第3話:嘘と現実の境界線
1.シンデレラの強制送還
その夜、ミナミがログインしてきた瞬間、俺は「あ、ヤバい」と思った。
アバター越しでも伝わってくる、重苦しい空気。
いつもは完璧にセットされている彼女の髪(アバターのカスタム設定)が、今日はデフォルトのまま乱れている。
「……いらっしゃい」
「……強いの、ちょうだい」
彼女はソファに沈み込むと、うつむいたまま言った。
「元カレ、結婚するんだって」
俺は息を呑んだ。
ミナミが未練タラタラだった、あの完璧なエリート元カレか。
「招待状なんてよこさないでよ……。私、やっぱりダメだったのかな。正しく生きようとして、仕事も頑張って、感情も殺して……でも、選ばれなかった」
彼女の声が震えている。
AIのインターフェースが、激しく警告音を鳴らした。
【Opportunity: 依存の形成】
State: ターゲットの自己肯定感が崩壊中。
Strategy: 元カレを否定し、アバター(虚構)の優位性を刷り込め。
Script: 「見る目がない男だね。僕なら君を離さない。君の全てを受け入れるよ」
画面に表示されたスクリプトが、やけに輝いて見えた。
これを読めばいい。
「僕なら君を離さない」。甘い声でそう囁けば、彼女は確実に俺に依存する。売上も上がる。彼女も一時的には救われる。Win-Winだ。
俺はマイクに手をかけた。
「……ミナミさん」
画面の中のレオンが、優しく微笑む。
(……でも、それって「救い」か?)
俺の脳裏に、現実の自分の姿が浮かんだ。
築40年のボロアパート。万年床。明日食べる卵の値段を気にしている30歳無職。
それが俺だ。
画面の中の「レオン」は、ただのガワだ。中身は空っぽで、彼女を支える力なんて何一つない。
無意識に、左手で鼻を触る。
「僕なら……」
言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
嘘だ。
俺には彼女を幸せにできない。リアルで会うことすらできない。
そんな俺が、彼女の人生の決断(結婚という現実)に負けた元カレに対して、「僕の方が上だ」なんてマウントを取るのか?
そんな卑怯な嘘で、彼女の傷を塞ぐフリをするのか?
(……ふざけんな。そんなの、詐欺師以下だ)
俺の中で、何かがプツンと切れた。
俺はAIのウィンドウを視界の端に追いやった。
「……バーカ」
「え?」
ミナミが顔を上げた。
俺は、わざと冷たく、突き放すような声を出した。
「目を覚ませよ。いつまで夢見てんだ」
「レオン、くん……?」
「元カレが結婚? それが現実だろ。負けたんだよ、お前は」
俺は言葉のナイフを重ねた。自分自身を傷つけるつもりで。
「こんなVRのガラクタに逃げ込んで、高い金払って、電子データのアバターに慰められて……それで幸せになれるとでも思ってんの? 虚しくなんない?」
「ちょっ、何……ひどい……」
「俺はお前が思ってるような『王子様』じゃない。中身はただのバイトだ。元カレの足元にも及ばない」
俺は画面越しに、彼女を睨みつけた。
「だから、もう来るな」
「……!」
「ここで浪費する金と時間があるなら、美容院にでも行って、現実世界でいい男探せよ。……お前なら、絶対見つかるから」
最後のひと言だけ、声が震えてしまったかもしれない。
ミナミは、信じられないものを見る目で俺を見ていた。
その瞳に、涙が溜まっていくのが見えた。
「……っ!」
彼女は何かを言いかけたが、声にならなかった。
そして、逃げるように操作パネルを叩いた。
<LOGOUT>
彼女の姿が粒子となって消えた。
あとに残ったのは、静まり返ったVIPルームと、AIからの【Mission Failed】の文字だけ。
「……ああ、クソ」
俺はゴーグルを毟り取った。
最悪だ。客を傷つけた。泣かせた。追い出した。
でも、これでいい。これであの人は、もうこんな底辺の掃き溜めには来ないはずだ。
俺は震える指で、スマホを取り出した。
店長宛に、短いメールを打つ。
『一身上の都合で辞めます。探さないでください』
送信ボタンを押し、そのまま着信拒否設定にした。




