人間である前に動物だよねって話
こんなこともできないのか。考えればわかるのに、どうしてやらないの?
できない人、考えない人、やらない人。
できる人、考える人、やる人。
世の中には、後者のほうが少ないと感じる。
だからといって、前者が悪だというわけではない。
三毛猫もいれば、黒猫や白猫もいる。
白黒の牛もいれば、茶色や黒の牛もいる。
でも、猫は猫だし、牛は牛だ。
猫は、自分と違う柄の猫を見て怒るだろうか。
牛は、自分と違う柄の牛を見て怒るだろうか。
人間は、人間を動物だと思っていないのではないだろうか。
「動物」ではなく、自分と同じ考え方や行動をする「人間」だと捉えている気がする。
けれど実際には、そんなことはない。
できない“柄”、考えない“柄”、やらない“柄”。
できる“柄”、考える“柄”、やる“柄”。
もしあなたが、「できる・考える・やる」三毛猫だとしたら、それは非常に稀有な存在だ。
まして、オスの三毛猫であれば、なおさら。
自分とは異なる柄の人間を見て、頭を悩ませることは、生きていく中で少なくない。
そして、それによって心をすり減らしてしまうこともあるだろう。
人間は無意識のうちに、人間を“上位の生き物”と捉えている。
だから、自分と同じように行動できると期待してしまう。
だが、そういう柄ではないのだから、自分と違って当然なのだ。
そうしたことを認識すると、また違った世界が見えてくる。
期待という名の毒を、知らずに口にしていることがある。