第6話:最上級のオムライス
1.木曜日の敗残兵
木曜日の夕暮れ。
俺は、ヨレヨレのジャージ姿で近所のスーパー『Cマート』にいた。
カゴの中身は、もやし、豆腐、そして半額シールの貼られた惣菜パン。
「……はあ」
深いため息が出る。
ホストを辞めてから、心にぽっかり穴が空いたままだ。
あの夜、俺はかっこつけて「現実で幸せになれ」なんて言った。
でも、本音を言えば、もう少しだけ彼女と話していたかった。彼女の愚痴を聞いて、洗濯機の話をして、あのアバター越しに笑う顔を見ていたかった。
ミナミは今頃、現実でいい男を見つけただろうか。
そうであってほしい。そう願う反面、二度と会えない現実に胸が痛む。
「……お、卵残ってるじゃん」
特売コーナーのワゴンに、ラスト1パックの卵があった。98円。
今の俺には、この卵の黄色い輝きだけが希望だ。
今日は奮発して、オムライスでも作ろうか。ケチャップ文字で『サヨナラ』とでも書いて。
俺は手を伸ばした。
すると、横からスッと、白くて細い手が伸びてきた。
タッチの差で、俺の手が卵を掴んだ。
「あ、すいません。譲りますよ」
俺は反射的に手を引っ込めた。
「いえ、いいのよ」
聞き覚えのある声。
背筋が凍った。心臓が跳ね上がる。まさか。いや、そんなはずはない。ここはネットの海じゃない、ただのスーパーだぞ?
恐る恐る顔を上げる。
そこには、場違いなほど完璧なメイクとファッションに身を包んだ、ミナミが立っていた。
「……卵、お好きなんですか?」
2.答え合わせ
「……は?」
俺はカゴを取り落としそうになった。腰が抜けるかと思った。
「な、なんで!? ここ!? え、お化け!? それとも幻覚!?」
俺はパニックになり、無意識に左手で鼻を触る。
その仕草を見た瞬間、ミナミの目が確信に変わった。
「やっぱり。……焦ると出る癖、アバターの時と一緒ね」
「えっ」
ミナミはスマホの画面を俺の鼻先に突きつけた。そこには、俺のアパート周辺の地図と、解析データが表示されていた。
「閉店間際のワルツ、信号機の音程。それにあんたの異常なまでの『卵愛』と特売日から逆算したわ」
「……」
俺は言葉を失った。
「AIコンサル、なめないでよね」
俺は後ずさりした。
「な、何しに来たんだよ! クレームなら店に言ってくれ! 俺はもう辞めたんだ!」
「クレーム?」
ミナミは呆れたように笑い、一歩踏み出した。
「あんたが言ったんじゃない。『現実を見ろ』って」
「え……」
「だから、現実のあんたを見に来たのよ。バーチャルの王子様じゃなくて、このジャージ姿のあんたをね」
彼女は、俺が譲ろうとした卵パックを手に取り、俺のカゴに入れた。
「譲ったんだから、オムライスでも作りなさいよ」
「……は?」
「味見してあげるから」
3.エッグい結末
彼女はバッグから、魔法少女ルルカちゃんのキーホルダーを取り出して揺らした。
「それと、確かめたいんだよねルルカ愛を」
俺は、目の前の女性を見つめた。
アバターのような修正はない。目尻には少し笑いジワがあって、仕事帰りの疲れも見えて、でも、最高に綺麗な笑顔だった。
俺なんかが、隣にいていいんだろうか。
でも、彼女は俺のカゴ(98円の卵入り)をしっかり握っている。
俺は観念して、大きく息を吐き出した。
肩の力が抜けていく。
「……ほんと、えぐい女だな」
「ふふっ、最高の褒め言葉ね」
俺たちは並んでレジへ向かった。
自動ドアを出ると、夕焼けが街を染めていた。
それは、VRで作られたどんな夜景よりも、眩しくて温かかった。
俺たちの物語は、ここから始まる。
AIもマニュアルもない、予測不能でノイズだらけの、最上級にえぐい日常が。
(了)




