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激情

 鈴歌の報告を聞いた時、女将さんは驚くほど大きく目を見開き、微かに開いた口が徐々に大きくなっていった。炒め物が焦げそうな勢いで音を立てていた。

「女将さん、焦げちゃいますよ!」

 酒家へ戻ったのは夕餉の時間をとっくに過ぎた頃で、女将さんは店を閉める準備をしていた。鈴歌はいつもより遅くなったことと、仕事を手伝えなかったことを謝りながら、店じまいを手伝った。

手を動かしながら、葉師と話した色々なこと、見解が食い違っていたことなどを報告した。女将さんは手早く店を閉めると、鈴歌のために夜食を作り始めた。

「ああ、ごめんよ。驚いちまったよ」

 女将さんは素早く手首の動きだけで鍋の中の炒め物をひっくり返した。ふわっと甘い油の匂いが漂ってきた。鈴歌は葉師の邸での会話を思い出して、口元を緩めた。

「それで、面倒だから、昼餉と夕餉を酒家から持って来て修行しろって言うんですよ」

 白熱しすぎた修行の末、夕餉を食べ逃した葉師が溜息混じりに言った台詞だ。繰珠は葉師に叱咤される鈴歌を見届け、仁と共に夕餉を済ませていた。

「おやまあ、短絡な男だね。本当に、自分で拵えるってことを知らないんだから。金持ちも貧乏人も、男は皆そうだね。女が飯を作って待ってるのを当たり前だと思ってる」

 女将さんは溜息を吐きながらも、楽しげに言う。ときどき、鋭い文句を言って、それは鈴歌の気持ちを代弁しているように思えることさえあった。

「でも、それだけ時間が惜しいと思ったってこと……なのかなって。そう思ったら、ちょっと嬉しい気もして、変、ですかね? 私」

 皿へ豪快に鍋の中身が盛り付けられ、卓子へ乗せられる。鈴歌は話しながら、恥ずかしくなって、うつむいた。女将さんは向かいに座って、小さく笑った。

「あんたが変じゃなかったことがあったかい? 葉さんだって変な人だよ。お互い様で、お似合いなことだよ」

 顔を上げると女将さんは、大仰に肩を揺らして笑っていた。

「時間が惜しいって思ってるんなら、はっきり言ってもらいたいもんだよね。そしたらあの大きな邸に一日三食届けて、私はがっつり稼がせてもらえるし?」

 冗談めかした口調だが、目が本気だと物語っている。たぶん届けるのは鈴歌なのだが、女将さんなら片手間のように四人分の三食を作ってしまうだろう。鈴歌は皆で仲良く食卓を囲むことを想像してみて、笑ってしまった。

 食事を一緒に摂ることはあったが、どれも急いだもので、会話の大半が龍笛のことだった。修行の合間に摂る食事は、仁が作ってくれるので、それだけでもありがたいのだが。

「ねぇ、あんた、結局弟子にしてもらって、どうなのさ?」

 一人でに笑った鈴歌を見て真顔になった女将さんが、声をひそめて聞いてきた。

「どうって……勉強になります。いろいろと。自分が気にしたこともないようなことを指摘してくれますし、休む暇がないので、集中するしかないですし」

 酒家に戻る時間になると、本当に体がくたくたになっていて、酒家で給仕をするのは不可能にさえ思えたが、修行とは全く違う作業に意外にも体は反応した。一度体を動かしてしまうと、考え事は出来なくなる。それが気持ちを切り替えるのにも、いい結果を出していた。

「……ずーと、続くことなんてないのよ? 楽しみなさい」

 鈴歌は黙って夜食へ手をつけた。葉師が酒家を訪れて全てを話してから、女将さんは一度も誠勇のことについて触れなかった。年が明けて、宴が終われば、お別れをしなくちゃいけないことも、湿っぽいことはなにも話さなかった。

――楽しみなさい

 柔らかく、心に染みてくる女将さんの声。

 繰珠の言葉を思い出す。

――それから、気の合う従者に出会える可能性だってたっぷりある

 今も、その先も、楽しめばいい。

――可能性は、ある

 鈴歌はじわっと口の中で溢れだした肉汁を飲み干した。

「明日から、お弁当作っていきます」

 少し間を置いて、はっはっと女将さんが声を枯らして笑った。




「なあ、俺思うんだけどさ」

 夕餉の弁当をつついている時、繰珠が急に口を開いた。丁度仁がおかずを一品追加してくれた所だった。

「毎日毎日さ、鈴歌ちゃんは朝起きてー、弁当作ってー、酒家の手伝いしてー、昼にここに駆け込んできてー、弁当食べてさ、練習だの打ち合わせだのするじゃん。それから夕餉の弁当でしょ? 給仕とか、お茶淹れるのも仁を手伝ってるしー」

 咥え箸をしながら、語尾を伸ばして話す繰珠に、恍は内心イライラとした。

「なんだ。言いたいことがあるならはっきり言え」

 ちらちらとこちらに目配せをしてくるのも煩わしい。繰珠が語尾を伸ばしてしゃべるときは、碌なことを言わない。

「だからさ、もうこっちに専念して貰えばいいじゃん、って。酒家は忙しい時間だけ手伝うってことで話つけてさ。ってかもう開店準備と午前と閉店作業ぐらいしかやれてないんだから、大丈夫なんでしょ?」

 繰珠は確認と同意を求めるように、すっと視線を鈴歌に向ける。鈴歌は口を忙しくもごもごと動かして、飲み込んだ。

「だい、大丈夫ってわけじゃないですけど……確かに、やれてることは少ないです」

 申し訳なさそうに、鈴歌の目じりが下がる。この町にやってきてすぐの時、宿と仕事を与えてくれた酒家の女将に、出来れば力を貸したいのだろう。

「ここ、空き室が一つ残ってるし、寝泊まりすれば夜に酒家まで帰らなくていいし、その分練習とかできるだろ? 夜道を歩くのも危ないしさ」

 繰珠は水を得た魚のように饒舌になってきた。

――邸主は俺なんだが? 俺の許可を得ず、勝手に話を進める気か?

「おい、勝手なこと言うな」

「え、いいだろ、別に。どうせ余ってる室だし、誰か使ってた方が掃除とかも楽だろ?」

 睨みながら言ったが、繰珠はどこ吹く風で、仁に意見を求め始めた。今邸の掃除や食材等の管理をしているのは仁だ。

「……埃の溜まり方は違うでしょうね」

 仁は茶を注ぐ手を止めながら、少し困ったように眉根を寄せて、悩んだ末にそれだけ言った。

「な、鈴歌ちゃんはお前と違って、日ごろから掃除とかもするだろうし。朝から晩まで修行できるほうがいいだろ? そんなに日にち無いんだし」

 否定したい気持ちがあるが、繰珠の意見はなかなか的を射ている。

「酒家が閉まってる時間修行できるし、昼間と夕方は手伝いに行けるだろ? 悪いことないと思うんだけど?」

 小首をかしげる繰珠の声音は真剣そのものだ。鈴歌を見れば、薄く口を開けて迷ったように視線を泳がせていた。

 朝晩の支度時間や移動時間を考えれば、確かに少しは修行できる時間も増えるだろう。仁に頼りっきりになっている朝餉の支度も、鈴歌がいれば格段に早くなるだろう。

 空いている室は恍の自室の隣で、物が少ない恍が館主では物置にすらなっていない。そこに人が住み着いて困ることは。

――物音くらいか

 しかし鈴歌の生活を考えれば、物音を気にする暇すらないだろう。

「あの、葉師。できれば、そうさせていただきたいです」

 考え事をしていると、それまで黙っていた鈴歌が口を開いた。

「今酒家で働けている時間帯を考えると、こちらに住まわせていただけると、数刻は時間がとれると思うんです。炊事洗濯掃除もやりますし、練習もこちらの邸なら時間を気にせず吹けますし」

 鈴歌が泊まっている酒家は大路だ。日暮れすぐに寝入る店屋が密集している通りで、夜半に笛を吹きまくるわけにはいかない。

 反して恍の邸は住宅街だが、邸と邸の間が大きくとられていて、文句を言いに来る者もいない。これまで夜に笛を吹いて苦情が来たことがないのを思い出す。

「だ、だめですか?」

 不安げな声に視線をやれば、端に繰珠の真顔が目につく。じっと、押し黙りながらこちらへ訴えかけてくる二人の視線に、恍は溜息を吐いた。

「勝手にしろ」

 刹那の間を置いて、ばっと互いの顔を見て、鈴歌は喜色満面で立ち上がった。

「ありがとうございます!」

 勢いよく頭を下げた少女に、再び溜息を吐く。繰珠がさりげなく彼女の目の前にあった汁物の椀を避けながら、にたにたと笑っている、それだけが腹立たしい。




 宴の高揚は、鈴歌が体験したことのないものだった。怒涛だった葉師の指導を耐え抜いて、迎えた初日は晴天だった。町の人々が浮足立っていた。鈴歌も高鳴る期待を抑え、黄林として舞台に上がった。

 四聖獣の描かれた立て板を背に、紅の敷布に腰を下ろす。数日前の顔合わせの時とは打って変わって険しい表情の奏者たちにつられてか、高台を見上げる観客達は静まり返り、川の水音が響いてきているのが良く聞こえた。

――ああ、これなら、大丈夫。

 この町に来て何度も聞いた、川の音、木の葉の擦れる音、時折の鳥の声。固まったように詰めていた息をゆっくりと吐き、顔を上げた。

 龍笛を構える。今年の最初の音は鈴歌と葉の龍笛。葉師が提案した、鈴歌の最初で最後の晴れ舞台の、厳しく華々しい歓迎。

 横目に隣を見る。背筋を伸ばし笛を構える姿は何よりも凛としていて、絵にも描けないのではないかと思えた。その瞳に燃えるような揺らめく輝きを見た気がして、胸が苦しくなった。

――もっと見たい。

 客席では遠すぎて見られない、けれど隣では近すぎて見続けられない。一度ぐっと歯を噛みしめて、前を向く。もう余所見はしない。この舞台は一度きり、葉師の隣もきっとこれが最後だから、みっともなく失敗するわけにはいかない。

 高台前方から演奏開始の合図が出て、笛を震わせた。二つの笛の音はぴたりとそろって空へ舞った。合図が出たらすぐに吹く、音をそろえるための単純で度胸のいるやり方は、葉師の目論見通りうまくいった。

 音に集中して、指の動きを、舞台の奏者を、客席の笑顔を、胸に刻み込む。心臓の早鐘が今だけはうるさいと思わなかった。今が、望んでいた最高の瞬間だった。




 失敗はしなかった。それが成功と呼べるかは分からないが、失敗はなかった。ただそれが嬉しかった。大きな期待と大勢の笑顔と、物々しい奏者たちの顔ぶれ、宴の最中の記憶は、多くのことがありすぎて、うっすらとしている。

 鈴歌は軒の中にいた。新年祭の終わりの宴の後、人々がまた普段の生活へと戻り始めていた。鈴歌もまた、黄林ではなく、ただの朱鈴歌になっていた。

 葉師へのあいさつは済ませてある。思い返してみても、大分簡素で、まるでまた会う約束でもあるみたいだった。

『お世話になりました』

 鈴歌が深く頭を下げると、繰珠は寂しげな表情をしていた。葉師は無表情で、どんな気持ちでいるのかわからなかった。

『なんか、ずいぶん短かったように感じるよ。君が来てから、一月も経つんだね』

 繰珠が首を傾げた。戸へもたれ掛る姿と、憂いの表情は絵に描かれそうだった。葉師は鈴歌と向き合いながら、静かに口を開いた。

『川の水音にかき消されるような情けない笛は吹くなよ』

 それは葉師に本格的に師事し始めた頃に言われた、痛烈なひと言だった。鈴歌はその時初めて自分の笛の音がかき消されていたことを知ったし、出来れば知りたくなかった。鈴歌は少しむっとしながらも、その言葉が含んでいるもう一つの意味に嬉しくもなった。

『わかってますよ。わかってます』

 笛を吹き続けろ、そう葉師は言ってくれているのだ。夫の目を盗んで吹き続ければいい、悲観することは無いと。でも、それは出来ない。これは鈴歌の心の問題だった。あれだけわがままで、こんな遠くまで連れ戻しに来たのに、ずっと待ってくれた誠勇を、そしてあの時条件を飲んだ自分自身の覚悟を裏切るわけにはいかなかった。

 満足な宴だった。初仕事も、最後の仕事も、この数日の新年祭でじっくり味わった。とても濃縮された時間だった。自由で幸せな時間は、もう終わり。

『さよなら。葉師から教わったこと、忘れません』

 二度と笛を吹くことが無くても。鈴歌は再び頭を下げて、出て来た。夜中の寒い時間に、軒へ乗り込み、宿で誠勇と会い、荷物を積み込み、軒は町を出ようとしていた。鈴歌はそっと目を閉じた。


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