第1話:完璧な模範解答、あるいは虚無
1.高難易度ミッション:ユリ
視界の端で、赤いインジケーターが点滅している。
VRホストクラブ『EGGGEST』のVIPルーム。
目の前のソファには、常連客のユリ(アバター名)が座っていた。彼女は少し退屈そうにグラスを揺らしている。
システムが、彼女の微細な表情筋と声のトーンを解析し、俺の網膜に作戦概要を投影した。
【Mission: Emotional Resonance(情緒的共鳴)】
User Desire: 「客」ではなく「女」として扱われたい。スリルと安心感の両立。
Strategy: 視線と吐息、接触による段階的なドーパミン生成。
Reward: ヴィンテージ・シャンパン(推定売上 30万円)。
Probability: 88.2%(到達可能)
30万。俺のバイト代の何ヶ月分だ。
俺――アバター名『レオン』は、息を整えた。
AIが提示するルートは絶対だ。これに従えば、俺のようなコミュ障の貧乏人でも、絶世のホストになれるはずなんだ。
《Phase 1: Contact》
Action: 彼女の手の甲に、自分の手を重ねる。
Speed: Slow (3秒かける)
よし、これならいける。基礎動作だ。
俺はコントローラーを握る指に神経を集中させる。
画面の中のレオンの美しい手が、ユリの白い手にゆっくりと重なる。1、2、3……。
「……あら」
ユリが顔を上げ、少し頬を染めた。
よし、好感触。
すかさずAIが次のフェーズを展開する。ここから難易度が跳ね上がる。
《Phase 2: Gaze & Breath》
Action: 見つめ合いながら、吐息を漏らす。
Parameter: 吐息量 30% UP(情熱的に)。
Duration: 15秒間キープ。
(さ、30%!?)
俺は焦った。小鼻がかゆい気がするが堪える。
30%ってどれくらいだ? 深呼吸より浅く、ため息より深く?
ええい、ままよ。俺はマイクに向かって「ふぅぅ……」と少し強めに息を吹きかけた。
「……レオン?」
ユリが潤んだ瞳でこちらを見ている。効いてる。
だが、ここからの15秒が地獄だった。
AIのカウントダウンが進む。[Time: 12... 11... 10...]
(な、長い……!)
無言で見つめ合う1秒は、現実の1分に相当する。
間を持たせるために、俺は必死に「30%の吐息」を漏らし続ける。ふぅー。はぁー。すぅー。
(これ、ただの過呼吸じゃないか? 大丈夫か?)
[Time: 2... 1... 0!]
ラストの指示が表示された。
《Phase 3: Touch》
Action: 手を彼女の肩へスライドさせ、引き寄せる。
Strength: Soft (羽毛のように)。
Timing: NOW!
(よし、今だ!)
俺は張り詰めていた緊張を一気に解放し、動作に移った。
だが、15秒の焦らしと酸欠気味の頭が、手元の狂いを生んだ。
「羽毛のように」動かすはずの指に、ガチガチの力が籠もってしまったのだ。
ガシィッ!!
VR空間に、不似合いな効果音が響いた。
レオンの美しい手が、ユリの肩を鷲掴みにした。まるで獲物を捕らえる鷹のように。
「いっ……!?」
ユリが悲鳴を上げた。
「あ、いや、違うんだユリ!」
俺は慌てて手を離そうとしたが、焦って変なボタンを押してしまい、今度は小刻みに肩を揺さぶる動作になってしまった。
荒い鼻息(30%増量)をフンスフンスと吹きかけながら、真顔で凝視し続け、突然肩を鷲掴みにして揺さぶる美男子。
それはもはやホラーだった。
「……きっっも」
ユリの目が、完全に冷めていた。恐怖すら浮かんでいる。
「あんた、動きが……人間じゃないわ。壊れたロボットみたい」
<LOGOUT>
彼女のアバターが光の粒子となって消えた。
後に残されたのは、肩を掴むポーズのまま固まった俺と、AIからの冷徹な評価ログだけ。
【Mission Failed】
2.空白のインターバル
「……はぁ」
俺はヘッドセットをずらし、天井を仰いだ。
築40年、風呂なし四畳半のアパート。壁は薄く、隣の大学生がVtuber配信を見て騒いでいる声が聞こえる。
これが俺、ケンタ(30歳)の現実だ。
俺が働いているこの『EGGGEST』は、少し特殊な店だ。
表向きは「最新AIホストクラブ」だが、実態はハイブリッド型。
会話の内容や戦略はスーパーコンピュータ上のAIが考え出し、その出力(演技)を俺たち人間オペレーターが担当する。
なぜ完全AIにしないのか?
オーナーいわく、「AIの音声合成には『魂』が乗らない」かららしい。
逆に、なぜプロのホストを使わないのか?
「プロは自我が強すぎてAIの邪魔をするし、人件費が高い」からだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、俺のような「暇で、安くて、声だけは良い」一般人だ。
俺は飛びついた。
ずっと、俺がモテないのは「顔」のせいだと思っていたからだ。
中身には自信があった(根拠はないが)。だから、この『レオン』という最強のアバターさえあれば、俺は天下を取れると思っていた。
「……でも、これだ」
焦ると出る、余裕の無いひねた性格。左手で鼻をさわる癖。研修では上品な所作を教え込まれたが、なかなか身につかない。
最強の顔と、最強のAIアシストがあっても、俺自身の「人間性能」が低すぎてバグる。
結局、顔を変えても俺は俺のままなのか?
3.歩く重課金アバター:ミナミ
気を取り直して再ログインすると、新しい客が入室してきた。
ドアが開いた瞬間、処理落ちしそうになった。
「……うわ」
入ってきたのは、女性アバター『ミナミ』。
一見するとシンプルなスーツ姿だ。だが、その解像度が桁違いだった。
髪のキューティクル、ジャケットの繊維の質感、時計の盤面の輝き。すべてが「金持ち」の記号で構成されている。
この業界で、ここまでリアルに近いアバターを使うのは、自分に自信がある証拠だ。
> 【Scanning...】
> Watch: Virtual Patek (実勢価格 380万円相当)
> Total Asset Value: High Class (太客警戒)
(380万……!)
俺の喉が鳴る。今月の家賃と光熱費が、彼女の機嫌一つにかかっている。
ミナミはドサリとソファに沈み込んだ。
そのアバターの表情は、精巧であるがゆえに、リアルの彼女の疲れを忠実に反映していた。眉間のシワ、目の下のクマ。
「……いらっしゃいませ、お姫様」
「……リサーチよ」
彼女は不機嫌そうに言った。
「最新のAI接客を見に来ただけ。……あと、ちょっと疲れてるから、適当に相手して」
4.「オラオラ営業」への疑念
チャンスだ。疲れているなら、癒やせばいい。
AIが即座に戦術を構築する。
> 【Mission: Affirmation(全肯定)】
> Script: 「素敵な時計だね。君のような成功者に時を刻まれるなんて、その時計は世界一幸せだ」
よし、いける。
俺は意識を集中する。目の前の美女を見る。その腕に光る、380万円相当の時計を見る。
そして、その上の、死ぬほど疲れた顔を見る。
「す……素敵な、時計だね」
俺は台詞を読み上げ始めた。だが、言葉が続かない。
無意識に、左手で鼻を触る。違和感のサインだ。
(成功者? これが?)
380万の時計をしているのに、なぜこんなに不幸そうな顔をしている?
俺の貧乏人根性が、猛烈な勢いで計算を始める。
380万あれば、俺なら一生遊んで暮らす。なのに、こいつは高い金を払ってVRに来てまで、眉間にシワを寄せている。
AIの文字が点滅する。『読め。早く読め』
(幸せなわけあるかよ。持ち主がこんなに辛そうなのに)
俺は口を開いた。
AIの用意した甘い蜜ではなく、俺の腹の底に溜まった、煮えたぎるような「本音」が漏れ出した。
「……似合ってねえよ」
「え?」
「いや、時計はすげえよ。一級品だ。でもさ、お前自身の顔色が最悪じゃん。そんな高い時計して、分刻みで追い詰められてんの? バカじゃない?」
俺は畳み掛けた。
「タイムマネジメントできてない証拠だよ、それ。俺ならもっと効率よく休むね」
言ってしまった。
VIPルームに沈黙が落ちた。終わった。また失敗だ。
しかし、ミナミの反応は冷ややかだった。
「……へえ」
彼女は鼻で笑った。
「なるほどね。そういう設定?」
「は?」
「いるわよね、最近。『オラオラ営業』っていうの? 客を否定して、主導権を握って依存させるタイプのAI。……悪くないアルゴリズムだけど、私には通用しないわよ」
バレていない。いや、むしろ「高度なAIの演技」だと誤解されている。
これじゃダメだ。俺という人間を認識させないと、指名は取れない。
5.地雷原:魔法少女の聖域
どうする? 何か、彼女に刺さる言葉はないか?
俺は焦って、彼女のプロフィール(推定年齢:28歳前後)と、さっき自分が口にした「タイムマネジメント」という単語を脳内で検索した。
時間。タイムマネジメント。20代後半女子。
……あのアニメだ。
俺も大好きな、あのアニメの世代ど真ん中のはずだ。
「……通用しない、か。厳しいね」
俺はニヤリと笑い(アバターは完璧に)、芝居がかった口調で言った。
「でも、時間は待ってくれないぜ? ほら、あのアニメでも言ってただろ」
俺はビシッと指を突きつけた。
「『時は金なり、時は命なり! 過ぎ去りし時間は戻らない! テンプス・フギット(光陰矢の如し)!』……ってな」
決まった。
時空魔法少女ルルカちゃんの必殺詠唱。
同世代なら絶対に反応するはずだ。「懐かしい!」と笑顔になるはずだ。
だが。
ミナミの顔から、表情が消えた。
さっきまでの「不機嫌」ではない。「絶対零度の軽蔑」がそこに宿っていた。
「……はあ?」
低い声。
「何その、媚びた感じ」
「え?」
「私、『ルルカちゃん』ガチ勢だったんだけど。それ、私たちの聖域なんだけど」
ミナミは苛立ったように足を組み直した。
「あのね、その台詞は友達と放課後に唱えるから尊いの。薄っぺらい男が、女釣るために使っていい言葉じゃないの。……やっぱAIね。データバンクから『この世代にはこれがウケる』って抽出したんでしょ? 浅すぎて反吐が出るわ」
6.限界オタクの反乱
カチンときた。
薄っぺらい? 釣るため?
俺の純度100%のルルカ愛を、AIのデータ処理と一緒にするな。
俺はAIのウィンドウを完全に消去した。
そして、マイクに向かって早口でまくし立てた。
「訂正しろ」
「は?」
「俺だって好きで言ってんだよ! 釣りとかじゃねえよ! 俺はルルカちゃんに関してはガチだ!」
俺は指を折りながら叫んだ。
「公式フィギュアは初期ロットから全部持ってる! 天井には等身大ポスター貼って毎晩『おやすみ』言ってる! ブルーレイBOXの店舗別特典ドラマCDもコンプした!」
「は、はあ……?」
ミナミが引いている。だが、俺は止まらない。
今の俺はホストではない。侮辱されたオタクだ。
「だいたいな、お前みたいなライト層と一緒にすんな! 俺なんか、ルルカちゃんの抱き枕カバー、保存用と観賞用と実用用で3枚持ってるんだぞ!」
「……じ、実用?」
「ああそうだ! 今日の雨で、実用用のカバーが生乾きなんだよ! さっき必死に取り込んで、シワにならないように広げてきたところだ! わかるかこの苦労が! 湿気はルルカちゃんの敵なんだよ!」
俺は肩で息をした。
ゼェゼェという荒い呼吸だけが、VIPルームに響く。
やってしまった。
ホストが客に、抱き枕(実用)の話をした。しかも逆ギレで。
今度こそ終わりだ。通報案件だ。
しかし、沈黙を破ったのは、ミナミの爆笑だった。
「……ぷっ、あはははは!」
「な、なんだよ!」
「あはは! 実用用って何よ! しかも生乾きを気にしてるの!?」
ミナミはお腹を抱えて笑い転げている。
涙を拭いながら、彼女は言った。
「……AIじゃないわね、あんた」
「当たり前だ!」
「だって、どんな高度なAIでも、抱き枕の生乾きにキレたりしないもの」
彼女は満足そうに息を吐いた。
「いいわ。気に入った。……私、ルルカちゃんの話ができる男の人なんて初めて見たわ」
「……俺だって、あんな詠唱でキレる女、初めて見たよ」
こうして、俺と彼女の、噛み合わない攻防戦の幕が開いた。
この時の俺はまだ知らない。
この「オタク趣味」と「貧乏性」が、後に彼女の人生を救い、そして俺の居場所を特定する最大の鍵になることを。




