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1-4:プロローグ・仲間の死

 降り続いていた雨が止み、風が木々の間を縫うように流れた。ぞっとする冷気が背筋をなで、冬のような空気が辺りを覆う。それは恐るべき前兆だったが、この時のクロトールは何も知らなかった。


 馬たちが一斉に悲鳴を上げ、危険の到来を高らかに宣言した。茂みを揺らして突如現れたそれは、白い毛皮に身を包んだ狼——ダイアウルフだった。馬馬車ほどの体格を持つその狼は、吠えも唸りもせず、喉元を狙っていきなり突進してきた。


「危ない!」


ファリオンの叫びを聞いたクロトールは、突進を避けると同時に、腰に提げていた剣を引き抜いた。それからすれ違いざまに狼に向かって水平斬りを放ったが、剣の切っ先は空を切り、あと数センチのところで届かなかった。


 ダイアウルフは地面に散らばる物資の中に着地すると、その場で半回転した後、三人に向き合った。その際、クロトールは不審に思った。ダイアウルフは強力な種だが、生物学的には巨大な狼でしかないはずだ。しかし、目の前に立ちはだかる狼の瞳は、不自然に青く光っている。この獣はどこかおかしい。少なくとも、故郷にいるような普通の狼ではない。


 次の攻撃に備えていると、突然何かがシュッ、という音とともに視界を横切った。補給隊の荷台からクロスボウを拝借したロナスが、機転を利かせて矢を放ったのだ。だが、耳のいい狼は危険を事前に察知し、飛び退いて避けた。


「くそっ!」

 

 攻撃をかわされたロナスは毒づき、再び次の矢を撃とうとしたが、狼がそれを許すはずがなかった。瞬きほどの短い間に、狼は荷台を軽々飛び越え、ロナスに襲いかかった。彼の短い悲鳴と、倒れる音がした後は、一切何も聞こえなくなった。この瞬間、クロトールは仲間の一人を失ったのだと悟った。


「おのれ――」


 次に動いたのはリーダーのファリオンだった。審問官であり熱心な信奉者でもある彼は、祈りの言葉をささやき唱えると、剣を片手に向かっていった。クロトールは彼を支援すべく駆け出したが、当然、獣の方が早かった。剣の突きをひらりと避けたダイアウルフは、無防備になったファリオンの胴体に激しく体当たりした。


 突き飛ばされたファリオンは宙を舞った後、樹木の幹に激突した。彼はそれきり動かなくなった。祈りの言葉を聞いた慈悲深い神が、彼に苦痛のない死を与えたのかもしれない。


 ダイアウルフは間もなくクロトールに顔を向けた。奴はもったいぶったようにじりじりと、しかし確実に近づいてくる。今さら逃げても間に合わない。かといって、一対一で戦っても勝つ見込みはない。あの狼はすでに仲間を二人も殺しているのだ。


 相打ち覚悟で突撃するしかない――己の死を予感しながら剣を握り返した直後、予期せぬ出来事が起きた。


 不意に耳をつんざく高音が辺りに鳴り響いた。その甲高い音は、戦闘終了を告げる笛の音のように遠くまで聞こえた。この時、クロトールは誰かが頭上の木の枝にいるのに気づいた。頭に特徴的な羽根つき帽を被ったその人物は、片膝を立てた状態で弓を構えている。


 上方に気を取られていたせいで、地上の変化に気づくのが遅れた。狼の唸り声を聞いて視線を戻すと、地面に空いた穴から無数の人間の手が現れ、動いているのが見えた。地獄からはい出たような黒い手が、あちこちから伸びてダイアウルフを拘束しようとしている。その生々しい動きは、墓場からよみがえった死者が命を求めてあえいでいるかのようだった。


 クロトールは湧き上がる恐怖と嫌悪を必死に抑え込んだ。これは何だ? いったい何が起きているんだ?


 ダイアウルフはしなやかに後退すると、歯をむき出しにして声を発した。誓って言うが、獣の口から出たそれはまさしくヒトの言葉だった。


「ふん。誰かと思えば<永遠の夜明け>の連中か。お前たちはいつから俺の敵になったのだ?」


「あなたを気にかけてのことだ、ヤンクログ」


 気配もなく現れた二人の女が、クロトールの横を通り過ぎた。一人は長い黒髪を柳のように垂らし、全身を男用の服で包んでいる。もう一方はとび色の短髪で、黒髪の女と似たような恰好をしており、肩には重そうな荷物を背負っている。


「この辺りは帝国人の領域だ。むやみに暴れれば嫌でも彼らの注意を引くぞ」


 黒髪の女が淡々とした口調で述べた。女の着る服はあちこちが汚れ、靴底はすり減り、それらは昨日今日起きた変化ではなかった。彼女は何者なのだろう、とクロトールは(いぶか)しんだ。高い背丈に色白の肌、男物の服。これらは帝国人の女の特徴ではない。


 ヤンクログと呼ばれたダイアウルフが、まさしく人間のするように鼻を鳴らした。


「分からないか? むしろ教えてやっているのだ。この森を我が物顔で歩く奴らに、何が起きるかを。ここは奴らのものではなく、我々のものだからだ」


 地面から出てきた黒い手は、依然としてダイアウルフを求めて伸び続けている。これは黒魔術が生み出した邪悪な創造物なのだろうか。あるいは幻覚か、悪夢の中の産物か。地面から湧き出る手に、いきなりしゃべり始めたダイアウルフ。そしてダイアウルフと知り合いのように会話する謎の女。これを悪夢と言わず何と言う?


「あなたの立場は理解するが、気持ちは別の方法で表現すべきだ。より平和的な手段もあるだろう」


 女が反論すると、狼は人間臭く首を振り、


「はっ! お前は何も分かっていないな」


 と吐き出すように言った。


「平和とは笑わせてくれる。そもそも殺戮を始めたのは、俺ではなく帝国の奴らだ。すぐに死んで忘れる人間とは違って、俺は覚えているんだぞ」


「それについては知っている。わたしはそれほど長くは生きていないが、仲間から過去の出来事を教わった」


 女は辛抱強く応じたが、狼は態度を軟化させるどころか、いっそう嚙みついた。


「ならば、俺の心情を少しは理解してみせろ! 森にいる帝国人は死ななければならない。俺は連中を見過ごすつもりはないからな」


 ダイアウルフは言い終えるなり駆け出し、姿を消した。狼の脅威が去ると、<黒鉛の森林>は静けさを取り戻し、空では鳥が鳴き始めた。気味の悪い黒い手も消滅し、多くのものが元通りになった。ただ一つ、仲間の戻らぬ命を除いては。


 クロトールはわずかに残った体力を使って、仲間のもとへ歩いていった。そして外傷を極力見ないようにしながら、彼らの目を閉じさせた。それが終わると、膝から下がひとりでに崩れ落ちた。目をやると自分の両脚が、壊れた部品のようにがくがくと動いていた。


「おい、あんた、大丈夫か?」


 いつの間にか羽根つき帽の狩人がそばに来ていた。彼は褐色の肌をした若者で、弓矢を背負う体は鹿の四肢のようにしなやかだった。外見から判断するに、この若者には自由都市の民の血が流れているようだ。あの場所から訪れる人間を、これまで何度か見たことがある。


「怪我をしているのか?」


「いや、腰が抜けただけだ」


 とクロトールは答えた。


「しばらくすれば歩けるようになるだろう。しかし——」


 そこでいったん言葉を切ると、仲間の遺体に再び目を向けた。彼らを失ったことが未だに信じられなかった。我々は少し前まで一緒に歩き、言葉を交わしていたのに。


「同僚たちの命は戻らない。あの狼に殺されてしまった」


「気の毒だな」


 と言葉を述べたのは、羽根つき帽の狩人ではなく、ダイアウルフと話していた黒髪の女だった。黒髪の女は、とび色髪の女を伴ってクロトールに近づくと、哀れみの視線を投げかけた。


「色々と手助けしてやりたいところだが、残念ながら我々には時間がない。次の犠牲者が出る前にヤンクログを追わなければ。だからお前は——」


 女は道の遥か先に目をやった。


「旅人よ、歩けるようになったらこの道を進み、途中左へ曲がれ。その先にあるフェン・エノックという村で、しばらく体を休めるといいといい。仲間については残念だが、埋葬しようとは考えないことだ。ヤンクログが再びここを通るかもしれないからな」


 女は言い終えると、狩人の男ととび色髪の女を連れてその場を後にした。とび色髪の女は終始無言で、クロトールと言葉を交わすことはなかった。途中、羽根つき帽の狩人が心配そうに振り返ったが、彼が手を貸すために戻ってくることはなかった。


 クロトールは死体の中に取り残され、両脚の調子が戻るまで動くことができなかった。雨は止んでいた。それだけは幸いだった。

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