加護持ち侯爵令嬢、浮気王太子に捨てられたので砂漠の王子に拾われました
アレイシア王宮。
白と青の静謐な謁見の間は、今日だけはざわついていた。
理由はただ一つ。
王太子クライド・レイ・アレイシアが、婚約者の侯爵令嬢——スレイシア・ド・チャームを断罪すると言い放ったからだ。
蜂蜜色の髪は光を受けて柔らかく揺れ、澄んだ水色の瞳は静か。
生まれながらに水の精霊の加護を持つ少女。
だが、家は伝統ある水源管理の名門でありながら、国が水に困らぬ豊かな土地ゆえ、彼女の価値は軽んじられてきた。
家族との関係も冷え切っており、味方と呼べる者はほとんどいない。
それでも彼女は、毅然と立っていた。
「スレイシア・ド・チャーム! お前との婚約は破棄する!」
クライドの叫びに広間がどよめく。
その隣には、勝ち誇ったように立つ少女がいた。
マカーナ・ピルレオ子爵令嬢。
金髪を揺らし、柔らかい笑顔。
しかし、その周囲に浮く光粒は“薄い”。
下級精霊の小さな加護——擦り傷すら満足に癒せない。
それを“聖女の光”と吹聴していた。
クライドは胸を張り、高らかに言う。
「マカーナこそ真の聖なる加護を持つ女性!
お前の水の加護など、そこらの泉で代わりになる!」
——瞬間、広間の湿度が揺れた。
スレイシアが怒ったわけではない。
水の精霊たちが、だった。
だが彼女は静かに歩み出る。
「殿下。ご判断は承りました。
ですが、一つ確認してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「——マカーナ様の加護が、私より優れているのは本当ですか?」
マカーナは自慢げに袖を広げた。
「もちろん! 昨日だって殿下の指を治したもの!」
クライドは誇らしげに手を掲げる。
そこにあった傷が消えているのは事実だった。
スレイシアの背後に、透明な波紋がふわりと広がった。
空気中の水気が彼女へと集まってゆく。
「水よ。」
その一言。
《王宮全体の水が震え、彼女の背に巨大な水流の翼を描き出す》
ざわぁ……!!
貴族たちは息を呑み、喉が鳴る音すら響くほどの静寂。
だがスレイシアは、小さな一滴を指先に浮かせた。
「マカーナ様。この程度の傷、癒せますか?」
彼女は紙で自分の指を少し切った。
赤い血が滲む。
マカーナは慌てて光を集めるが——
光はチカッと点滅しただけ。
「……え……?」
スレイシアは淡々と言う。
「下級精霊の加護では、生命力に触れられません。
殿下は……その区別すらご存じなかったのですね?」
クライドの顔が引きつった。
「マカーナは聖女だ! 俺が選んだのだぞ!」
「でしたら、殿下——」
スレイシアは手をかざした。
美しい水の翼がふわりと舞い、次の瞬間——
マカーナの“光”を、綺麗さっぱり洗い流した。
「ひっ……!?」
光は霧散し、残ったのは普通の少女。
「水は、薄い加護を剥がしてしまいます。
……殿下は本当に、何もご存じなかったのですね」
広間は完全に凍りついた。
さらにスレイシアは、心底優しげに微笑む。
「ちなみに……殿下の指の傷。
書類の角で切ったものでしょう?
あれなら、子どもでも治せます」
——沈黙の後、どっと笑いが起きた。
クライドだけが真っ赤になり怒鳴る。
「き、貴様! 無礼な!」
「無礼を積み重ねたのはどちらでしょうか」
スレイシアは深く礼をした。
「本日をもって婚約は破棄いたします。
殿下のご希望通りに」
彼女が横を通り過ぎると、水の精霊が小さな泡を弾けさせて笑った。
その時。
「……やはり。あの日の少女だ。」
黒髪の青年がスレイシアの方へ静かに歩み寄る。
アルランド帝国第二王子
ルマーン・ジル・アルランド。
深い青の瞳が、真っ直ぐに彼女を見つめていた。
幼い頃、国境の祭礼で出会った少女。
水の精霊に愛され、それでも寂しげに家族を見ていた少女。
(この国に……彼女をこのまま置いてはおけない)
スレイシアが振り返ると、ルマーンは静かに一礼した。
「スレイシア嬢。
もしお望みなら——」
深い声が広間を震わせる。
「——あなたを、我がアルランドへお連れします」
砂漠に苦しむ国で、水の精霊の加護は宝そのもの。
だが、彼の瞳にあるのは欲望ではない。
再会の喜びと、彼女を守りたいという強い願いだった。
スレイシアの運命は、その瞬間から大きく動き出した。




