第29話:良い村
魔境からローヴァへと戻る道のりは、行きと同じ距離であるはずなのに、帰りの方が妙に長く感じてしまう。
これは単純に戦闘後の疲労がじわじわと身体に回ってくるせいなのか、それとも横で歩いているエリシアの消耗具合が視界に入るせいなのか、そのどちらなのかは判断に迷うところだが、少なくとも軽快なハイキング気分で歩ける空気ではなかった、という点だけは間違いない事実だった。
「……元気がないじゃないか」
ちらりと横目で見ると、エリシアの足取りは確実に重くなっており、普段の無駄のない動きが影を潜め、わずかにだが呼吸も荒くなっているのが見て取れた。
あれだけの相手を単独で仕留めた直後なのだから当然と言えば当然なのだが、こうして露骨に疲労が表に出ている姿を見るのは少し新鮮で、つい余計な一言を投げたくなる。
「……誰のせいだと思っている」
間髪入れずに返ってくる低い声に、ああいつもの調子はまだ残っているなと内心で妙に安心しつつも、正論すぎてぐうの音も出ないため、俺は肩を竦めることで反論の代わりとした。
「いやほら、試し斬りにはちょうどいい相手だったろ?」
「その〝ちょうどいい〟の基準を一度真剣に見直せ。タイラントベアはAランク。災害だぞ」
へー、そうなんだ。知らんかったわ。
そんな軽口を交わしながら歩き続け、やがて村の入口が見えてきた瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩む感覚があった。
やはり魔境という場所が常に無意識の緊張を強いていたのだろう。
そして、村に足を踏み入れた――その瞬間だった。
「……っ」
エリシアの身体がわずかに揺れた。
「おい、大丈夫か?」
咄嗟に声をかけると、エリシアは一歩踏み出そうとして――止まった。
「問題、ない……少し、気が抜けただけだ……」
そう言いながらも、その声には明らかに力が入っておらず、普段からは考えられないほど隙が見えているあたり、限界ギリギリまで張り詰めていた糸が、ここに来て一気に緩んだのだろう。
まあ、無理もないか。
あの戦闘内容で余裕綽々だったら、それはそれで怖い。
「クロムさん! エリシア様!」
そこへ駆け寄ってきたのはミーナだった。
状況を一目で察したらしく、すぐさまエリシアの腕を支えるように回り込むその動きは、相変わらず無駄がなく、見ていて妙に安心感がある。
「どうしたんですかその様子!?」
「ちょっと魔境で試し斬りしてきただけだ」
「ちょっとじゃないですよね⁉」
秒で怒られた。
「いやでもちゃんと勝ったし問題――」
「問題あります! ありますよねエリシア様!?」
「……否定は、できないな……」
ほら見ろ、本人も言ってるじゃないか。
いや違う、これは俺が悪い流れだな。
「クロムさんはほんとに……!」
ミーナの怒りゲージが順調に上昇していくのを感じながら、俺は視線を逸らすことで現実逃避を図るが、当然のようにそれで回避できるほど甘くはなかった。
「ちゃんと休ませてください! あと説明も後で詳しく聞きますからね!」
「はいはい……」
この後説教コース確定だな、と内心で溜息を吐きつつも、まあエリシアが無事だったのだから安いものだと割り切ることにした。
――そして。
「で、その試し斬りの成果なんだが」
俺は軽く手を振り、『解体の腕輪』から例の獲物を取り出す。
ドン、と地面に現れたのは、巨大なタイラントベアの肉塊。
一瞬の静寂。
そして――
「「「おおおおおおおおおお!?」」」
村人、騎士、職人たちの歓声が一斉に上がった。
「ちょっとクロムさん!? これ何!?」
「熊だな」
「見ればわかりますよ!? なんでこんなの仕留めてきてるんですか!?」
いい質問だな。
「美味そうだったから」
「理由が雑すぎる!」
だが、その言葉をきっかけに空気が一気に変わる。
「おいこの肉を解体するぞ!」
「今日は宴だ宴!」
「こんな肉滅多に食えねぇぞ!」
あっという間に村の連中が動き出し、特に女性陣の気合いの入り方がすごい。
「任せて! 綺麗に捌くから!」
「こっちは塩と香草持ってきて!」
「火の準備急いで!」
指示が飛び交い、あれよあれよという間に解体と調理の段取りが組まれていく様子は、もはや戦場とは別ベクトルの迫力がある。
さっきまで魔境にいたはずなのに、帰ってきた途端に別の意味で忙しくなるあたり、この村らしいと言えばらしい展開だった。
そして夜。
村の中央広場には大きな火が焚かれ、焼けた肉の香ばしい匂いが辺り一帯に広がり、酒と笑い声が混ざり合う中で、宴が盛大に始まっていた。
子どもたちは走り回り、大人たちは杯を交わし、職人たちも混ざって騒いでいるその光景は、数ヶ月前とは比べ物にならないほど活気に満ちていて、改めてこの村が変わったのだと実感させられるものだった。
そんな喧騒から少し離れた場所で、俺は適当に腰を下ろし、手に持った肉を齧りながら、ゆったりとした時間を味わっていた。
「……ここにいたか」
声に顔を上げると、そこに立っていたのはエリシアだった。
さっきよりは顔色も戻っており、多少の疲労は残っているものの、騎士団長らしい落ち着きを取り戻している。
「もう動いて大丈夫なのか?」
「問題ない。ミーナにも休めと言われたが、ずっと休んでいるのも性に合わない」
だろうね。じっとしていられるタイプには見えない。
エリシアは俺の隣に視線を落とし、そして同じように腰を下ろした。
少しの沈黙。
その後、ぽつりと呟く。
「……良い村だな」
静かな声だった。
「だろ?」
それ以上の説明はいらない。
実際に見て、感じたものがすべてだ。
エリシアは広場の様子を眺めながら、小さく頷いた。
「人の顔が見える。誰が何をしているのかが分かる……無駄がなく、それでいて温かい」
「まあな。そういうとこだ」
肉をもう一口齧りながら続ける。
「だから好きなんだよ、この村」
飾らない、本音。
エリシアはその言葉を聞いて、どこか納得したように息を吐く。
「……なるほどな」
「何が?」
「だから王都に工房を作らなかったのか」
ああ、その話か。
「まあ、それもあるな」
王都は便利だし、素材も人材も揃っている。
だが――
「落ち着かねぇんだよ、ああいうとこは」
肩を竦める。
「俺には、ここくらいがちょうどいい」
静かで、でもちゃんと人がいて、無駄に干渉されず、必要な時だけ関わる距離感。
それが心地いい。
エリシアは何も言わず、ただ小さく頷いた。
それで十分だった。
その後も、宴は夜更けまで続いた。
笑い声が絶えることはなく、火の明かりが揺れ続け、誰かが歌い出せば誰かが合いの手を入れる、そんな緩やかで賑やかな時間が流れていく。
その光景を眺めながら。
俺は、悪くないなと、素直に思っていた。
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