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悪童よ、永遠に

「王誠勇」

 恍は少年の名を呼んだ。宴の後、鈴歌にも繰珠にも隠れてこっそりと、奏者の群れから抜けてきた。人垣の中でこちらを振り返った少年は、恍を認めて鋭い目つきになった。

「なんだ」

「まぁ、ちょっと話がな」

 場所を移そうと、視線を動かせば、従者が困ったように少年を見つめた。誠勇はしばらく恍を睨みつけていた。煌びやかな衣装を早く脱ぎたかった。宴の時は仕方なく着る服も、彼にとっては普段着らしい。今も奏者や有権者かと見間違うような豪奢な恰好をしている。

「いいだろう。聞いてやる」

 誠勇の物言いにはあまり感心しなかったが、恍はあえて笑顔を作った。どうせ素直に話を聞くような相手じゃない。誠勇は従者へ先に帰るように言いつけ、恍の後を着いて来た。恍は人気のない路地へ誠勇を連れて歩いた。目立つ格好をしているせいか、人々がすれ違い様に視線をよこす。嫌な気分だった。

「どうだった、未来の嫁の演奏は?」

 人がいないのを確認して、恍は切り出した。誠勇を見ると、顔が赤かった。よく見れば拳を握りしめていた。怒っているらしい。

「そんなことを聞くために呼んだのか!」

 思った通り、誠勇は怒鳴りだした。恍は溜息を吐いた。

「どう思ったんだ?」

 強い口調で聞くと、誠勇がたじろいだ。睨まれてたじろぐあたりはまだ、子供らしい。誠勇はぼそりと言葉を漏らした。

「よかった」

 恍は内心微笑んだ。誠勇は恥ずかしそうにうつむいている。つけ込む隙がある、と悪人のようなことを思った。

「あれは俺の弟子だからな」

 当然だ、と言う前に誠勇が顔を上げた。

「俺の嫁だ!」

 お前のものではない、と言いたいのだろう。誠勇はまた何か言いたげに口を開いた。

「それと同時に、俺の弟子でもあると言うことだ。つまり、どういうことか、わかるな?」

 誠勇は眉根をひそめ、言葉を飲んだ。恍はゆったりと長袍の袖を振って、口元を覆った。浮かび上がる笑みを隠すためだった。

「弟子が晴れ舞台を踏んでから、一度も仕事をしていないとなっては……外聞が悪い。俺たちの老師は大物だからな、気にしなかったかもしれないが。俺はそう言えるほど大物じゃあないんでな。あれが望む、望まないに限らず、仕事は、してもらわないとなぁ?」

 言いながら、誠勇の顔色がかぁーとさらに赤くなっていくのを見た。表情や気持ちの変化が外見に出やすいのは、鈴歌と似ている。

「そ、んなこと、知るか! 俺が居ることを知っていて弟子にしたんだろ。お前にだってそれなりの覚悟があってしかるべきだったはずだ!」

「ああ、お前があいつに『龍笛、畑仕事、炊事などの家事・仕事の一切』を二度としないという条件を飲ませたことを知ってな」

「だったら!」

 誠勇が叫んだ。まだ何があるのかと。恍は口元から手を離した。

「お前があいつから、好きなことを全て奪うなら、俺はあいつに好きなものを与える、そう覚悟を決めただけだ。それに、お前、あいつにずいぶん執着しているみたいだが、あいつの方はそうでもないな」

 誠勇の眉がぴくぴくと細かく動いた。痛い所をしっかり中心に見据えて、恍は攻撃を始めた。

「あいつに、好いていると言われたことがあっての、自信だろうな、当然。そこまで俺のことを無下に出来るんだからな?」

 鈴歌が恍の前で誠勇について話すことはほとんどなかった。あの日、鈴歌を本当に弟子として迎えた時、恍は懐かしい感覚に苦い思いをした。

 龍笛以外に心の頼りになる物がない。物を介さないと、誰かと一緒にいる理由がないと、安心できない、どこへ行ったらいいのかわからない迷子の幼子のようだった自分。鈴歌はその時の自分に似ていたし、既にそこから足を出していて、立ち上がろうとしているように思えた。目指すべき場所に向かって、足を踏み出している少女の、背中を支えたかった。決めてやらなくていい、押し出してやらなくていい、ただ、支えてみたかった。

 自分があの時、老師に支えられたように、繰珠の騒がしさに心が紛れたように、自分が彼女の何かの支えになってみたかった。

 恍は赤く堅い拳を握り続けている誠勇を見下ろした。誠勇も、必死だった。鈴歌を、好いた相手を自分のものにしたくて、必死だった。

――こいつも迷子か?

 返事がすぐに返ってこなかったということは、誠勇にも思うところがあったのだろう。

「好きな物を好きなようにさせてやるのも、夫の勤めじゃないのか?」

「わかってる!」

 誠勇が躍起になったように叫んだ。恍は思わず顔をしかめた。

「趣味ぐらいなら、いいと思ってる」

「趣味? 中途半端だな。あいつが望んでるのは、そんなことじゃないぞ」

「わかってる! だから、約束させたんだ!」

 誠勇が再び叫んだ。初めてあった時の、頭にキンキンと響く声。

「あいつは、俺の妻になるんだ。仕事なんかする必要ないし、鈴歌は、俺とだけ会っていればいいんだ」

 じわりと、誠勇の言葉から滲む感情に、恍は溜息を吐いた。自分にはあまり馴染みのない、甘ったるい感情だ。醜いとも思える。

「自分だけのものにしたい、と?」

 呆れながらも口にして聞く。誠勇は一瞬たじろいでから、小さく頷いた。

「自分だけのものになれば、それでいいのか?」

「ど……どういう意味だ?」

 誠勇が不思議そうにむっと口をすぼめた。

「自分だけのものになれば、あいつに好かれていなくても全く問題ないってことだな?」

 誠勇は我に返ったように息を飲み、顔からは赤みが引いていった。

「それに、仕事は選べば新人でもさほど心配することは無い。お前の元から離さなくても出来る仕事はあるし、それを斡旋するいい商人が友人にいる。俺なら、あいつがお前に気兼ねせず、お前も誰かにとられる心配をせず、出来る仕事を紹介してやれるんだが」

 お前には出来るのか、と言外に含めて問いかけるように話す。恍は悪いことをしている気分だった。実際、自分は悪い人間なんだろう、と思った。少なくとも、誠勇にとっては。

「そういえば……名前を教えてなかったな」

 誠勇の顔に疑問の色が浮かぶ。そんなことが今関係あるのかと。

「――」

 誠勇は目を見張った。恍は今まで使ったことのなかった、家の力を初めて使った。その効果は、相手の顔を見る限り、目覚ましいものだった。繰珠の調べで、誠勇がどこの王さんか知った後にしか出来ない、最後の汚い技だった。

「ぜひとも、君の奥さんには仕事を続けて貰いたいね。俺の家のためにも。ね?」

 誠勇は明らかな脅しに、顔を青ざめさせていた。恍はお茶商家の金持ちとは桁が違う、歴史の長い貿易商家の子息だった。数年前に家出をした身とはいえ、その家の者であることに変わりない。

 この名前を使う日が来るとは、家出をしたころには思いもしなかったが。恍は苦笑いをしながら、想う人をとられまいと思考を巡らしている誠勇の背を宥めるように撫でた。


 鈴歌は木戸を叩く音に目を開けた。向かいに座っている誠勇は、軒の戸についている窓を少し開けた。鈴歌からは誰が外にいるのか、見えなかった。

「そのままでいい」

 誠勇が戸を開けようと、鍵へ手をかけた時、外から声がした。凛とした声だった。

「伝言がある。あるバカ弟子に、『一緒に仕事をする日を楽しみにしている』と、偏屈な奏者に頼まれた」

 鈴歌は身を乗り出してその姿を確認しようとして、止めた。彼が誠勇を止めたように、鈴歌も身を引いた。窓から互いが覗き見られないように。

「では、長旅の安全を祈って」

 月に照らされて、彼の影がわずかに軒の中で動いた。片手を上げるような動作と、長い袖の形の影が、軒の中の、鈴歌の足元を触れた。鈴歌は去って行く足音を聞き、拳を固くした。

――師!

 言いたかったことがたくさんある。お礼や、苦情や、やっぱりお礼が、言い足りていない。それに、繰珠とのやり取りが見ていて楽しかったことも、数回しか聴かなかった笛の腕と、仕事での対応の的確さに感心したことを、はっきり伝えられていない。

「出せ」

 腰を再び椅子へどっかりと落とした誠勇が、大きな声で鈴歌の後ろの従者へ言った。馬のいななきと空を切る音がして、軒が動き出した。

 鈴歌は身を乗り出して、鍵を掴んだ。

――葉師!

 誠勇が驚いて止めるのも構わずに、鈴歌は鍵を外した。戸を大きく開けて、走り出している軒から、身を乗り出した。

「師!」

 彼は振り向かなかった。青い長袍に、白銀の帯が月光を反射していた。町の玄関口・大門を軒が通りぬける。鈴歌は声を張り上げた。

「ありがとうございました!」

 誠勇が鈴歌の片手を、軒から落ちないように掴んでいた。従者が軒を止めるかと聞いているのを、「止めるな!」と怒鳴りつけている。

「あなたの弟子になれて――わたしは幸せでした!」

 泣きたいわけでもないのに、涙がぼろぼろと瞳からこぼれ出した。彼の後ろ姿が小さくなっていく。けれど、鈴歌は気づいていた。彼が歩みを止めて、その場で鈴歌の声を聴こうとしていることを。

「あなたの笛が好きでした! あの邸が好きでした!」

 鈴歌は涙を流しながら、その背中が振り向いてくれないかと、期待していた。最後にもう一度、顔だけでも見たかった。

「鈴歌!」

 危ないと、誠勇が腕を軒の中へ引く。鈴歌は彼の背から目が離せなかった。

 小さくなった彼の背中が、揺らいだ。鈴歌は軒の木輪がガラガラと石畳を踏んで鳴っている。足元から時折突き上げるような衝撃が走ってくる。整備されている道でも、軒は大きく上下へ跳ねる。

 耳に、響いて来る。その笛の音が、今彼が吹いているものなのか、鈴歌の頭の中で鳴っているのか、よくわからなかった。ただ、彼は両手を上げ、微かに彼の笛が手の中に見えるような気がした。

 鈴歌は、軒の中へ戻り、椅子へ腰かけた。まだ、龍の声は響いている。軒の音と、馬の蹄の音も、聞こえない。ただ、椅子へ深く体を落ち着けると、葉師の笛の音がよく聴こえてきた。鈴歌は再び目を閉じた。

 顔だけでも、と思っていたのに、彼は笛を吹いてくれた。彼が鈴歌に向けて、曲を吹いている。調べは別れではなく、旅の無事を願うものだった。最高の贈り物だった。

 軒はやかましく音を立てて、道を走って行った。石畳も、土の道も、砂利道も、変わらず走って行った。鈴歌の故郷へ向かって、誠勇の邸へ向かって。

 道中、鈴歌はずっと、声を聴いていた。天へ上って行く、龍の声を。




 数年後、ある川辺の街で一人の龍笛奏者の噂が流れた。その者は新年祭に現れては、偏屈と悪名高い奏者と膝を並べ、かの者に引けを取らぬ演奏をして去っていく。

 その笛の音は空高く駆け上り、人々を圧巻し、人間を縫うように駆けては、人々を笑顔にしたという。

その龍笛奏者の名は、黄林。のちに歴史上初の女性龍笛奏者と言われるようになった女性であるが、その素性は判然とせず、茶屋の王夫人、貿易商家の葉夫人の説が有力であるものの立証には至っていない。

ただ一枚の姿絵には龍笛を手にした少女の笑みが、今もまばゆく輝いている。

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