでもよい情報ばかりだった。
「…………ふむ」
彼は吸い寄せられるように首を回し、背後の本棚を見上げた。高さは成人男性の背丈3人分はあり、大量のノートで埋め尽くされている。
その数、実に3000冊。
通常ならば木の板で支えられる質量ではないが、局所的に空気の密度を上げることで浮力を生みだし、形を保っている。人間も浮くことができ、はしご要らずの一石二鳥だ。
ダンディはノートを一冊だけ取り出し、表紙の文字を指でなぞった。
『変人たちの生き様録 その3000』。
ページをめくっていくと、最後の数枚だけが、いまだ空白だった。
「……まったく、なげかわしいことだ」
ため息混じりに立体映像を切ろうとする、ダンディ。
しかし、あるフレーズが目に入り、指を止めた。
――特大スクープ! マグロと結婚した男が語る、魚類妻の魅力とは!?
くだらない三文記事だ。
ライターの基礎すらもできていない。
しかし、ダンディの顔に明るい色が差していく。
「……すばらしい。なんとすばらしいのだ」
記事の内容は以下の通り。
今まで、人類の環境保全活動は多様な分野に及んできた。
ある時は絶滅危惧種を保護し、ある時は害ある成分を制限し、またある時は莫大な富を生むスキームとして機能してきた。
その一環として認められたのが、魚類の生存権だ。
今では知能を取り除かれた養殖魚しか食用を認められず、天然の魚は人間以上に手厚い保護を受けている。
それだけには飽き足らず、人間と結婚する自由すら条文に組み込まれた。
この法律が成立した時期は、130年以上も前。環境活動家がメディア全体を巻き込み、宇宙規模の社会問題として取り扱われた。しかし、結果は皮肉なもの。魚類と結婚したい人間なんて、ひとりも現れなかったのだ。……当時散々騒いだ活動家たちも含めて。
魚と結婚する人間なんて、狂っている。
制度上存在するだけで、適用されるわけがない。
全人類が呆れながらも、ブラックユーモアとして消費してきた。
だというのに、1世紀以上の時を超えて、ついに第1号人魚夫婦が現れたのだ。
ホログラムモニターの電源を落としたダンディは、杖をつきながら勢いよく立ち上がる。
「早速行動に移さねば、紳士の恥というもの」
もう待ちきれないと言わんばかりに、角ばった指を鳴らした。すると、その音に呼応して個人用ワープ装置が起動し、けたたましい音を響かせはじめる。次の瞬間には光と空間が渦巻のごとく歪み、ダンディの全身を吸い込んだ。
「…………」
数秒、目を閉じる。たったそれだけで空気が一変し、波のさざなみが鼓膜を揺らした。
「海とは久方ぶりだ。相も変わらず塩辛い」
ワープが完了した彼は、海の中に立っていた。座標の調整を少々間違えてしまったご様子。幸いなことに足のつく浅瀬であったが、首までずぶぬれだ。
「水も滴るよいダンディである」
彼にとってアクシデントは日常茶飯事。予想外を好み、再現性を忌避する。
ダンディは眉一つうごかさず、平泳ぎで陸へと上がり、ネクタイを強めに締め上げる。すると彼のスーツから湯気が立ち上り、一瞬の内に乾燥し、新品同様の輝きを取り戻した。
さて、彼はどこにいるだろうか。
ダンディは澄まし顔で捜索しはじめ、数秒足らずで発見した。
「ニュースを見て来たのですが、あなたがマグロと結婚した真黒さんですかな?」
「えっと……あなたはどちら様で?」
「私はしがないダンディでございます」
マグロと結婚した男――真黒。
その名前の通り、彼の全身は黒々と日焼けしていた。
体型はアスリートのように引き締まっており、サーフィンと青い海が似合うような好青年だ。
「すこしお話をしたいのですが、よろしいですかな?」
ダンディは帽子を脱ぎ、流麗な所作で会釈をした。その姿は三ツ星のホテリエを彷彿とさせ、真黒の緊張がとけていく。
「ええ。もちろん。ですが、俺はマグロが異性として好きな男ですよ。気持ち悪くはないですか?」
「いえ、とても素晴らしいことです。宇宙の宝と言ってもいい。ぜひ誇ってくだされ」
ダンディにとっては、何気ない一言だった。しかし真黒は目を丸くした後、肩を震わせる。
「……そう言ってくれた人は、あなたが初めてです」
そんな彼を前に、ダンディは嘆息をついた。世界はもっと変人に寛容であるべきだ、と。
「それにしても、立派な体ですな」
「褒めて頂けて光栄です。海中でも活動できるように、全身を改造しました」
「ほう。全身とは」
身体の改造は、今や一般的だ。たった数時間だけ麻酔で寝ていれば美女になれるし、羽を生やしたり、銃器を腕に仕込むことさえ出来る。だが、忌避感を抱く人はいまだ多く、全身を機械化する人間ともなれば、ツチノコ並みに稀有だ。
「それは全部、マグロである奥さんと一緒に泳ぐためですかな?」
「その通りです。彼女と出会うには、海の中しかありませんから」
「素晴らしい甲斐性ですな。呼吸はどうやって?」
「エラ呼吸ユニットですよ。ちょっとお見せしますね」
真黒は何気ない動作で、胸板を2回叩いた。すると口元が変形しはじめ、複雑な金属音を鳴らし続けながら、黒くて角ばったマスクが完成した。その形状は、ヒーローのメカニックアーマーのようだ。
「なんと! ロマンの塊というべき代物だ」
あまりのかっこよさに、ダンディの少年心が狂喜乱舞。瞳が真夏の海がごとく輝いていく。しかし、すぐにハッと気付き、頬を赤らめながら咳ばらいをした。
「その口がエラ呼吸ユニット……。たしか、水中から酸素を取り出し、肺に送り込む装置ですな」
「よくご存じで。今や子供のおもちゃとして人気ですが、俺は軍事用を手に入れました。偽物とは一味違いますよ」
「ほう。興味深いですな」
真黒は得意気な笑みを浮かべて、どんどんと饒舌になっていく。
「俺のユニットは、肺ではなく血液に直接酸素を送り込むのです。結局、酸素はヘモグロビンによって全身に送り届けられるのですから、効率を求めるなら一番でしょう」
「なるほど。ですが、なぜおもちゃ版はわざわざ劣悪な手法をとっているのか……不思議でなりませんな」
「エラ呼吸と肺呼吸では、使う筋肉がまるで異なるためです。素人が使えば、エラ呼吸から肺呼吸に戻った瞬間、空気に溺れてしまう。しかも、エラ呼吸でいる時間が長いほど、呼吸器全体が弱ってしまいます。俺は訓練しているので問題ありませんが」
「つまり、真黒さんはエリートというわけですな」
「……困ったな。まだ使い始めて半年も経っていないんですけど……。他人に言われると照れてしまいます」
赤くなった頬を掻く真黒を見て、ダンディは「奥ゆかしい人だ」と頷いた。
「実はもうひとつ副作用があるのです。これを聞いたら、きっとあなたもエラ呼吸ユニットをつけたくなりますよ」
不思議な物言いに、ダンディの首が傾く。
「副作用ならば、悪いことなのでは?」
「普通の人ならば嫌悪感を示すでしょう。ですが、ダンディさんは俺と似た匂いを感じますので」
「おや。どういったところが?」
質問に答えようと真黒が口を開く。しかし、彼の腕時計からアラームが響いた。
「おっと、もう時間になってしまいました。妻の元に行かないと……」
「誠に残念だ。もっとお話を聞きたかった」
言葉通りに、ダンディの眉根が下がっている。その姿を見て、真黒はくしゃっと笑った。
「ははは。あなたと心ゆくまで話していたら、寿命が尽きてしまいますよ」
「間違いありませんな」
無二の親友であるかのように固い握手を交わし、笑い合うふたり。夏の青空よりも晴れやかで、吐いた息すら清々しかった。
「奥さんによろしくお伝えください」
「ええ。よい土産話ができました」
直角よりも深くお辞儀をして、夕焼けの海へと飛び込む真黒。
彼が泳いだ先には、一匹のマグロがいた。
奥さんだ。
真黒が彼女の頬にキスをすると、奥さんは恥ずかしがる様子もなく、ただ身を寄せる。
マグロと人間の婚姻。
言葉も通じなければ、生態すら別物。それなのに、不思議だった。ダンディの瞳には、これ以上ないおしどり夫婦——いや、おしうお夫婦に映っている。
「……年をとると、涙もろくなってしまいますな」
ハンカチをしまったダンディは、スーツの裾を優雅に翻し、我が家へと帰るのだった。
それから3年が経ったころ、一通のメッセージが届いた。
まるで塗りたてのアスファルトみたいに真っ黒な曇天の日で、隣街の空からは雷鳴が響いている。
ダンディは立体映像用片メガネによって投射された文字列に目を通した後、唇を細かに震わせながら、飛行機雲のように長い息を吐いた。
メッセージは端的。
真黒の奥さんが、亡くなった。
「……真黒さん。おつらいでしょうな」
静かに、雨粒が地面を打つ音が響いた。
最初はしとしととした小雨。だが徐々に勢いがつき、土砂降りへと変わった。
普段のダンディならば吸音カーテンを閉めて、レコードでクラシック音楽を流す。だが、今は優雅な気分になれるはずもなかった。
ガラス窓を伝う水滴をぼんやりと眺めていると、ふと、彼は気付く。雨音の中に、チャイムの電子音が混じっている、と。
「……このようなタイミングで」
普段、この家に客人が訪れることはない。
秘境ともいえる場所に位置するうえ、顔を見せる知人が少ないためだ。
億劫だが、訪問者を無視してはダンディが廃る。重そうに足を上げながらも玄関へと向かい、ドアを開けた。
「突然の訪問、すみません」
玄関先に立つ客人は、真黒だった。
前回出会った時の快活さは鳴りをひそめ、全身は雨で濡れそぼり、唇はブルーベリーのように青ざめている。
「おや、真黒さん。その背負っているものは――」
彼の背には、白い布で巻かれた物体が担がれていた。成人男性よりも大きくて、その形状は魚に近い。
「あなたは稀代の変わり者と聞いています。料理もできるのではないですか?」
「え、ええ。可能です……ですが、どういったご心境で?」
問いかけながらも、ダンディの足が後ずさった。
それほどまでに、今の真黒は異様だ。
顔を上げた彼の眼光はマグロというよりも、むしろサメを彷彿とさせる。
「お願いします。妻を捌いてください」
まるで荒れた海のように、震えた声だった。
しかし、瞳はまっすぐだ。揺らぎのひとつも見逃さないと言わんばかりに、ダンディから目を離さない。
ダンディは息を呑んだ後、3秒ほど目を閉じる。徐々に呼吸が整っていき、通常通りの、余裕に満ちた表情を取り戻した。
「真黒さん、まずはお茶でもいかがですかな? よい茶葉が入ったばかりなのです」
ダンディ邸のリビングは、質素だった。
テーブルとホログラムモニター、それと最低限の小物が置かれているだけ。書斎の内装にはこだわっているが、それ以外の生活空間に興味がないのだ。
「落ち着きましたかな」
テーブルに座る真黒に対して、湯気立つ紅茶を差し出すダンディ。
真黒は人形のようにぎこちない動きでカップを持ち上げ、一口だけ飲み込んだ。
「どうですかな?」
「温かい飲み物なんて、久しぶりです」
「ずっと海の中で過ごしていたのですかな?」
「……はい。妻といる時間を少しでも増やしたかったので……」
ダンディも椅子に座り、ティーカップを傾けた。
しかし、彼の眉は曲がるばかり。アンドロメダ銀河から取り寄せた特別な茶葉だったのだが、味が薄い。
「奥さんの遺体はマイナス180度で瞬間冷凍しておきました。これで腐ることもありますまい」
「…………何から何まで、ありがとうございます」
真黒の顔色は、まだ悪い。到底話が出来る状態には見えないのだが、うながされるまでもなく、彼は口を開いた。
「最初は、料理ロボットたちに頼もうとしたのです。でも、みんな拒否されてしまいました。登録に無いマグロの解体は違法だとね」
「……仕方のないことですな」
ロボットは法律を遵守するように作られている。破るのは人間の特権だ。
「自分で料理することも考えましたが……想像もしていませんでしたよ。包丁を手に入れるだけでも、10個以上の手続きが必要なんて……」
「今では猟銃よりも所有が難しいですからな」
料理はもう、人間が行う営みではない。刃物や火を扱うなんて危なすぎるし、全部ロボットに任せてしまった方が安全。それが人類の共通認識だ。
しかし、ダンディは好事家である。好き好んで包丁を握るし、自らの手で皿洗いまでこなしてしまう。
「引き受けるのはやぶさかではありません」
「本当ですか!?」
「ですが、その前にひとつだけ確認していいですかな?」
ダンディの視線が鋭くなり、真黒の瞳を射抜いた。
そして、ちょび髭をかすかに揺らしながら、口を開く。
「なぜ、奥さんを食べたいと?」
「…………」
真黒は俯いたまま、10秒ほど考え込む。その間、瞬きをほとんどしなかったし、呼吸も浅かった。
「海は、ただキレイなだけではありませんでした。ただ、それだけです」
「……ふむ」
ようやく絞り出した言葉は、あいまいなものだった。
だが、ダンディはチョビ髭をさすって、数秒ほど考えこむ。
「よろしいでしょう。引き受けますとも」
「……本当ですか?」
「私のダンディズムが、真黒さんを助けるべきだと叫んでいるのです」
そうと決まれば、善は急げだ。
真黒の奥さんを解凍し、まな板の上にのせた。
作務衣に着替えたダンディは、壁に並べていた包丁コレクションの前に立ち、一本だけ手に取る。鞘つきで60センチの刃渡りをもつ、マグロ切包丁。見た目を気に入って買ったがいいものの、日の目を浴びていなかった代物だ。
「では、いきますぞ」
黒光りする刃が、マグロへと近づいていき、皮膚に入りかけた、その瞬間。突如、ダンディは真黒に手を掴まれた。
その力は獲物を捕らえたサメのようであり、掴まれた部分が鬱血していく。
「どうしたのですかな?」
予想の範囲内だったため、ダンディの声音は穏やかだ。
「……すみません」
自分でも腑に落ちていない。真黒は、そんな思春期じみた表情を浮かべていた。
「遺体といえど、他の男に触れられるのは嫌ですかな」
返事はなかったが、震える肩が口以上に物語っている。
「では、あなたに捌き方をお教えしましょう」
ダンディが柔和な笑みのまま、提案した。しかし 真黒は奥歯を噛みしめながら、首を横に振る。
「……すみません。頭を冷やしてきます。作業は進めてください」
「よいのですかな?」
一瞬肩が跳ねたが、それ以降は固まるばかりで返事がない。ダンディは急かすこともせず、ただ待ち続けた。
「……妻なら、なんと答えたのでしょうか」
それだけ言い残すと、真黒はキッチンから出て行った。
ドアの開閉音が響き、ダンディはまな板上のマグロと向き直る。
「いやはや。失敗は許されませんな」
ダンディは鉢巻を締め直し、包丁の刃先をピタリと突き立てるのだった。
その2時間後。
真黒の奥さんは、見事な刺身となっていた。
屋形船で出されても違和感がないほどに豪華絢爛な盛り付けで、ダンディは自分の腕前を自画自賛しながら、力強く頷いている。
「……すばらしいですね」
真黒は、呆気にとられながらも呟いた。
「興がのってしまいましてな。もっと厳かにした方がよろしかったですかな?」
「いえ、彼女はひょうきんなところがあったので……。ありがとうございます」
「それはよかった。ささっ。食べてしまいましょう」
テーブルにつくと早速、真黒の喉が鳴った。
飲み込んだ唾の意味は、一体なんだったのか。本人は戸惑った表情を浮かべるばかりだ。
「……いただきます」
礼儀正しく手を合わせ、箸で刺身を持ち上げ、おずおずと口の中へと運んだ。
「これが、妻の味なのですね……」
飲み込んだ様子を確認してから、ダンディも刺身に手を伸ばす。
彼はすでに初老だが、消化器はまだまだ若いままだ。大トロの脂身になんて負けるべくもない。
「いやー、美味なものですな。養殖のマグロと比べると味が濃厚だ」
ダンディは興奮気味に叫んだが、真黒は無反応だった。
一噛み一噛み、祈るように繰り返しているだけだ。
「……生きた味がする」
青年は、ふと独り言をつぶやいた。
「やはり食べるのは辛いですかな?」
「……いえ。3年間海の中で暮らしていたからこそ、身をもって知っています。死んだら、他の生物の糧になる。それが自然界のルールですから」
ダンディは大根のツマをゆっくり食べながら、言葉を吟味するように天井を見上げた。
「きっと、幸せだったのでしょうな」
「ありがとう……ございます」
それから、彼らはマグロを食し続けた。
酒も入り、どんちゃん騒ぎ。
刺身だけではない。
寿司。
ねぎま鍋。
さらには、かぶと焼きまで。
三日三晩をかけて、たいらげた。
真黒の表情はどんどんと明るくなり、今や好青年らしい快活さを取り戻している。
「これで満足頂けましたかな?」
「ええ。妻も報われることでしょう」
ふたりは、固い握手をかわした。
「やはり、他種族との結婚はよいものです」
「壁が多いほど燃えますかな」
「それもあるかもしれませんが、俺は人間社会に馴染めないので……」
「どんどん息苦しくなるばかりですからな」
ルールに縛られ、時間に追われ、人間関係に溺れる。
いくら技術が進歩しても、社会に大きな違いはない。
「どれだけ不便でも、海は自由でした」
「よいですな。実に魅力的だ」
友人が元気を取り戻したことに喜び、上機嫌に笑うダンディ。
そんな彼を見て、真黒は目を丸くした。
「ははっ。困ったな」
言葉に反して、声は弾んでいる。
「どうしたのですかな?」
「どうやら、俺はあなたのことが好きになってしまったようです」
「おや、嬉しい限りですな」
「また会いにきてもいいですか?」
ダンディに断る理由はない。
「ええ。あなたが自分の心に従う限り、いつでも歓待いたしましょう」
「ありがとうございます」
こうして別れたのだが、それからたった2か月後、ダンディは衝撃的なニュースを目撃することになる。
――マグロと結婚した男が、人間と再婚!? 衝撃の理由とは。
最初は到底信じられなかった。
しかし記事に掲載されていた写真に、現実をつきつけられる。
真黒が、抱き合っている。
人間の女性と。
心底幸せといわんばかりに、目尻に皺を作りながら。
手に持ったワインスタントブドウを落とすほどの衝撃。めまいがおさまるまで、10秒はかかった。
「……実に嘆かわしいことだ。またひとり、変人から卒業してしまった」
助けを求めて、記事を読み進める。
しかし、真黒と女性の新婚生活が書かれているだけだ。
彼は、人間を愛するような、つまらない男になってしまったのだろうか。
少しでも変人要素はないかと、写真と記事をつぶさに読み直していくと、女性のふくよかなお腹に目が留まった。
「……まるでマグロのようだ」
ふと思い立ったダンディはゆっくりと腰を上げて、靴箱サイズの、小さな本棚から一冊のペーパーブックを取り出した。
表紙には『【軍事機密】エラ呼吸ユニット使用における、重大な欠陥について』とだけ。最初の1ページをめくると、要約が綴られていた。
専門用語で埋め尽くされているが、端的に表すと以下の通りになる。
――使用開始から3年が経過すると、自らを魚類の仲間と信じ込むようになる。この現象は呼吸法が変わった影響だろう。
「……ふむ」
真黒がマグロと結婚した時、彼はまだエラ呼吸ユニットを使いはじめたばかりだった。
そして、妻を亡くしたころには、きっと――。
ダンディの脳内では、マグロの刺身に舌鼓を打った、あの夜の光景が蘇った。
論文をゆっくりと閉じて、再度ニュースサイトを開く。そして写真の中にいる真黒をみつめ続けると、額に冷や汗がにじみ、ダンディは渇いた喉を鳴らした。
私は何を勘違いしていたのだ。彼は弩級の変人ではないか、と。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます
もしこの作品が気に入りましたら、☆評価やレビューをして頂けると励みになります。
また、もし人気がありましたら連作として長編化することも考えています。




