2-3:湖の貴婦人
もちろん、己の仕事を忘れたわけではない。森に隠れ住む異端者を捕らえ、裁きにかけるのが審問官である自分の務めだ。
問題は“何をすべきか”ではなく、“どうすべきか”の見当がつかないことだった。同僚のファリオンとロナスが早々に死んでしまったため、森での仕事の進め方が全く分からない。例えるなら、地図や案内役なしの旅行を強いられているようなものだ。
<黒鉛の森林>は無知な弱者に情けをかけることはない。無計画な旅は死に直結し、ダイアウルフの餌食にならずとも、他の野獣や犯罪者に殺されるだろう。
それならどうするか。悩み動けずにいるクロトールに対し、代行官のティマイオスは次のように言った。
「そうだな、審問官の仕事については詳しくないが、ファリオンとロナスは、東にあるクー・ファディルという村にしょっちゅう出入りしていたぞ。あの村は戦場の近くにあって、囚人の取引が盛んに行われているから、異端者みたいなお尋ね者を探すのに好都合だったんだろうな」
「戦場に近い村か」
クー・ファディルという不思議な響きを持つ村に、クロトールは興味を惹かれた。同時に、ふとあることを思い出し、懐から一枚の紙を取り出した。まだ生きていた頃のファリオンからもらった、色つきの地図だ。その紙面を眺め、ようやく探し当てたクー・ファディルの村には、”危険”を示す赤い丸が描かれていた。
「その村まで行くには勇気がいるだろうな」
「いや、必要なのは勇気じゃない。金だ」
とティマイオスは答えた。
「あんたは傭兵を雇うべきだ。酒場へ行くか、村人を説得するかして人を集めろ。一人で行くのは無茶だ」
クー・ファディルまで行けば、異端者の捜索に必要な情報が得られるかもしれない。そう思ったクロトールは、それから数日間を仲間探しに費やした。酒場に顔を出したり、腕っぷしの強そうな村人に声をかけてみたり。だが、いずれも空振りに終わり、時間だけが過ぎていった。元々、辺境の<黒鉛の森林>を訪れる者は少ないうえ、村ではダイアウルフの凶暴さがすでに知れ渡っていたから、手を上げる者が誰もいなかったのだ。
事態がようやく動いたのは、募集を諦めて一人旅の準備をしていた時だった。クロトールの事情を知っていた酒場の店主が、傭兵らしき男が店に現れたと、わざわざ伝えにきてくれたのだ。
期待と不安を半々に酒場に入ると、暗がりの席にそれらしき人物が座っていた。体格のがっしりしたその男は、上半身に鎧を身に着け、腰に剣をぶら下げている。他には兜や籠手などの防具もあったが、このうち兜はテーブルの上に脱いだ状態で置いてあった。かぶっていないのは、顧客に自分の顔を見せるためだろう。
「すまない。クー・ファディルへ向かうための同行者を探しているのだが——」
「二百ソレル。前払いだ」
傭兵はこちらが言い終える前にそう言った。クロトールは提示された金額を反芻した後、しばし思考した。二百ソレルは決して払えぬ額ではないが、財布を開ける前にいくらか値切れないだろうか。男の持っている防具は鋼鉄製だが、よく見ると革ひもの部分が摩耗しており、兜にはへこみが見られる。腕の立つ戦士は装備の手入れを怠らないと聞くが、目の前の自称傭兵はそうではなかった。こいつは見かけ倒しの素人か、嘘つきかもしれない。
「最初に半分の百ソレルを渡そう。残りは現地に着いてから払う」
男が片眉をつり上げて文句を吐き出す前に、クロトールは急いで言葉をつけ足した。
「これには理由があってな。昔、同胞の中に詐欺に遭った者がいたんだ。彼は要求通りに料金を前払いしたんだが、金額に満足した護衛は仕事の前に逃げ出したのさ。周りの連中は彼を散々馬鹿にしたよ。“詐欺師に寄付をするとは、聖人顔負けの善行だな”、とか言ってね」
クロトールは話を続けた。
「要するに、私は同胞のような笑い者になるのを恐れているんだ。あんたが誇り高い戦士なら、この気持ちが分かるだろう? 私のためを思って、ここは折れてくれないか?」
今のは完全な作り話だったが、男を納得させるのに一定の効果はあったようだ。怪しい傭兵は「うーん」と唸ると、その後は文句も言わず黙り込んだ。
もう一息だ、と直感したクロトールは、間髪入れず仕上げに入った。
「話を戻そうか。私は最初に百ソレル払う。あんたが期待通りか、それ以上の働きをすれば、残りの報酬に色をつけて渡そう。どうだ?」
男は椅子から立ち上がると、片腕を突き出した。かなり乱暴な動作だったが、それが取引成立の合図であることは辛うじて理解できた。
「いいだろう。引き受けよう」
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