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2-1:湖の貴婦人

 フェン・エノックに着く頃には夕方になっていた。藁ぶき屋根の家屋がひしめく村の中には、家畜を世話する少女や木工細工にいそしむ老人など、生活を営む人々の姿が確認できる。その光景は首都の近代的な様相とは異なっていたが、クロトールにとってはさほど重要ではなかった。狼に仲間を殺され、<永遠の夜明け>の三人に置き去りにされた後では、どのような場所でも楽園のように思えてくるのだった。


 村の手前で立ち止まり、煙突から出ている煙を眺めていると、連れの馬が退屈そうにいなないた。村までの旅路は心細くはあったが、幸い孤独ではなかった。クロトールのそばには、ファリオンが生前所有していた馬がいたからだ。ダイアウルフの襲撃を受けた際、クロトールの馬は恐怖によって死に、ロナスの馬は手綱を引きちぎって逃げてしまった。どこへも行かず、死ぬこともなかったファリオンの馬が唯一残ったのだ。


 この事実に、クロトールは運命のようなものを感じた。他の誰の馬でもなく、“聖人”ファリオンの馬だけが残ったという事実に。そこで以前の所有者と同じ名前をつけて、新しい仲間とみなすことにした。「今日からお前の名前はファリオンだ、相棒」


 村の門まで近づくと、二人の番兵が松明を片手に近づいてきた。どちらも格好は一人前だが、兜の隙間からのぞくのは、あどけない若者の顔だ。


「何者だ?」


 番兵の一人がおそるおそるといった様子で尋ねた。その態度は兵士というより、親の留守中に怯える子供のようだ。クロトールは彼らに対して不安を覚えた。


「審問官のクロトールだ。<黒鉛の森林>で、異端者追跡の任務に就いている」


 手早く本題に入るため、自己紹介はあっさり済ませた。


「ここの責任者は誰だ? この近くで起きた事件について報告がある。火急の用だ」


 二人の番兵は互いの顔を見合わせ、何やら小声でひそひそと話し始めた。その頼りない様にクロトールは苛立ちを募らせた。本当に大丈夫なのか、こいつらは?


「責任者? 政務代行官ならその中にいるが——」


 若者は村の端に建つ平屋に目をやった。建物の戸口には帝国の太陽と教会のシンボルが飾られ、側面には馬屋が備えつけられている。番兵とこれ以上話しても無駄だと悟ったクロトールは、馬屋にファリオンを預けた後、建物へ入った。扉を開けた瞬間、生ぬるい空気の中に肉とスパイスの匂いがした。今はちょうど夕方だから、誰かが食事の準備をしているのかもしれない。


「どちら様で?」


 玄関に立つなり、いかにも腕っぷしの強そうな大男から声をかけられた。丸太のように太い腕に、顔半分を覆う戦化粧。特徴的な黒髭は乙女の髪のように編み込まれている。おそらくは異国の用心棒といったところか。実力のほどは定かではないが、少なくとも村の入り口を守っていた番兵よりは、何倍も頼もしく見える。


「審問官のクロトールだ。ここの責任者と話がしたい」


 クロトールは短く答えて反応を待ったが、返事は大男の口からではなく、建物の奥から聞こえてきた。


「ああ、やっと来たか」


 床を歩く音がしたかと思うと、一人の男が現れた。その人物は典型的な帝国人といった感じの風貌で、顔に髭はなく、髪は耳の上で短く切りそろえられていた。ゆったりとした長衣の代わりに、森でも歩きやすい狩猟用のズボンを穿いている。見た目だけで判断すれば、歳はクロトールより上で、“聖人”ファリオンよりは若そうだ。


「はじめまして、クロトール。政務代行官のティマイオスだ。フェン・エノックとその周辺を管理するのが私の仕事だ」


 男は慣れた様子で自己紹介しつつ、クロトールの周囲をさりげなく観察した。


「おや、ファリオンとロナスはいないのか? てっきり一緒に来るものだと思っていたが」


「できれば私もそうしたかった」


 とクロトールは答えた。口から出た言葉は図らずも暗く、湿っぽかった。


「あなたに報告すべきことがある。座って話せる場所はないか?」


 ただならぬ事態を察したのか、ティマイオスは無言でうなずくと、クロトールを客室へ案内した。二人は部屋の中央に置かれたテーブルに向かい合わせに座った。入り口の大男は部屋に入ってこなかったが、その方が気楽で良かった。


「さあ、何が起きたか聞かせてくれ」


 テーブルの上で手を組み合わせたティマイオスが、クロトールを見据えて言った。


「ファリオンとロナスはどうしたんだ、クロトール? どうして到着がこんなに遅れたんだ?」


 クロトールは森での出来事をつぶさに報告した。村へ向かう途中に壊滅した補給隊を発見したこと、その時現れたダイアウルフがファリオンとロナスを殺したこと、そして<永遠の夜明け>と呼ばれる奇妙な三人組に救われたことを。当時のことは思い出すだけで気が滅入ったが、それでも最後まで喋り続けた。


「ダイアウルフは去り、私は現場に取り残された。ここに来ることができたのは私と一頭の馬だけで、他は——残念ながらあの場に残すしかなかった」


 事の顛末を話し終えると、それまでの疲れがどっと押し寄せてきた。状況が許すなら、このまま椅子の上で眠ってしまいたいとさえ思った。きっと数分も経たないうちに気を失うことだろう。


 クロトールの報告を聞き終えたティマイオスは、それまでテーブルの上で組んでいた手をほどき、大きく息を吐いた。彼の眉間には、渓谷を思わせる深い皺が刻まれていた。


「何と言うべきだろうな。あんたの言うことが事実なら、私は明日の朝一番に森へ出かけて、状況を確認せねばならん。実際にこの目で見るまでは何とも言えんな。あんたはもっといい反応を期待していたかもしれんが」


「私の話を疑っているんだろう? 遠慮しなくていい」


 相手を不快にさせぬよう、最大限配慮しながらクロトールは言った。


「私だって信じられなかったさ。仲間を殺した狼が突然喋り出し、人間相手に説教を始めるなんて。あの時は悪夢でも見ているのかと思ったよ」


「ただの悪夢の方がましだ。ファリオンとロナスは本当に死んでしまったのか? ついこの前、話をしたばかりなのに」


 クロトールはティマイオスの問いかけにうなずいた。


「残念ながらそうだ。私は実際に、彼らの開いた目を閉じさせた。この手で」


 そう言って左手を突き出すと、触れた皮膚の感覚がよみがえってきて、気分が悪くなった。


 仲間の遺体は今もあの場所にある。彼らをあのままにはしたくない。<永遠の夜明け>の女は”埋葬は諦めろ”と警告したが、今後朽ちゆく彼らの体を思えば、捨て置くなど考えられない。


「ティマイオス、頼みがある。私は彼らを埋葬してやりたいと思っているんだ。費用はこちらが持つから、村で人手を借りられないか?」


 クロトールが尋ねると、ティマイオスは表情をこわばらせて、


「あんたはどこまでも本気なんだな」


 とおののくように言った。やはり話を完全には信じていないようだ。


「いいだろう。明日の朝に部隊を編成して、遺体を運ばせることにする。指揮は私が執るから、当日はあんたも同行してくれ」



***



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